愛し子、誕生
「愛し子はパパの愛が重すぎる」の改訂版です。以前のよりシリアス、恋愛成分多めに書いていきます。
愛し子は、その名の通り神に愛された娘だ。
慈悲深き神は天の国より地上の様子をご覧になり、人々の諍いや争い、また天変地異に苦しむことに心を傷め、人々を教え導くために愛しい娘を地上に降臨させる。
神の愛を一身に受けた娘は地上のあらゆる物事を慈しみ、神の言葉を人々に伝え、世界を繁栄させてきた。
そして神は娘が不自由しないよう、愛し子の周囲に豊穣をもたらす。
つまり愛し子を有する国は、繁栄が約束されるのだ。
――エルメトリア国。氷月二十四の日。
真冬の夜にも関わらず木々がいっせいに緑を取り戻し、花を咲かせた。
ざわざわと風に揺れる葉擦れの音に、異変に気づいた人々が何事かと寒空に向けて顔を出す。
枯草は萌え、夜空に星が横切った。どこからともなく差し込んだオーロラがカーテンのように広がり、そして、光が一箇所に集中して降り注ぐのを見た。
エルメトリア王国、首都サイーマのほど近くにある街、ヒュマシア市では、一人の女性が今まさに我が子を産み落としたところだった。
突如天空から光が降り注ぎ、彼女の産室を照らし出した。妙なる調べに踊るように花が舞い散る。
「こ、これは……?」
血と羊水の臭いが充満していたはずの産室には、高貴なる者の使う香に似た芳しい香りが満ちている。
ありえない事態に母親になったばかりの女は我が子を抱きしめ、赤子を取り出した産婆は腰を抜かした。
「い、愛し子様じゃ。愛し子が顕現なされた……!」
ぶるぶると震えながら産婆が両手を固く組み合わせ、赤子に向かって「ありがたや」と繰り返す。産婆はその職業柄、愛し子顕現の伝承を伝え聞いていた。光、花、香の三拍子揃った奇跡の物語。
「愛し子様……。まさか、この子が?」
異変に気づいた彼女の夫が本来男子禁制の産室のドアを開けた。すかさず産婆の叱声が飛ぶ。
「こりゃ! 男が立ち入ることまかりならん!」
「いや、そんな場合じゃないでしょう!?」
もっともである。泣きそうな男の叫びに、しかし産婆は一歩も引かなかった。
「出産は女だけの神聖なる行為。まして愛し子様じゃ、男の穢れを持ち込んで主の怒りを受けたらなんとする!」
夫は怒りと混乱をぐっと飲みこみ、我が子を抱いて呆然としている妻を見た。視線に気づいた妻が夫を見つめる。
「シンシア……」
「ジルベル、この子、この子は……」
見つめ合う夫婦をよそに産婆はまた膝をつき、両手を合わせて「ありがたや」と繰り返していた。どうやら産婆も混乱している。どこから見ても異常事態だった。
***
愛し子顕現の一報はすぐさま王宮にもたらされた。
王宮でも突如咲いた花や天から差す光にすわ愛し子かと王と重臣たちが集まっていた。そこに飛び込んできたヒュマシアからの報告に、王は喜色を浮かべて王妃を振り返った。
「我がエルメトリアに愛し子が顕現するとは真にめでたい。カインは良い時に生まれたものだ」
王の愛妻である王妃マリーは一歳になる王子を抱いて、うなずいた。
「ええ、ええ。愛し子様のいる御世なれば、カインの治世は明るいものになるでしょう」
感激のあまり王妃は涙ぐみ、王子に頬擦りした。母親の腕の中、カインは喜びに湧く両親に不思議そうに蒼い瞳を瞬かせ、くすぐったそうに笑った。
「まあ、嬉しいの? カイン。そうよ、素晴らしいことなのよ」
緊迫した王宮は王一家の幸せムードに少しの間だけほんわかとなった。
そうだ、愛し子が現れたということは、エルメトリアは神から繁栄を約束されたことになる。これが喜ばしいことでなくてなんであろう。
