愛し子は全力で保身に走る
シルヴィア、ずる賢く立ち回る!
なぜかおっぱい連呼してますが、安心してください。エロはありません。
シルヴィアは全力でタートに懐いた。
おっぱいだろうがおむつだろうが、時に頭が痒いだけだったり服の皺が気になっただけでぐずる赤子の身で、泣き喚いて自己主張するしかなくてもタートの顔を見ればぴたりと泣き止む。
シルヴィアは全力を尽くした。
『あのタート君は王弟の息子だね。第一王子が生まれる前に生まれちゃったからけっこう厄介みたい。お家騒動でやだねえ』
という、パパのとんでもない爆弾が落ちてきたからだ。
パパの爆弾というより、タート自身が地雷である。王太子となる王の第一王子よりも十歳も早く生まれていた王弟の息子なんてトラブルの種でしかない。どういうことなの。
退院後、騎士と神官と野次馬に囲まれて連れていかれたのは王宮だった。これはまあ、予想していたからまだいい。
両親と引き離されたらやだなあと思っていたのに、向かった先はこぢんまりとした築百年ほど経っているであろう、古いが品のある城だった。王族の住まう王宮とは専用通路で十分。城近物件である。
厳選された使用人に料理人、庭師までついていた。愛し子を絶対逃がさない王家の意思をひしひしと感じる。
両親の話とパパのつぶやき、そして使用人の噂をまとめると、どうやら公爵位を押し付けられたらしい。爵位を与えて体裁を整え、カインという王子と今から親密にさせる作戦のようだ。
うわ、めんどくさい。シルヴィアは率直に思った。
娘を囲うなら結婚とはずいぶん短絡な考えだ。未来の王妃を期待されるのもごめんである。どうやら王家のご先祖が愛し子だったようだが、シルヴィアにそれを倣えというのは筋が違うだろう。
そこにパパからの言葉である。シルヴィアは保身に走ることにした。
タートが巡礼者になったのは、王位を狙う意思はないという表明だろう。政争で国が乱れることを避けるため、神官に降ることで国と自分を守ろうとしたのだ。
あるいは王弟が息子を逃がしたのかもしれない。王の第一子が一歳で王弟の子供が十二歳なんて、何かあるとしか思えなかった。
そんな地雷物件のタートだが、シルヴィアにはうってつけの人物だった。
なにしろ神官なのでシルヴィアのそばにいるのを誰もが当然と思ってくれる。しかも王弟の子供だから、両親が貴族に唆されそうになっても気づいて止めてくれるだろう。そしてなにより、彼は子供だった。子供の彼が必死にシルヴィアのお世話をしているのはさぞや微笑ましかろう。王族の血を引くだけあって、彼はなかなかの美形だったのもポイントだ。
素晴らしい。ここまで強力な護符はそういない。パパは例外として、タートに嫉妬した貴族が排除しようとしても、神官にして元王子という身分のタートには迂闊に手が出せないのだ。彼にはぜひとも頑張ってもらおう。
シルヴィアは自身の保身と打算のため、全力でタートに懐くことに決めた。
「あー。あーぅ、あーうーっ」
「ごきげんですね、シルヴィア様」
「そうですね。タート様がいらっしゃって私も助かります」
カラコロカラコロカラコロ。涼やかな鈴の音を響かせているのは魔力で動かすおもちゃだ。ベビーベッドの上で吊るされた複数のガラス玉の中に鈴が入っており、魔力を流すとキラキラ回転しながら音が鳴る。造りは貴族用のガラスに金細工と凝っているが、ごく一般的な赤ちゃん用のおもちゃである。
シルヴィアには魔力がないため、タートが付きっきりで動かしていた。
子供部屋にいるのはシルヴィアとタートの他にナースメイド一名。乳母ではないのはシンシアが自分で授乳したいと主張したからだ。平民の女房なら赤ん坊をおんぶして畑に出るのは当然だった。母乳の出が悪ければ貰い乳することもあるが、子供は自分で育てるのが基本だ。
だがシンシアとジルベルは貴族になったばかり。貴族として必要な勉強で忙しい。その時間にシルヴィアの面倒を見ていられるはずがなく、ナースメイドを雇うことで妥協したのだ。
愛し子を各国にお披露目するのは一年後と決まった。それまでに聖母と尊父として遜色ないように仕上げなければないのだ。はっきりいって、子育てをしている場合でも、その余裕もなかった。
当然のようにパパも子育てに参加したがったが、どこからともなく流れる音楽、舞い散る花々、輝くプリズムという奇跡オンパレードに周囲が驚くやら拝むやらで大変なことになった。
特に窓辺に群がる鳥たちはどこぞのおとぎ話の姫のようなファンタジーどころではなく、もはやホラーだった。真っ青になったタートが「野鳥には人に感染する病気がある可能性が!」と叫んだことで事なきを得たが、さすがにパパも反省したらしい。それはそれでパパが鳥類を絶滅させやしないかシルヴィアはひやひやした。
そんなわけで日中シルヴィアの面倒を見ているのはもっぱらタートである。おっぱいは前もってシンシアが絞っておいたのを冷凍魔法で保存し、温めたのを飲ませていた。
シンシアがいる時はシンシアが授乳する。タートはもちろん席を外すが、シルヴィアにおっぱいをあげるのが上手なのはナースメイドではなくタートのほうだ。
さすがにおむつ替えはシルヴィアの乙女心が拒否するのでナースメイドの役目になる。そこらへんはシルヴィアのプライドがかかっているのでうっかり出ちゃっても意地で泣かなかった。なまじ自我が完成しているがゆえの弊害がここに。
