グレイス・バーネット伯爵令嬢
ようやくグレイス登場です!
10:グレイス・バーネット伯爵令嬢
グレイス・バーネットはエルメトリアの西方に位置するバーネット伯爵家の長女である。
父のフィデリオは魔導士として国に仕え、同じく伯爵令嬢であり魔力の大きかった母エレノアと結婚した。
長男のエリオットと次男のブラントン、末っ子で次女のエメラルダがグレイスの兄弟である。
魔力の大きな子供を期待しての、政略結婚。とはいえフィデリオとエレノアの仲は良く、側室などいない、貴族にしては円満な家庭だった。
――グレイスを除いて。
魔力の大きな子供、特に赤子となると育てるのは非常に難しいのだ。なにしろ赤子では意思疎通ができない。おっぱいで泣きおむつで泣き何もしなくても泣き喚く赤子に、感情を抑えろといっても無理なのは明らかである。そして起こるのは、魔力の暴走だ。
一度泣けば窓が割れ、花瓶は空を飛び、箪笥は抽斗全開で倒れる。
大惨事である。
実をいうと子供の死亡原因の何割かはこの魔力暴走により倒れた家具の下敷きになった、というものであった。いかに魔法が使えても、回復させる前に死んでしまってはどうにもならない。
ゆえに貴族は子供部屋に魔法弱体の魔法陣を組みこみ、被害を最小限に抑えていた。乳母やナースメイドも防御魔法と回復が使えることが採用基準になっている。
ところがグレイスにはそれらの対策が無意味であった。彼女の魔力の大きさに魔法陣は破壊され、バーネット家の子供部屋にはぽっかりと穴が開いた。
フィデリオはずいぶん風通しのよくなった子供部屋で一人泣くグレイスと、壁に叩きつけられて気絶している乳母に呆然と立ち尽くした。
王宮魔導士団には入れなかったが、西方魔導士団、第二団長の地位にあるフィデリオは、再建された子供部屋に弱体ではなく封印の魔法陣を組み込んだ。
この時、彼はたしかに喜んでいた。魔力の大きな娘ならどこの娘でも正室にと望まれるだろう。王都への足掛かりになるかもしれない、と。
フィデリオには自信があった。今でこそ王都に行くこともない地方の伯爵家だが、自分の魔法は王宮魔導士に劣ることはない。コネと伝手さえあればきっと王宮に召し抱えてもらえるはずだ。
そのフィデリオの自信は、グレイスが再度壁に穴を開けたことで砕けた。
そんな馬鹿なと再建する度に強力な魔法陣を組み、重ねがけまでしてもグレイスの魔力暴走は止まらなかった。皮肉なことに、封じられるたびにグレイスの魔力は上がり、一ヶ月の測定時にはまだまだ増えると太鼓判を押される始末だった。
同時にフィデリオの魔法の精度も上がっていったのだが、彼のプライドは壁と同じく粉々に砕け散った。
グレイスが男であったなら家を継がせ、王宮魔導士の夢を託すことができただろう。さすが我が子よと自慢して回ったに違いない。
だがエルメトリアにおいて、女は保護の対象なのだ。いくら魔力が大きくても、その魔力を受け継ぐ子を産むことくらいしか期待されることはない。宝の持ち腐れである。
いや、活躍することはできる。
いざという時の王家の盾だ。王妃や王女の身代わりとなり、戦って、死ぬ。
フィデリオには自信があったのだ。自分の魔法ならいつかきっと王の目に留まるはずだと、努力を怠らなかった。功名心と誇りにかけて、王都に行くことを夢見ていた。
しかし彼の自信は天賦の才を前に負けたのだ。他でもない、自分の娘によって。
グレイスは父に遠ざけられ、やがて家族からも疎外されるようになる。彼女は魔法ではなく我慢だけを教えられて育った少女だった。
***
いよいよ待ちに待った西方貴族とのお茶会当日。シルヴィアは張り切っていた。
シルヴィア的には失敗だった王都の貴族とのお茶会後、シンシアとジルベルに甘え倒した結果、家族の絆はより一層強くなった。
二人とも、公爵家というプレッシャーに負けて、大事な娘を疎かにしていたと気づいたのだ。
