聖女を探せ!
偉い人も大変です。
愛し子の伝承を語る時、欠かせない存在がいる。
――愛し子が現れし時、聖女も生まれる。
聖女である。
伝承にいわれているように、愛し子と聖女はセットなのだ。魔法を持たない愛し子を守り、友となって彼女の心を支える存在。神は愛し子を守るための力を聖女に与える。
炎の精霊イフリート、水の精霊オンディーヌ、風の精霊シルフィード、土の精霊ノーム、木の精霊ドリアード。五大精霊を従える聖女は体のどこかに五弁の花びらに似た聖痕を持った女性であった。
血統からなる魔力ではなく、精霊の力を借りた魔法が使える聖女もまた信仰の対象だ。教会は大陸中に布令を出し、聖女大捜索がはじまった。
「……シルヴィア様の年齢を考慮し、生後一ヶ月の赤子から五歳までの女児をあたってみたのですが……」
「発見にはいたりませんでした」
捜索から三月、聖女は見つからない。
教会の神官長執務室に集まった面々の顔は暗かった。
平民から貴族にいたるまで、国内外の女児の体を隅々まで調べてみても、聖痕を持つ者はどこにもいなかった。
彼らの名誉のため述べておくが、一ヶ月の赤子はともかく女児を調べたのはそれぞれ両親だ。共同浴場などでは五歳児に限らず、女たちが互いの体を見せあう裸祭のような様相だったというが、少なくとも神官たちは直接調べていない。聖女にかこつけた時ならぬ祭りに女たちは楽しんでいたようである。楽しめるネタを逃さない、女というのはたくましいものだ。
貴族も必死である。娘が聖女であれば、最高にして最強の力を手に入れることができるのだ。魔力の大きさを誇る貴族にとって、聖女は喉から手が出るほど欲しいステータスだった。
「伝承の通りなら生まれているはずですよね」
愛し子付き神官となったタートは困り顔だ。むしろどこかほっとしている。
「そのはずだが、愛し子顕現から数年経ってようやく見つかることもある。おそらくだが、愛し子の安全が確保されていると遅れるのではないか」
ヴェルク神官長もどうしたらいいのかわからないという顔をしていた。
教会には、とても民間に伝えられない真実が残されている。
愛し子と聖女の確執。この二人、相性がとことん悪いのだ。
女同士のライバル意識とでもいおうか、生まれた時から上下が決まっていることへの反発心なのか、彼女の心理についてはあきらかではない。だが、守るべき愛し子に敵愾心を抱く聖女が多いのが事実だった。
大きなものでは一人の男を巡っての恋愛沙汰から精霊魔法を見せつけて愛し子の無力さを周囲に知らしめ、小さなものだと愛し子への贈り物を自分の物だと言い張って奪い取り、取り巻きを使ってちまちま嫌がらせをして愛し子を孤独に追い込んだ。
やっていることは恋の鞘当てと陰湿な苛めに過ぎないが、今まで大切に育てられてきた愛し子にとってははじめての明確な悪意だ。
戸惑っていた愛し子も、しだいに自分が聖女に嫌われていることに気がつく。
自分を守るはずの聖女の悪意に何かしてしまったのではと反省し、改めようとする愛し子に、聖女はますます嫌悪を募らせる。エスカレートしていく嫌がらせに、さすがの愛し子も理由などなくただひたすらに嫌い、という感情があることを知るのだ。
女の泥仕合の開幕である。
キャットファイト程度なら見守っていられるが、愛し子対聖女ではヘタすれば国家滅亡の危機になる。教会と国は愛し子と聖女の確執に頭を悩ませた。
その対策として、教会はなるべく幼いうちに聖女を発見し、調教、もとい教育を施したいのだ。すべての聖女がそうなるわけではないのは歴史が証明している。エルメトリアの始祖である愛し子、聖エルナに仕えた聖女オクタヴィアは女だてらに剣を取り、魔法騎士として生涯エルナに尽くした。
二人の仲はとても良く、聖エルナはオクタヴィアについて『聖女である前に私の親友、親友である前に一人の人間である』と語っている。愛し子と聖女の理想とされる二人だ。
「シルヴィア様の聖女はどのような方でしょうね」
