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愛し子はパパの愛が重すぎる・改  作者: 江葉
一章:愛し子、顕現する
6/17

愛し子は聖女より友達が欲しい

タート、ぼっち疑惑をかけられる! なお冤罪ではないもよう。



 結論からいうと、シンシアの『シルヴィアにお友達大作戦』は盛大につまずいた。

 王妃が待ったをかけたのである。


 シルヴィア一家を囲っているのは国と教会だ。王家はシルヴィアと第一王子のカインとの婚姻を狙っていた。幼いうちからシルヴィアとカインを仲良くさせ、まずは幼馴染からと考えていたのである。


 そこにシンシアが公園デビューならぬお茶会デビューでシルヴィアに友人を、といいだした。王妃マリーにしてみれば、うちの子を差し置いて何してるの? と苛立つのも無理はない軽率さだった。王家を蔑ろにされたと思われたのだ。

 そんなつもりはなかったのはわかっている。シンシアとジルベルは、未だ平民感覚が抜けていないだけなのだ。


「シルヴィア!」


 ならば、とそこにつけこむ形で、マリーはカインを花離宮で遊ばせるように仕向けてきた。

 いつも遊んでいたお兄ちゃんが実は王子様だった、という『恋のドッキリ大作戦』に変更された。恋愛小説にありがちな展開だ。


『カイン本人は良い子なんだけどねえ。あの王妃やばくない? 嫁いびりする姑みたい』


 ただしその作戦は、シルヴィアには筒抜けだった。

 パパの懸念はもっともだ。マリーが姑になったらいちいちちくちくやられそうである。ウォルフガングが一応忠告したようだが、マリーにさっくり無視されていた。カインは何も知らないのか、シルヴィアが愛し子だとは教えられているのか、今のところは妹を可愛がる良いお兄さんぶりを発揮している。


「カイン兄しゃま!」


 三歳になったシルヴィアは念願の庭で遊べるようになった。

 ジルベルから農村での暮らしを聞かされていたシルヴィアは好奇心旺盛で、土を触っては喜び、草をちぎっては喜び、花が咲いては容赦なく毟り取って撒き散らす。見るものすべてが楽しく、順調に成長している。


 赤子のうちは小鳥のようだった頭髪は綺麗に伸び、黒髪を女童の定番であるツインテールでまとめている。シンシアが編んでくれた毛糸の小花をちょこんと両脇で咲かせていた。

 ぱっちりとした二重瞼に夜空の瞳は好奇心に満ち溢れ、きらきらと輝いている。

 ふっくらした桜色の唇から流れる声は鈴の音のように高く澄んで、聞く者の耳を心地よくくすぐった。

 素朴な顔立ちだが、柔和で安心感を与える、成長が楽しみな幼女だ。


「ごきげんよう、カイン兄しゃま。ゴ、ゴーゴンも、おちゅとめ、おつちょめごくりょうしゃまでちゅ」


 三歳の幼女がいっぱしの淑女ぶって、エプロンドレスをちょこんと摘まんで丁寧に礼をする。エプロンともみじの手が土まみれでさえなければ完璧だ。


 舌足らずな言葉使いはともかく、快活さが溢れ出ているシルヴィアにはカインと護衛騎士のゴードンもおかしさを隠しきれない。王子の警護として引き連れてきた衛兵も微笑ましい目になった。