もちろん鬼教師アルテミジアから逃れることはできない。たが、立ち向かうことはできた。
たとえ子供が投げた小石程度の抵抗であっても。シンシアとジルベルには誇りがあった。
根っからの平民根性と言ってくれてけっこう。平民には平民なりの誇りがあるのだ。民草をなめるな、そんな反骨精神である。
お茶会は花離宮で行い、親たちは城で歓待させてもらう。子供たちは庭で遊んでもらおうと提案した。一歩も引かなかった。
「それぞれ侍女や侍従を連れてきているのですし、王宮の衛兵も警護についています。なにより親の目の届く場所では満足に遊べますまい」
断固反対するマリーやウォルフガングに、ジルベルはしれっと言い放った。
ここで重要なのは「親の目の届かない場所」を主張したことだ。
そもそもこのお茶会の名目こそカインとシルヴィアのお茶会デビューだが、囚われの姫君を見つけ出すことである。
彼女こそ神が選んだ愛し子の友人候補なのだ。親の監視の中では自由に行動できず、また彼女も助けを求めることもできないだろう。
本来の目的を忘れてもらっちゃ困る。ジルベルはそう言っていた。
これにはウォルフガングも納得せざるをえなかった。これほど大掛かりに令息と令嬢を集めておいて、見つかりませんでした、ではすまないのだ。
ただでさえ貴族令嬢が愛し子に差別と偏見を吹き込もうとしていた、今さらタートを罪人扱いするとはどういうつもりかと教会から苦情がきている。ここで姫を見逃したとあっては、教会は公然と国を批難してくるだろう。
「しかしですな。遊ぶといっても貴族の子は室内で遊ぶものですぞ」
マリーにせっつかれたウォルフガングが反論した。
マリーとしては、自分の気に入った令嬢でシルヴィアを囲い込みたいのだ。
神託の娘は友人の一人に加えてやってもいいが、カインとシルヴィアの恋を応援するように教育するつもりだった。今はまだ恋の芽すら出ていないが、まかり間違っても自分こそカインの妃に、なんて勘違いを起こさないよう今から道筋を描いておきたいのだ。
なによりも大切なカインのため。執念を燃やすマリーに、待ってましたとばかりにジルベルが満面の笑みを浮かべ、胸を叩いた。
「それなら大丈夫です。カイン殿下とシルヴィアに、みっちり仕込んでおきました」
ここ最近、カインはやけに熱心に花離宮に通っていた。熱を出したシルヴィアが心配なのだろう、病弱な少女と彼女を励ます少年の初恋、なんて夢見ていたマリーはただ単に遊んでいたという事実に持っていた扇を握りしめた。
ジルベル仕込みの下町遊びなんて、子供が夢中になるに決まっている。
期待外れの現実に、王妃の握りしめた扇が軋む音がした。
***
「よぉし! じゃあ説明するぞ!」
意気揚々とカインが声を張り上げた。初回以来側近として付き従うようになった、ルカ、ディアラン、マルセルが彼の左右で斜めに立っている。
ちなみにこの並び、ジルベルが教えたことの一つである。もちろん手は腰だ。
「うむ。やはり大将とは前に出るべきですぞ」
大将のまえに「ガキ」がついていたのは、シルヴィアのみが知る事実だ。
カインは大将の言葉に素直に喜んでいた。そこはまだまだお子様である。
「まず、水の魔法で水球を出す」
マルセルが手を伸ばして印を結び、詠唱に入った。
「恵みを与えしもの 清らかなる流れよ。我が手に留まり その麗しき姿を現せ」
マルセルの掌に、子供の拳ほどの大きさの水球が現れた。流れ落ちることもなく、ぷるんと乗っている。
わぁっと子供たちから歓声があがった。
あらかじめ外遊びできるような服装で、と招待状に書いてあったにもかかわらず、いずれも着飾っている。ドレスを汚すことに嫌悪を示していた令嬢たちも、水を出すだけではなく掌に乗せたマルセルの技量に目を奪われていた。注目を浴びたマルセルはちょっと照れくさそうだ。
「次に、風の魔法で水球を浮かせる」
今度はカインがマルセルに向かって手を伸ばした。迷いなく印を結んでいく。
