愛し子は親友と空飛ぶ夢を見る
グレイス・バーネット伯爵令嬢は、すぐさま花離宮で保護された。
花離宮になったのはそこがすぐに休める場所だったからだ。グレイスは魔力暴走によるパニック状態に陥っていた。このままでは自他ともに危険だと判断したタートが彼女とシルヴィアを花離宮に運び込んだ。
「おねえさま……。グレイス、シルヴィアがついてるわ」
シルヴィアは蒼ざめて震え、歯の根が合わないグレイスに付き添って離れようとせず、遊びの時間はそこで終わった。
グレイスに何が起きたのか。彼女の状態を見て把握したタートはヴェルク神官長に報告し、茶会中のバーネット伯爵夫妻が別室に呼び出された。
「――以上のことからグレイス嬢は魔力を暴走させたと考えられます」
バーネット伯爵夫妻と茶会に参加していた王妃マリー、王宮から呼び出された宰相ウォルフガング、教会からはヴェルクとオデッサ、そして目撃者であるタートが集まって、聴取という名の査問会がはじまった。
事の次第を聞いたバーネット伯爵夫妻は真っ青になっている。
「真に申し訳ありません!!」
バーネット伯爵は着席していた椅子から立ち上がると、がばっと腰を折った。それを見た夫人も慌てて夫に倣う。
「グレイスにはわたくしどもも手を焼いておりまして……! どう処分してくださってもかまいません!」
母とは思えぬエレノアの言葉に、ヴェルクの眉が不愉快そうに寄せられた。
「……何か勘違いしているようだが、我々はグレイス嬢を責めているのではない」
「え……」
顔だけをあげたフィデリオは、厳しい目をしたヴェルクに再び頭を下げた。
「愛し子に怪我はなく、むしろ大喜びだったと聞く」
「はい。シルヴィア様はもう一回とねだられましたが、手印も詠唱もない、偶発的な暴走は狙ってできるものではありません。なによりあれ以上はグレイス嬢の身がもたないでしょう」
暴走とは、危険だからこそ暴走というのだ。シルヴィアが「飛べ」と命令したのがきっかけとはいえ、一つ間違えていたらシルヴィアとグレイス、二人の命が危なかった。ヴェルクに言われ、ますます深く頭を下げるフィデリオとエレノアの顔は、グレイスへの怒りで醜く歪んでいた。
「バーネット伯爵は西方魔導士団の第二団長だったな。あれほど強大な魔力を持つ娘を、なぜ正しく指導しなかったのかね?」
静かな声でヴェルクが問いかける。
そう、ヴェルクはグレイスに怒っているわけでも、責めるつもりもない。
五歳の幼女が完璧に魔法制御できるとは思っていなかった。しかもあの時のグレイスは悪意を持って虐められていたのだ。一方的に理不尽な目に遭わされて、落ち着けというほうが無茶である。
「そ、れは……。あの子はまだ、子供ですし……」
「グレイス嬢に水球を向けていたのは御長男のエリオット殿と次女のエメラルダ嬢でした。十歳のご長男はともかく、グレイス嬢の妹君であるエメラルダ嬢が水球を作れたのは、どう説明していただけますか」
「……」
フィデリオは子供だからで逃げようとしたが、タートは許さなかった。
子供たちから離れたところで神官たちと警護に当たっていたタートは、バーネット家の三人が妹であり姉であるはずのグレイスを虐めていたのを見ていたのだ。
シルヴィアの前で何ということをしてくれたという思いもあるが、見ていただけで止めてやれなかった、忸怩たる思いがある。
「シルヴィア様はおやさしいお方です。愛し子として、自らは正しく在らねばとご理解しておられます。その愛し子に、あのような悪意ある行動を見せつけるとは、バーネット家の質を疑わざるを得ないというほかありません」
「そんなっ」
悲鳴じみた声をあげたのはエレノアだった。
魔導士の家系の子が教会に目を付けられたらお先真っ暗である。取りすがるようにヴェルクとオデッサを見て、タートの言葉を否定しない二人に絶望したのか、何度も首を振った。それから夫にしがみつく。
「あなた……。あなたっ」
「……グレイスの魔力暴走はいつものことです。制御を教えようにも、私では」
「いつものことだから放置していた、と言うか。自分が無理ならばなぜ教会に助けを求めなかった。伯爵領にも幼等魔法学校はあるだろう」
