どうも、新生活を満喫してます。
「オズワルド、そろそろお茶の時間にしましょう。お湯を沸かすように伝えてもらえますか?」
「はい」
キャロディルナ家で働くようになり、早く二ヶ月。まるでお嬢様のような暖かな気候は少しずつ厳しさを増し、近頃では少し動いただけで汗が滲むようになった。
倉庫の整理をしていた俺は、人目につかないのをいいことに捲りあげていた袖を正し、緩めていたタイを整えながら声をかけてきたヒューバートさんに振り向く。
少し前までは乱れた服装のまま外に出ようとしていたからか、ヒューバートさんは俺の成長を喜ぶように皺の目立つ目尻を緩め、微笑みながらよろしいと言うように頷いて見せた。保護者然とした表情にむずっとする。
「なーーーにウチの子可愛いみたいな顔してらっしゃるんですか執事長。ウチの子ですからね分かってますか」
「はははそちらこそ何を仰っているのかメイド長? オズは私直属の部下ですつまりは私の息子も同然つまり貴方は妄言を控えられるのがよろしいかと思われますね」
いまだに慣れない感覚にそわそわしていると、いつの間にやってきたのだろうか、シンシアさんがヒューバートさんの肩を掴んで低い声でそう言った。突然の登場に驚く…ことはなく、飄々とした様子で返すヒューバートさんに苦笑が漏れる。
シンシアさんは神出鬼没で、まるで忍者のように忍び寄ってきては俺のポケットに菓子類を詰め込んでいく。初めの数週間は後ろから声がする度に驚いていたが、今では詰められたものを即座に返すことができるようになった。……そして次の瞬間には口の中に納められてしまうのだが。マジで忍者か何かなのでは?
閑話休題。キャロディルナ家の使用人としての生活が始まって一ヶ月くらいだろうか。それまで同い年の子供と比べ貧弱だった体を鍛える…というか主に食育をほどこされていた俺は、その頃から本格的にヒューバートさんに弟子入りする形で使用人業を学び始めた。
本来なら、貴族の屋敷で子供が働く場合、仕事を教えるのは親の役割だ。蛙の子は蛙というか、この世界では基本的に子は親の仕事を継ぐ。つまり、ほぼほぼ親イコール師であるということ。それなら私の下に着くこの子は私の子なのでは? ……というのが俺の師ことヒューバートさんの言い分。
対して、この屋敷に来てからひと月の間、口にするもの身に付けるもの身支度の仕方から基本的な礼儀作法、ありとあらゆることを叩き込んできた私こそが母です。そう主張したのがシンシアさんである。
……そう、お分かりいただけたであろう。このキャロディルナ家使用人ツートップ(らしい。正直世も末だと思った)の口論の原因は俺。どういう訳か二人とも俺の親を自称しているのである。
聞いたところではヒューバートさんは10数年前にとある事件で妻子を亡くし、同時期シンシアさんは敬愛し仕えていた主人の一家を無惨に殺されてしまったらしい。その傷がまだ癒えず、再婚も結婚も養子を取ることも考えなかったそうだ。そして俺はそれぞれの事件の被害者だという子供と同年代だったらしく、もしあの子が生きていたらとついつい構ってしまうのだと言う。
そんなこんなで現在、俺の親権を巡って争いが起きている。意味が分からんだろう俺もだ。どうしてそうなった。
ここに来て何度行ったのか数えるのも諦めるほど回を重ねた脳内整理にまたもや匙を投げ、今日はいい天気だなぁといつも通りに思考を飛ばしかけた時。これまたいつも通りに、埒が明かないと二対の視線が勢いよくこちらに向けられた。
「オズ、もういっそ言ってやってはどうでしょう。老害ジジイよりも若いお姉さんの方がいいと」
「何を言ってやがりますか育児経験もない小娘が」
お互いがお互いの地雷を踏み会いつつ、肩をぶつけ合いながら近付いてくる。チッ、バレないように距離をとっていたつもりだったが、俺もまだまだだ。
ちなみにヒューバートさんは三十代半ば、シンシアさんは二十代前半。『ジジイ』も『小娘』もちょっと言い過ぎではと思わなくもないが、奥様や旦那様曰くあれは彼らのじゃれ合いだそうなので、どちらにも加担することなく微笑んでおけとのことだ。
「オズ、聞いていますか」
「今日こそはっきりさせましょう」
うん、それができたら苦労はしないんだよな。
無表情で詰め寄ってくるシンシアさん。笑顔で躙り寄ってくるヒューバートさん。彼らを微笑んで受け流せるほど前世と今世合わせても経験値が足りねーです。
どちらもいい人だし、別に親が欲しいと思ったこともない。正直、この争いは不毛だと思う。関わりたくない、が本音なのだがそういうわけにもいかない。
どうしたものかと溜め息がこぼれそうになった。そんなとき。
「───!」
常春の暖かな声が遠くから聞こえた。声がした方に顔を向けると小さく人影が、訂正小さな人影が見えた。顔どころか髪の色すら判別できない、というか聞こえたのが声だと我ながらよく分かったものだと思うほど、その人物は遠くにいる。今までお世話になってきたお屋敷が鼻で笑えるほど広いキャロディルナ家の庭園は、本邸から庭の端まで行くのに大人でも数十分かかるという。俺たちが作業していた倉庫はそこまで離れた場所にないが、倉庫である。当たり前だが、庭の真ん中や屋敷の近くにあるわけではない。
それでも。それだけ離れていても。誰がなんと言ったのか分かった。
「お嬢様」
ポーカーフェイスは得意だった、必要だったから。感情を殺すのは容易だった、必須だったから。
それなのに、彼女を見ると緊張が解れる。彼女がいると声が弾む。彼女を思うと暖かな気持ちになる。
今までできていたことができなくなってしまう。だけど、それが嫌ではなかった。
「ふう…結局、オズは私よりもお嬢様の方がいいのですね」
「まあいつものことですしね、分かってましたし分かりきってましたがね」
いつの間にか頬が緩んでいたようだ。少し不満げなシンシアさんに摘まれてはじめて気付いた。不服そうに息をつくヒューバートさんに逆側をつつかれ、子供っぽかっただろうかときまりが悪くなる。
でも仕方ない、うん。だって俺は精神年齢はともかく今世では子供なわけだしな、うん。感情が漏れ出てたらシンシアさんたちも喜ぶし。うん。
そう自分に言い聞かせていると、いつの間にか顔がはっきりにと見えるほど近くに彼女──お嬢様はやって来ていた。
「オズー! おちゃのじかんですよー! おかあさまがオズもいっしょにどうですかーっていってましたー!」
行くでしょう? と疑問の形はとっているものの、まるで断られるとは思っていない様子で、お嬢様は大きく手を振りながらそう言った。
周りに愛され、そして同等に周りを愛す、綺麗なものしか見たことのない、無知で無垢な少女。エピトード・キャロディルナ。──俺に、名前をくれた大切な、お嬢様だ。
お久しぶりです、ちょっと書きたいことが渋滞してまとまらなくなりました。遅くなってすみません。
今年のうちに序盤にあたる主な登場人物が出てくるとこまで行きたかったのに無理でした、面目ないです……。それどころかメインになるキャラを今回のラストで出す予定だったのに、そこまで行かなかった……嘘だろ……話題にすら出なかった……。
つ、次は出せるように……頑張りたいと思います……。