「今日も愛し子様への進物がすごいですね」
タートはシルヴィアの居城である花離宮に住まず、教会から通っている。
シルヴィアの様子を報告する義務もあるが、タートはまだ見習いなので神官への昇格試験を勉強しなければならないのだ。巡礼を終えて帰還すれば自動的に神官の中でも上位につけるが、途中で断念したので試験を受ける必要が出てきた。シルヴィアの侍従神官として正式に認められるにはただ懐いているだけでは駄目なのだ。
「人々が愛し子にと持ってきてくださるのです。ありがたいことですね」
愛し子生誕の地となったヒュマシア市民が中心となって、手に手に子供用おもちゃや洋服、絵本などを教会に寄進してくるのだ。祝う気持ちはタートも同じだが、一人が一つでも量が多い。タートが登城の際にそれらの進物を持ってくるのだ。
同じものが重なることもあり、重複したものは寄進者の了解をとって教会直属の孤児院に回していた。
『シルヴィアは人気者だね! さすがパパの娘、鼻が高いぞ!』
そういう問題じゃないんですよ、パパ。
進物の多さは愛し子への期待の高さだ。富める者も貧しい者も人は何かしらに不満を抱くものだが、自分で現状を打破するのではなく愛し子頼みなのはいただけない。
想像力を膨らませ、学び、発展させることは人に与えられた特権だ。愛し子に期待しているのならそれが行き詰っているか、どこかで塞がれているかだろう。
愛し子至上主義の教会が一番怪しい。上層部で権力争いでも起きているのかもしれなかった。
「それにしても、絵本はまだ早いのではないですか? シルヴィア様はまだ赤ちゃんですよ」
このままではシルヴィアの部屋が世界中から集まったおもちゃで埋め尽くされてしまう。民衆からのものはともかく、貴族や他国の王族などから贈られたものはきちんと遊ばせて礼状を出さなければならず、またうっかり破損させるわけにもいかないので気を使うのだ。整理整頓も一苦労である。
遠回しな嫌味が通じなかったタートに、ナースメイドははっきり苦言を呈した。
「そうかもしれませんが、なるべく早く言葉を覚えていただかないと。主の神託を聞き逃してはなりません」
ほらきた。神託。
パパが娘の生活改善のためにあれこれ口出ししてくるのだが、神に愛されし娘が父の言葉として伝えるため『神託』などという御大層な扱いになってしまっている。
そりゃ災害の予知や戦争の警告はありがたいけど、パパだってまだ喃語しか話せない娘にそんな重要事項を伝えたりしない。パパをなんだと思っているのだ。
シルヴィアはパパの扱いに憤慨したが、教会が急ぐのは理由があった。
言葉を話せず抵抗できず、他人に世話をされなくては生きていけない赤子。両親やメイドを買収、脅迫して連れ去り、我が子にしてしまおうと企む国や貴族が現れるからだ。パパが見ているし本人もしっかり自我があるなど知らない輩は、物心つく前に洗脳してしまえと考える。
「それに最低限、危機の際には逃げるように教えておきたいのです。愛し子はどうしても無防備ですから」
神は娘が幸福ならそれでいいと思っているのも事実で、娘に危害を加えられない限り天罰を下したりしなかった。静観の構えをとる。
しかし黙っていられないのは攫われた側だ。愛し子の所有権を巡って戦争になる。
それを防ぐためにもタートはできるかぎり早く言葉を教え、悪意持つ者が近づいてもシルヴィアが抵抗できるようにしておきたかった。
タートの言い分もわかる。だが彼の正論はナースメイドの怒りに火をつけた。
「こんな子供に最初に教えるのが人の悪意なのですか! 私たちがそれほど信用できないと!?」
「あっ、いえ、そんなつもりでは……。ただ警戒は必要でしょう」
「私どもメイドはもちろん、下男に至るまで教会で神誓をしております。この城の者が国と教会を裏切ったとしたら、それはシルヴィア様を国と教会が裏切った時ですわ」
「…………」
神誓は書いて字のごとく教会聖堂で神に誓いを立てる儀式だ。神と自分の名に懸けて誓いを交わし、証として魔力の源である血判を押す。もしも誓いを破った場合には過酷な天罰が下ることで知られていた。
王宮の一部である花離宮で働くメイドは全員が貴族令嬢である。貴族の誇りである魔力を失う覚悟を持って、シルヴィアに仕えていた。
タートは自分の発言が彼女を貶めるものであったと気づき、謝罪した。
「申し訳ありません。失言でした」
「……こちらこそ言いすぎでした、なんて言いませんわ。教会が愛し子を守るのはわかりますが、もう少し私たちを信じてください」
「はい」
す、すごい! 元王子と知っててきっぱり言ったぞこの人! シルヴィアはナースメイドの評価をぐんと上げた。
顔は笑っているのになんだか不機嫌そうな人だったからあまり好きではなかったが、いつか裏切るのではと疑われていたら不機嫌になるだろう。嫌味の一つも言いたくなる。タートに通じていなかったが。
『すごいね。この子の忠義は本物だよ。城のみんなが来て勝手に誓っていったけど、そうだったのかー』
……パパ、みんなの決死の誓いを軽く扱わないであげて。
『てっきりシルヴィアへの加護のおこぼれ狙いかと思ってた。ごめーんねっ』
パパ……。
行列を前にうんざりしているパパが目に浮かぶ。中にはそういう人がいるかもしれないけど、いるかもしれないけどっ。誓われてるのはパパだからね!?