「風よ 汝がやさしさを我に。このものを取り巻いて 大いなる空へと舞い上げよ」
カインの手を中心に渦を巻いた風が、マルセルの持つ水球に向かう。ふわっと水球が空に浮かんだ。
風の抵抗を受けた水球がぷよぷよと形を変えながら子供たちの頭上を泳いだ。
「シルヴィア!」
「はーいっ」
カインの合図にシルヴィアがぴょんと飛び上がって水球を捕まえた。とたん、ぱちんと弾け、虹になって消えていった。
がっかりした声が治まるのを待って、カインが締めくくった。
「水魔法で作った水球を風魔法で飛ばし、それを捕まえるゲームだ。水球は潰れても風に飛ばされるから濡れることはないし、ぶつかっても痛くないぞ」
パンパン、と手を叩いたディアランが全員の注目を集めた。
「水魔法と風魔法を使える者は水球チームだ。捕まえられたら負けになる」
「魔法が苦手な者や走りが得意な者は捕まえるチームに入ってください。力を合わせて頑張りましょう」
マルセルが手際よく子供たちをチーム分けしていった。魔法は使えるが捕まえるほうが楽しそうだと、捕まえるチームには男の子が多い。もちろんシルヴィアは捕まえるチームだ。
「殿下と我らは審判をやる。準備はいいか?」
ルカが子供たちを見回した。はじめての遊びに、子供たちは不安そうな、それでいて期待を隠しきれない様子である。
カインはちらりとタートを見た。
万が一にもシルヴィアが怪我をしないように、この遊びをする時はタートがフォローについている。今日は人数が多いため、教会から神官が派遣されていた。
「では、はじめる。よーい……」
水球チームが魔法で次々と水球を作り出し、風で浮かび上がらせていく。
一番ワクワクしていたシルヴィアは、うかない顔で佇んでいる少女を見つけた。
カインの「ドン!」という合図と同時にディアランが手を打った。
捕まえるチームが水球を追うが、どうやら水球を維持するのも飛ばすのもそれなりにコツがいるらしく、あっという間に追いつかれて消されていった。
この『水球追い』は下町では有名な遊びだ。
地区ごとの交流会で子供たちが集まると、それをダシにしていい歳した大人まで参加しての開催になる。もちろん大人たちは全員が本気、まったく大人げなく競いあうのだ。
水球を生み出すのは生活に欠かせない基本的な魔法だし、雨が続けば洗濯物を乾かすのに風の魔法を使う。ありふれた魔法で大勢が遊べるとあって、地域によっては本格的な大会が開催されるほど人気の競技だ。
「まてーっ」
慣れてくるとコツが掴めたらしく、水球はあっちへふらふらこっちへふらふらと、シルヴィアを嘲笑うように飛び交っていた。シルヴィアも懸命に追いかけるがそこは三歳児の脚力、年上の子たちに先に捕まえられてしまう。
「シルヴィア、頑張れ!」
『シルヴィア、頑張って!』
カインとパパの応援が重なった。
振り返って手を振ろうとしたシルヴィアは、気づいた。
先程の、浮かない顔をしていた少女に、正確には少女の頭上に水球が集中している。
当然、捕まえるチームはそこに向かった。
危ない、とシルヴィアが叫ぼうとした。すかさず神官たちの張った防御魔法で少女は事なきを得たが、全力疾走の子供が複数人、自分に向かってくるのは怖いだろう。それくらいはシルヴィアにも想像がついた。
少女は怯えながら、それでも水球をなんとかしようと腕を振り回す。ゆらゆらと揺れる水球は、彼女の腕から逃げていった。
「おねえさまっ」
シルヴィアは一目散に駆け出すと、少女の手を取った。微かに震える指先は気の毒なほど冷え切っている。
「あ、あのっ?」
父が教えてくれた遊びを利用していじめをするなんて、シルヴィアに許せるものではなかった。しかも自分の手は汚さず、他の子を誘導するという陰湿さである。少女が怪我をしても不可抗力ですんでしまう。
シルヴィアの怒りに火がついた。
愛し子が隣にいてはまずいと思ったのか、水球が高く遠く逃げていく。
「おねえさま、とんでっ」
