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愛し子はパパの愛が重すぎる・改  作者: 江葉
二章:愛し子と神託
16/17

愛し子の初陣

蝗との戦い。



 生温い風が吹いていた。


「タート、他のところは大丈夫かしら」


 シルヴィア率いるエルメトリア視察団は、バッハトマ王都近くの砂漠に出ていた。


「砂漠に点在している教会からの通信では、すでに魔導士が出動しているそうです」


 あらためて砂漠に出ると、その広大さに唖然とするばかりだ。

 昼間は暑すぎて外に出るのはためらわれるし、夜は氷点下まで冷え込むので外に出られない。よくまあそんなところに教会を築こうと思ったことである。人類の宗教にかける情熱にシルヴィアは脱帽するばかりだ。


「飛竜ではなく馬での移動になるのが痛いですね」


 魔導士がぼやいた。


「しかたがない。砂漠に竜を連れてきて、野生返りされたら大事だ」


 たしなめる魔導士の声にもあきらめが滲んでいる。


 竜は北の果てにあるカエルム山、人類未到達地に住んでいるとされていた。

 エルメトリアが王宮で飼っている個体は魔導士が召喚し、主を持った竜である。竜は長寿なので主を喪っても次の主に引き継がれるが、たいていは北に去ってしまう。もともと野生が強い種族なのである。


 そしてバッハトマのような砂漠地帯や大草原などで野生返りして北に帰ってしまう竜もいた。一説には風音が召喚の歌に似ているからだといわれるが、未だ解明されていない謎である。


