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愛し子はパパの愛が重すぎる・改  作者: 江葉
一章:愛し子、顕現する
8/17

愛し子はお茶会を楽しむ・1

コロナ騒動で自宅待機の皆様、不安でしょうがせめて一時でも楽しんでくださいね。



 東西南北に位置する伯爵以上の貴族が、カイン王子と愛し子のお茶会に招かれることになった。

 大変名誉なことである。

 その名誉なことに、領地は地方だが一家揃って王都で暮らしている貴族がまず参加した。


 王都住まいの貴族とはつまり、国政に携わる要人ということになる。

 社交においては王妃と共に流行の最先端を生み出し、中央を掌握している貴族が、この一大イベントに黙っていられるはずがなかった。


 シルヴィア一家は思いがけない強敵と初戦で対決することになったのである。


 場所は花離宮ではなく、万全を期すために王宮の南庭になった。通称『花の庭』と呼ばれ、季節によってとりどりの花を咲かせる王宮自慢の庭である。

 ちなみに北にある『風の庭』は散策やピクニックなどに適しており、東の『水の庭』は噴水がメインの景観がうつくしく、西の『空の庭』には各国から集められた鳥を中心とした動物園がある。今回のお茶会は『空の庭』と『花の庭』のどちらにすべきか検討されたが、子供が喜ぶであろう動物園は独特の臭いがするためお茶会にはちょっと……と却下された。子供は退屈しないだろうが、たしかにお茶会の雰囲気とは遠い。


 シンシアとジルベル、そしてシルヴィアは、いつになくめかしこんで集った貴族と挨拶を交わしていた。

 シルヴィアのため、そして日頃の勉強の成果を見せる時と張り切っていたシンシアだが、トップバッターの登場に早くも怯んだ。


「お久しぶりですな、シントラー公爵。こちらが妻のアリシア、息子のルカです」

「お久しぶりです、ウォルフガング宰相」

「お久しぶりですわ。はじめまして奥様、ルカ様。わたくしはジルベルの妻でシンシアと申します。こちらが娘のシルヴィアですわ」


 サイーマでもっとも有名な貴族といえば、宰相を務めるメーア公爵家だと誰もが答える。

 ウォルフガングは王よりも年上の三十代後半だが、妻のアリシアは若く、どう見ても二十代だった。栗色の髪をまとめあげ、羽飾りのついた帽子をかぶっている。ドレスは品よく落ち着いたレトロピンクで、控えめなレースが襟元と袖を飾っていた。ごてごてと飾り立てる必要はなく、自分自身の輝きで充分だと物語る姿である。シンシアは圧倒される思いだった。


 二人の息子であるルカ・メーアはカインと同じ四歳。おそらくだが、時期を合わせて産んだのだろう。

ルカは口を挟むことなく、愛し子を観察するかのように見ていただけだった。

 黒髪を肩で切りそろえた貴公子然とした顔は男にしてはかわいらしいが、金色の瞳が冴え冴えとして冷たく、にこりとも笑わない。


 初っ端から大貴族の風格を見せつけられ、シンシアとジルベルは頬が引き攣らないよう微笑むのに精一杯だった。


「はじめまして。シルヴィア・シントラーですわ」


 そんな両親を励ますように、シルヴィアはドレスをちょんと摘まんでかわいらしく挨拶した。


 若草色のドレスは少女らしくふわふわとペティコートが重ねられており、裾にフリルと刺繍がついている。黒髪はピンクのリボンに小花の飾りを挿していた。いつもと違い動きの制限されるスカートにも戸惑うことなく、シルヴィアは優雅に礼をした。


