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「はーなーしーてよっ!」
「色彩からしたら精霊か妖魔な類いか?」
「聞いてる!? 離してってば!」
「そもそもこの森に子供などいるわけないな、ははっ」
男は自嘲気味に笑って。
( また子供って言った! )
ラーウは痛みと、何だかよくわからない悔しさで、少し涙目になりながら男を睨む。
精霊達はザワザワとラーウの周りを飛び交うが、何故か男の方へとは向かわない。
「だからそんなんじゃないし! ――わたしはっ!」
一瞬、言葉を止める。でもいいや!と、
「わたしはっ、魔女の娘なんだからね!」
「――――魔女の?」
若干、力が緩んだ。
「そうよ! この森に住む魔女エルダの娘のラーウ!
素性はわかったでしょ、離して!」
なんか色々言ってしまってるけど、後でキリアンに記憶でも消してもらおうとラーウは開き直る。
だけど男はラーウの手首を離すことはなく。
「魔女の娘と言うには黒色を持たないが?」
「それは―――、」
ラーウは唇を噛む。
「…………わたしが、本当の娘ではないから…」
どうしてこんなことをこの男に言わないといけないのか?
気にしていないようで、実は気にしている。
ラーウの色彩は全体的に白い。魔女とは対象的な色。
黒色は魔力の象徴。それを持たないラーウは必然的に魔力は乏しい、寧ろないに等しい。
魔女の娘という立場なのに、ラーウは魔法のまの字も使えはしない。
それを目の当たりにされた。
少し俯いたラーウに、「……そうか」と、
先ほどより幾分和らげられた声が落ちる。
そして離された手。
顔を上げれば、自分のフードに手を掛け、それを外した男。
月明かりに照らされた赤みを帯びた茶色の髪は短い。
キリアンやアルブスとはまた違う、どちらかと言えば男らしい精悍な整った顔。
でもやはり、少し鋭い深い青い瞳が印象的で。
ただ何となく、ぼーっと見上げていたラーウを、その瞳が捕らえた。
瞬間に、両頬を押さえたラーウ。何故だかわからないけど。
そして男は、ラーウの前にひざまづいた。
目線が下がる。
「私の名は――、…カイと言います。
高名な魔女殿のご息女とは知らず、数々の無礼お詫び申し上げます」
急に改まった口調と態度に、逆にまごつくラーウ。
「な、な、何…急に…」
「いえ。随分失礼な態度を取ってしまいましたので」
「そ、そう? 別にそんなの……」
男は、膝を折ったまま無言でラーウを見上げる。ラーウの心をざわつかせる青い瞳が、月明かり受け更にはっきりとこちらを見る。
「………………ぐっ、うぅぅ…」
そして、折れた。ラーウの心が。
「―――ああっ、もう!!
早く立ってよ!そーゆーのいらないから!」
「いいえ、そういう訳には」
だけど男は涼しい顔で。
「何で!? いいって言ってるでしょ!
――ああ、そう! 許す、許します。 これでいい!?」
視線が外れた、男が俯く。
ほっと息をついたラーウ。目の前の男の肩が揺れる。
「…………もしかして、笑ってる…?」
ラーウの問い掛けに、「――いや、」と、男は手で口元を隠し立ち上がる。
すぐ側に立つと見上げるほど高い背。アルブスと同じくらいだろうか。
やはり笑っていたのか、鋭い目尻を少し下げた男がラーウを見下ろし、
改めて上から下まで一旦ラーウを眺めると、
「そうだな、どう見ても妖魔の類いとは言えないな」との一言。
何か馬鹿にされた気がして、ムッと顔しかめるラーウに、
「お詫びと言ってはなんだが、お茶でも一杯飲まないか?」
わりと上手なんだが。と、口調を戻した男が今度こそはちゃんと笑って、ラーウをお茶に誘った。
すぐに断る理由が思い浮かばなかったのと、喉が渇いていたのは事実で。ラーウは男の誘いに乗った。
会ったばかりの知らない男の誘いだなんて。
保護者達に知られたら怒られそうだが、何故かこの、カイと名乗った男は大丈夫な気がした。
たとえ本当の名を隠したとしても。
あの一瞬の躊躇いはそういうことだろう。
( まぁ、別にどうでもいいけど )
どうせ今この全てが、消してしまう記憶なのだから。だからこの時間も何もかも、男の中には残らない。
――そのことに、何故かチクンと痛む胸。
男は手慣れた様子で焚き火にケトルを置く。すぐに湯気を立てる音。
分量など気にしてない様子で入れらる茶葉に、ラーウは大丈夫か?と眉をひそめたが、
男から手渡されたカップからは、茶葉の良い香りがする。
恐る恐る一口含めば、零れ出た言葉は。
「……美味しい」
向かいでは同じようにお茶を飲みながら、その言葉に満足げに目を細める男。
あんなに適当なのにこんなに美味しいなんて。なんかちょっと悔しい。
ついでに言えばここに焼菓子なんかがあれば、「……最高なんだけどなぁ…」と思わず零れた。
そんな独り言に、男が反応を示す。
「何か言ったか?」
ラーウは小さく首を振って。
「ううん。こんなに美味しいなら一緒にお菓子があればいいのにって」
「それは……。さすがに今はないな」
チラッと一瞬自分の荷物を見て、律儀に答える男に、ラーウはちょっと笑う。
「家に戻れば沢山あるんだけどね」と、
肩をすくめれば、男は少し複雑な表情を浮かべて。
「そう言えば、こんな時間に外を出歩いて大丈夫なのか?」
それは、やはり何となく、小さな子供に対しての。
「多分、怒られる」
「――おい」
「でも今母さんいないから」
「それは……親の居ぬ間にハメを外すというやつか…」
呆れたような声。男の言うそれはちょっと違う気もするけど。
続いて告げられた言葉は、少し残念そうな声色。
「そうか……、魔女殿は今留守なのか…」
「用事って母さんにだったの?」
「――ん? ああ…、まぁそうだな」との、男の返答に、
「多分もうそろそろ帰ってくると思うよ。なんなら家で待つ?」
ラーウの何気に口をついた言葉が、男の目を見開かす。
その表情に、あっと口をつぐみ、
そして、ばつの悪い顔となるラーウ。
『人間と魔女は馴れ合うものではない。一線を画すものだ』
エルダにも言われたそれは、昔からあるルール。
善き隣人という関係がベストであると。
特にエルダは名の通った大魔女だ。その存在は人にはとっては最早、畏怖の対象なのだ。
だからラーウの提案は人間にとってみれば、
自ら死地へと赴く程の勇気が必要なこと。
こちらにそんな気など全く無くとも。
要らぬことを言ってしまった。
「……ごめんなさい」
謝るラーウに、男は苦笑を浮かべる。
「多分、勘違いしてると思うが…、
見知らぬ男を、あまり簡単に家に招待してはいけないと思うぞ?」
「――え?」
咄嗟に尋ね返せば、「いや――」と男は苦笑したまま首を振る。そして、
「ここは思ったより快適だからここで待つさ。……ありがとう、ラーウ」
炎の向こうの男は、鋭い目を細め笑った。
ラーウの名を口にして。