愛し子はお茶会を楽しむ・2
男の子との出会い編。
男の子と女の子では生活習慣が違う。
シルヴィアが淑女教育をしている時間、彼らは剣の稽古をしていたり、魔法の訓練だったりと、体と技術を磨いているのだ。
「お兄さまたちは、すごいのですね」
女の子とはまた別の意味ですごい。
女は自分と家のために社交に出るが、男は家と国のためだ。根本的な意識の違いを幼いうちから刷り込まれていた。
「騎士としては当然です」
そう胸を張ったのは騎士団長の息子のディアランだ。彼はちらっと隣のマルセルを見て、少し照れくさそうに続けた。
「私よりマルセルですよ。魔法は扱いが難しく、精神力が必要になります。私は身体強化の魔法がせいぜいですが、マルセルは水と炎の両極を使えますからね」
水と炎は基本的に相性が悪いとされている。水の魔法が得意な者は、風や土といった相互作用を生む魔法を補助で習うのが普通だった。ディアランの言うように、水と炎をこの歳で操るのはそうとうセンスが良いのだろう。
照れくさそうではあるが、同時に自慢げでもある。ディアランに褒められたマルセルは白い頬を真っ赤に染めた。
「ディー! あ、失礼」
大声を出したことを恥じるように一礼して、マルセルが反撃に出た。
「シルヴィア様、ディアランはそう言いますが、魔法を使う時に重要なのは詠唱の際の守りです。魔法陣を組むのも時間がかかりますし、失敗すれば魔法が暴走してしまいます。騎士なくして魔導士は成り立たないのです」
どうやらこの二人は仲良しのようだ。シルヴィアは微笑ましい気持ちでうなずいた。
「二人とも、シルヴィア様に物騒なことを言うものではないよ」
ディアランとマルセルの褒め殺し合戦を止めたのは、ウォルフガングの息子ルカの冷静な声だった。
麗しい少年は爪の先まで優美な仕草でティーカップを持ち上げた。女と見紛うばかりの美貌に憂いげなため息を乗せ、ゆるりとシルヴィアを見やる。
「申し訳ありません、シルヴィア様。暑苦しいやりとりをお見せして」
年齢はディアランとマルセルより年下なのだが、ずいぶんと大人びた子だ。それでもシルヴィアに頭を下げないあたり、プライドが高そうである。
『カインの側近は色々と濃いね』
友達じゃなくて側近になるのか。それならルカの態度も納得だ。
いずれ王太子となるカインの側近同士が仲良しこよしではこの先不安になる。国を背負って立つ男になるのだから、早くから自覚しておいたほうがいいに決まっている。三人の中では最年少のルカが一番精神的に成熟していた。
それにしても、カインの側近とは。
シルヴィアにとってカインは兄の域を出ないのだが、こうして未来の側近と会うと、なんだか外堀を埋められているような気分になる。
好きか嫌いかでいうなら好きで間違いはないが、兄とそういう仲になれるかは別問題だ。
それともいつか、この思いも懐かしい過去になり、カインと恋をするのだろうか。
「いいえ。ディアランさまとマルセルさまのおはなし、とってもたのしいですわ」
将来の不安を払拭するようにシルヴィアはにっこりと笑った。
「きしさまとまどうしさまの仲がよいのは、たのもしいばかりです」
そう付け加える。ルカにたしなめられてしょげていたディアランとマルセルがパッと笑顔になった。
『シルヴィアはやさしいなあ。いい子に育って……っ』
これくらいで感極まられても。
『だか惚れるなよ? わかってんな? ん?』
これくらいでオラつかれても……。
「ルカさまはウォルフガングさまと、いつもどのようにおすごしですの?」
ウォルフガングはシルヴィアのご機嫌伺いに来ることがあるので興味が湧いた。シルヴィアの前では子供好きの気の良いおじさんだが、息子とはどんなことをして遊んでいるのだろう。
きらきらした瞳に見つめられてうっかり見惚れたルカが、つい口を滑らせた。
「ぼっ、僕は、パパとは」
そこで我に返った。
失言にみるみる顔を赤くするルカに、シルヴィアは笑いを堪えた。先程の貴公子とのギャップがすごい。そうか、家ではパパ呼びなんだ。
ここで聞き返したら絶対に拗ねて怒って二度と口をきいてくれなくなる。同じことを考えたのか、ディアランとマルセルもきゅっと唇を引き締めていた。