「こんにちは、シルヴィア。まだゴードンって言えないの? ゴードン、だよ」

「ゴーゴン!」

「ゴードン! はい!」

「ゴーヂョン!」

「ゴ・オ・ド・ン!」

「ゴドン!」

「そう! 言えた!」


 カインに褒められたシルヴィアは、練習台にさせられた哀れなゴードンにドヤッとばかりの笑みを向けた。

 花離宮に着いた途端に王子と愛し子に名前を連呼された彼は、太い眉を八の字に下げ、大きな手でシルヴィアの頭を撫でた。


「ありがとうございます。お上手ですね、シルヴィア様」

「うん!」


 力加減していてもちいさな頭が撫でられて揺れる。そのままなぜか踊る流れになったのは、幼女のなせる技だろう。

 スカートの裾をふわりと広げながら回るシルヴィアに、いつも厳めしいゴードンの顔がふにゃっと崩れた。


『あー、一昨日カインがお忍びで城を抜け出して大変だったからね。お疲れだなぁ。シルヴィアで癒されていくが良いぞ』


 なにしてんのカイン。それで昨日と一昨日来なかったのか。


「ゴーゴンどしたの? おちゅかれ?」


 たしかに、いつもだったら素早く衛兵のところに戻って警戒態勢に入るゴードンがシルヴィアの遊びに付き合っている。どことなく力のない騎士に、シルヴィアが回転を止めた。

 すでに目が回っていたようで止まった途端に足がもつれた。どすん、と尻餅をついたシルヴィアに、タートが慌てて駆け寄ってくる。


「え? いや……その」


 チラッとカインを見たゴードンに、カインは気まずげに目を反らした。


「シルヴィア様、カイン様。お茶の支度ができました。おやつにしましょう」


 芝に敷物を敷き、軽食の準備をしていたアリアが声をかける。思わぬ助っ人にカインがシルヴィアの手を引いた。


『あっ、何さりげなく手を握ってんだマセガキ!』


 子供相手にいちいち目くじら立てないで、パパ。

 四歳のカインにませているも何もない。ゴードンの説教から逃げることしか考えていないだろう。


「はーい! シルヴィア、手を洗いに行こう」

「はい! タート、おみずじゃーってして!」

「あっ……」


 何事にも用意が良い、というよりシルヴィアの土いじりのせいで慣れているタートは、もちろん水瓶の用意も済ませていた。


「恵みを与えし者 清らかなる流れよ。我が手に溢れ 穢れを洗い流し給え」


 タートが祈りを唱えると、彼の手の上に丸い水の球が現れた。

 祈りはイメージを固定するためのもので、こうして物質を出現させるのは精神力が重要になる。魔力はもちろん必要だが、祈りの文言だけを覚えてもイメージとコントロールができなければ魔法は暴発してしまう。


 手洗い用の水が欲しいだけなので、これくらいの魔法なら平民でも使えた。ただし愛し子であるシルヴィアには魔法がないため、タートの役目になる。


 水球にためらいなくシルヴィアが手を突っ込み、すかさずアリアが石鹸を泡立てて洗っていく。シルヴィアに任せていてはいつのまにか遊びになったり、綺麗に洗いきれていなかったりするためだ。流れるような作業で水が変えられ、清潔な布で拭かれた。


「ちゅぎはカイン兄しゃまのばん!」


 逃げられないことに肩を落としたカインは、がっくりしながら大人しく手を洗った。


「カイン兄しゃま、ゴーゴンとけんかしちゃ、めっ、よ?」

「ケンカじゃないよ」


 ふてくされて否定するカインにゴードンがやれやれと言った。


「ええ。喧嘩ではありません。カイン様がお城を抜け出したせいで、大変だったのです」

「ゴードンたちが勝手についてきたんじゃないか」

「護衛を置いて行動すれば、どんな騒ぎになるのかまだわからないのですか。カイン様にもしものことがあれば、私たちはもちろん、お父様とお母様がどれだけお嘆きになるか」

「わかってるよ。……さんざん言われたし」


 嘆くだけでは済まない。今回の一件を前もって察知していたゴードンがこっそり周知させ、カインの安全を図らなかったら、最悪何人かの首が飛んでいただろう。

 息子に甘いマリーがカインのお忍びを許可してしまったせいで、そのしわ寄せが騎士と衛兵に来たのだ。民間人に変装して城下に潜伏し、どう見ても挙動不審おのぼりさんのカインに怪しい者が近づけば排除し、立ち寄りそうな店には先に客を装って待機させ、何度か確保しようと動いたが逃げられてしまい、無事に王宮に戻れるところまで徹底してサポートした。


 その後王宮に帰りついたところを確保、教師陣揃っての説教となった。おまけに昨日一日部屋で謹慎させられ、休憩にもトイレにも見張りつき。ちょっとした冒険の終わりは就寝時刻まで勉強漬けで締めくくられた。