期待と不安が半々だ。タートはあえて明るく言ってみた。
「エルメトリアに再び愛し子が現れたのだ。ぜひオクタヴィア様のようになってもらいたい」
ヴェルクの声には懇願に近い響きを含んでいた。愛し子と聖女の間に確執が生まれれば、とばっちりは教会に来る。
特に王太子となるべき第一王子カインとシルヴィアを結婚させようと、王家が動いている気配があるのだ。シルヴィアが望まぬ婚約など結べば後が怖いし、聖女に引っかき回されでもしたら目も当てられない。
ヴェルク神官長は聖女の不在に安心しつつ、いつか来る未来を思って胃のあたりを押さえた。
聖女捜索はその後も続き、一年経っても見つからない聖女にとうとう黙っているわけにもいかなくなった教会はシンシアとジルベルに報告した。
「そうですか……」
一歳になるとシルヴィアはよく動くようになった。結構なスピードのハイハイに頭をぶつけないように常に見張っていなければならず、タートとアリアは付きっきりだ。
侍従神官とナースメイドがいれば安心だが、やはり親としては同年代の友人を作ってやりたかった。なによりシンシアは子供を持つ母親の苦労を分かち合えるママ友が欲しかった。王妃はちょくちょくご機嫌伺いに来てくれるが、まさか王妃相手に愚痴は言えない。
「聖女は愛し子の友人になるという話ですが、友人から聖女が選ばれることはないのでしょうか?」
ヒュマシアの家ならごく自然に子供を連れた母親が集まり、放っておいても子供たちが勝手に遊び出す。年齢が上の子が下の子の面倒を見て、下の子は上の子を見てお手伝いなどの真似事をする。幼馴染、友人の輪はそうやって築かれていくし、母親たちは井戸端で見守りつつお喋りをしていられたのだ。
「残念ながら、その例はありません。たいてい同じ国に生まれてきますが、友人や親戚からという話は聞いたことがありません」
そうだったら楽なのに。ヴェルクの本音が見え隠れする。心底残念そうなヴェルクにシンシアはため息を漏らした。
花離宮で過ごしていては他の子どもと会う機会がまったくなかった。生粋の貴族であれば赤子のうちにお披露目会が催され、他家の子供と知り合えるものだが、シルヴィアのお披露目は各国の代表者を集めた国が主催の大々的なものだった。平均年齢四十歳。もちろん次代を担う子供たちは国元に留め置かれ、シルヴィアどころかシンシアとジルベルが友人を得ることもできなかった。むしろどこかでボロがでやしないか緊張のし通しだった。
あからさまに私欲に走るものはいなかったが、シルヴィアを愛し子として信仰、あるいは利用しようと狙っている者ばかりだった。過去に愛し子を攫おうとして天罰を与えられた国などその典型で、シルヴィアさえいればと思っているのがありありと伝わってきた。シンシアはシルヴィアを抱きしめ震えあがった。公爵になる際に言われた忠告が、嘘でも誇張でもないことを思い知ったのだ。
だからこそただシルヴィアを甘やかすだけのイエスマンではなく、悪いことや危ないことを止めてくれる、本当の意味での友人が欲しい。シルヴィアを好きで、シルヴィアも好きになれる友人。母として当然の願いだった。
宰相ウォルフガングは望みを叶えると言ってくれたが、友人は与えられるものではなくお互いに人柄を見極めて選びとるものだ。今日からこの子があなたのお友達よと差し出されて許されるのはぬいぐるみくらいだろう。
「我々としても早いうちからシルヴィアと親しませたいと思っているのですが、どうにも難航しています」
「あの、そろそろお茶会を開いてみてはと先生方にも言われていますし、シルヴィアのためにも友人作りをしてみたいのですが」
シンシアとジルベルは国から貴族教育を命じられていた。各国の代表者を前に恥をかかないよう、かなりスパルタで仕込まれたのだ。
努力の甲斐あって先生方には実践を薦められている。本物の貴族を招いての茶会は試験的意味合いがあった。
