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ヴェルトアーデン交響譚  作者: 乃東生
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2

そもそも、魔女を殺すなど可能なのだろうか?

今度こそ本当に呆れた顔となった魔女エルダを見て思う。


背は女性としては高い部類だろう。娘であるラーウとは拳二つくらい違うのではないだろうか?

だが、カイディルよりは低い。

長く黒いローブによって体全体を覆われてはいるがやはり細い肢体。

男の力を持ってすれば簡単に勝てるはずだ。なのに。


なのに、その瞳を覗き込めばそんな考えさえ愚かだと感じる。



カイディルは黒色というものにそんなに嫌悪も恐怖も感じはしない。

一日の半分は夜だ、当たり前のように全ては黒に染まる。そんな日常的に側にあるものにいちいち感情を阻害される方が愚かだ。

だけども、大半の人にとって黒色は畏怖の象徴。

そんな深淵のような黒い瞳。だけど今は――、


「お前やっぱり馬鹿だろう? それをわたしに問うとか…」

自分に向けられたそれには、呆れのみ。


「悪いが、お前の話に付き合ってやる義理はない」 

魔女エルダは視線をついとずらす、眠る娘へと。


「記憶は消す。そして森からは出ていってもらう。 大体、お前は今追われる身だろう?

……わたし達とは関わるな」

再びこちらを向いた魔女は、魔女本来の、

冷たく、感情のない無慈悲な顔。



今ここが、使いどころか?

カイディルの喉がなる。


何もしなければ魔女の言う通り全てを忘れ森の外へと飛ばされるだろう。だけどそれでは自分の望みは叶わない。

だがもし失敗すれば、自分の命など簡単に消し飛ぶ。


それが魔女。人とは異なる存在。


「貴方の娘からこの森の噂を聞いた」

「………は?」

「だけど、俺の知ってるものとは違う」

「…………」

怪訝に眉をひそめる魔女。


「この森の奥、瘴気に包まれる谷がある。深き冷たき底。


『その谷底に眠るのは誰よりも旧き魔女』だと」


ラーウが話していた噂などは知らなかった。ただカイディルが知るのはこちらだ。

そして『黒き森』の魔女エルダはそれを護っているのだと。



それは昔、城の書庫の片隅で見つけた書物。

所々破けたそれはとても古く、雑多に放置され著者さえも分からないものだった。ただ忠実に『この世界』の史実を書き写した。

魔女エルダは、世界に干渉するほどの人物であった。だからその書物にも度々名がでてはいたが、そこに書かれていた魔女エルダに関する事柄。彼女に対して注釈のように添えられていたもの。


この『黒き森』に来るにあたって、役に立つかも知れないと再びその書物を探したが見つけることは出来なかった。


だから、ただ知ってる。それだけの切り札。

何故なのかも、答えも分からない。だけどエルダにはそれでも充分だったようだ。



「貴様………、何を知ってる」


今までとは比べようもならない程の殺気がカイディルを襲う。


空気が、大気が、まるで鋭い刃のように皮膚へと突き刺さる。

ゆらりと魔女を取り巻く闇が揺れる。



「――ああ。……まぁ、いい。

別に言わなくても殺してから直接その脳にでも尋ねよう」

艶然と笑い、伸ばされる指先。


自分へと近づく、その形の良い爪先を眺めながら、

ああ、やはり失敗したか と。



たかだが人間である自分が、魔女と交渉しようとしたのが間違いなのだろう。魔女からこちらへと押し迫る力の奔流は、抗おうとする意思さえも根こそぎ奪う。

人間の矜持など絶対的な力の前には脆く崩れ去る。望みは叶わない。自分はここで終わるのだと。



懸念は残したままだけど、この国の行く先を、終わりを。見ないで済むのは幸いかもしれない。


他から見れば自分は国を捨てた裏切り者なのだから。


( それだけだ…。自分の存在などそれだけで終わる )


目の前へと迫った死に、カイディルの顔に自嘲の笑みが浮かぶ。






だが―――、


その死へと誘うはずの指先が不自然に止まった。まるで強制的に止められたように。


魔女自身でさえも驚きを隠せない表情で。




「――母さん、その人に手を出さないで」


その声に、今度は見開かれる黒い瞳。



カイディルからは、魔女の背後で起き上がる声の主が見えた。

ただし、見覚えのない姿の。


緩やかに流れる黒い髪は長い。表情もなくこちらを眺めるのは、闇夜のようなの黒い瞳。

ただその顔は、炎を挟みカイディルと向かい合い座っていた少女、ラーウの。

纏う色だけ変わった。



ゆっくりと振り向いた魔女が、掠れた声で呟く。

「………お前は、誰だ?」


その言葉に、ほんの微かに眉を寄せ、ラーウと似た少女は少し悲しそうに笑う。


「わたしは、母さんの娘ラーウよ。

…でももう時間はないの。だからこれだけは言わせて。

その人は殺さないで。それがわたしにとって…、いえ、()()()にとっては大切なことだらか」


それだけ言うと、少女はこちらへと視線を送る。顔立ちは変わらないはずなのに、纏う色のせいか先ほどよりも大人びたような。

そんな黒い瞳がカイディルと合った――。


僅かに細められた瞳。何かを、遠い何かを思い出すように。



だけど、ふっ――と、

少女の体が傾いだ。

魔女が慌てたように、腕を振る。


瞳を閉じた少女の体はフワッと地に緩やかに横たわり、その色彩はゆっくりと色を変える。元のラーウが持っていた色へと。



倒れようとした少女の姿を見て、カイディルも思わず駆け寄ろうとした。だが、魔女の方が早く。けれども急に解かれた拘束の反動で、体は前へ転び出る。


目の前に立つ魔女にぶつかりそうになって、踏み留まりはしたが、こちらを睨み上げる黒い瞳。

けれどそこには先ほど浮かんでいた殺意という名の色はない。そして。


「……あの子が殺すなと言ったのだから仕方ない」

忌々しげに呟く魔女。


「ただ、制限はさせてもらうぞ、言動の」

「それは構わない。どうせ行動は制限されているし、話し相手もいない」

「…ふん。まぁそうだろうな、お尋ね者の公子様は」


鼻を鳴らす魔女に、ここぞとばかりにカイディルは言う。


「先ほどの交渉以外にお願いがあるのだが?

暫く俺をここに置いて貰えないだろうか?」


「―――は!? お前っ……! 急に何言ってんだ!?

わたしは義理はないと言った! 尚且つここに置けだと? 正気か?」

あり得ないと、魔女はこちらを睨む。


カイディルは、再びスヤスヤと気持ち良さそうに眠るラーウへと視線を落とす。

夜が明けるのだろう。色のない少女の髪が白みがかった空のように青く染まる。


「彼女が…、彼女自身が俺を大切にだと言ったのに?」

「勝手にニュアンスを変えるな。お前をだとは言っていない」

「同じようなものだろ」

「は? ………お前、さっきとは随分態度が変わってないか?」

「いや、気のせいだ」


深く、深く。魔女がため息を吐く。

どうやら諦めたらしい。


よく分からないが、魔女に対して一番有効な切り札であった少女は、自分に何か思うとこがあるようだ。


ならばそれを有効に活用させてもらおう。


「では、これから宜しく、魔女殿」


カイディルの心を込めた挨拶に、

最強最悪の魔女はこれ以上ないほど顔をしかめた。



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