 貴重な竜を失うかもしれない危険を冒してまで、竜を使う者はいなかった。どこの国でも竜は国有とされていることもある。


 空という移動手段が使えない以上、馬に頑張ってもらうしかない。陽が高くなる前に出てきたが、そろそろ熱波が迫ってきていた。


「すでに蝗が発生している地域が出ているようです。シルヴィア様、早めに宮殿に帰りましょう」


 黒い雲がもう目に見えるほど近くなっている。雨雲は雨を降らせながら移動していた。蝗発生の報は次々に入ってきている状態だ。

 タートも不安そうに空を見上げた。


『あー、シルヴィア、ごめん。来ちゃった』


 非常に軽い口調でパパが不吉なことを言った。

 それって招かれざる客がいきなりやってきた時のセリフじゃなかった? シルヴィアは浮気相手を部屋にあげている最中に突如本命がやってきた男のように寒気に襲われた。


「タ、タート……」


 シルヴィアは空を指差した。

 黒い雲はずいぶんと早く、奇妙な動きをみせている。


「あ、あれ。蝗、来た」

「なっ!?」


 タートはもう一度空を見上げ、目を凝らした。耳にかすかな羽音が聞こえる。

 とっさにローブを脱いでシルヴィアにかぶせる。


「風陣結界展開開始! 蝗が来るぞ!!」


 叫びに近いタートの指示に、魔導士たちが慌てて手印を結んだ。


「きゃっ!」


 ぼとん、と音を立てて蝗が降ってきた。

 シルヴィアはバッタも好きなほうだが、今まで見てきたどんなバッタよりも大きい。

 恐ろしい災害だと聞いてはいても、しょせんバッタだと思っていたシルヴィアは、その大きさと空を埋め尽くす数の暴力に鳥肌を立てた。


『火は駄目だ。風に乗って移動してるから煙がこっちに来る。シルヴィアが危ない』


 パパの声に、珍しい焦りがあった。


「グレイス様は、炎で」

「火はだめっ、風向きが悪いから水にしてっ!」


 タートとグレイスの強大な魔法で蝗を焼き尽くそうとするのをシルヴィアが止めた。

 風陣結界は空気に薄い膜を張ることで外敵の侵入に阻む魔法だ。炎と煙は防げても、熱と臭いは風に乗ってこちらに来る。

 その間にもドーム状に展開された風陣結界にぶつかった蝗がぼこぼこと弾かれていた。至近距離ではなおさら危険だろう。


「風向き? そうか、熱が……」


 タートがハッとして、唇を噛んだ。


「シルヴィア様、水をどうすれば?」

「えっと、水の中に、閉じ込めるの!」


 水責めによる窒息死である。

 えげつないやり方だがこの場合は致し方ない。タートとグレイスは印を結んだ。


「清らなる流れ 怒りを溜めこみし力よ」


 いつもの水魔法と違う。ローブの隙間から見ると、タートとグレイスの作る印の前に浮かんだ紋章も、いつもより大きく複雑だった。


は奔流となり 濁流となり 穢れを払う波とならん」


 どうっと水音がして、結界の上に水が渦を巻いた。

 紋章がひときわ輝いた。


嵐瀑布ニンブスラクタ!!」


 二人が同時に詠唱を終えた。

 瞬間、水の渦が滝のように蝗に激突する。


 シルヴィアはとっさに目を閉じた。


 空気が振動した。悲鳴が聞こえないのが幸いだった。ほとんどの蝗は波にぶつかった衝撃で絶命している。そうでないものも流れに飲み込まれて死んでいった。


「このまま押し流す!」

「はいっ!」


 轟音に負けない声でタートがグレイスに指示した。

 ここまで大きな魔法を見るのははじめてのシルヴィアは、鬼気迫る表情のタートとグレイスに唇を噛む。


 もしも魔法が使えたら、二人と一緒に戦えたのに。


 無力を噛みしめるシルヴィアの目に涙が浮かんだ。


 これほど大きな魔法を使い続けられるのは、魔力量の多いタートとグレイスだからだ。それでも慣れない大魔法の構築に眉根を寄せている。

 ぽつ、ぽつ、と結界に風で飛ばされた水滴の当たる音がした。


「シルヴィア様、退きましょう」


 騎士のゴードンがやってきた。彼はシルヴィアの知り合いということで護衛の一人に選ばれたのだ。


「ゴードン、退くって?」

「シルヴィア様が退けば火の魔法が使えます。魔導士数人に結界を張ってもらい、ひとまず宮殿に向かいましょう」


 はっきり邪魔だと言われたシルヴィアは、タートとグレイスを見て、うなずいた。


「タート、グレイス! わたくしは退きます。思いっきりやっちゃって!!」


 タートはうなずいただけだったが、グレイスは振り返った。


「シルヴィア様、ご無事で!」


 返事を待たず、ゴードンがシルヴィアを抱えて馬に乗った。


「火魔法が使える者は残れ。魔導士は前後左右について、魔法の余波がシルヴィア様に当たらないよう頼みます」


 火魔法は遠征や夜営に必須なのでほとんどの騎士が使える。ゴードンの部下三名と、念の為五名の魔導士がシルヴィアの守りに付いた。


「飛ばします、舌を噛まないように気をつけてくださいね」

「はいっ」


 はっ、と掛け声をかけてゴードンは馬を走らせた。揺れる視界の中、みるみる遠ざかるタートとグレイスにシルヴィアは目を凝らす。


 結界を出ると羽音と轟音がひときわ強くなった。

 タートのローブを頭からかぶる。外用のヴェールもあって、息が苦しくなった。


 息が苦しいのは、布で覆っているからだけではない。何もできずにこの場から逃げる罪悪感と、無力感に苛まれているからだ。


 魔導士が風魔法で蝗と煙、舞い上がる砂を防いでくれている。


「シルヴィア様、上だけは魔法で防げません。万が一蝗が降ってきても驚かないでくださいね」


 風陣結界と違う風魔法では上までかばうことができなかった。騎士団の馬は魔法に慣れていても、馬上の子供が暴れるのは慣れていない。馬は繊細な動物だ、ただでさえ耳障りな羽音と緊迫した空気に苛ついているのに、何かの拍子で暴走するのは避けたかった。