「えっ?」
シルヴィアは水球をビシッと指さした。
「あんなやりかた、ゆるせないっ。たたきつぶしてやるのっ」
とても愛し子とは思えないセリフに少女は目を白黒させるばかりだ。
戸惑うだけで飛ぼうとしない少女に、シルヴィアがとうとう癇癪を起こした。
「もーっ! やられっぱなしでくやしくないのっ!? とべーっ!!」
「!!」
シルヴィアの叫びに驚いたのか、二人の周囲を風が渦巻いた。
体が浮かび上がる感覚に、シルヴィアは本能的に目を閉じる。ぐん、とスピードに乗った。
次に目を開けた時には、すでに空の上だった。
「えっ」
「あっ」
飛べと言った。たしかに言った。
だが、ここまで飛べとは言ってない。地上は遥か下、人がまるで豆粒ほどの大きさだ。
「きゃ――っ!!」
シルヴィアは叫んだ。恐怖ではなく、歓喜の叫びだ。
「ご、ごめんなさい!」
愛し子を危険に晒してしまったと蒼ざめる少女の手をしっかりと握った。
「おねえさま、すごいわっ」
「え……」
「すごい! わたしたち、そらをとんでるわ!!」
大喜びのシルヴィアに、トルマリンブルーの瞳を瞬かせた少女も釣られて笑った。銀色の髪が空を映して、青く光り輝いている。
『シ、シルヴィア、大喜びだね……?』
パパも娘の喜びように怒るに怒れなくなった。
ドレスが風ではためいて、二人の体が水平になる。これなら地上の人々に下着を見られることもないだろう。
「す、すごい……?」
「すごいわっ。そらをとぶの、はじめてっ」
そりゃそうである。
向かい合って手を取り、はしゃぐシルヴィアに、少女が恐る恐る訊ねた。
「こわく、ないの?」
「たのしいわっ!!」
シルヴィアが満面の笑みでそう叫ぶと、少女の目に涙が浮かんだ。
さっきから叫んでいるのは風の音がうるさいからだ。少女の涙が風に飛ばされて散っていった。
「シルヴィア様!!」
そこにタートがやってきた。飛翔の魔法を使い、走るように近づいてくる。
「タート、みてっ! おそらをとんでるのよっ!」
「見ればわかります!」
タートはシルヴィアと少女を捕まえると、地上に向けて降下を開始した。
「あ……」
少女がほっとしたように脱力した。それを見て、タートが眉を寄せる。逆にシルヴィアは不満そうだ。
地面に足が付き、タートが少女に向き合ったところで、
「おねえさまっ、もういっかい、もういっかいやってー!」
膝から崩れ落ちた少女にシルヴィアが抱き付いた。
叱りつけようと口を開きかけたタートの出鼻がぽきっと挫かれる。少女も覚悟していたようで萎縮してたところを抱き付かれ、目を丸くした。
「い、愛し子様、あの……」
「すごいのっ。おねえさま、しゅごいー! もういっかい!」
シルヴィア、大興奮である。
「いけません。シルヴィア様、またお熱が出ますよ」
「おねつ、いや……。でも、おそらとびたいのっ」
「ダメです」
熱の言葉にシルヴィアは涙目になったが、未練がましく少女を見つめた。
「愛し子様、わたくしが怖くないのですか?」
「シルヴィア!」
「?」
「シルヴィアはシルヴィアっていうのよ。おねえさまのおなまえは?」
人の話を聞かないほど興奮しているシルヴィアに、少女が困ったようにタートを窺った。
非常に仕方がなさそうにタートがうなずく。
「……グレイス・バーネットと申します、シルヴィア様」
「グレイス!」
ぱっと笑ったシルヴィアがグレイスの頬に頬を擦りつけた。
「シルヴィア、グレイス、しゅき! シルヴィアがまもってあげる!」
そう宣言した。
グレイスはしばらく目をうろつかせていたが、やがて安心したように、シルヴィアのちいさな肩に顔を埋めた。
父親のプライドは壁と共に砕け散りました。父に遠ざけられ、母にも嫌われていては兄弟も追従しますよね……。グレイスちゃんの反撃はここからだ!
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