『シルヴィア、上手にご挨拶できたね! この調子でみんなをメロメロにしちゃおう!』


 パパの応援を受けてシルヴィアがにっこりと微笑む。


 夫に寄り添いつつシンシアとジルベルを値踏みするように眺めていたアリシアが、おや、と笑みを深くした。

 シルヴィアは生まれた時から公爵令嬢としての教育を受けている。しょせん付け焼刃の両親よりよほど様になっていた。

 公爵である両親より前に出過ぎず、しかし今回の趣旨が自分のお茶会であると理解してそっと主張する。そのさりげなさをアリシアは評価した。


「ご丁寧にありがとうございます。愛し子様、本日はお招きありがとうございます」

「こうえいですわ。たのしんでいってくださいませ」


 新参公爵なんて目ではない、愛し子の招きだから応じたのだ。アリシアは言外にそう言っていた。齢三年で培った女の勘がそう告げる。手強そうな女性だ。

 舌が縺れなくて良かった。シルヴィアは気合いを入れなおした。


 メーア公爵家が給仕パーラーに案内されて会場へと去ると、シンシアとジルベルはホッと緊張を解いた。


「おとうさん、おかあさん、あんしんしちゃだめ」


 すかさずシルヴィアの注意が飛んだ。


「え……」

「おちゃかい、おうきゅーのひといっぱいきてる。だれがどこでみてて、だれにいうかわからないのよ。だから、しゃんとしてね!」


 いつにない娘の真剣な顔つきに、二人は空唾を飲み込んだ。

 礼儀作法と貴族について叩きこまれてはいたが、誰と誰がどこでどう繋がっているかまでは教えられていなかった。


 王宮に勤める女官たちは全員が貴族であり、王と王妃に仕えていても実家と家に連なる上位貴族に繋がっている。当然彼らの指示もあるだろう。

 王宮女官は待遇が良く、貴族の令息と知り合う機会も多い。人気の職だ。

 だがそれだけで娘を勤めに出す貴族などほとんどいなかった。女官といえば聞こえがいいが、ようは使用人である。彼女たちの立場は貴族として人を従わせる側でもあるのだ。

王族の私室、執務室、会議の間にすら入れる使用人。見目麗しく優秀な女性が集められているのが王宮である。


 王宮女官とは、王宮を飾るアクセサリーであると同時に使用人であり、優秀な情報員でもあるのだ。

 彼女たちは自分に連なる上位貴族の耳目として情報を集め、しかるべきところに報告しているとみるべきだろう。


「ゆだんたいてき、だよっ」


 三歳の娘に諭されたシンシアとジルベルは不安そうに顔を見合わせた。たしかに自分たちの娘なのに、貴族の内情に詳しく親に注意できるほどにまでなっているのだ。


 この子はどうなってしまうのだろう。平民の常として貴族というものに理由のない嫌悪感を持っている二人は、我が子が急に遠い存在になってしまったような不安に襲われた。


 戸惑いを消す間もなく、女官長が次の客人を連れてきた。


「王宮騎士団団長、カルロ・サリデルテ伯爵。ならびに伯爵夫人エリス様、ご子息ディアラン様のお越しでございます」


 王宮女官長アルテミジアはシンシアとジルベルの礼儀作法の先生だった。シルヴィアにまで諌められている二人を見かねて出てきたのだろう。

 鬼教師の登場に、二人はわかりやすく表情を引き締めた。


『シルヴィアはともかく、お父さんとお母さんはすでにグロッキーだね……』


 パパのやけにしみじみとした声が身に染みる。相手が宰相家では分が悪すぎたのだ。


 カルロ・サリデルテ伯爵は騎士団長というだけあって筋骨隆々とした武人だった。その息子も鍛えられているのか六歳にしては体格が良く、燃えるような赤い髪と濃い栗色の瞳は凛として前を向いていた。

 サリデルテ伯爵家はシントラー家にさほど興味はないらしく、けれどシルヴィアには軍人らしいきびきびとした動作で挨拶し、会場へと向かった。


 次は魔導士団団長のミラージュ・コルポ侯爵家だった。夫人のイライザは線の細い女性で、レースの重なったドレスの印象とあいまって妖精のような儚い雰囲気だった。その息子であるマルセルは母の体質を継いだのかディアランに比べると細く、濃紺の髪が白い肌を不健康なまでに見せている。ただ緑色の瞳は好奇心に溢れ、シルヴィアを守らねばならない愛し子と認識しているようだった。


