どうも、逆転しました。
一体何が起こったというのだろう。
「おとうさま!」
「公爵様…?!」
声をかけてきた男性─プラチナブロンドを後ろに撫でつけダークブラウンの質が良さそうな正装に身を包んだ紳士はこちら…というかお嬢さんを見てにこりと笑う。
おとうさま、ということはお嬢さんの父親。そして公爵様らしい。今日の招待客で公爵位をいただいているのは一人だけだったはず。
サントル・キャロディルナ。この国で王族の次に高貴な血を引く男の名だ。
王国内に三家しかいない公爵家の筆頭であるキャラディルナ家の当主で宰相様。なんでこんな子爵家で開かれる小さなティーパーティに顔を出しているのか謎なお方だ。いやマジで招待状送ったって聞いたとき参加なさるはずないだろと思ったし、参加する旨が返信されてきたときは正気を疑いもしたレベルで雲の上の存在なのだが?
そんな男がこちらに近付いてくる。正直意味が分からない。庶民で、しかもただの子爵の召使いごときの俺が直視するのも許されないのでは? 咄嗟に頭を深くさげ視線を逸らす。
困惑を顔に出すような失態はおかさない、が、内心動揺してしまう。それくらいの異常事態だ。
そもそも先程言ったように子爵家程度のパーティに来るほど暇な人ではないはずで。奥様が招待状を送ったのも一応念の為というか、ただの社交辞令だ。ただ暇があったからなのか近くに用があったついでなのかは知らないがどうせ参加しても俺なんかと関わることなどないはずなのに。せいぜい飲み終わったグラスを下げるときに近付くくらいなのに、なんでこんなことに。
といっても用があるのはお嬢さんと奥様であって、俺に用があるわけではないのだから緊張する必要はない、はずだ。
「やあ子爵夫人。 久しいね」
現に駆け寄ってきたお嬢さんを抱きとめた公爵様の視線は俺を通り過ぎ、目を見開き青ざめる奥様を見つめる。男の俺でも見惚れてしまいそうな色気のある微笑みだが、受ける奥様の表情は硬い。当然である。向けられる視線が酷く冷たいのだ。自分に向けられたらと思うだけで身がすくむ。
「お…久しぶり、です。 公爵様」
硬さは残るものの、その温度に取り繕って返せた奥様は猛者だ。そしてそんな公爵様に抱きついているお嬢さんはもっと強い。完全に形勢逆転してしまった。奥様が哀れに感じる。
「まさか、本当に参加してくださるなんて、嬉しいですわ。 気に入って頂けましたか?」
「ああ、料理も持て成しも満足だったよ」
「…っ、だった、とは…」
「おや、言わなければ分からないだろうか?」
すうっと公爵様の目が細まる。更に温度が低くなるとは思わなかった。様子を伺うためにそっと上げていた視線を再度下げようする。関わりたくない、薮をつつきたくない。
しかし原因というか、そもそもの始まりは俺だ。用はなくとも渦中にいるわけで。頭を下げきる前に公爵様と目が合ってしまい思わず肩が跳ねる。
「…あんな子供にあたるなんて、君はどこまで」
その反応を“自分を虐げる貴族に対する恐怖”だと受け取ったのか、公爵様の表情が痛ましげに歪む。どうしよう、勘違いさせてしまい奥様の評価が無駄に下がってしまった。
殴られたりするのは嫌なので、それがなくなるのは大変嬉しいのだが、今だけ公爵様に助けられたとしても彼らがいなくなれば倍になって返ってくるのは目に見えてる。これ以上、奥様の機嫌が悪くなるのは勘弁だ。
「…っ、お言葉ですが公爵様。いくら公爵様と言えど他家のことに口を出すのはいかがでしょう?」
「そうだね、わたしと君はさほど仲がいいわけでもないし」
「………………ッ!」
奥様の顔がカッと怒りに染る。…これはアレか、奥様は公爵様に懸想していた系か、それで取るに足らない存在のように扱われて苛立ってる感じか。確か公爵様は奥様と年が近かったし、あの顔あの地位だ。同年代の女性からの好意を一身に受けていそうだもんな、公爵様。そして全く気にしてないタイプ。懐外の人間には何の感情も抱かない、俺と同類とみた。
「それなら! 放っておいて下さらないかしら! 公爵令嬢に無礼な口を失礼しました、ですが我が家の事情に口を挟んできたのはそちらですので!」
不快そうに顔を歪めた奥様は公爵様から視線を逸らすと俺をぎっと睨めつける。身分の差から公爵様にぶつけられない感情は、客人たちが帰ったあとに怒りとして俺にぶつけられるのだろう。八つ当たりもいいところだが、俺は所詮彼女の所有物なので。仕方がないと小さく溜息をつく。
「……あの、おとうさま……」
それが聞こえてしまったのだろう、お嬢さんは俺を見て顔を歪め、恐る恐ると父親を見上げる。
それに優しく微笑んだ公爵様は、温度を下げた瞳を奥様に向ける。
「関係はないね。ないが、わたしの娘が彼を気に入ったようなんだ」
「は…」
思わずといったような間の抜けた小さな声は俺がこぼしたものか、はたまた奥様のものだろうか。ぽかんと称するのがぴったりに、口を開け目を見開いた奥様と目が合う。
「こ、公爵様? 何を」
「いや、ね。君のところに彼がいる限り、可愛いエピトードは心を痛めてしまうようだからね、こちらで引き取らせていただけないかな、と」
「は…?」
いやおかしいだろ、お嬢さんが気に入っただけで他家の使用人を引き取る、なんて。
「そんなこと…!」
奥様も同じことを思ったのか、怒りに顔を赤くして声を張り上げる。しかし、それを遮るように公爵様の静かな呟きが落とされた。
「ところで彼は正当な給与は与えられているのかい?」
「……ッ!」
きゅうよ。キュウヨ…給与。給料のことか。
あまりに縁がなさすぎて何のことか分からなかった。理解できていないのが顔に出ていたのか、公爵様は困ったように苦笑し、すぐに奥様に目を戻す。
「見たところ彼は身長の割に手足が細いようだが、食事は十分に与えられているのだろうか? それと透けたシャツの下に見えるのは痣ではないか? 使用人とはいえ、幼い子供に君はどんなに接し方をしているのか、詳しくお教えいただきたいね?」
この国では平民の子供が働くのは一般的だ。
基本的には町で売り子をしたり農作業をしたりだが、親が貴族に使えている場合はそこのご子息の遊び相手や使用人見習いとして働くこともある。
そして後者の場合、できることが限られる子供の給与は少なく、親のものに多少色付ける形で支払われる。そしてそして、俺の親はこの屋敷で働いていない、というかそもそもいない。ので、俺に支払われるはずの給料は有耶無耶になり踏み倒され続けている。とはいえ住み込みで、量はともかく三食は頂いているし、服だって制服としてシャツとズボンにベストは支給されており、一応衣食住整えてもらう料金と思っていたので文句はないのだが。どうやら奥様は多少の罪悪感は抱いていたようで目に見えて狼狽えた。公爵様はそこを突くことにしたようだ。
「このことを宮廷に報告すれば、どうなるか…」
脅しだ。完璧に脅しである。
そんなあからさまに声を鎮めて悲しそうに眉尻を下げて肩を竦めて見せてもただの脅しである。困ったように微笑んでも穏便に済ませようという副音声が聞こえてくる。脅しでしかない。
子供に虐待まがいな扱いをしていたと言外に暴露され、招待客に胡乱げな視線を向けられた奥様は何も言い返せず。結局、俺は公爵様に保護される形で引き取られることになった。