「グレイスは、神官や教師には無理です」
魔導士の自分でも駄目だったのだ。どこの教会や学校にも無理だろう。そう判断したとフィデリオは言った。
「それを決めるのは君ではない。教会と学校が無理なら王都の魔法研究所に召喚することもできたのだぞ」
「そうです。研究所は国と教会で運営しています。伯爵のなさったことは国家に損失を与えかねない行為です」
ウォルフガングとオデッサが畳みかけた。王都の言葉にフィデリオがますます顔を歪ませる。
ウォルフガングにしてみれば、フィデリオのせいでわざわざこんな大規模な茶会をすることになったのだ。嫌味の一つも言いたくなる。
バーネット家がグレイスを隠すことなく育てていて、魔法の才能を開花させてくれていたら、普通にシルヴィアと出会うことができたのだ。魔力の大きな娘なら愛し子の守りに最適だ。歳も近い。シルヴィアは喜んで受け入れただろう。誰も傷つかずに済んだのだ。
「だんまりかね」
「……」
もしもを語っても仕方がないとはいえ、この期に及んで謝罪一つで、娘に責任を押し付けて終わらせようとする男の気持ちなど、ウォルフガングには理解できなかった。
せめて娘を守る姿勢を見せていたら、何かが変わっただろうに。
ウォルフガングがヴェルクに目配せした。一つうなずいたヴェルクは、重々しく口を開く。神官長の威厳がフィデリオを圧倒した。
「そも、今回の茶会は、名目こそ殿下と愛し子の茶会デビューとなっているが、愛し子の友人を捜せとの神託が降ったためだ」
神託。
この世界において神託を知らぬ者はなく、逆らおうものなら天罰を受けるパワーワードだ。
フィデリオとエレノアの顔色が青を通り越して白くなる。
「主たる神は、こうおっしゃった」
――西方の伯爵領に囚われている愛し子の友人を助けよ。
実際の言葉をずいぶん脚色してあるが、意味としてはまあ間違いではない。
つまり、せっかく神が愛し子のためにツバつけといたグレイスを、よりによって彼女の両親が隠してしまった。悪いけど見つけ出しといて、というわけだ。
はじめから名指ししてくれよと思うだろうが、神は人間に対し、常に思考と行動を求める。ようするに「後は任せた」という、大雑把かつ投げやりな神託を様式美に変換して伝えるのが教会だった。
まさか自分たちが疎んじ、厄介者扱いしていたグレイスが、神に選ばれていたとは。それではバーネット家は神に逆らった家になってしまう。
「エレノア!」
事実を受け止めることを拒否したエレノアが気を失った。倒れそうになった妻の体をフィデリオが支える。さすがにフィデリオまで気絶することはできなかった。
さっと動いたタートがエレノアに回復魔法をかけ、現実に引き戻した。
「あ……」
「お二人とも、このままでは何ですからご着席ください」
逃げられると思うなよ。タートの琥珀色の瞳に残酷な怒りが燃えていた。
冷え切った空気の中、タートがエレノアに椅子を引いて促す。震えながらエレノアは従った。
「では、沙汰を言い渡す」
無知とは罪なのだ。とはいえ魔力の大きな子、しかも保護すべき女児を虐げればどうなるか、知らなかったとは言わせない。
ウォルフガングはゆっくりと口を開いた。
***
大人たちがバーネット伯爵夫妻にやつあたりしている頃、シルヴィアは蒼ざめて震えるグレイスを必死で慰めていた。
「おねえさま、シルヴィアがついてるわ。もう、こわいのはいないわ」
魔法を発動させる際に印を結び詠唱や陣を組むのは、魔力の方向性を明確にするためだ。自分の中でイメージを固定し、魔力を練り上げて実行する。これが魔法である。
このイメージ固定の補助が詠唱であり、印なのだ。魔法陣は魔法を物質に定着させたり、効果が広範囲で消費魔力が大きい時、あるいは複数の魔導士が一つの魔法を発動させるために用いられることが多い。
だからこそ、魔法には精神力が必要なのだ。
『うーん、典型的な魔力暴走の反動だね。シルヴィア、グレイスちゃんをぎゅっとしてあげてね』
アドバイスありがとう、パパ! たまには役に立つのね!