「お会いできて光栄です、シルヴィア様」


 少年らしい高い声に親しみが滲んでいる。シルヴィアもようやく仲良くなれそうな子供に嬉しさでいっぱいになりながら挨拶した。


「こちらこそ。よくきてくださいましたわ」


 宰相、騎士団長、魔導士団長にはそれぞれ息子のみ。彼らの年齢を考えると兄弟がいてもおかしくないが、カインが生まれるまで待っていたと考えるべきだろう。タートのこともあり、どうやら王家には秘密がありそうだ。


 巻き込まれたくないけど否応なく巻き込まれるのだろうな。シルヴィアは無意識にタートを探した。

 シルヴィアの侍従神官であるタートは護衛の一人として神官たちの列にいる。王弟の子に対し、不自然なほど貴族は彼を見ようとしなかった。

 シルヴィアはぎゅっと手を握りしめた。


『お茶会って集団お見合いかと思ったけど、親のほうが気合い入ってるね。欲望渦巻きすぎてなんかギラついてる』


 見ればわかる。


 ここは何の品評会? と首をかしげるほど親たち、特に母親はそれぞれ光っていた。普通は主役を食わない程度にするものだが、本日の主役はカインとシルヴィアで、次に王妃のマリーである。シンシアとジルベルなどほとんど添え物扱いだった。夫人たちはさほど着飾っていないにも関わらず、格の違いがはっきりとわかってしまう。


 マリーは女性陣の中心で満足そうに笑っていた。カインは主に令嬢たちに取り囲まれている。普段シルヴィアに見せるのとは違う、王子様の笑顔だった。


 やがて親と子供で別れてテーブルに着いた。子供たちとは離れているが、礼儀正しく、愛し子に気に入られるようにしなさいと言い含められているのは明らかである。だがそれでも彼らは子供であった。駄目と言われたことほどやりたくなるお年頃だし、当たって砕けて多くを学ぶ生き物だ。しかもたいていのことなら親の権力で揉み消せる七光り付き。大人しくしていられるわけがなかった。


「シルヴィア様は、魔法をまったくお持ちでないのですって?」


 カインは勝ち目がない王子殿下だが、シルヴィアは魔法も持たない憐れな子だ。そう思ったのかどうかは知らないが、クリスティーネ・トリスタン伯爵令嬢が口火を切った。御年八歳の最年長である。


「ええ、そうですわ」


 テーブルに並べられたのは王宮の料理長が腕を揮ったケーキである。花離宮の料理長とどちらが美味しいのか、シルヴィアは期待に目を輝かせた。

 そこにかけられた、どちらかというと嘲りの言葉に顔を上げる。


「不便ではありませんこと? 魔法のない生活なんて大変でしょう」

「まあ、おきづかい、ありがとう、ございます」


 舌が縺れそうになったのをごまかすように言葉を区切る。


「ないのがふつうですので、それほどふべんではありませんわ」


 他に言いようがない。シルヴィアにとって、魔法がないのが普通の日常なのだ。


「まわりがなにかとたすけてくれますし」


 にっこり笑って余計なお世話だと言ってやる。大方上手く取り入って愛し子の気に入りになり、貴族令嬢の上位に立とうというつもりなのだろう。クリスティーネはひくりと口元を引き攣らせた。


 それでも笑みを崩さないのはすごいな。シルヴィアはこっそりと周囲に目を走らせた。

 どうやらクリスティーネ派の令嬢は多いらしい。シルヴィアと同じテーブルの半数はクリスティーネの出方を窺っていた。


『シルヴィアも言うようになったねえ!』


 パパは手を叩いて大喜びだ。


「そう。愛し子様ともなると周囲が気を使いますものね」


 周りがお前を助けるのは愛し子だからであって、お前個人のことなんか何とも思ってないぞ。クリスティーネの言葉を意訳するとこうなる。


「ええ。カイン兄さまもよくあそびにきてくれますわ」


 どう頑張ってもクリスティーネは愛し子にはなれない。どうだ羨ましかろう。シルヴィアはちょっと困ったように小首をかしげた。


 シルヴィアは愛し子であることに不満を抱くことも、魔法がないからと卑屈になることもなかった。まして特別扱いなど望んでいない。ただ自分にはパパの声が聞こえて、それを望む人々がいるだけである。お世話になっているのだから自分にできる恩返しをしている程度の認識だった。ただし喧嘩を売られて黙っていられるほど大人しくもない。