『自分がどれだけ迷惑か自覚してないってやーね』


 パパ辛辣すぎ。存在ごと全否定である。せめて『迷惑かけたか』にしてあげて。

 マリーがカインの嫁にと画策しているせいか、どうもパパはカインを見る目が厳しい。


「カイン兄しゃま、ひとりでおそといったの!? しゅごーい!」


 ふてくされるカインとたしなめるゴードンをよそに、シルヴィアは一人はしゃいだ。楽しみにしていた外遊びなのだ、不機嫌王子のご機嫌取りなんかやっていられない。カインが来なければ外にも出られないシルヴィアには切実な理由だった。

 タートとアリア、花離宮の者たちはゴードンの苦労が想像できたのか、一様に同情の眼差しを彼に向けた。


「シルヴィアもおそといきたいっていったのに、タートがだめーっていうの」

「シルヴィアはまだ小さいんだから、お外は早いよ」


 かく言うカインも四歳である。幼児には一歳差も大きいが、大人にしてみればそう変わりはない。冒険心溢れる王子にゴードンはため息を吐きそうになって慌てて飲み込んだ。


「ちいさくないもん! もうしゃんしゃいになったもん!」

「三歳、だろ」

「さんしゃい!」


 ぷくぷくしたちいさな手指を懸命に三本立ててみせるシルヴィアに、カインの気持ちがほぐれてきたようだ。大人びた苦笑を浮かべる。


「お外に行くのは大変なんだぞ。ゴードンたちがこっそり見守ってくれたからなんともなかったけど、悪い大人がいっぱいいるんだって」

「わるいおとな?」


 王宮の城下町は比較的治安が良いが、それでも見るからに身なりの良い子供の一人歩きは目立っただろう。子羊が狼の群れと知らずに横切るようなものだ。

 カインの機嫌が直ったとみて、アリアが紅茶とクッキーを配った。シルヴィアはアリアに礼を言うとさっそくクッキーを一枚齧った。バターの甘い香りが口の中に広がって、幸せの味がする。


「わるいおとなってなぁに?」


 無邪気な瞳に見つめられて、カインは言葉に詰まった。

 城の外にも出られず、大事に大事に育てられている『愛し子』という少女。カインも窮屈な思いをしているが、女の子だけあってシルヴィアはさらに過保護に守られていた。

 『愛し子』は魔法を使えず、魔力もない。そのため回復魔法がまったく効かない体質だと教えられていた。だからカインが守ってあげてね。母にそう言われたカインはシルヴィアを可哀想に思い、言われた通り大切にしていた。

 そんなシルヴィアに悪い大人とはどういうものか教えていいものかどうか、カインは迷った。


 しかしそこは四歳の男児である。クッキーをばりぼり食べながら、小さい口を行儀よく開いてクッキーを食べているシルヴィアに閃いた、といわんばかりの笑みを浮かべた。


「人攫いだ! お菓子をあげるから一緒においでって言うんだよ!」


 自分のクッキーをさっさと食べ終えたカインはシルヴィアの皿から一枚奪い取り、駆け出していった。あっと驚いたシルヴィアが慌てて追いかける。


「まてー! ひとさらいー!」

「あははっ! ひとさらいー」

「ひとさらいー」

「捕まえてごらんなさーい」


 楽しそうに走り回る二人に腰を浮かせかけたタートは座り直した。何かが違うが、楽しそうなのでまあ良いだろう。


「……仲がよろしいのは結構ですが、シルヴィア様にあまり変なことを教えないでいただきたい」


 タートが苦虫を潰したような顔で言った。


『ぜんぜん懲りてねえな、あのガキ』


 パパも呆れ気味である。

 自分より年少のタートに苦言を呈され、ゴードンは大きな体を恐縮させた。


「申し訳ない」

「殿下は人攫いに狙われたのですか?」


 お忍び外出といってもカインの足では王宮周辺がせいぜいだったはずだ。そんな近くに幼児誘拐を企む犯罪者がいるようでは、花離宮の警備体制を見直す必要がある。


「いえ、あれは殿下が大げさに言っただけで、変装した我々騎士です」

「なるほど。お菓子で釣って悪い人がいることを教え、ついでに連れ戻したわけですか」

「……ご明察の通りです」


 実際には思ったより警戒心のあったカインが逃げ出し、王宮まで警備が続いたわけだがそこはゴードンも言わなかった。彼にも意地というものがあるのだ。

 だがカインにとっては一つの武勇伝である。見事に騎士の目を出し抜いて冒険をやり遂げたのだ、調子に乗るのも無理はない。たとえ自分の分をわきまえた騎士が手加減したといってもそこはそれ。説教も謹慎も、冒険の達成感の前には無意味なものとなった。