「わかった!」


 砂漠の開けた視界に見える宮殿は、出発した時と比べてずいぶん遠く感じる。


『シルヴィア、援軍が来たよ!』


 パパの声にシルヴィアは身を乗り出した。


「シルヴィア様?」

「助けに来てくれた。あれは……王様?」


 砂煙の集団が近づいてくる。気づいたゴードンが速度を緩めた。


「愛し子、無事であったか!」


 やはりアララギだった。ゴードンに抱えられているシルヴィアを見つけてほっとした顔になる。彼は魔導士団を引き連れていた。


「陛下」


 馬を降りようとしたゴードンに、そのままで良いとアララギが制した。いちいち礼にこだわっている場合ではない。


「蝗発生の報を受けて来たのだ。騎士殿はそのまま愛し子を宮殿へお連れせよ」


 どうやら視察団の魔導士が報告してくれたらしい。シルヴィアを護衛していた魔導士がアララギの魔導士に状況を伝えていた。


「正直、愛し子が留まっていたらどうしようかと思っていた。賢明な判断であったぞ」

「わたくしがあの場にいても、足手まといになるだけですから……」


 シルヴィアは悔しくてたまらなかった。

 大切な者たちに戦わせて、ただ守られているだけ。それを痛感したのだ。


「それがわかっていれば良い。早く宮殿へ、我が国のことは我らにお任せあれ」


 悔しそうなシルヴィアにアララギはやさしく言った。足手まといが足手まといの自覚を持っていることが、時としてなによりありがたいのだ。

 シルヴィアたちと距離をとったところで、アララギはまた馬を走らせていった。


 宮殿では予想より早い蝗の襲来に慌ただしい雰囲気だった。


「愛し子様っ!」


 シルヴィアを見つけて真っ先に駆け寄ってきたのはイルマである。よほど心配したのだろう、涙ぐんでいる。


「女官殿、シルヴィア様に水の用意をしてください。ずっと駆けてきたので休憩をとっていないのです」


 そう言うゴードンたちも疲労困憊だ。蝗から離れてもシルヴィアが宮殿に到着しなければタートたちは心配するだろう。水も飲まずに馬を走らせてきた。


 ゴードンはまず自分が降りてからシルヴィアを抱え、地面に下した。

 ずっと馬に揺られていたせいか、地面が久しぶりに感じる。足がふらついてしまった。

 それを疲労からだと思ったイルマは「今すぐ!」と叫んで身を翻した。


 ゴードンたちは手の中に水を出して馬に飲ませている。時々自分でも飲んでいるが、まさかシルヴィアにコップなしで飲ませるわけにはいかないのだ。


「ゴードン、みんな、お疲れ様でした。それと……守ってくれてありがとう」


 特に魔導士は魔法を使いながら馬に乗ったのだから、疲労はシルヴィアの比ではないだろう。礼を言ってぺこりと頭を下げるシルヴィアに、ゴードンたちはようやく一息ついた。


「いえ、シルヴィア様が素直に退いてくれて良かったですよ」

「お役に立ててなによりです」

「シルヴィア様にはこちらこそ守られていますからね」


 砂嵐や盗賊を予知したことらしい。それらは自分の身を守るためだったのだが、ゴードンたちは非常に助かっていた。

 一口に護衛といっても砂嵐はいつどこで遭うかわからず、巻き込まれた視界は効かず呼吸もままならない。食糧が吹き飛ばされたら餓死する未来が見える。

 盗賊に至っては言わずもがなだ。愛し子という護衛対象を守りながら戦うのは骨の折れる戦闘になる。被害がどれだけ出るのか予測がつかない。


「シルヴィア様は我々の守り神ですよ。ご恩を返すのは当然です」


 役立たずだと、無力さを噛みしめていたシルヴィアを思いやっての言葉だった。それでも、そう思ってくれたことが嬉しかった。

 ようやく笑みが戻ったシルヴィアに、ほのぼのとした空気が流れる。


「愛し子様、お水です」

「ありがとうございます」


 コップの中にはレモンが浮かべられていた。砂糖と塩も入っているのか、ほのかに甘く、爽やかな酸味にシルヴィアはひと息で飲み干してしまった。


「お疲れですのね。まずはお召し替えを。騎士のみなさまも、砂を落として宮殿で休まれてください」

「ありがとうございます」


