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「おじさん! 遅くなってごめんなさい!」
それはカイディルを揶揄したのではなく本当の行商のおじさんに向けての。
「いやいや、急ぐもんでもないし」
幌馬車に座り、そう穏やかに告げる男はエルフだ。線の細い者が多いエルフに於いては比較的に体格の良い。
ただしキリアンとは違う金髪の碧眼を持つごく普通の。そしてエルダとも浅い付き合いではなく心得たもので。
「どうせ魔女殿が忘れてたのだろ」と、からからと笑った。
二人で話している間、カイディルはフードを目深に被り後ろに待機し、
今回は薬の引き取りだけなので、いつもより取引はスムーズに終わった。
「今日はいつもの怖い青年と狼はいないのだね?」
薬を幌馬車へと仕舞いながらエルフの男はラーウに尋ねる。
怖い青年とはキリアンのことかと少し笑い。
「今は全員いそがしいみたいなの」
「ふむ。それで彼が…」
なるほど。と、少し離れた場所に立つカイディルへと視線を送った。
そして男は帰り際に、そうそう、と。
「この近くの村にマルシェが出てたよ。中々の品揃えだったから行ってみたらいい。それと……、」
何やらゴソゴソと幌の中を探りだし、「あった、あった」と取り出したのは、小花模様の入ったとても可愛らしい薄い水色の布。
「――ほら」とラーウの頭にふわりと掛ける。
「ん?」
「もし村に行くならいるだろ?」
「え? あ、じゃあ、お金…」
「いいの、いいの。これは俺がラーウちゃんに似合うと思って持って来たやつだから」
そう言ってポンポンと、男はラーウの頭を撫でた。
先ほどの、カイディルにされた行為と同じであるはずだが、でもラーウの顔は赤くはならず。
断るのもあれだと、「ありがとうございます」と言えば、男は満足そうに頷いてから再びちらりとカイディルを見た。
それを見て。
ラーウは何となく、その視線を遮るように間に入る。
「カイは見た目怖そうだけど良い人だよ?」
その言葉に男は一瞬きょとんとして、
「あー…、いやいや」と笑う。そして。
「ラーウちゃん、もし村に行くなら彼の名前はあんまり大きな声で呼んでは駄目だよ」
「………?」
怪訝な顔をするラーウの頭を男はまた撫でると、次の訪問予定日を告げ、「じゃあ、またね」と去って行った。
「行商なのに護衛もつけずに一人なのだな」
男を見送る背後へと近付いて来たカイディル。
ラーウは振り返る。
「うん。おじさん強いから」
「まぁ、確かに……」
その同意は何かしら感ずるものがあったのか、視線は去って行く幌馬車へ。
改めて、カイディルに向き直ったラーウ。
見上げて尋ねる。
「………遠いの?」
何とは言わない。
「………」
無言で下ろされた青い瞳。
「………ここからなら一時間くらいか?」
その返答に。今度はラーウが無言でカイディルを見つめる。
暫くして――、
「…………はぁ」と、カイディルのため息。
「少しだけだぞ」
「うん! ありがと!」
ラーウは満面の笑みで返事を返した。
すぐ先の街道で辻馬車を拾う。
マルシェが開かれているのはロスと言う村らしい。
馬車に揺られ小一時間。昼も過ぎ午後となり、人も少しまばらとなった村。ラーウの横を行くカイディルは、フードを被り口元まで布で覆っている。
( そう言えば、 )
と、ラーウは思い出す。「あいつはお尋ね者だ」と母エルダが言っていたこと。
嫌悪ではなく呆れた口調であったので、何かしらの事情があるのだろうくらいにしか思っていなかったけど。
( 悪いことしちゃったかな… )
そう思いカイディルを見れば、気付いた彼がラーウを見る。どうした?と問う瞳。
その瞳には今のところ、警戒や苛立ちは見えない。
なので、ラーウは小さく首を振る。
( うん。大丈夫そう )
それは微妙に自分に言い聞かせるように。
せっかくのカイディルとのお出かけなのだ。出来る限りその時間は長い方が良い。二人でいれる時間が。
( 一緒に居たい、から…… )
いい加減、自分でももう分かる。その気持ちの意味を。
カイディルを無理に引き留めようとしたのも。子ども扱いされるのが嫌なのも。
頭を撫でられ顔が赤くなるのも。心臓がバクバクいうのも、そして痛いと感じるのも。全部。
けど―――。
それは一方通行のものだということも。
与えて貰える優しさを勘違いするほど馬鹿ではない。
元からカイディルは目的があってここにいるのだから。魔女エルダという。
カイディルが手段として、その魔女の娘に接しているのでないことは態度で分かる。
けれどそれは、ラーウが望むものとは程遠いもの。だから――、
( 急に好きだなんて言われても困るよね… )
想像しなくても目に浮かぶ男の姿。
そして言えないもうひとつの理由。
自分の存在の曖昧さ。
わたしは魔女なのか、人間なのか。
人にはあまり持ち得ない色彩のわたしだけど、無いとは言い切れない。けど母さんはラーウを魔女だと言う。黒色も魔力も持たないわたしを。
でももし、魔女であるなら、
この恋は叶わない。
人であるカイディルとは、生きる速度が違うから。
横にいるカイディルに聞こえないように、ラーウは小さくため息を吐く。
ずっと、母さんみたいな凄い魔女に成りたかった。
けど今は魔女でなくてもいいと思う自分がいる。