国王シャルルは目を細めて妻子を見つめていたが、きっと表情を引き締めて重臣たちに向き直った。
「教会はすでに動いておろう。ただちにヒュマシアに騎士と魔導士を派遣し、愛し子とその家族を保護、王宮へお連れしろ。くれぐれも無礼のないように気をつけよ。それからヴェルク神官長を呼べ」
「はっ!」
王のそばに控えていた侍従がすぐさま駆けていった。
王宮から騎士と魔導士の派遣となると、王宮騎士団と王宮魔導士団が動くことになる。エルメトリア開国の祖である『愛し子』エルナが盾を構えた立ち姿と彼女を護る光と闇の精霊が描かれた国旗を掲げ、飛竜に乗った騎士と魔導士がヒュマシアに向けて飛び立っていった。
「シャルル、カインと愛し子を結婚させるの?」
王族ならば当然考えることだ。決定事項のように言った王妃に王は口を濁す。
「さて、そうなれば良いが……」
王といえど愛し子の結婚に嘴を突っ込むのはためらわれた。
神は愛し子を常に見守っている。意に染まぬ婚姻は神の怒りを買うだけだろう。なによりあまり無理をごり押しすると愛し子に嫌われる可能性があった。
「共に学び育てればいずれ恋心も芽生えよう。ひとまず愛し子を無事に王宮に迎え入れるのが先だ」
エルメトリアの開祖エルナは子を儲けたが、愛し子の能力が引き継がれることはなかった。彼女は愛し子の中でも大変珍しい、生涯を国に捧げた人なのである。聖遺骸は傷まないよう魔法で生前のまま保存され、聖エルナ祭の際には拝謁が可能になっている。
愛し子を王家に入れることはエルメトリアの悲願でもあった。しかしなぜか愛し子はいずれも平民として生まれてくる。人に貴賤はないという神の思し召しなのかもしれないが、愛し子の血を王家に入れたことのある国はどこにもなかった。
「今はただ、神に感謝しよう。大陸国家連合の盟主という重責も負うが、エルメトリアを守ってくださるのだ」
「そうね……。せめて人々の健やかなるを祈りましょう。我々も励まなければ。カイン、あなたも」
カインは疲れたのかうとうとしはじめていた。真夜中に起こされお祭り騒ぎにはしゃいでいたが、まだ一歳なのだ。王妃は乳母にカインを預けると、王に続いて重臣たちの待つ会議の間に向かった。
***
ヒュマシアは王が予想した通り、産院の周囲をすでに教会騎士たちが警護していた。
教会――聖統教導会は神の愛し子である娘を守り、神託を人々に伝え、教え導くことを聖なる行為としている。そのため大陸各地にあり、いつどこに愛し子が現れてもすぐさま対応できるよう体制が整えられていた。
「ご聖母様、ご尊父様、まずは愛し子様のご誕生、心よりお喜び申し上げます」
ヒュマシア市教会の教会長が腰を低くして祝辞を述べた。
ここでしくじると後が痛い。肝心の愛し子から疎まれ、関係を築くのが難しくなるのだ。神官たちは慎重に、それはそれは深々と頭を下げた。
この『しくじり』とは愛し子両親への態度だ。過去、母親を聖母として祭り上げ父親は金蔓としたところ、父親が娘を自分の子と思えなくなり妻である聖母も不貞の女だと見て夫婦仲が破綻した。
他にも愛し子を両親から取り上げ教会で育てた結果、自分にも親がいると知った愛し子が大変ショックを受けてしまった。愛し子にねだられてやむなく会わせたら彼らはすでに新しい家族を迎えて幸福に過ごしていた。娘などいないものとされていたのだ。家族の、特に母親への思慕を募らせ、抱きしめてくれることを期待していた愛し子はその事実に傷つき、泣き崩れたという。
どうなったかは火を見るよりも明らかであろう。自分と家族をそのような状況に追い詰めた教会への恨みを募らせ、嫌悪と不信を露わにし、神託どころではなくなってしまった。むしろ天罰覿面であった。