 馬を厩舎に連れていくゴードンたちを見送って、シルヴィアは宮殿に入った。

 着替えて部屋で休んでいる間、シルヴィアは考えていた。


 自分に何ができるのか。

 どうすればみんなを守れるのか。

 足手まといにならないためには何をするべきか。


『そんなに悩まなくても……。人って意外としぶといし、わりと身勝手に生きてるよ?』


 人が真剣に考えているのに水を差すパパはスルーして。パパが言うと説得力なさそうであるからむかつくわ。


 自分に足りないものは何なのか、シルヴィアは考え続けた。


 夜になると蝗は寒さで動けず休眠するため、タートたちは夕方には切り上げて帰ってきた。


「タート! グレイス!」


 アララギと合流して蝗を討伐していたので大行列ができていた。喧騒を聞きつけて走ってきたシルヴィアは、タートを見つけるや抱きついた。


「シルヴィア様」

「無事で良かった……!」


 汚れています、と言う前に漏れたシルヴィアの呟きに、タートはそっと抱きしめ返した。


「はい。ただいま戻りました」


 それからシルヴィアは、先を越されてタートを睨んでいたグレイスを抱きしめる。


「グレイスも、おかえりなさい」

「シルヴィア様もご無事でなによりでした」


 やや顔色の悪いグレイスだが、魔力暴走も枯渇にもならずに済んでいた。

 ちょっと水を出したり微風で涼んだりと生活に魔法を活用するのは日常になっていたが、攻撃魔法を使うのははじめてだった。日常的に使えと研究所で指導されていなければ、体から魔力が抜けていく感覚に酔っていたかもしれない。


 グレイスが今日、最後まで耐えることができたのは、シルヴィアのことがあったからだ。

 自分たちを残して退くことへの罪悪感に圧し潰されそうな顔。あんな悲しい顔をさせてしまうために、魔力制御に励んだわけではない。自分にもっと力があれば、シルヴィアは安心して頼ってくれただろう。


 もっと、もっと頑張らなければ。


 震えながらしがみついてくるシルヴィアの背中を撫でながら、グレイスは決意した。


『みんな、お疲れー。よく頑張ったね!』


 もっと褒めていいのよ、パパ。


『まだ続くから、明日も頑張ってね』


 とんだブラックだわ、パパ!

 シルヴィアのパパへの評価は急上昇急降下と忙しい。


 疲れているだろうと食事もそこそこに、早めに休むことにした。


「……ねえ、グレイス」

「シルヴィア様?」


 同じベッドに潜り込んでしばらくして、シルヴィアが言った。


「私ね、今日すごく悔しかった。魔力がないってこんなに無力で悔しいんだって思い知ったわ」

「シルヴィア様、それは」

「愛し子だからっていうのはわかってるの。でも、だからって守られてばかりで当然だなんて、そんなはずないわ」


 グレイスがシルヴィアを見ると、彼女は睨むように天蓋を見ていた。


「私にできることは何なのか、グレイスとタートの助けになるにはどうしたらいいか考えて、私気づいたの」

「…………」

「私に魔力はない。だったら何をすればいいのか、正解を見つけられるように知識をつければいいんだわ」


 そこでシルヴィアがグレイスに顔を向けた。


「パパの神託はけっこういい加減だから、正解を見つけるのは私の役目。そこからもう一つ、どうすればいいのかも考える。これなら私にもできるわ、どう?」


 シルヴィアは笑っていた。

 言葉にするのは容易いが、それにはとてつもない努力と時間が必要になる。

 親友の強さに、グレイスも笑いだしていた。


「それならわたくしは、シルヴィア様の考えを実行するわ。魔法なら任せて、正解を証明してみせる」


 二人は見つめ合い、笑った。少女のひそやかな笑いが夜のしじまをくすぐる。


『ううっ、うちの子と親友がこんなにも尊い……っ』


 パパはお願い、自重ってものを覚えてください。




魔法の名前はさんざん悩んだ末ラテン語を弄りました。漢字表記すべきかさんざん悩んだ末、忘れがたき中二の血が騒ぎました。


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