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魔女は何を言っているのだろうか?
「今のラーウの生はもう直ぐ終わる」
「……は、何を言って…?」
「あの子は、わたしが与えた魔力で今生きているんだよ、それがもう切れる。それを死と言うならそうかも知れないが。ラーウの場合は一旦ここで眠るだけだ」
エルダは氷の台座を見つめる。
だから死とは言えない。だが、生きているとも。
その魔女の言葉にキリアンは困惑する。
「意味が…、分からない」
エルダ自身も少し困った顔をし、「そうだなぁ」と呟き顎に手を当てる。
「初期化と言えば分かるか? 一旦全てをゼロとする。ラーウにとってはここが出発点で、ここに戻ることでリセットされるんだ、記憶も生も」
「―――何故!?」
思わず大きな声が出た。だが、魔女は諫めることもなく。
「わたしにも分からないよ。 …もう何回目だろうな。それくらいこれを繰り返しても尚、」
声が静かに落ちた。
「…分からないんだよ」
静かな諦めにも似た声。
キリアンは言葉に詰まる。
「―――っ」
エルダが、ラーウのことを慈しんでいるのは分かる。
あの魔女が?とは思ったが、見ている限りそれは事実だろうと。そしてきっとあらゆる手を尽くしたのだろうことも。
力を持つ魔女であるからこそ、余計にそれを痛恨していること。
生と死を、言葉どおりの意味でなくとも、それを繰り返す娘を助けることが出来ないことを。
「ラーウは、死ぬのか……?」
「死ぬ訳じゃないさ。 言ったろ、眠るだけだ」
この冷たい寝台にて。
消える訳ではない。二度と会えない訳ではない。
「…………それなら、…いい」
俯くキリアンに、魔女の声が降る。
「少年、わたしがお前を助けたのもラーウの為だ。わたしが居なくなっても、ラーウを目覚めさせる魔力を持った者が必要だったから」
ラーウとは違い、魔女に対しては何か理由があるとは思っていた。自分を助けることに。
だから、構わないと首を振る。
「わたしも不死ではない、何れ死ぬだろう。だけどあの子は死ねない。何度でも同じ時を繰り返す、進まない時計のように」
可哀想な子なんだと、
哀れみと愛しさが混ざった声。そして。
「少年にはすまないが、お前の生の有る限り、あの子に付き合ってやってくれないか?」
ちっともすまないと思ってはいないだろう魔女の、
懇願しているようで、それは決定したものだという声が告げる。
キリアンは俯いたまま、今度は縦に首を振る。ラーウの側に入れるのなら、そんなことは本当に構わない。
もしラーウに、魔女に。助けられなければ、ただ消費され失っていただろう命。大切だと思える人に使われるのに、躊躇いなどない。
たとえそれが魔女によって仕組まれたものでも。
その思いだけは自分のものだから。
でも、もし――。
今自分に力があれば、
その終わろうとする彼女の今の生を、
止めることが出来れば?
この温かく優しい時間は継続されるはずで。
せっかく手に入れたばかりなのに、失うにはあまりにも早い。例えもう一度手に入れれるとしても。
だから―――、
「キリアン。それは今、叶わないものだ」
静かな声が響く。
顔を上げれば、感情のない黒い瞳がキリアンを射抜く。
「『望むな。願うな。求めるな。』
言ったはずだろう。 歪んだものでは叶わないんだよ」
告げられる言葉に、キリアンは唇を噛む。
魔女には全てお見通しなのか。失いたくないと駄々をこねる、自分の子供じみた感情など。
唇を噛みしめ、見上げるキリアンに、
エルダは少し表情を緩めて。
「もうそろそろ目が覚めたかもしれないから戻ろうか」
誰とは言わない。言わなくとも分かる。
だからキリアンは、もう一度こくんと頷いた。
戻るのはどうするのかと思えば、
魔女はこの氷室の一画に座標を設定しているらしく、それは家に設けられた座標と同じ。
「同一点をただ繋ぐだけだ。大した魔力もいらない」
との一言のもとに、二人の目の前には魔女の家の扉があった。
それならば、行きもそれで良かったではないかと魔女を睨めば、「面白かったろ?」と笑う。
本当に最悪の魔女だ。
「――あ、キリアンお帰りなさい。
ごめんね、アルブスから聞いた。わたし倒れたみたいだね」
驚かせちゃってと、ベッドの上で笑うラーウのその顔色は白い。
魔女が気を利かせたのか、へばりついているだろうと思ったアルブスは居ず、部屋にはキリアンとラーウの二人。
何も言わないままラーウの側へと寄ると、頬へと手を伸ばす。
その頬は白さと相まって冷たく。キリアンの行動に少し驚いた顔をしたラーウは、でも直ぐ柔らかく微笑む、
「キリアンの手は温かいね」と。
「―――っ…」
ぐっと息を詰め、顔が歪む。
それは、その言葉は、ラーウにこそふさわしいもの。
壊れそうだった自分に与えてくれた温もり。
そしてもう直ぐ、失う温もり。
記憶はリセットされると言った。
ならば、彼女が初めて自分に与えてくれたものは、二人を繋いだものは、
もう――、ラーウの中には残らない。
眉間に力を込めていないと、溢れそうな何かを堪える。きっと今自分は険しい表情になっているのだろう。
「キリアン…? …大丈夫?」
心配そうに尋ねる声と、見上げる顔。キリアンを気遣うラーウの、それさえも――…。
( けど、彼女はいる。消えはしない )
もし失っても、また新しく繋ぎ直せばいい。
与えるのも、与えられるのも。
「何でもないよ、大丈夫。
ラーウこそまだ顔色が悪い。ほら、横になって」
小さく首を振ったキリアンはラーウを促し、表情を無理にでも改め笑みを刻む。不恰好でも。
そしてベッドへと身を横たわらせたラーウの、額に掛かる前髪を避け手を当てる。
あの時の魔女のように指先へと力を集中させてみたが、やはり何も変化はない。
( …当たり前か… )
今の自分では、まだ何も出来やしない。
「さぁ、眠って」
キリアンは言う。
額に当てられたキリアンの手が気持ち良かったのか、
僅かに顎を反らせ、目を細めたラーウは、
少し笑みを浮かべて瞳を閉じた。
規則正しく聞こえた呼吸に一息つく。
今は安堵を覚えても、それは…、その時はもう直ぐ訪れる。
そしてきっと何度も味わうだろうこと。
だから力を付ける。
ラーウを目覚めさせることの出来る力を。
そして解き放てる力を。
搾取されるだけの長い生など疎ましいだけだった。
だけど今はその長寿に感謝する。自分にはまだ長い時間があるのだということ。
ラーウの為の。だから。
額に置いていた手をどけて、キスを落とす。
愛と祝福のエルフからのキス。
だけど自分は違う。それから外れた者。
だから、それは、執着の―――。
「……おやすみ…、ラーウ」