「……父上とは様々なことで議論を戦わせています」
何事もなかったようにルカが言った。切り替えが早い。
「ぎろん?」
難しい単語はわかりません、と首をかしげたシルヴィアに、さっきのことをなかったことにしたルカが説明する。
「お互いの考えを話し合うのですよ」
たとえば、とルカはティーカップで口元を隠し、考えるように空を見上げた。
「オオカミと三匹のヤギのお話は知っていますか?」
「はい。ヤギさんがこわいオオカミをやっつけるおはなしですよね」
『オオカミと三匹のヤギ』は子供なら誰でもしっている童話である。
――とある森に、三匹のヤギの兄弟がいました。彼らの父親ヤギが死ぬ間際「南の新緑の森は長男ヤギに、東の湖の森は次男ヤギに、北の崖の森は末っ子ヤギにやろう」と言い残しました。
父の遺言に従い長男は南に、次男は東に、末っ子が北に、それぞれ移り住んでいきました。
ところで西の森には美味しい草が生えており、ヤギ一家の餌場はそこにありました。しかしいつの頃からかオオカミが住み着いてしまい、大変困ったことになったのです。
オオカミはヤギの天敵です。もう何匹ものヤギが狼に食べられてしまいました。三兄弟が餌を食べに西の森に行ったら、たちまちオオカミが襲ってくるでしょう。
そこで長男は木の棒を手にオオカミに戦いを挑みました。オオカミの馬鹿力で木の棒は真っ二つ。長男ヤギは食べられてしまいました。
次男はオオカミを罠に嵌めて湖に落とすことに成功しました。ところが泳ぎの上手なオオカミは湖を泳ぎ切り、次男ヤギを食べてしまいました。
末っ子はオオカミと戦うことなく崖の森で平和に暮らしていましたが、ヤギを食べつくしたオオカミが襲ってきました。末っ子は崖を昇って逃げますが、執念深いオオカミは追ってきます。
そこで末っ子は崖の上から大きな岩を落としました。岩はオオカミにぶつかって落ち、オオカミはぺしゃんこになりました。
こうして森には平和が戻り、末っ子ヤギは美味しい餌場を手に入れることができたのです――
という、童話にありがちな三兄弟の話だ。
「そうです。オオカミを倒したのは果たして正しかったのか? オオカミは肉食ですから餌の多いところで狩りをするのは当然でしょう。また森の頂点となるオオカミがいなくなれば草食動物が森を食べつくしてしまいます。他に手段はなかったのか。なぜ三兄弟は手を組まなかったのか。そういったことを議論しているのです」
大真面目に言ったルカに、シルヴィアはぽかんとした。
『いや、童話って教訓や含蓄を楽しく伝えるもので、議論の教材じゃないと思うな』
ですよね。パパもちょっと引いてる。
この話が教えるのは周りをよく見て知恵を付けようとか、時には逃げることも大切だとか、そんなものだ。
そんな、裁判官と弁護士みたいに論じるものではないと思う。さすがは宰相家、親子の会話が殺伐としている。
シルヴィアがメーア公爵家の情操教育に疑問を抱いているとは知らず、ルカはちょっぴり得意げだった。
「ルカ様の公正さはそういうところから得ているのですね!」
素直に感心したらしいディアランが尊敬の眼差しを向けた。
「力で解決するだけが手段ではないということを普段から学んでらっしゃるのですね」
わかっていないと思ったのか、マルセルがシルヴィアにそう言った。
「そうなんですのね」
シルヴィアはわかったようなわからぬような顔をした。
「シルヴィア様も物事を決める時は、何が正しいのかをよくお考えになることです」
それはまあ、その通りではある。
しかし三歳児に言うことではない。シルヴィアは期待外れの返答にがっかりしていた。
『い、今時の子供ってずいぶん難しい生き方してるんだね……』
メーア家が特殊なのか、貴族とはこういうものなのか、どちらなのだろう。これが貴族の常識的な親子関係だとしたら、ずいぶん堅苦しいことだ。
シルヴィアとしては男の子のテーブルに来れば、こっそり抜け出してかくれんぼをしたり、泥団子をどれだけピカピカにできるか挑戦したり、探検ごっこをしたり、ジルベルから聞いていたような遊びができるのではないかと期待していた。
だがそこは貴族の子だ、下町の子供遊びなどしたことも聞いたこともないのだろう。行儀が良いのはけっこうだが、なんだか疲れてしまった。
