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ほわほわと、ほわほわとする。気分が。
( なんでだろう? 焚き火にあたっているから? )
初夏とはいえ夜の森はまだ肌寒い。着替えずに寝てたので、寝間着でない分まだマシだけど。
焚き火のはぜる音の中、向かいにはカップを抱え、炎へと視線を向ける、カイと名乗った男。
青い瞳には揺れる赤い灯火が見え、炎の作り出す明暗が男の顔に影を落とす。
落ちた沈黙に、何故だか急に焦ったような感情が生まれ、ほわほわと感じていた体温は熱を強くする。
慌てて言葉を探すラーウ。
「そ、そう言えば、森の中で大丈夫だった……の?」
先ほど快適だと男は言ったが、この森はやはり快適とは言い難い場所だと思う。
ラーウ自身、怖くないと言えるのは結界内だけで、それ以外は安全だとは言えない。
保護者達からも結界外へは一人で出るなと言われている。
なのに今、自分のいる場所は直ぐ近くとは言え結界外だ。
( え……? ダメじゃないこれ? )
話し出して、そのことに気づいた。
「そう言われて、身構えてきたのだが…」
と、答えるカイ。
「今のところ何もなく、快適そのものなのだが?」
「…………?」
空になったカップへとまたお茶を注ぎ、そう話す男にラーウも首を傾げる。
言うように、結界外だというのに今まで忘れてたくらい何も無かった。嫌な気配も視線も何ひとつ。
その上、周りにいる精霊達も何ら警戒してもいない。
( どういうこと? )
何かそういう特別な日でもあるのだろうか?と、何となく見上げた空に、飛ぶ小さな黄色い光。
「………?」
消えては、また点る。点滅を繰り返し増えてゆく光。時にはゆらゆらと、時には急速に、軌跡を残し絡まり合う光の残像。
言葉を失い空を仰いでいたラーウだが、気づくと、小さな黄色い光は森のそこかしこにあり。
「――えっ、何これ!?」
もしかしてこの光が原因か!と、戦くラーウに、
「はは。 なんだ、見たことないのか?」と、
カイの可笑しそうに笑う声。
「わっ! こっち来た!?
ちょっ…何これ!? 大丈夫なの!?」
ラーウは近寄ってくる光をパタパタと払う。
「落ち着いてちゃんと見ろ。これはただの虫だ」
ほら。と、空中で一度くるっと回した拳を、ラーウの方へと差し出す。
近づき恐る恐る覗き込めば、そっと開かれた手のひらには、黒地に少し赤色が入った小さな虫。
お尻部分が黄色く点灯している。
「……ほんと、虫だね」
「だろ。蛍と言う。川縁に生息する虫だ」
「ふーん…。そうなんだー」
そのまま夜空に、カイはその手を掲げた。
手のひらから飛び立った蛍は周りに飛び交う仲間達に紛れ、同じ光となり森の中に舞う。
正体が分かってしまえば、もう怖くはない。
ラーウは興味をもって蛍達の乱舞へと目を向けた。
焚き火のあるこの場所は明るいが、少しずれればそこは漆黒の闇の中。月の明かりが幾つもの筋を落とす。
だけどそれは遮られた線でしかなく、森の中を占めるのは圧倒的な暗がり。その中を小さな光を放つ無数の蛍達が飛び交う。
夜の森に出たことなどないラーウにとっては初めてみる光景。
それは素晴らしく幻想的で。だけどどこか感じる既視感。
闇は優しく、光達は揺蕩う、それはどこかで――。
でもそんな思考を邪魔するかのように、ラーウの口からは欠伸がついて出る。
さすがにちょっと眠たくなってきたか。
「眠いのか?」
炎の向こうからカイが問う。
「もう数時間で夜も明ける。そろそろ家に戻ったらどうだ?」
抑揚のない静かな声が、焚き火の音の混ざり心地よい。
「………うん…」
膝を抱え曖昧な返事をするラーウに、カイの苦笑。
「ほら、近くまで送るから」
「うーん……」
「聞いてるのか? ――おい?」
ラーウの瞼は自分の意志とは別に、勝手に閉じようとする。
「カイには、送れないよ…だって……けっか…ぃ…、…あるもの」
結界があるもの。と言おうとしたけど、ちゃんと形にはならずに。
「おいっ、ラーウ?」
少し焦ったような声が自分の名を呼ぶ。
それが少し可笑しく。困ってるだろう男の顔を確認したいが、一度閉じてしまった瞼はもうラーウの思い通りはならない。
( …まあ、いいか )
そう思ったら急速に睡魔がラーウを包む。
男のラーウを呼ぶ声も遠ざかる。
ぼやけてゆく意識の中で、心地よく優しい闇がゆっくりと降りてくる。
ラーウはそのまま、眠りの誘惑に逆らうのは止めた。
どうやら、本当に眠ってしまったようだ。
仮の名を使った男は仕方ないと立ち上がり、自分のケープをラーウの肩へと掛けた。
膝を抱え気持ち良さそうに眠るラーウ。
魔女の娘だといった少女。この森に住む最強で最悪の魔女、その娘だと。
魔女エルダ、知らぬ人などいないだろう。
自分もその為にこの『黒き森』に来た。
だが簡単には会えはしないだろうと思っていた。
何故なら魔女は余ほどのことがない限りに人間には干渉しない。
―――はずなのだ。
苦々しい思いが心の中を一瞬走る。
それにしても、魔女の娘という割にはひとつも魔女らしくはないこの少女。
裏も表もなく、腹の探り合いもない。言ってしまえばとても素直な。
きっと素直であることが許される世界に生きてきたのだろう。
思わず皮肉げな笑みが浮かぶ。
ただ彼女に出会えたことは僥倖ではあった。何故なら――。
今まで穏やかだった空間が色を変えた。
実際には本当に色が変わった訳ではないが、そう感じれる程の。
飛び交っていた蛍達もいつの間にか姿を消し、虫の声もしない。
息をひそめたような沈黙の中、低く落ちた声は。
「――おい、人間。
お前…、娘の側で何をしてる?」
自分の傍らで安らかに眠る少女の養い親、魔女エルダ。
目的である人物に、こんなに早く出会えたのだから。