 これにはクリスティーネも言い返せなかったらしく、口を噤んだ。


「シルヴィア様は、普段どのような遊びをしていますの?」


 少し離れた男の子のテーブルにいるカインをちらりと見やり、頬を染めたのはマルガリーテ・レーガティウス伯爵令嬢(六歳)だ。クリスティーネに助け舟というより、王子様のほうが気になるらしい。


「おそとでおはなをかんさつしたり、おにわをおさんぽしていますわ」


 物は言いようである。

 実際には土いじりをしたり花を毟ったり、カインと追いかけっこをしてタートとアリアにおやつで止められるまで走り回ったりしている。嘘は言っていない。


「マルガリーテさまは、どのようにおすごしですか?」


 今度はシルヴィアから聞いてみた。一般的な貴族令嬢が何を楽しみにしているのか気になったのだ。


「わたくしは本を読むのが好きですわ」


 ちょっと恥ずかしそうにマルガリーテが答えた。

クリスティーネを気にしているあたり、内気な社交嫌いというよりは一人でいることを好むのだろう。押しの強い友人を持つと大変だ。


 次にマルガリーテの隣の少女に目をやれば、彼女は控えめに答えた。


「わたくしは音楽をたしなみますの」


 他にも刺繍や詩作、声楽など、貴族令嬢のレッスンがほとんどだった。シルヴィアもやっているが、あれは授業であり遊びとはいえない。

 もしや貴族令嬢は遊んではいけないのだろうか。一巡してクリスティーネに目線を戻すと、つんと取り澄ましたように彼女は言った。


「わたくしは魔法の訓練ですわ。いざという時に使えないようではお話になりませんもの」


 尖った口調に誇りが滲み出ていた。訓練を遊びといってしまっていいのかはともかく、彼女のプライドは本物だ。


『損してる子だねぇ。周りの期待が大きすぎて、潰れないように頑張ってるんだよ』


 なるほど。行き過ぎた淑女教育と貴族教育のせいで自分の好きなこともわからず、遊ぶ時間もないのだ。

 先程のシルヴィアへの言葉も、嘲りというよりは年長者としてシルヴィアを案じてくれたらしい。聖女が不在だからこそ余計にそう思い込んでいるのだろう。


「クリスティーネさまは、おやさしいのですね」

「えっ……」


 意外すぎるシルヴィアの感想に、クリスティーネはぱちりと瞬きをした。マルガリーテたちもシルヴィアに注目する。


「わたくしやみなさまをまもって、くださるのですね。おやさしくて、おつよくて……とてもかっこいいですわ」


 きらきら笑顔で「しゅてき……」と呟いてみる。子供っぽく言うのがポイントだ。

するとクリスティーネの顔がぽっと赤くなった。


「そっ、そうですわっ。みなさまを守るのは伯爵令嬢たるわたくしの役目ですしっ?」


 ちょっと得意げなのがかわいい。

 伯爵令嬢なのはクリスティーネだけではないのだが、魔力の大きさを誇り高飛車な態度から敬遠されていたようだ。パパの言う通り、損をしている。

 クリスティーネ派の少女たちは見直したような瞳で彼女を見つめていた。


『ちょろい。この子大丈夫かな』


 パパの率直な感想にはシルヴィアも同意する。

 おだてられて天狗になっているところでその高い鼻っ柱をぽっきり折られたら、あっという間に転落していきそうな危なっかしさがあった。まったく余計なお世話だが、子供のうちに挫折を味わっておいた方がいいだろう。


 クリスティーネはすっかり気を良くしたのか、優雅に紅茶を飲むと、少し声を潜めた。


「……シルヴィア様、では、ご忠告申し上げますわ」


 全員の顔を見回し、身を乗り出した。釣られてシルヴィアも前のめりになる。


「お付き神官のタート・ティディエですが、あまり信用なさらないほうがよろしいですわ」


 真剣な表情から、それが本心からの忠告であることがわかった。

 とはいえ一番親しく、シルヴィアが信頼しているタートを信じるなと言われても、そう簡単にうなずける話ではない。


 タートはいつでも駆けつけられる、視界に入る位置でお茶会の様子を眺めていた。隣の神官と何度か言葉を交わしているが、ヴェルクやオデッサのように国王夫妻に挨拶もしない。王妃はさりげなくカインをタートから遠ざけ、給仕も男の子のテーブルにタートが近づかないよう警戒していた。