下心を隠した貴族とのやりとりを、笑顔で交わせるのか。シンシアとジルベルにとっても試練である。
ヴェルクはその提案に難色を示した。
「いえ、それは……。もうしばらくお待ちいただけませんか?」
茶会となれば子供を連れてくるだろう。シンシアの目的がそれなら当然だ。そして貴族たちは子供たちに言い含め、こぞってシルヴィアの友人の座を得ようとする。
この人の好い夫婦では、シルヴィアのためと言われれば変な壺とか買わされそうである。せめてもうちょっと免疫つけてからにしてほしかった。
かといって聖母と尊父が下手に貴族社会に取り込まれても厄介である。教会としても悩ましい問題だった。
「でもこの一年、王妃様がいらしてくださるか王宮に行く以外でシルヴィアは外に出ていないのです。いくらなんでも過保護すぎます」
「愛し子をお守りするためです。窮屈でしょうがどうかご辛抱ください」
このセリフも何回目だろう。ヴェルクの胃がしくしくと痛みはじめた。
シンシアとジルベルの気持ちもわかるのだ。公爵になって以来まったく自由のない生活は、つい一年前まで平民だった彼らにはさぞや窮屈で、しきたりに凝り固まったものであろう。生まれながらの貴族と違い、この二人は気楽さを知っているだけになおさらだ。落差に戸惑い嫌悪さえ感じているのが伝わってくる。
ジルベルが口を挟んできた。
「庭遊びまで禁止なのですよ。騎士様や神官様が守ってくださるのなら、多少のことは大丈夫でしょう」
なんのための騎士と神官なのだ。そう言いたいのを我慢しての含みに、ヴェルクはそんな場合ではないのに感動を覚えた。
「しかしですね、シルヴィア様には読み聞かせなどをしております。勉強は今からはじめませんと」
「お日様の下で遊んで体を作るのも子供には大切ですわ。本ばかりで本物を知らなくては、神託の意味がありません」
様々な物事に触れ、人々と知り合ってこそ、神託を読み解き神の恩寵を与えることができる。まったくの正論にヴェルクは黙らざるを得なかった。
「……わかりました」
やがてヴェルクは呻くように同意した。シンシアとジルベルがついに勝ち取った権利に手を取り合って喜ぶ。
愛し子を閉じ込めておくのは簡単だ。だがそれをすればシルヴィアは教会を見限り、神託を下ろしてくれなくなるかもしれなかった。両親を虐げられたとなればなおさら教会に不信感を抱くだろう。
あるいは神が怒るのが先かもしれない。いずれにせよ、良い印象を抱くことはあるまい。
――後が怖い。
愛し子の真価は彼女が天の国に帰った後だ。恩寵か、はたまた天罰か。愛し子の思い出話で判決が決まる。よって、その恐怖を知るものは迂闊なことができない。シルヴィアにも、シルヴィアが大切に思っている人たちにも。
「お茶会もいいですが、まずは庭遊びに慣れていただきましょう。茶会はその後です。お呼びする方々ですが、なるべく高位の……伯爵以上の貴族を招待しましょう」
「えっ!? そこは男爵からでは?」
いきなり中ボス級では貴族初心者には太刀打ちできない。驚く二人にヴェルクは真剣な目を向けた。
「高位貴族は総じて魔力が大きいのです。咄嗟の場合、三人をお守りできます。なにより無力なシルヴィア様のご友人になられるなら、聖女でなくても魔力の大きい子のほうが良いでしょう」
高位貴族を差し置いて男爵令嬢がシルヴィアの友人になったら、妬まれて目を付けられる可能性がある。彼らも当然それを危惧して断ってくるだろう。だったら最初から高位貴族を招いたほうが、余計な軋轢を生まずに済む。
「貴族社会は魔窟です。それに疲れて神官になりたがる者がいるくらいです。お覚悟を」
タートはシルヴィアの前では普通のやさしいお兄ちゃんだが、貴族社会の確執で教会に降った筆頭である。あんな子供にまで貴族の宿命を背負わせていることを思い出し、シンシアとジルベルは背筋を震わせた。
蒼ざめる二人の顔を見てちょっとだけスカッとしたヴェルク神官長が、人の悪い笑みでとどめを刺した。