そんなわけでこの時期の両親には教会も慎重にならざるをえない。出産後の母親は俗にいうガルガル期、子育て中のメスライオンと大差ない。父親にしても父性が芽生えてくる大切な時である。彼らの怒りは天上の神の怒りと同じことになるのだ。
「これは、ご丁寧にありがとうございます」
今代の愛し子の父となった男、ジルベルは怒りを無理矢理押し殺した笑顔で礼を言った。
産室は基本的に男子禁制である。父親であろうと神官であろうと緊急事態以外では入室できない。緊急事態とはすなわち命の危機である。
自分でも入れなかった産室に夜中に押しかけてきた男どもがどかどかと入ろうとしたのだ。ジルベルが怒るのも無理はなかった。
「あいにく今は授乳中でしてな。また明日にでもお越しいただけますかな」
なによりジルベルは父として夫として、自分より先に他の男に娘を抱っこさせてたまるかという強い思いがあった。これはもう理屈ではなく本能だ。
ジルベルはヒュマシアの農業地区で野鍛冶を営んでいる。鋤や鍬、鎌などの農具を作る仕事だ。
夏場でも火を絶やさずに鉄を鍛える仕事柄、体形は細いががっちりと筋肉がついて逞しい。日焼けとは違った肌の焼け具合で顔は浅黒く、あちこちに火傷の痕があった。
そんな男がこめかみに血管を浮かび上がらせ、両手を組み合わせて『おっ、やんのか?』とばかりに揺らしながら、にこやかに出直して来いである。日々を祈りと勉強に費やしている、ひょろい体の神官たちは竦みあがった。
「ひょえっ。いえ、んんっ。その、せめて一目、愛し子様に……」
「なんと神官様は人妻のおっぱいをご覧になりたいと!?」
そうではないのは百も承知でジルベルは驚いてみせた。途端、取り囲んでいた産婆たちが神官を睨みつける。
「いやはやこれは驚きです。まさか神に仕える神官ともあろうお方が、自分の職権を利用してセクハラとは! やはり男ですな、おっぱいがお好きでらっしゃる!」
「これで母乳が止まったらどうしてくれるんだい?」
「自分の父親ならいざ知らず、見ず知らずの男に赤子を見せるだなんて、母親にとっては屈辱じゃ!」
「命がけの出産を終えたばかりの母親を労わろうって気持ちはないのかい」
ジルベルに加勢しろとばかりに産婆も口々に言い募った。警戒心バリバリのジルベルに、教会長は自分のしくじりを悟る。がっくりとうなだれた。
「わ、わかりました。それではこの者を置いていきますので、何かあれば遠慮なくお申し付けください」
それでも、と教会長は後ろに控えていた男を引っ張り出してきた。
背中を押されてつんのめるように前に出てきたのは、見習い用の黄色ローブをまとった少年だった。
少年は少し戸惑っていたがジルベルが怯んだ隙を見逃さず、作法に則って右手を左胸に置き、その場で両膝をついた。
「タート・ティディエと申します。見習いの身ゆえ不作法もありますが、誠心誠意お仕えいたします」
まだ声変わりもしていない、幼さの残る少年を出してきたところに教会の陰湿さを見た気がしたジルベルの眉が跳ねた。貴族、と思わず声が漏れる。
家名持ちということは、タートは貴族だ。出家した後に家名を名乗ることが許されている貴族は多くない。先祖代々平民のジルベルは貴族の名など知る由もないが、大貴族の子供だろう。
それを差し出してきた。産院からとんずらすることも、とぼけることもできなくなった。教会は本気だ。
すう、とジルベルは息を吸って気を静めた。
「タート君は、いくつかな?」
「十二歳でございます」
「弟さんか妹さんはいる?」
「妹がおります」
