4、地竜
さらに一カ月が経ったある夜、いつものようにふたりで食事処で夕食を楽しんでいると、隣の席の現地人ふたりの会話が耳に入った。
「おい、聞いたか? またあらわれたらしいぜ」
「地竜か? 一年ぶりだな。倒したら女神が願いを叶えてくれるらしいな。けど、そうなるとまたしばらく魔石の供給が……」
願いを叶えてくれる?
聞き捨てならない言葉だった。
「陽菜、今の聞いた?」
「うん」
「陽菜は地竜について、なにか知ってる?」
「少しだけ。私を助けてくれたひとが倒しにいったから」
「倒して、願いを叶えてもらったの?」
「だと思う。よくわからないけど」
「なんで?」
「地竜のいる迷宮の最下層から出てこなかったから。勝っても負けても出てこれないらしいの」
「なのになんで願いを叶えてもらったってわかるの?」
「勝敗については、女神から教会の聖女に伝えられるのよ」
「へー、聖女ってすごいんだね。で、どんな願いだったか知ってる?」
「うん。もう二度とこの世界で目覚めないこと」
「なんでそんなこと願ったんだろう。普通に考えたら同じ時間で二倍の人生を過ごせるようなもんだし、ある程度強くなれば、冒険者をやるのも結構楽しいと思うんだけどな」
「たぶん、曖昧でふわふわが嫌だったんだと思う」
「曖昧でふわふわが嫌?」
陽菜は頷き、
「私が曖昧ふわふわと明瞭カチカチの間を行ったり来たりしている時、あのひとはずっと明瞭カチカチに留まることを望んでたんじゃないかな」
明瞭カチカチ。
僕らと正反対だ。
「前に水晶玉の話をしたよね? 今の僕は海の中で水晶玉を探し出して、いつでも見に行くことができる。けど、目の前にあるのに触れない状態なんだ。で、そんな曖昧ふわふわな状態をそれなりに楽しんでいて、もどかしいと感じることもあるけど、それでもとても幸せに感じてる」
「私も同じ。曖昧ふわふわな状態が充分に幸せ」
「だけど、そのひとは耐えられなかった」
「そのひとは明瞭カチカチじゃなきゃ駄目なひとだったから」
「あるいは、他に理由があったかもしれない」
「どんな?」
「たとえば……愛するひとがここにはいなかった、とか」
「この世界では水晶玉が見つからなかった?」
「うん。僕も陽菜がいなかったら、こっちの生活は酷く味気ないものになっていたと思う」
「私も」
「今、そのひとは元の世界で幸福に暮らしてるのかな?」
「どうなんだろう……そうだといいけど」
僕たちは陽菜を助けてくれた女性が幸福でありますようにと願った。
*
地竜に挑戦したひとは勝敗や願いを叶えてもらったか否かにかかわらず、全員、戦闘終了後に消えてしまう。
つまり、地竜のいる最下層から出てきた者はひとりもいないということになる。
なのになぜ、地竜を倒すと女神があらわれて、願いを叶えてもらえるという話になっているのだろう。
なぜ、それを誰もが信じるのだろう。
なぜ僕と陽菜はそれを信じているのだろう。
真偽不明、曖昧ふわふわ。
なのに、それが事実であることを、誰もが確信している。
真偽不明、だけど明瞭カチカチ。
曖昧ふわふわなこの世界の中で、地竜はもっとも明瞭カチカチな存在だ。
だから惹かれるのだろうか。
僕にはわからなかった。
*
地竜を倒すために必要な最低限の条件がふたつあるらしい。
ひとつは転移人であること。
現地人は地竜のいる最下層まで辿り着けないようになっている。
ふたつめは、カンストしていること。
それでも勝てるかどうかは五分五分。
それくらい地竜は強い。
*
僕たちは毎日、レベルアップに励んだ。
地竜に挑戦しようと考えているわけじゃない。
それがこっちの世界での日常だからだ。
*
僕らはたまに別の転移人とパーティーを組んで、迷宮探索へ行くこともあった。
ひとりの場合もあれば、二人組や三人組の場合もあった。
たいていは曖昧ふわふわを好むひとたちだった。
「けど……いつまでこの状態が続くんだろうって、不安に思う時があるの」
ある日、一緒になったカップルの女性がいった。
二十八歳と僕らより年上だけど、どこか幼い印象の女性だった。
「終わりを予感する?」
「ていうか、あなたたちのいう曖昧ふわふわが、いつまでも続くはずがないって思ってしまうの」
彼女のパートナーも同じ意見らしかった。
「いずれはっきりさせなきゃいけない。そんな気がするんだ」
「はっきりって、なにをはっきりさせるんですか?」
「……わからない」
なんで曖昧ふわふわのままじゃいけないんだろう。
明瞭カチカチ。
曖昧ふわふわ。
その間を行ったり来たりするのではいけないのだろうか。
*
地竜の話を聞いてから、さらに一カ月が過ぎた。
僕はレベル八三、陽菜はレベル九二になった。