「……カイン殿下はお幸せですね」


 シルヴィアが転ばないように眺めながら、タートがぽつりと零した。

 嘲りと自嘲が入り混じった声色に、ゴードンとアリアが彼を見た。


「ゴードン殿のような騎士に守られて、少し、羨ましいです」


 二人が緊張したことを素早く察知したタートは失言をごまかすように打って変わった子供の表情で笑った。

 タート・ティディエ侍従神官は十五歳になった。貴族と平民は十五で成人、王族は十三歳で成人を迎えるが、タートは成人の儀をしないまま教会に入った。成人していなければ当然結婚もできない。生涯恋をせず、神にその身を捧げることを定められていた。

 厄介払いされた自覚のあるタートに、ゴードンは何も言えなくなった。


『タートに必要なのは護衛じゃなくて友達じゃないの? シルヴィアもカインばっかりでむかつくし、どっかに良い子がいないか探そっか』


 そんな理由でパパが出張ってこないで。

 タートに何かあったのかとシルヴィアは振り返った。


「シルヴィア様、追いかけっこはそこまでにしましょう」


 体力のないシルヴィアが疲れて転んでは怪我をする。タートが止めに入った。どこか寂しそうな顔をした彼は、シルヴィアを見て眩しそうに目を細めた。

 なんだか胸が苦しくなったシルヴィアは、素直に立ち止まった。


「シルヴィア、どうしたの?」

「ともだち!」

「え?」

「カイン兄しゃまばっかりずるい! シルヴィアもおともだちとあそびたい!」

「えっ? 僕は友達と出かけたんじゃないよ?」

「おいかけっこしたんでしょ? ずるいー!」


 シルヴィアの絶叫にカインが耳を塞いだ。

 近づいてきていたタートが走ってくる。アリアも慌てて立ち上がった。


「シルヴィア様!」

「カイン様、何があったのです?」

「な、何って……」


 カインが今しがたのやりとりを説明すると、タートは控えめながらもため息を吐き、アリアが首を振った。余計なことしやがって。気分的にはそれだ。


「シルヴィア様、シルヴィア様にはタートがおります。タートと遊んでください」


 タートがシルヴィアを抱き上げたが、シルヴィアは盛大に駄々をこねた。


「タートちがうもん! タートはおともだちじゃないもん!」

「……っ!」


 大切に守ってきた子供に拒絶されたタートの手から力が抜けた。落っこちないように慌ててしがみつく。

 言ってからやばかったかとシルヴィアも思ったが、言ってしまったものはしょうがない。


『あー、シルヴィア駄目だよそんなこと言っちゃあ……』


 パパにも呆れられたが、ここがチャンスなのだ。


「タートはシルヴィアのだいじなのー! おともだち、ちがうぅっ!」


 タートはこの先もずっとシルヴィアを守ってくれる大事なお兄ちゃんである。カインのような、王家や貴族のしがらみに流されてどうなるかわからないような子とは違う。

 タートだけは、これからもずっとシルヴィアだけを見てくれる。


「タートもおともだちほしいよね? いっしょにあそびたいよね?」

「う……。いえ、その、私は……」


 さすがにアリアが止めに入った。カインはともかくタートはもう大人といっていい年齢である。そんな少年にお前友達いないだろ、と幼女に言われるのは精神的にきつい。見ているほうもいたたまれなくなった。気の毒すぎる。


「シ、シルヴィア様。タート様にはお役目があるのですよ……」

「おやくめだと、おともだちできないの?」


 さあ困った。ここで「そうだ」と答えれば、最悪愛し子やめると言い出しかねない。うろたえたアリアに肯定と思ったのか、シルヴィアの大きな目が潤んできた。


「カ、カイン兄しゃまだけ……っ、ずるい~っ」

「ぼ、僕のせい!?」


 元をただせばそうである。王妃が余計な横やりを入れなければ、シルヴィアにはとっくに友人ができていただろう。

 だからカインには申し訳ないが、これは八つ当たりだ。


「泣かないで、シルヴィア。……僕も母様にお願いしてみる」


 花離宮に閉じ込められているシルヴィアをカインなりに心配していた。男の子らしくやんちゃぶっていたが、王宮では咎められることもここでならできる解放感と、シルヴィアを楽しませたい一心だったのだ。


『――あ! 西の伯爵領にシルヴィアと似た子がいるよ。伯爵家の姫なのに閉じ込められてるみたい。シルヴィアのお友達になってくれるかな?』


 なんですと!?