ため息を吐くわけにもいかず、シルヴィアは無意識にシンシアとジルベルの姿を探した。父のやさしさと母の大らかさに甘えたかった。
大人たちのテーブルでは、二人のフォロー要員だろうアルテミジアと、アリアが忙しそうに立ち働いていた。シンシアとジルベルは圧倒されてしまっているのか、やや背を丸めて居心地が悪そうにしている。
「シルヴィア様?」
黙り込んでしまったシルヴィアを心配したのか、ディアランが声をかけてきた。とっさに表情を作る。
「ごめんなさい。ちょっとおはなをつんできますわ」
恥ずかしそうにそう言えば、意味するところを察した彼らが気まずそうになった。
静かに椅子を降りる。すかさずオデッサが寄ってきた。
「シルヴィア様、どうなさいましたか?」
「えっと、あのね……」
ドレスを摑んでもじもじすれば、オデッサも察したのだろう。王宮に向かおうとした。
彼女の手を振り解き、シルヴィアは大人たちのテーブルに行くと、シンシアのドレスにしがみついた。
「かあさま」
「シルヴィア?」
突然現れたシルヴィアに、マリーをはじめとする夫人たちがざわめいた。
そんな彼女たちに軽く頭を下げ、オデッサがシンシアに耳打ちする。あ、という顔をしたシンシアが立ち上がろうとした。
「まあ、シルヴィア様……?」
そこにアリアもやってきた。シンシアにしがみついているシルヴィアを見て、何かに気づいたようにアルテミジアに知らせに行く。
「シンシア様、王宮のトイレの場所はわかりますか?」
「ええ、わかります。大丈夫ですわ」
広い王宮内でトイレ迷子になったら大変だ。そこは真っ先に覚えたシンシアである。
「お疲れになったのかもしれません。少しゆっくりしてらしてください」
「ありがとうございます」
抱っこをせがむシルヴィアに仕方がなさそうな顔をしたシンシアは、慣れた手つきで持ち上げた。三歳ともなればそれなりに重くなっている。ずしりとした重みにシンシアの顔には自然と笑みが浮かんでいた。
シルヴィアは母の胸に顔を埋め、力の限りにしがみついた。
「おかあさん」
「なあに? シルヴィア、もう少し我慢してね」
「おかあさん、きぞくのこ、あそんじゃいけないの?」
人がまばらになったところでシルヴィアが呟いた。口調が素に戻っている。
「シルヴィア……」
「おとうさん、いってたみたいに、おそとであそべない? どろだんご、ゆきがっせん、だめ?」
シンシアは胸を突かれた。
急ぎ足だった足が止まり、それからゆっくりと歩きだす。
「そうね……。シルヴィアもみんなと遊びたいわね……」
シルヴィアの淑女教育を見かねて下町の子供遊びを教えたのはジルベルだった。
淑女教育は家の中でするものがほとんどだ。良き母、良き妻になるために必要なこととはいえ、日に焼けて走り回る子供時代を過ごしたジルベルには不健康そのものに思えた。
身振り手振りを加えての思い出話をシルヴィアはいつも楽しそうに聞いていた。
だからカインが来て外に出られるようになり、安心した部分もあったのだ。これでようやくシルヴィアも、子供らしくなってくれる、と。
『シルヴィア……。君はまだ三歳なんだから、もっと我儘を言ってもいいんだよ』
パパの心配そうな声が言った。
今日会った女の子の遊びも、男の子の遊びも、しょせんは教育の一環だった。彼らの関係は友人というより上下関係だ、身分で上下が決まっている。友情はあっても身分という見えない壁ができてしまっていた。
「おかあさん。シルヴィア、おとうさんとおかあさんがいい」
シンシアの足が止まった。
胸に埋められていたシルヴィアの小さな頭がかすかに震え、ドレスが熱で濡れた。
「シルヴィア……」
「おと、さんと、おかあさんと、あそびたい……っ」
精一杯の訴えだった。
貴族が我が子と触れ合うのは稀だ。
赤子のうちは乳母が、成長すればナースメイドが面倒を見る。父親は領地経営などの仕事をこなし、母親は社交に精を出す。子供にかまっている時間はなかった。
シントラー公爵家に領地はないが、公爵として恥ずかしくないよう日々勉強を重ねていた。その中には貴族としてあるべき子供との接し方もあった。