質問の意味を図りかね、タートはそっと目をあげた。そこにジルベルの、火傷と胼胝のできた手が差し出される。立ち上がって良いという合図だ。
立ち上がったタートに、ジルベルは苦い物を飲んだような顔をした。
「俺もカミさんも、子育てははじめてなんだ。色々教えてくれると助かる」
ジルベルの最大限の譲歩に盛大に息を吐いたのは教会長と神官たちであった。いまだに厳しい目を向けてくる産婆にぺこぺこと頭を下げつつ、タートにしっかりやれと目配せして産院を後にする。ひとまず手綱をつけたことで安心したのだろう。
「……はい。なんでもお申し付けください」
タートは瞳を潤ませた。ジルベルは子育てを手伝う代わりに愛し子のそばにいる許可をくれたのだ。
ようは子守りを押し付けられたわけだが、家族でもない神官見習いのタートを身近に置く理由がジルベルとシンシアには必要だった。
そして同時に愛し子を守る役目がタートに圧し掛かった。
一時的なものではない。貴族の子として、神官として、タートなら許すということである。子供だからこそ認められたが、子供のタートには重すぎる責任であった。
「……教会や国の考えることなんざ、俺にはわからん」
ジルベルが呟いた。
「俺はただ、あの子が健やかにのびのび、できることなら誰からも愛される子に育ってくれれば。そう思ってんだ」
「…………」
生まれる前から愛している我が子である。妻と二人、共に愛すると決めていた娘に降ってわいた思いがけない幸運――それとも災難か。我が子の未来が不安でたまらない父親の、苦悩に満ちた声であった。
「……ご尊父様」
「よしてくれ。タート君は貴族だろう? 俗世を捨てたとはいえ神官だ。俺のことはジルベルでいい」
「では、ジルベル様」
「おう」
ぶっきらぼうな言葉使いはジルベルの精いっぱいの虚勢だった。家族の今後がかかっている以上、相手が誰であろうと舐められるわけにはいかない。
「愛し子様の御名はお決まりになりましたか?」
身構えていたジルベルは、タートの問いにきょとんとした。
「ああ。女の子ならシルヴィアにしようって、前から決めてたんだ」
「シルヴィア様……」
シルヴィア、シルヴィアと何度か繰り返したタートは、ひとつうなずくとジルベルに微笑んだ。
「良い名前ですね」
「だろ? カミさんが考えたんだ」
「シルヴィア様は愛し子ですが、間違いなくお二人の子です。……遅れましたが、ご息女の誕生おめでとうございます」
教会は子供の誕生を神聖なもの、祝福すべきことと定義している。出生証明書を教会に提出する時に必ず言われるのがタートの言った言葉だった。おめでとうございます。愛し子の誕生ではなく、新たな生命を純粋に喜び祝福するのだ。
ようやく与えられたそれに、ジルベルの目元がさっと赤くなった。恥ずかしそうに鼻を啜り、ごまかすように乱暴に袖口で拭った。
「ありがとう、ございます。……ぜひ会ってやってください。俺らの、かわいい娘なんだ」
「はい」
タートは内心でほっとしていた。しょっぱなのやらかしはどうやらフォローできたらしい。第一関門クリアだ。子供の自分を使っての懐柔、貴族性での圧力、からの教会神官の祝福。このジルベルという男は平民らしく善良で、そして無知だった。
ジルベルと彼の妻に愛し子について教えなければならないことを思い、タートは腹の底に重たいものが溜まっていくのを感じていた。
主な登場人物紹介の巻。シルヴィアはまだ赤ちゃんです。
国家間のいざこざや貴族のあれこれもできるだけ軽い感じに書いていきたいと思っています。生後0日。ラブコメまで遠いー!
応援よろしくお願いします!