シルヴィアはグレイスを抱きしめ、ひたすら「だいじょうぶ」「もうこわくない」と言い続けた。
タートはグレイスの両親に話を聞きに行ってしまったし、アリアはお茶の用意をすると慌てたように出ていった。広い子供部屋にはシルヴィアとグレイスしかいない。
ソファに座らせようにもグレイスがうずくまっているため、それもできなかった。
どんどん冷えていくグレイスの体を抱きしめ、懸命に言い聞かせていたシルヴィアの耳に、ささやかなノックの音が聞こえた。
「どうぞ」
「……失礼します。シルヴィア様、グレイス様のお具合は……」
「アリア」
事情を知っていそうなナースメイドの登場に、シルヴィアはホッとして涙ぐんだ。
「おねえさま、ずっとふるえてて、どんどんつめたくなってるの……」
シルヴィアは、後悔していた。
いじめっこをやっつけるつもりで「飛べ」と命令してしまったが、それがこんなことになるとは思わなかったのだ。
興奮の波が過ぎ、グレイスの苦しむ姿を見て、ようやく自分がとんでもないことをしてしまったのだと自覚した。後悔と罪悪感でいっぱいだ。
「アリア。おねえさま……、し、しんじゃう、の?」
ぽろっと黒い瞳から涙が零れ落ちる。アリアは慌てて首を振った。
「そんなことにはなりません。これは魔力が暴走した、反動がきているだけですわ」
「まりょくの、ぼうそう……?」
そういえばパパもそんなことを言っていた。
「ええ。魔力のあるものなら一度は経験するものです」
愛し子であるシルヴィアが知らないのも無理のないことだ。
「とにかく今は気を落ち着かせることです。グレイス様、お飲みになれますか?」
アリアが用意していたお茶に蜂蜜をたっぷりと入れてかき混ぜ、グレイスの鼻先に持っていった。香りに気づいたグレイスが顔をあげる。
白い肌はすっかり蒼ざめ、目は血走り、涙に濡れた頬の赤さが余計に痛々しい。歯の根が合わない口元は涙だけではないもので濡れていた。
「ゆっくりとお飲みになってください」
アリアが慈母のように微笑んだ。
グレイスの目がアリアとカップを行き来し、それから首を伸ばして唇をカップにつけた。
心得たアリアは笑みを深くし、そっとカップを傾けていく。喉を鳴らして飲むグレイスは雛鳥のようだった。
魔力暴走は魔法の発動とは違い、ただ魔力を感情まかせに爆発させるだけだ。何が起きるのかは本人にもわからず、だからこそパニック状態に陥ってしまう。それこそわけもわからずに泣き喚く、赤子と同じように。
アリアがグレイスに用意したのはミルクティーだった。すぐ飲めるようにやや温めにし、蜂蜜とハーブを加えてある。心と体を温める作用を持つ、魔力暴走定番の飲み物だ。
飲み終えたグレイスは大きく息を吐きだすと、瞼を閉じた。傾いた体をシルヴィアが支える。グレイスは一度目を開け、その青い瞳でシルヴィアを見つめると安心したように唇を綻ばせ、また目を閉じた。
やがて規則正しい呼吸音が聞こえてきた。
アリアがそっと息を吐き、物音を立てないように静かにカップをテーブルに戻した。
「シルヴィア様、グレイス様と横になって頂けますか」
子供部屋にあったクッションをアリアが二人の後ろに集めた。
「こう?」
ぽすん、とシルヴィアがグレイスを抱えたまま背中を倒した。
「はい。そのまましばらくお昼寝なさいませ」
「ゆかだよ?」
「ベッドに移動したらグレイス様が目を覚ましてしまいます。今だけはシルヴィア様が、お姉様になってさしあげてください」
「シルヴィア、おねえさまのおねえさま?」
「そうですわ。守ってあげてくださいね」
「うんっ」
シルヴィアが元気よく返事をすると、グレイスがぴくっと身じろぎした。アリアと揃って唇に指を当てる。
「グレイス、おねえさまですよー」
ぽん、ぽん、とお腹を叩きながら眠気を促すうちに、グレイスの顔に色が戻ってきた。
『尊い……』
パパ……。もしかしてこれが見たくてぎゅっとしてとか言った?