 こうして見るとタートとカインは面差しが似ていた。髪色はカインのほうが濃い金だが、タートは薄く、光に当たると緑色にきらめいて見える。瞳の色もカインが赤味のある栗色、タートは琥珀色だ。

 時折憂いの影が差すせいか普段はあまり似ているとは思わないし、改めて見てみないと気づかない程度だ。だが、間違いなく血の繋がりを感じさせる顔立ちだった。


「どうして、ですの?」


 シルヴィアの視線に気づいたタートが微笑んだ。今にもかき消えてしまいそうな儚さにシルヴィアの胸がぎゅっと締め付けられる。


「タート神官は謀反を起こした貴族の子だそうですの。教会に入ったのも、罪を逃れるためだとか。愛し子の侍従にはふさわしくありませんわ」


 まるで恐ろしいことを告げるようにクリスティーネが言った。

 場がシンと静まり返る。


『あー……。この子駄目だね。悪気はないけど偏見が過ぎる。自分から地雷を踏んでくタイプだ』


 パパの的確な人物評価にシルヴィアも同意だ。


 悪気がないのはわかるが、言って良いことと悪いことが世の中にはあるのだ。

 たとえシルヴィアの為であろうとも、口に出すのはアウトだ。口ぶりからしてクリスティーネ本人が事実と認識しているのではなく、おそらく親の話を伝え聞いたものだろう。愛し子の侍従が謀反人の子供だなんて、と言っていたに違いない。子供は意外と親の話を聞いているものだ。

 だが現実にタートはシルヴィアの侍従神官として認められている。クリスティーネの偏見でどうにかできるものではなかった。


 一度言ってしまった言葉は取り消せない。クリスティーネは、迂闊すぎた。


「……むほん?」


 そしてシルヴィアは、そうした言葉と意味をいっさい教わっていない。首をかしげるシルヴィアに、オデッサ副神官長がそっと近づいてきた。


「シルヴィア様、そろそろ他のテーブルに行きましょう」


 さりげなく睨みつけられ、クリスティーネがぎくりと体を強張らせる。

 大人たちが別のテーブルにいるからといって誰も見張っていないはずがなかった。給仕が歩き回っていたし、愛し子の教育に力を入れている神官たちも当然聞き耳を立てていた。シルヴィアは知らなかったが、テーブルの中央に飾られている花の中に、通信用の魔道具が紛れ込ませてあったのだ。


「本日の趣旨はシルヴィア様とカイン殿下のお茶会デビューです。男の子にもご挨拶しませんと」

「そうですね。いきます」


 シルヴィアは場の空気を読まずにひらりと椅子から降りた。オデッサに手を引かれながらちらりとクリスティーネを振り返る。

 渋い顔をした神官が彼女たちのテーブルに近づいていった。

 愛し子に差別と偏見を吹き込まれては困るのだ。トリスタン伯爵は教会から叱責されるだろう。教会はすべての人々に門戸を開いており、神は罪を許す存在である。そうでなければ誰も救われない。

 涙目でテーブルから排除されたクリスティーネにちくりと胸が痛んだ。


「シルヴィア様」


 オデッサもそれを見て、憐れむように眉根を寄せた。


「シルヴィア様は、タートがお好きですか?」

「うん!」


 それは迷いなく言える。

 赤子のうちは打算と保身だったが、今ではタートほど心から慕える人はいないくらいだ。


「タート、いっぱいしってゆの。ごほんよんでくれるし、おかしもくえゆのよ。シルヴィア、タート、だいしゅき!」


 両親以外でもっとも接しているのがタートとアリアである。二人ともシルヴィアを大切に、一歩引いた態度だが、タートは男として兄心というか父性をくすぐられるのか、どうにも甘い。アリアはシルヴィアを立派な淑女にと意気込んでいるのでマナーには厳しかった。

