いきなり公爵
教会、国、貴族がバチバチしてます。
ジルベルとシンシアの夫婦は、両者ともに先祖代々平民である。
ジルベルは父の跡を継いで野鍛冶になり、シンシアは一般的な主婦と同じく家に入り庭仕事や時折近所や親戚の畑の手伝いをしていた。それなりに貧しいが食うに困ることはない、平民らしい暮らしといえる。
「こ、公爵、ですか……」
シルヴィア誕生から一夜明け、教会代表として神官長ヴェルク、国の代表として宰相ウォルフガング・グリーグ、ヒュマシア市の代表として市長のマルクス・デ・シャルスが公民館に集まり、シルヴィアの父であるジルベルと面会していた。
挨拶と祝辞の後、ウォルフガングが告げたのが爵位の授与である。
てっきり愛し子は教会か国が育てると言うつもりなのではと身構えていたジルベルは、まさかの爵位に体中が冷えていくのを感じた。
平民が爵位を与えられるのは、国に功績が認められた場合だ。それも男爵がせいぜいで、一代限りの名誉的意味合いのものでしかない。
代々続く爵位を得るには領地が必要であり、金で買うにしろ貴族とのやりとりで最終的に潰されるのが関の山だった。
貴族は名誉と伝統を誇りにし、大切にしている。新参者は厳しく審査され、気に入れば庇護するが気に入らなければ容赦なく排除するものなのだ。家名のない平民がいきなり公爵になるなど、彼らのプライドが許すまい。
顔色が青を通り越して白くなっていくジルベルに、ヴェルクが神官らしく語りかけた。
「愛し子様の生育は教会にとっても国家にとっても最重要なのです。愛し子は知っての通り魔法が効きません。怪我をしても魔法で治癒することもできず、病気になっても……、失礼ながら、きちんと病院にかかるには、平民では難しいでしょう」
「それは……」
ジルベルは反論できず、膝の上に置いた手を握りしめた。
平民の子供は男女関係なく野山を駆け回り、家の手伝いをする。転んで膝を擦りむいた程度なら水で洗って放置、鎌で指を切り落としてようやく親が回復魔法をかけるのだ。
病気になれば薬草を摘んで処置する。ようするに民間療法で乗り切っていた。教会や貴族からすれば悲鳴をあげてぶっ倒れそうな逞しさである。
「いや、しかし……俺、私らは無学ですし、とても貴族は務まりません」
しどろもどろになりながら、ジルベルはなんとか辞退しようとした。
ろくに読み書きもできない自分たちが貴族になっても、何もできないどころか国の恥になるだけだ。それなら怪我や病気の時だけ公的機関に行けばいい。
ジルベルの言い分もわかる、と気の毒そうに眉を寄せたのはマルクスだった。
市長は選挙により市民の投票で選出される代表者だ。マルクス自身は子爵だが、市民の――平民の気持ちと貴族の思惑の両方を理解できた。
「ジルベル、受けておいた方がいい」
「し、市長……」
「愛し子様をお守りするのに、お前たちだけでは不安なのだ。病気や怪我だけではない。愛し子様を欲する国、貴族からも守る必要がある。うかつに外で遊ばせて誘拐されたら? 貴族から養女にと望まれたら? シンシアを人質に取られる可能性だってある。平民のままではどうすることもできない危険が多いのだ」
「あ……」
そこまで考えが至らなかったのだろう。ジルベルはちいさく叫ぶとどっと椅子に沈んだ。
政は綺麗事ではないのだ。むしろ表に出ない後ろ暗いやりとりのほうが重要だったりもする。特に愛し子のもたらす神託は、一国だけではなく世界の命運を握るといっても過言ではなかった。
たった一人の子供がいるだけでどれほどの富と名誉が手に入るかと思えば、誘拐や恫喝など容易いことだ。
ジルベルが揺らいだのを見たヴェルクが身を乗り出した。
「……愛し子様を巡って戦争になったこともあるのです。公爵位は、むしろ妥当かと」
「それに、爵位といっても愛し子様がおられる間だけの、暫定的なものだ」
ウォルフガングはあえて冷たい言い方をした。誰かが悪役にならなくてはならないのなら、それは宰相である自分だと割り切っている。
「いる、間……?」
人の顔はどこまで蒼くなるのだろう。のろのろと顔をあげたジルベルにヴェルクはそんなことを思った。
ため息まじりにウォルフガングが告げる。
「愛し子は一生を全うすることがほとんどない。何らかのきっかけで絶望し、天の国に帰ってしまうからだ」
「!!」
愛し子が帰ってしまう『何らかのきっかけ』不動の第一位がずばり失恋である。もう生きている価値などないと、少女が絶望するのはどの時代でもそう変わらないらしい。成長し、年頃になればなるほどその危険性は高まる。実らないことに定評のある初恋ならともかく、婚約まで結んだ相手に浮気でポイ捨てされては周囲の努力も懇願も無意味であった。愛し子の見る目がないというより、愛し子が選んだ男だと調子に乗る奴が悪い。