神誓のあまりの軽い扱いに、シルヴィアは遠い目になった。
「シルヴィア様をはじめて拝見した時に、感激しましたわ。そして同時にこのちいさな御身に世界の命運がかかっているのが怖くなりました」
パパの呟きにつっこむ気力もないシルヴィアを、おねむかとナースメイドが抱き上げた。
「怖い?」
「ええ。タート様がおっしゃったように、シルヴィア様は世界中から狙われているのでしょう。私がナースメイドになったのはシルヴィア様をお守りするためだったのだと、運命を感じました」
ナースメイドの忠義にシルヴィアは感動した。彼女は真剣にシルヴィアを案じてくれたのだ。
『考えすぎじゃね?』
パパ、今いいところだから。
シルヴィアはせめて感謝を伝えようと、ナースメイドの頬に手を伸ばした。
「あー」
「まあ、シルヴィア様……」
ぺちぺち、と触れてくる赤子のやわらかな指先に、彼女は花が綻ぶように笑った。
二十代の後半くらいの歳だろう。赤茶色の髪に深い海の瞳。顔立ちは貴族らしく整っているが、むっつりと不機嫌な時は老けて見えていた。
笑うと印象が違う。おそらくこっちが彼女の素だ。雰囲気がやわらかくなり、しっかりものの頼れるお姉さんになった。
「あーい、あーい」
「なんでしょうか? シルヴィア様、今日はおしゃべりですね」
「……もしかして、名前を呼んでいるのでは?」
「あーお! あーい!」
そうそれ正解。あーとかうーとかしか発声できないけど。まだ上手く舌が回らないのでこれで許して。
「シルヴィア様……」
ナースメイドは目を潤ませた。シルヴィアがはじめて発した言葉は例に漏れず「ママ」だったが、次が「あーお(タート)」である。ジルベルがたいそう悔しがっていた。
「あーいっ」
三番目がまさかの自分。ナースメイドは青い瞳から涙を零した。
「はい、アリアですわ……。アリア・ラグベルトは終生シルヴィア様に忠誠を誓います」
よっしゃ忠臣確保ー! タートを相手に一歩も引かないアリアであれば、王家や貴族の無茶ぶりにもきっぱり物申してくれるだろう。非常に頼もしい。
『おめでとうシルヴィア! パパもシルヴィアの敵は容赦なくシメるからね!』
シメる(首)だろうかシメる(財布)だろうか。息の根止められてもアレだが、貴族の経済破綻は平民の生活に直結するのでシャレにならない。ほどほどにしておいてほしい。
「きゃあっ、うっあー、あっ、あっ」
ごきげんアピールではしゃいだ笑い声をあげ、ついでにぎゅーっと抱き付いておく。赤子のぷくぷくほっぺとお手てだぞ、かわいかろう。
あざとさ全開のシルヴィアに思った通り二人は揃ってでれっとなった。多少良心が痛まないでもないが、これも平和のため。愛し子の周囲が良い人ばかりなら、パパは天罰せずに済むのである。
保身、大事。シルヴィアはタートとアリアを大切にしようと決意した。
ナースメイドと乳母について。
ざっくり説明すると、食事の管理をするのが乳母で、子供の遊び相手になるのがナースメイドです。
乳母はおっぱいから離乳食、子供向けの食事まで、キッチンに口出ししてきます。
ナースメイドは両親が構ってやれない分を補う存在になります。保母さんですね。男の子の初恋を奪っていったり、女の子の生理や初恋など、一番の相談相手になったりしたようです。
シルヴィアはシンシアが子育てしていますが、勉強でいない間はタートとアリアのお世話になってます。子供部屋の管理をしているのはアリアです。おもちゃで怪我をしないよう気を使うの大変そう。