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ヴェルトアーデン交響譚  作者: 乃東生
29/81

5

池の畔で話す、魔女の目の前に座る男を窓越しに見る。ラーウはもう部屋へと戻ったのでキッチンにはキリアン一人だ。


必然的にその表情は険しい。愛しい少女が居ないのだからそれは当たり前で。


キリアンにとってラーウ以外の存在は全てどうでもいいもの。魔女エルダには恩と、少しばかりの敬意の念はある。それだけ。

ああ――後、何か犬っぽいものが居た気がする…か?


だが今エルダと共にいるあの男。カイディルは、どうでもいいものではなく、憎むべき者。



そもそもキリアンは人間という存在全てが好きではない。その上、男自身のせいでなくとも、カイディルの体に流れる血が、

過去にダークエルフ(自分達)に非道な行いをしたこの国の血統が、キリアンにとっては憎しみの対象なのだ。


「力を持つ者は感情を制御することを覚えろ」と。言った本人が出来ているのかは甚だ疑問ではあるが、魔女にはそう言われ続けた。なので、今さら激情に駆られるようなことはない。


けれど、やはりあの男は気に食わない。


ラーウの態度を見てると尚更。


キリアンは小さく息を吐くと、ラーウの部屋の扉を叩いた。

「ラーウ、起きてる?」と声を掛けるが、部屋の中からの返事はない。


キリアンは「入るよ」ともう一度声を掛けてカチャリと扉を開ける。

だけど寝てると思ったベッドにその姿はなく、何故か壁際のソファーに上半身だけのせたまま、突っ伏して寝ているラーウの姿。

着替えを済ませ、そこで寝落ちたのだろうか?

服に顔を埋もらし眠る少女。

キリアンの顔に柔らかな苦笑が浮かぶ。


部屋へと入り、ラーウの傍らへ膝を折ると少女を抱き上げる。起きる気配のないその体を、温もりを、両腕に感じそっとべッドへと横たえる。


今の自分には、ラーウを抱え上げることなど簡単に出来る。あの時何も出来なかった少年ではもうない。

ラーウを包み、守り、慈しめる大人となった。なのに―――。



ラーウが自ら人に対して積極的に行動を起こすことなど今までなかった。

我が儘は言えども、それは自分自身のことで。他の者の融通を押し付けることなどなかった。

なのに、あんな男を。


ギリッと口元で音がなる。

眠る少女の横に片手を付き、その身を屈める。



―――が、

開けたままだった部屋へと音もなく入って来た狼の、その姿に。

キリアンは動きを止め、視線はずれる。


狼の赤い瞳がこちらを見て。グルルと唸る。


だけど、敢えてそれを無視して。

部屋に漂う不穏な空気など、何も気付くことなく眠るラーウへとまた視線を戻したキリアン。

再び唸る狼、アルブス。



「……………ちっ」

小さな舌打ちと共にキリアンはゆっくりと身を起こし、

「……うるさいな。お前になんか言われたくない」

と、鬱陶しげにアルブスを睨み付けベッドから離れた。


先ほどまでラーウが埋もれていた服を避けてソファーへと座ったキリアンを横目に、アルブスはラーウが眠るベッドへと向かうと、その上へと飛び乗り少女に寄り添うように身を伏せた。

そしてこちらを見る。まるで守るかのように。


自分の身をくすぐった毛並みに、少し身動ぎしたラーウは、でも直ぐに覚えのあるもの分かったのかアルブスへとすり寄り、

アルブスは、眉間にシワを刻むキリアンを暫く眺めた後、ラーウに倣うように目を閉じた。


そのまま眠るつもりなのだろう。

ラーウが人型でないアルブスと共に寝ているのは日常でも見る風景だ。

でも今はそれを、キリアンは忌々しく見つめる。


アルブスがラーウへと向けるものは、キリアンがラーウに向けるものと違う。それを自分自身が一番よく理解しているから。



膝の上に肘を付き、組んだ手で額をおさえ目を瞑る。

浮かぶのはラーウが先ほど男に見せていた顔。初めての感情に戸惑う少女の。

その感情は。



何故―――、あんな男を。




…………でも、まぁいい。

どうせあいつは()()()()()()。何れ直ぐに死ぬ。


自分達と同じ時の流れの中では生きることは出来ない。そしてラーウが再び眠りに付いた先には、あの男などもう存在しない。


だから、いい。今は。

身の内を焦がす感情も今は甘んじて受け止めよう。

それさえも何れは心地よい美酒となる。



「おい、キリアンいるかー? ちょっと話があるんだが」

家へと戻って来たエルダが入口から顔を覗かせた。


立ち上がりそちらへと向かえば、キリアンを見て何とも言えない表情となった魔女。

そして呆れたように口を開く。

「お前……、凄く悪い顔してるぞ?」


自分の表情など見えやしないけど、多分言う通りなのだろう。


キリアンは改めて笑み作ると、眉を寄せた魔女に向け、気のせいです。と告げた。









──‥──‥──‥──‥──





「言っとくけど、お前ではその魔女にはどうにも出来やしないから」

エルダが言う魔女は正真正銘の魔女。黒目金目(オッドアイ)の。

カイディル自身も、まぁ、そうだろうとは思う。それは夏至の夜にも、エルダと対峙した時にも身に染みて分かった。


元々一旦この森に身を潜めるつもりではいた。だけど、あの夜のあの話の流れで余計、ここに居ればどうにかなるかと思った。まだチャンスはあると。

そして欲を言えば、魔女エルダの力を借りられればと。


「結界内は余程のことがない限りは安全だから好きに過ごせ」と、

エルダは言い残し家へと戻って行った。



経過はどうあれ、結果的にはほぼ、

自分の望み通りになったと言ってもいいのではないか?

この先の流れはまだ見えないままでも。



そういえばと、カイディルはエルダが置いていった紙袋を手に取る。

ラーウから預かったと渡された紙袋の中は、パンと簡単な具材。ラーウ本人も戻ったばかりだ、直ぐに用意出来るものを詰め込んでくれたのだろう。

ナイフを腰の鞄から取り出し、パンを切り分けて残りの具材を挟み頬張る。

逃走を図ってから、ろくなものを口にしてこなかったので、そんな簡単な食事さえとても美味しく感じた。



それにしても――。

カイディルは改めて思う。この広大な森でこんなに早く魔女と出会えたのも、この命が消されずに済んだのも。言うならば昨夜のラーウとの邂逅のお陰で。


だがその出会いは偶然なのか、必然なのか。

黒髪のラーウが話したことも気にはなる。だけど。


「また、ちゃんと礼を言わないとな…」


表情がころころ変わる少女を思い出しながら、カイディルは、紙袋に残る全てもあっという間に平らげた。



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