「……魔力が暴走すると、とても不安で、怖くなります。まずは落ち着かせて、安心させてあげるのが一番なのですわ」
グレイスが起きないよう、アリアは言葉を選んで説明した。
「そうなの?」
「はい」
アリアはグレイスに目を移した。自分より幼いシルヴィアに寄り添い、体を丸めて眠る少女はここにしか安全な場所はないと信じているようだ。
憐れみと怒りが込み上げ、つい目つきが鋭くなった。アリアにシルヴィアが首をかしげる。
「……アリア?」
「いえ……。そういうわけですので、シルヴィア様はグレイス様が目を覚ますまでついていてあげてください」
「うん、わかった」
アリアは自分が邪魔にならないようにと、来た時と同じように静かに部屋を出ていった。
『本来なら魔力暴走の反動って、母親を求めるものなんだけどね。アリアがきちんと報告するだろうけど、グレイスちゃんは思ったより大変だったみたいだな』
どういうこと? パパ。
シルヴィアはうとうとしながら考える。
庭には子供たちだけで、保護者は城内にいた。だから母親を呼ぶことができなかったのだろうか。いや、あの時のグレイスは、うずくまるだけで誰かを呼ぶことすらしていなかったはずだ。母親を呼んでいたのなら、グレイスの侍女か、神官の誰かがすぐに連れて来てくれただろう。
「グレ……スー」
安心させてくれる人がどこにもいないから、助けを求めなかったの?
もしもそうなら、なんて悲しいのだろう。シルヴィアはグレイスをぎゅっと抱きしめて、微睡に身を任せた。
***
グレイスの様子はアリアからタートに伝えられ、タートからヴェルクに伝えられた。そしてヴェルクがウォルフガングに、ウォルフガングから国王へと報告された。
バーネット家への沙汰は下されたが、グレイスをどうするか決める会議に集まった面々は、ぱしん、と音を立てて扇を閉じたマリーに肩を竦ませる。
「……なんと由々しきこと。何を置いても守るべき我が子を、その親が虐待していたとは」
カインが不思議そうに母を見た。彼がここにいるのはマリーの意向である。
マリーの言葉からはたしかに怒りが伝わってくるが、声には愉悦が混じっているような気がしたのだ。
「それで、バーネット伯爵を王宮魔導士に召集すると?」
話を逸らすつもりか、シャルルが決定事項を読み上げた。
「はい。グレイス嬢のみ王宮召し抱えにするにはさすがに酷というもの。そこでバーネット家を王都に呼び寄せることにいたします」
いけしゃあしゃあとウォルフガングが答えた。
「バーネット伯爵は前々から王宮魔導士になりたがっていたと聞いておりますし、念願が叶うとなれば否やはないでしょう」
よく言う。
シャルルはウォルフガングとヴェルクのえげつなさに背筋を寒くした。
グレイス・バーネット伯爵令嬢が愛し子の友人になったと、今頃は目撃していた子供たちからその親に伝えられているだろう。
兄二人と妹がよってたかってグレイスを虐めていたことも。シルヴィアが敢然と立ち向かっていったことも。グレイスの魔力暴走にシルヴィアが大喜びしていたことも。反動で倒れたグレイスに、シルヴィアが守ってあげると言っていたことも。全部だ。
グレイスが領地から王宮に、行儀見習いとして召し上げられるのは当然の流れだ。シルヴィアの友人として近くにいるのなら王宮が一番適している。貴族の子供が行儀見習いで王宮仕えにあがるのもよくあることだ。
だが、その後に父親が王宮魔導士として王都に来たらどう思われるか。まず良い印象は抱かれない。娘を差し出して王宮魔導士の地位を買ったと言われるのは良いほうで、嫉妬して虐待した娘の力で王宮魔導士になったのだと嘲笑われたら針の筵だ。優秀な魔導士の卵を潰そうとしたと陰で囁かれる。
そして、間違いなくそうなるのだろう。
なんといっても王妃がそれを望んでいるのだから。
「よもや伯爵本人が娘を虐待していたとは嘆かわしいこと。それではグレイスの安全は確保されませんわね。王宮に部屋を用意しましょう」
マリーが勝ち誇って言った。