「ほんと!?」

「本当だよ。みんなで遊べるように言ってみる!」


 パパったら本当に探してくれていたのか。シルヴィアは目を真ん丸に開いて空を見上げた。


「にしのおちろにとじこめられてりゅおひめしゃまがいりゅの!」

「えっ!?」


 いきなり突拍子もないことを言いだしたシルヴィアに面食らったタートだが、すぐに思い当たった。

 恭しい手つきでシルヴィアを地面に下し、膝をつく。


「シルヴィア様、今の言葉をどなたからお聞きになりました?」

「パパだよ!」

『パパだよー』


 パパと声が重なった。

 パパ、と言って空を指したシルヴィアに、アリアが愕然と口元を覆った。神託、と唇が動く。震える声を聞き逃さなかったゴードンが目を瞠った。

 タートがごくりと喉を動かした。


「では、もう一度……。パパの言葉を教えてください」

「にしのはくちゃくりょーに、シルヴィアみたいなこがいるんだって! おひめしゃまなのに、とじこめられてるの。おともだちになってくれるかなぁ?」


 西の伯爵領にはシルヴィアのように閉じ込められている姫君がいる。彼女こそ神に選ばれた愛し子の友人候補である。

 幼女の明るい声にそぐわない酷い内容にタートは泣きそうな顔になった。

 すっくと立ち上がると周囲に聞こえるように告げる。


「神託が降りました。私は急ぎ神官長にこのことをお伝えしなければなりません」


 腹に力を入れないと膝から崩れそうになる。伝え聞くのみであった神託を目の当たりにしたタートは、神の声を聞き取ったシルヴィアに恐れにも似た感情を抱き、そんな自分を戒める。赤子の時から守ってきた娘が急に遠ざかっていく予感と、住む世界が違う者への本能的な恐怖、シルヴィアへの愛おしさと罪悪感が複雑に絡み合う。


 アリアはタートとは少し違っていた。恐れは一瞬で、愛し子が真実であったことに感動している。信仰心が恐怖を上回り、シルヴィアへの愛しさに集結した。


「わかりました。王宮へはこちらから連絡します。――カイン様、シルヴィア様、今日はもうお城に戻りましょう」


 アリアがシルヴィアを抱き上げ、わずかに目を潤ませて頬を擦り寄せた。

 カインは何が起きたのかわかっていないのか、タートとシルヴィアを何度も見返している。ゴードンがそんな彼の手を取った。


「おひめしゃまたしゅけたら、おともだちになってくれゆかな?」

「ええ、そうですね。きっと」


 やったあ、とはしゃぐ声を背に、タートは教会へと急いだ。


 もはや聖女探しどころではない。ひとりぼっちの愛し子を憐れんだ神が自ら友人候補を見つけ出してしまった。となれば神は聖女を不要と判断したか、愛し子を王家が囲っている現状に不満をお持ちなのだ。

 あらゆる可能性を考え、対処しなければならない。


 もう一つ、タートには心臓を絞られるほどの驚きがあった。

 神託を授かる直前、シルヴィアはタートに友人がいないことを気にしていた。タートは大事なの、と叫び、あらんかぎりの力でしがみついてきた。絶対の信頼と必要とされている実感。損得のない純粋な愛情は、タートがはじめて与えられたものだった。

 聖女ではなく、自分を。自分こそをシルヴィアは必要としてくれている。感動が心臓を高鳴らせ、生きていることの喜びに足を弾ませてタートは走った。


 聖女のことなどパパの頭からすっぽ抜けていることを知らない教会と国は、こうしてシルヴィア初の神託に動き出したのだった。




ようやく物語が動き出しました。


「秘密の仕立て屋さん」書籍化しています。一巻、二巻発売中です。こちらもよろしくお願いします!

挿絵(By みてみん)

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