シルヴィアは両親と遊んだ記憶がない。
こうして抱き上げてもらうのがせいぜいで、遊ぶのはタートかアリア、カインくらいだった。
シンシアは娘の訴えに胸が潰れる思いがした。
いつのまにか大人びて、遠くなってしまったと感じた自分に後悔する。我儘を言わないよう、立派な淑女であるように強要したのは自分たちなのだ。
シルヴィアは、寂しかったのだ。
ずっと寂しい想いを我慢させていたのに、気づいてやれなかった。
カインと庭で遊ぶ際に土や花を弄るのは、そうすればシンシアとジルベルの気が引ける、喜んでくれるだろうという、ささやかな期待があったからなのだ。
「ごめんね、シルヴィア……」
愛し子だからと行動を制限され、広々とした城で一人。
どれほど寂しかったのだろう。
友達が欲しいと叫んだのも、寂しさゆえの限界を感じ取ったからだ。親がかまってくれないのなら外に目を向けるしかない。子供の悲痛な叫びだった。
「お茶会が終わったら、お父さんも一緒に遊びましょう」
「ほん、と?」
顔を上げたシルヴィアは、せっかくのおめかしが台無しになるほど目や頬を赤くなっていた。
「ええ。お母さんがお花の名前を教えてあげるわ。お父さんの泥団子は近所で一番だったのよ?」
シンシアが微笑めば、シルヴィアはぱあっと顔を輝かせた。
「おともだち、できたら、いっしょにあそんでくれる?」
「もちろんよ。そうだわ、お友達ができたらお母さんがおやつを作ってあげる!」
「シルヴィアもっ、おてちゅだい、しゅる!」
「いいわね! それじゃあシルヴィア? 張り切ってお友達を見つけましょうね!」
「うんっ」
その後トイレを済ませたシルヴィアは、疲れからか安心からか、シンシアの腕の中でウトウトしはじめた。
そこに万事用意のいいナースメイド、アリアがやってくる。
「奥様。ああ、やっぱり。シルヴィア様おねむになってしまいましたね」
どこか困ったように笑いを堪えているアリアに、シンシアは嫉妬を抱いた。自分よりずっとシルヴィアに詳しいのだと言われたような気がしてしまう。
「この時間はお昼寝の時間ですから……。先程もぐずる寸前のお顔になっていましたし」
アルテミジアに言ってそろそろ散会にしてもらい、せめてシルヴィアに挨拶をさせようと迎えに来たのだという。
娘を受け取ろうと手を伸ばしたナースメイドに、シンシアは首を振った。
「いいのよ」
「え……」
「シルヴィアはわたくしの娘ですもの。だから、わたくしが連れていくわ」
そう言って歩き出したシンシアを、アリアが慌てて追いかけた。
どんなに子供に甘い貴族でも、抱っこしたまま客人の前にでることは良しとされない行為だ。シンシアとてそれはわかっている。
ずっと抱いていたせいで腕は疲れて重いし、明日には筋肉痛になっているだろう。この三年で、下町育ちだった体はすっかり鈍ってしまった。
それでも。
いつか消えると言われた愛し子の、シルヴィアの三歳の重さを実感できるのは今だけなのだ。
避けて通れない道だというのなら、せめて思い出を残しておこう。シルヴィアのために。自分のために。ジルベルのために。
シンシアは娘の背をぽんぽんとやさしく叩きながら、久しぶりに子守唄を歌っていた。こんなに幸せな時間は久しぶりだった。
『シルヴィア、よく言えたね。頑張ったね』
うん。頑張ったの。パパ。
困らせるだけだとわかっていても母に我儘を言ってしまった。
困らせたいわけではなかった。
けれど、シルヴィアが両親と過ごすためには、シルヴィアが我儘を言うしかなかったのだ。
シントラー公爵家には、守るべき領民も領地もない。ただシルヴィアをエルメトリアに留め置くためだけの家だ。シルヴィアがいなくては意味のない家だ。
淑女教育はきちんとやろう。両親に恥をかかせるわけにはいかないし、タートや教会の面子もある。神託のお手伝いも、ちゃんとやる。
「おかあさん……」
けれど同時に、シルヴィアはシンシアとジルベルの娘なのだ。魔法を持たないだけの、普通の人間だった。
感情があり、やりたいことがあり、夢もある。お勉強より遊びが好きだし、友達だって欲しい。親に甘えたい時だってあるのだ。
母のぬくもりのなかで眠ったシルヴィアはその夜熱を出し、二日間寝込んだ。