家族と引き離すのは酷だと言いつつ、グレイスだけを王宮に住まわせる。バーネット家の確執を利用して、グレイスを自分に依存させるつもりなのだ。
「ううむ……」
「ねえ? 陛下」
渋い顔をする国王に、王妃がとどめを刺してきた。ウォルフガングとヴェルクも賛成しかねる表情だが、虐待の事実がある以上迂闊なことは言い出せない。
どこまでもカインのために行動するマリーに、シャルルも反対しにくかった。
そこに、
「失礼いたします」
タートがグレイスとシルヴィアを連れて入ってきた。
「おうひさまっ。グレイスのおはなし、きいてっ?」
鋭い目でタートを睨んだマリーに、シルヴィアが懇願した。
「シルヴィア、あなたは酷いことをする家族と一緒にいたいと思うの?」
そんな目にあったことのない小娘が余計なことを言うな。子供にやさしく語りかけるマリーには、だが有無をいわさない迫力があった。
生まれてこのかた守られてきたシルヴィアは、ぐっと息を飲む。
『よく言うよ、姑根性丸出しのくせに』
今は笑わせるの無しでお願い。シルヴィアが頬の内側を噛んだのを見たマリーが、勝ったとばかりの笑みを浮かべた。
「おうひさまは、シルヴィアをおそとにだしてくれないちょうほんにんだけど、きらいではありませんっ。それより、おはなしできないほうが、かなしいもんっ」
マリーが目を瞠った。シルヴィアを外に出さない決定をしたのはたしかにマリーだが、なぜそれをシルヴィアが知っているのか。
カインがそっと顔を背けた。外に出たがるシルヴィアを納得させるために、大まかな事情を知っているカインが説明してしまったのだ。だが、母の怒りをひしひしと感じている彼は口を噤んだ。
「王妃様」
グレイスが前に出て、マリーに淑女の礼をした。
「わたくしは家族に疎まれておりますが、それでも家族を愛しております。どうか更生の機会を与えてくださいませ」
「グレイス、あんな家族に?」
家族を「あんな」呼ばわりされたグレイスが、悲しそうな顔になる。
「わたくしにも、至らぬところがありました。ただ耐えるのではなく、父に魔力制御を教わるべきだったのですわ」
マリーはグレイスに違和感を覚えた。
魔力暴走を起こすほど精神的に不安定な子供が、王妃を前にここまですらすらと言葉が出てくるはずがない。グレイスに入れ知恵した者がいる。
目を動かせば、突然の闖入者にヴェルクだけが驚いていない。
タートだ。
教会が、グレイスを王家に取り込まれることを懼れてタートを仕向けたのだ。
「……っ」
「母上。私からもお願いします」
タートを罵倒しようとしたマリーを、カインが引き留めた。
「カイン……」
マリーはカインを見る。愛しい息子の前で醜態を晒せるほど愚かではないマリーは、困ったように彼を見た。
「グレイス嬢は行儀見習いより、魔法を覚えるのが先でしょう。魔道研究所に推薦状を書きます」
ヴェルク神官長がもっともなことを言った。
本人の意見を無視して、最高権力者の一人が偏った善意の押し付け。王妃が何を考えているのかシルヴィアには理解できなかった。
『いやー、女って怖いねえ。手当たり次第に行き遅れのやつあたり。シルヴィアはああなっちゃダメだよ』
そこに落ちてくるパパのとんでも爆弾。シルヴィアにしか聞こえないパパの声はいつもスルーしていたが、これにはぎょっとした。
「シルヴィア様? どうしましたか?」
ぎょっとしたままマリーを凝視してしまったからか、タートが目敏く訊いてきた。
「もしや神託が? グレイス嬢を守るために」
「えっ、えっと、そのぉ……」
神託といえば神託だが、正直非常に言いにくい。シルヴィアはごまかそうとしたが、全員の注目を集めたうえグレイスの今後がかかっている以上、言うしかなかった。
「シルヴィア様、主はなんと?」
グレイスが感激に満ちみちた瞳をシルヴィアに向けた。
「あ、あの……」
ちらっちらっとマリーを見る。王妃に対し、神が何を告げたのか。覚悟を決めたマリーはやや蒼ざめつつ、うなずいた。