 まだ三歳のシルヴィアが自分にやさしくしてくれる男に懐くのは当然といえよう。

 寄せられていたオデッサの眉がふわりと緩んだ。


「そうですか……。タート、良かったわ……」

「おばちゃんも、タートしゅき?」

「おば……っ!?」


 副神官長であってもおばちゃん呼ばわりはショックだったのか、物凄い勢いでシルヴィアを見た。


『シ、シルヴィア……。三歳児からすれば母親より年上の女性はおばちゃんだろうけど、もうちょっと気を使ってあげて。この年代の女性はデリケートなんだよ……』


 パパがなんだか弱々しく言ってきた。何かトラウマでもあるのだろうか。

オデッサは「子供の言うこと」と、ぼそっと自分に言い聞かせていたが、繋がれていた手に力が入っている。


「もちろん、わたくしもタートが好きですよ」

「そっかー」

「タートは良い子です。シルヴィア様、あんまり困らせないであげてくださいね」

「はーい」


 繋いだ手が痛いんですけど。やべえ根に持ってる。

 謝るべきかと思ったが、ここで謝ったら返って傷に塩を塗りこんでしまう気がしたのでごまかすように笑っておく。子供は残酷なのだ。


 カイン王子のいるテーブルに近づくと、シルヴィアに気づいたカインが立ち上がった。


「シルヴィア、どうしたの?」

「カイン兄しゃま、おともだち、できた?」


 オデッサが余計なことを言わずに説明する。


「殿下、そろそろ女の子にもお声掛けくださいませ」

「ええ? もう?」


 カインは未練がましくテーブルを振り返った。やはりカインも男同士のほうが話が合うのだろう。


「子供といっても立派な淑女ですわよ。頑張ってくださいませ、王子様?」


 オデッサがにこやかにきっぱりと、ついでに「王子様」にスタッカート効かせて言い放った。

 これにはカインも従うほかなく、オデッサ越しに女の子のテーブルを窺った。一人減ったテーブルでは説教から解放された少女たちが、救いを求めるようにカインを見ていた。


「わかったよ」


 王子と愛し子のお茶会を、悲しい思い出で帰してはならないということだ。大人びたため息を吐いたカインは少年たちに向き直った。王子様の顔になる。


「すまないが、僕はこれで失礼する。また後で話を聞かせてくれ」

「はいっ」


 彼らは物わかりよく返事をした。少女たちの視線という名の圧力を感じ取ったらしい。

 シルヴィアがテーブルを移動したのを見て、給仕が素早くカインの席の片づけをし、新しい紅茶とお菓子を用意した。


「さ、シルヴィア様。どうぞ」

「はい。……しつれいしますわ」


 さっと緊張した彼らだったが、優雅に礼をしたシルヴィアが「うんしょっ」と元気よく椅子によじ登って座ったのを見てホッとした。それなのにちょこんと座ったシルヴィアが取り澄ました顔をしているものだから、余計にかわいらしく、またおかしかった。


「お兄さまたちは、カイン兄さまのおともだち? シルヴィアともなかよくしてくださいね」


 きらきらと輝く笑顔。頭の両端で結ばれた黒髪は艶やかで指通りがよさそうにさらさらと肩に流れていた。星空のような黒い瞳が会えて嬉しいと何より雄弁に物語っている。


 魔法を持たない神の愛し子。守らねばならない幼女の愛らしさに彼らはつい見惚れてしまった。頬を染めてぽーっとしている子までいる。


『シルヴィアー!? 初恋キラーはやめてっ! シルヴィアにはまだ早いよ!?』


 パパは黙ってて。

男の子相手に鬼が出るか蛇が出るか。もしかしたら天使がいるかもしれないわ。

 期待に胸を膨らませ、シルヴィアは新たな相手に挑むのだった。




教会は大陸中にあるので、偏見や差別はご法度です。クリスティーネ嬢はシルヴィアではなく教会に喧嘩売ったことになりかねません。かわいそうですが、途中退場とお説教で済んだのは御の字です。


拙作「秘密の仕立て屋さん」書籍化しています。よろしくお願いします!

挿絵(By みてみん)

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