「それゆえ我々は愛し子を守るのだ。籠の鳥と罵ってくれて結構。綺麗事で国の運営はできん。顕現の奇跡はすでに周辺国にも広がっている。愛し子が誰か他国に掴まれる前に、愛し子と家族を保護しなくてはならんのだ」
「…………」
ヴェルクの言った戦争が誇張ではなく今そこにある危機だと知り、ジルベルは言葉を失った。
「公爵になれば……シルヴィアと暮らせますか」
「全力を尽くそう」
「…………」
迷いはじめたジルベルに代わり、市長が口を開いた。
「ジルベルは平民です。貴族にするのなら最低限の教育を受けさせていただきたい」
「もちろんだ。礼儀作法をはじめとして、愛し子の両親として恥ずかしくないものになってもらう」
「野鍛冶の彼に去られては困る農民が出てきます。また彼の家と作業場はどうなるのか、そのあたりの保証はどうお考えですか」
市長の立場からの言葉にジルベルは涙ぐんだ。
さすがは市長だ、とヴェルクは感心した。ウォルフガングもマルクスの言葉には唸るほかなかった。
ヒュマシアには愛し子生誕の地という名誉がすでに与えられている。その後、シルヴィアが天の国に帰ってしまっても、彼女の家族を受け入れる土台を今から築いておけば、その名誉が傷つくことはないだろう。故郷の人々を思えば公爵になっても迂闊なことはできず、逃げ出すのにも躊躇するはずだ。
一方の国には愛し子が去った後まで家族の面倒を見る義務はない。
国が無情にも捨てた愛し子の家族を、生誕の地ヒュマシアが掬い上げる。つまりは打算であった。
さらに深読みすれば愛し子の家族にかかる教育費と現住所の維持管理費、野鍛冶が去ることへの損害賠償も国に出させようとしている。それもジルベルに恩を着せる形でだ。見事というかやり手というか、なかなか図太い神経である。
「……ご尊父殿、ご聖母殿、今後生まれるであろう愛し子の弟妹についても国が責任を持つ。望む限りのことはしよう」
宰相の重々しい口調にジルベルは竦みあがった。生まれながらに大貴族であるウォルフガングの出す威厳に圧し潰されそうだ。今すぐにひれ伏してしまいたくなる。
望む限りという、ある意味無制限の贅沢ができる権利を得ても、こうも優遇されるのは根っからの平民には恐怖でしかなかった。
「ただし囲わせてもらうぞ。王宮内の城に居を移し、愛し子一家にはそこに住んでもらう。家族の安全も含め、愛し子に近づくものはこちらで審査し、いっさいが監視対象となることを了承するように」
富と権力を保証する代わりに生活のあらゆることを監視される。着替えはメイドが付き添い、食事は毒味付き、友人と飲みに出歩くこともままならず、あげくに排泄物まで健康管理として検査されるのだ。
箪笥の角で小指を打つことのない広い部屋を手に入れる代わりに、気楽に屁をこくこともできない生活になる。貴族なら当たり前であろうと平民であったジルベルとシンシアからすれば、どちらが良いかなど聞かずとも明らかだった。
「ご尊父様」
慣れない呼びかけに、ジルベルはもはや虚ろな目をヴェルクに向けた。
「聖統教導会は愛し子様の味方です。愛し子様の心身健やかたるを守るのにご両親は欠かすことのできない存在であります。神託の解析、研究のためにも神官を派遣いたします。また爵位が不要であれば、そのようにすることもできますが」
教会の勢力はたとえ王であろうと無視できないものだった。大陸各地にあり、人々に神の教えを説いている。揺り籠から墓場まで、人の生死のいっさいを司るのが教会であった。
ようするに教会が本気を出せば、愛し子と家族を他国で匿うことも可能なのだ。
「いいえ。ご厚意に感謝しますが、公爵位を受けようと思います」
教会に逃げたところで結局は同じことだ。むしろ国を捨てたと謗られ、二度とエルメトリアの土を踏むことはできなくなるだろう。
ならば公爵となり、富に目を眩まぬよう自分を律して生きたほうがましである。できるかどうかはともかく、シンシアとシルヴィアを悲しませたくなかった。
ジルベルの言葉に、市長、神官長、宰相がいっせいに緊張を解いた。
「ジルベル、公爵になっても君はヒュマシアの市民だ。困ったことがあれば何でも相談しなさい」
「ありがとうございます。お世話になりました、市長」
「礼を言うのはこちらだ。腕の良い鍛冶師だったと聞いている。王宮に取られたとあれば農村のみんなが悔しがるだろうな」
ジルベルの顔にようやく笑みが戻った。ぎこちないものであったが、職人として腕を惜しまれれば嬉しくなるものだ。
「住居となる城は花離宮になる。メイドや執事などはこちらが責任を持って選出する。使者を遣わすゆえ、愛し子とご聖母が退院しだい王宮へ参るように」
「わかりました」
花離宮は王家の姫君専用の城だ。
妙齢になり無事に嫁ぎ先が見つかれば良いが、まれに結婚を拒否、あるいは先方から断られてしまう姫も現れる。政略結婚が常とはいえ様々な事情が絡み合う王族なだけに、致し方ないことでもあった。