「シルヴィア、主はわたくしに何とおっしゃったの?」
マリーは王妃だ。
神が愛し子のために選んだ娘を勝手にしようとしたことを咎めるのなら、大人しく罰を受ける覚悟がある。
「その……」
全員が、固唾を飲んで神託を待った。
しかしパパの神託は、彼らの予想を遥かに超えた斜め上をステップ踏んで駆け抜けていった。
「いきおくれ? のやつあたりだって。パパいってた」
空気が凍った。
一足早く我に返ったマリーが「なんっ? そっ、行き、行き遅れっ!? あれはっ」と誰に対してかわからない言い訳をはじめ、夫のシャルルは「待たせて済まなかった!!」と綺麗な謝罪を決め、ウォルフガングは「それには事情がっ」と説明しようとして舌を噛み、ヴェルクは深いふかいため息を吐いて天を仰いだ。
「気にしてたんだ……」
タートにいたっては敬語も忘れてぽろりだ。混乱していたわりに聞き逃さなかったマリーが鬼の形相で振り返った。
「誰のせいだと思ってるのよおおぉぉぉ!!」
全力で吼えるマリーに誰もが成すすべなく頭を抱えた。
『そ、そういうことは本人に言っちゃダメだってば』
いや、パパのせいだからねっ!?
猛獣と化した王妃から間一髪で逃げたタートがシルヴィアとグレイスを両脇に抱えてダッシュした。走りながら、真面目な話をぶち壊した原因を叱りつける。
「シルヴィア様! 言って良いことと悪いことがあるって教えましたよねっ!?」
「おうひさまがいえっていったんだもん!」
「空気! 読んで!」
ほんとそれな。
ガッチャン! と何かが壊れる音とマリーの奇声を背に、シルヴィアたちは王宮を後にしたのだった。
***
花離宮に辿り着き、シルヴィアはグレイスに頭を下げた。
「ごめんなさい、グレイス……」
「シルヴィア様? どうして謝るのですか?」
「シルヴィアと、おともだち、なっても……。けっきょくとじこめられちゃう」
全力疾走にがっくりと膝をつき、息を整えていたタートがハッとした。
「シルヴィア様……」
望むことは叶えるといいながら、結局王家の都合で何もかも決められている。タートや教会が黙っていても、シルヴィアは気づいていたのだ。
シルヴィアの言葉に思うところがあったのか、グレイスはそっと目を伏せた。
「わたくし……。わたくし、あの時、気づいたのですわ。逃げ出せば良かったんだって」
空を飛んだ時のことだ。兄のエリオットもブラントンも、妹のエメラルダも、本当はちっぽけな人間だったのだと気がついた。
グレイスに対して暴君のように振る舞っていた兄と妹だった。それがグレイスへの虐めが露見するや子供たちから批難され、泣きだしそうになっていた。さんざん馬鹿にしていたグレイスが愛し子に気に入られたことに悔しそうに睨んできた。
「シルヴィア様が言ってくださったからですわ。飛べ、と言われた瞬間、わたくしは飛べると思ったのです」
空を見上げたグレイスは、晴れ晴れとした顔で両手を広げ、大きく息を吸い込んだ。
「もしまた閉じ込められたとしても、飛んで逃げればいいだけです。シルヴィア様、わたくしと飛んでくださる?」
「ほんとう? いいの?」
「ええ。わたくしグレイス・バーネットはシルヴィア様がお呼びとあれば飛んでいきますわ!」
シルヴィアは黒髪をなびかせて銀髪の少女に抱き付いた。夜空に浮かぶ銀河のようだとタートは思った。
『シルヴィア、グレイスちゃん、おめでとう! グレイスちゃん、シルヴィアをお願いね。仲良くしてあげてね』
ありがとう、パパ。なにやら良い話でなかったことにしようとしてるけど、王妃に嫌われたらパパのせいだからね。
「グレイス、だいすき! シルヴィアがんばる。ずっと、おともだちでいてね?」
「もちろんですわ、わたくしの愛し子。ずっとおそばに」
少女たちは小指を絡ませ、友情を誓った。
大変百合百合しい二人。美少女同士のうつくしい友情ですね!
次回、タートくんの過去が明かされます!
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