3、曖昧でふわふわ
僕が寝泊まりする家は、ヤエルの近くにある村の外れの一軒家だった。
陽菜の持ち家で、隣の家も彼女が所有していた。
どちらも二階建てで結構広く、暮らすには申し分ない。
「さすがにここまでしてもらうのは悪いよ」
「いいの。どっちもあるひとから貰った家だから」
「あるひとって?」
「私がこっちの世界に初めてきた頃、お世話になった女のひと」
「今、僕が藤崎さんの世話になってるみたいに?」
「うん」
ということなので、ありがたく世話になることにした。
*
最初の頃はいつも戸惑った。
元の世界で眠りに落ち、こっちで目覚めると見知らぬ天井があるというのは酷く落ち着かない。
けど、それも日が経つにつれて慣れていった。
僕は陽菜のおかげで、どんどんレベルアップしていった。
陽菜があまり手助けしすぎると、僕が戦闘で様々なシチュエーションを経験できなくなる。
かといって放置しすぎると、死の危険がある。
陽菜はその匙加減がすばらしく上手かった。
僕はいろんな魔物の特徴や闘い方を、実戦で学び吸収していった。
そしていつからか、お互いに相手のことを下の名前で呼び合うようになった。
陽菜は強く優しく、そして、なによりとても可愛らしい女性だった。
なので、僕が陽菜に好意を抱くようになったのは、ごく自然なことだった。
僕が初めてこの世界で目覚めてから三カ月が経った頃、僕は陽菜に告白した。
陽菜は笑顔でOKしてくれた。
以来、この世界で目覚めるのが待ち遠しくてたまらなくなった。
目覚めると、外に出て陽菜に挨拶し、一緒に朝食をとる。
そこから異世界での一日がはじまる。
魔物のいる森や迷宮へ行き、闘い、魔石を得てその一部を僕が吸収して残りを街で売り、店で食事をして帰宅する。
夜遅くまでふたりで尽きることなく話をする。
その後、眠り、元の世界で目覚める。
元の世界で一日を過ごし、夜眠り、また異世界で目覚める。
そしてまた陽菜と出会う。
なんて幸福な毎日なんだろう。
そう思った。
*
ある夜、僕は以前から感じていたことを陽菜に話した。
「たしか、中学を卒業した頃からかな。僕はなぜか、心のどこかで運命のひとというか、とても大切なひとがいるような気がしてたんだ。はっきりと感じてたわけじゃなくて、漠然としてるんだけど……。たとえばすごく透明な水晶玉を海に落としてしまって、探そうと海に潜るんだけど、透明だから海に融けこんで全然見つけられない。でも、たしかにそこにある。そんな感じなんだ」
この感じ――。
陽菜はわかってくれるだろうか。
すると陽菜は、
「私も同じ。たしか、高校に入ってしばらく経った頃からだったと思う。大学を卒業してデザイン会社に就職して、毎日忙しく過ごして……。そんな中でも男のひととの出会いがあったし、何度か誘われたり交際を申し込まれたりもした。けど、私はその気になれなかった。私の心にも、悠斗とおなじ透明な水晶玉があったから」
「僕の水晶玉の中身は陽菜だったんだと思う。僕が陽菜に告白したのは三カ月後だったけど、本当は初めて会った時から好きだったんだ」
「私の水晶玉は悠斗だった。だから、私も初めて会った時からずっと好きだった」
*
好きなひととは触れ合いたいと思うのが当然だと思う。
けど、こっちの世界ではなぜかそんな欲求が湧かない。
なぜなんだろう。
こんなに陽菜のことが好きなのに。
触れ合うことができないから、そんな欲求が湧かないのだろうか。
それとも、仮に触れ合うことができても同じなんだろうか。
そもそも、僕は陽菜と触れ合いたいと思っているんだろうか。
ここではすべてが曖昧だ。
「陽菜はどう感じてる? 僕と触れ合いたいと思ってる?」
「触れ合いたいと思う時もあれば、このままでも別にいいかなって思う時もある。この世界はどこもそうだけど、なんていうか、すべてがぼんやりしてて……」
「曖昧な感じ?」
「うん。曖昧でふわふわ」
「曖昧でふわふわ」
「この感じ、わかる?」
「わかる」
僕たちは気持ちが通じ合ったような気がして嬉しくなり、自然と微笑んだ。
*
曖昧でふわふわ。
これがこの世界を示すキーワードだ。
同時に僕の心を表現してもいる。
曖昧でふわふわ。
けど、ひとつだけはっきりしていることがある。
それは僕が陽菜を好きだってこと。
僕の曖昧でふわふわな心の中に、はっきりがひとつ。
僕は幸せだ。
*
僕と陽菜は曖昧ふわふわなまま、毎日、森や谷、迷宮へ行って魔物と闘った。
得た魔石の三分の二は僕が吸収し、残りは街で売って金に換えた。
陽菜は時々、ひとりで迷宮探索に行く。
レベルアップのためだ。
僕は彼女を見送るたび、低レベルの僕に付きあわせてしまって申し訳ないなと思う。
一刻も早く陽菜と同じくらい強くならなきゃ。
そう思って、ますます熱心に魔物を倒し続け、気づけば半年が経ち、レベル五三になっていた。