そんな姫君たちの居城となるだけあって外見はもちろんのこと調度品、庭も女性が好みそうなものになっている。
先の住人は結婚するよりは神に仕えたいといって修道女になった王妹であった。父である前王がせめて退位するまではと懇願したため、現在の王であるシャルルが即位するまで花離宮に籠り、静かに暮らしていた。
神に仕えることを選んだだけあって、簡素ではあるが教会も庭に建てられている。また彼女の蔵書がそのまま残っていた。学ぶべきことが山ほどあるジルベルとシンシアの助けになるだろう。
いずれシルヴィアが大きくなれば花咲く庭でお茶会をするのにうってつけである。
陽当たり良好。王宮まで回廊を使って徒歩十分。バス・トイレ完備。広い庭には馬車と厩舎もあり、もちろんペット可だ。愛し子でなくても一度は住んでみたいと思わせる優良物件だった。
「そうだ、急なことでしたので見習い神官を付けてしまいましたが、タートは男、ご不快もありましょう。修道女を派遣します」
気の利かぬことをしました、と頭を下げるヴェルクに、ジルベルは慌てて手を振った。
「とんでもない。タート君はよくやってくれています。シルヴィアも懐いていますし、どうかこのままで」
ヴェルクとウォルフガングが顔を見合わせた。
「懐いているのですか? タートが?」
「はい。ぐずっていてもタート君にあやされると機嫌良く笑います」
そこは父親の意地もあるのかちょっぴり悔しそうなジルベルに、二人はますます困惑した。
偉い人二人の様子にジルベルは何かまずかったのかと焦りを滲ませる。
「あの、タート君を使ってはいけませんでしたか……?」
貴族神官であるタートを、愛し子とはいえ一日でも子守りさせたのは面子を傷つける行為だったのだろうか。不安そうなジルベルに、ヴェルクは首を振った。
「いえ、タートは見習いですから、少し意外だっただけです。巡礼の途中でヒュマシアに立ち寄り、一番若かったため教会長がとっさに押し付けてしまったと聞いていたものですから」
「そうでしたか……。タート君は妹がいると言っていましたし、子供の扱いが上手なのでつい甘えてしまいました。巡礼の旅を邪魔してはいけませんね」
残念です、と呟いたジルベルは眉を下げ、肩を落とした。
巡礼は大陸各地にある教会を巡り、愛し子の痕跡を辿る壮大な旅である。巡礼の途中で命を落とす神官もいた。
移動には馬車や馬を使わずすべて徒歩でと定められている。川は船を使わずに迂回し、山岳地帯や砂漠、時に戦地を徒歩で渡るのだ。まさに命がけの、生涯をかけて行う、神官にとってもっとも過酷な修行であった。
十二歳のタートが運良く生きて戻ってきても壮年になっているだろう。それまでジルベルが生きているかどうかもわからない。親兄弟の死に目にも戻ることは許されなかった。
ここで別れたら二度と会えないだろう。その思いがジルベルの胸を重くした。
「愛し子様に気に入られたのならタートも否やはないでしょう。正式に侍従としましょう」
「巡礼を妨げるわけにはいきません」
聖職者でなくとも巡礼に出る者がいるくらい、憧れの神聖な旅なのである。断ろうとしたジルベルにヴェルクは首を振った。
「ご存知かと思いますがタートは貴族の子です。魔力も多い。巡礼はたしかに神聖な修行ですが、私はできれば彼には王都で修行を積み、いずれ神官長になって欲しいと思っています」
貴族の子供を死ぬかもしれない旅に出す。ここから考えられるのはお家騒動だ。ヴェルクは痛ましげに眉を寄せ、ゆるゆるとまた首を振った。
「……では、一度本人に聞いてみましょう」
「そうしてやってください。タートが愛し子と巡り合えたのも神の思し召しでしょう」
ジルベルの人の好さにつけこんだ神官長はいかにも清らかな聖職者の微笑みを浮かべて神に祈りを捧げた。反対に、宰相ウォルフガングはむっつりと黙り込んでしまっている。
いくら神官とはいえ魔力の多い子供を巡礼に出す家はめったにない。タートはジルベルが考えた通り、お家騒動を避けるために神官にされたのだ。
ティディエ家は跡継ぎがおらず断絶した子爵家だった。それをタートに与え、復活させたのだ。それでも足りずに出家である。いささか度が過ぎるほどの念の入れようだった。
タート・ティディエは王弟の第一子となる王子である。王位継承権は現在の時点で第三位。魔力の多さからタートを王にと望む貴族がいてもおかしくなかった。
それだけにヴェルクの期待と憐れみは大きい。愛し子の侍従神官という身分は絶妙な立ち位置になる。教会としても王家と国の専横は見過ごせないし、タートほど相応しい手綱はそうそう現れないだろう。
お世話になります、と言った新米公爵だけが、場違いに明るかった。
ちょっと待て王弟の子供が十二歳で王の子供が一歳っておかしくない? と思った方、正解です。
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