第77話 平穏な日常と不穏な空気
本日より第三章スタートです
「ほら、お兄ちゃん早く、早く~」
大災害の魔物の事件から数日が経った。
とても厳しい戦いだったし、ピンチもあったけど、終わってみればいつもの平穏な日々が戻ってくるのだから不思議なものだ。
とはいえ、全てが元通りになったわけではない。
激しい戦闘による爪痕が森の各所に残されているし、僕の身体に残っている傷もまだ完治はしていない。
それに心なしか、魔物の数も増えているような気がする。
僕の思い違いだったら良いんだけど、これについてはもう少し様子を見ないといけないだろう。
ただ、ひとまず穏やかな日々が戻ってきたのは確かだ。
僕の手を引くミーちゃんの無邪気な笑顔を見て、改めてそう思う。
「そんなに急ぐと危ないよ」
今はミーちゃんと食材探しに出かけているところだ。
少し前までは毒キノコも平気で手にしていたミーちゃんも大分慣れてきたようで、食べられるモノを少しは選別できるようになってきた。
巨人族のミーちゃんは食べられても僕では食べられないものもあるからな……
「あ、お兄ちゃん! この木の実は食べられるの~?」
そう言って、紫色の液体を滴らせている木の実に手を伸ばすミーちゃん。
……
うん。今回はたまたまだ。いつもはもう少し見分けがついていると思う……多分……
また明らかに食べられないものを取ろうとしているミーちゃんを止めるべく僕は口を開く。
「ううん。それは食べられないよ。ほら、この木の実は紫色の涎を垂らしてるでしょ? この木の実は食べる側だから食べられないんだ」
「そうなんだ~」
適当である。
ミーちゃんに食べられるかどうかを教えるときに、難しいことを言っても仕方が無い。
それでも食べられないとだけ伝えると、記憶に残りにくいのか覚えてもらうことが出来なかった。
だから僕は食べられないものに関しては適当に理由をつけて教えているのだ。
正しくは無いけど、伝わるなら問題はない。
ミーちゃんは納得したのか、近くにあった葉っぱを押し付けながら、「あれ? 食べないよ~?」と小首を傾げている。
そんなミーちゃんをよそに僕は近くにあった食べられる食材を集めていく。
ここは街から離れているため当然ながら食事は全て自分たちで用意しなければならない。
そして彼女達は割と良く食べる。
だから食材探しではかなりの量を集めなければならないのだ。
これは決して楽なことじゃ無いけど、僕よりも力のあるミーちゃんが手伝ってくれるお陰でなんとかなっている。
やはり岩を持ち上げたりするのは僕には出来ないからな……
とはいえ、その甲斐あってか、最初に会った時はかなりやせ細っていた彼女達の身体つきは大分健康的になってきた。
つくづく料理や食材についての知識があって良かったと思う。
ただ身体つきが健康になったことで、当然ながら彼女達の魅力がかなり増した。
今までも可愛かったけど、服を買ったこともあるのか、魅力に拍車が掛かっている。
僕もなるべく変な視線を送らないようにはしているけど、彼女達には気付かれているのだろうか……
どうしようもない悩みを頭の中で巡らせながら野菜のようなものを籠に入れていると、背中に誰かがひっつく感覚があった。
この場において僕の他には一人しかいない。
「何を集めてるの~?」
屈んでいた僕の背中から身を乗り出すようにして僕の手元を眺めるミーちゃん。
背中に温もりを感じる程引っ付いてきていて、垂れてきた髪が僕を軽くくすぐる。
(近い……)
これは少し前から思っていたんだけど、ミーちゃんの距離が妙に近い気がする。
もともと無邪気な性格で壁を作らないタイプだったけど、それでも違和感を覚えるほどには近い。
僕も汗を掻いているからそんなに引っ付かない方が良いと思うんだけど、そう言ってもミーちゃんは聞き入れてくれない。
まぁ、僕も嫌な訳じゃ無いし、ミーちゃんが気分よくやってるなら良いか。
「これは疲れとかにも効く植物だよ。みんなもまだ疲れが取れてないから、少しでも良いモノを食べないとね」
「そうなんだ~。お兄ちゃんはいっぱい知っててすごいね~」
横にあったミーちゃんの顔が少し離れた。
ただ僕の背中から離れた訳では無く、何やら僕の背中でもぞもぞと身体を動かしている。
これは指の感触か?
ただ数枚の服越しの感覚なので、どんな意味があるのか分からない。
僕はミーちゃんの意図が分からず尋ねる。
「どうしたの?」
「な、なんでもないよ~」
本当に何気なく聞いただけだけど、ミーちゃんは慌てたように僕の隣に来て、僕が集めているものと同じものを集め始めた。
……
やはり年頃の女の子が考えることは分からない。
まぁ、機嫌が良さそうなら深堀りする必要も無いか……
僕は少し釈然としなかったけど、気にせず食べ物を集めて行った。
◇◆◇
◆ミーちゃん視点
ミーは最近、自分の気持ちが良く分からなくなってきている。
最近、お兄ちゃんを見ると自然と顔が緩んでしまうのだ。
今までもお兄ちゃんのことはす、好きだったけど、何か違う気がするのだ。
(あれ? なんでミー、恥ずかしがってるんだろう?)
お兄ちゃんもみんなも好きだ。
でも、何かお兄ちゃんだけ少し違う気がする。
ミーにはそれがなんだか分からない。
ただお兄ちゃんと一緒に居る時間は楽しい。
だから、ミーは出来るだけお兄ちゃんと一緒に居られるようにしてる。
その中でもこの時間は特に好きだ。
お兄ちゃんの「食材を探しに行くよー」という言葉を聞くだけで胸が弾む。
正直に言うと、食材探しでミーはあんまり役に立たない。
木の実を見ても、キノコを見てもほとんど同じに見えてしまうのだ。
それでも、お兄ちゃんがミーを誘ってくれる限り、ミーは絶対にこの時間は譲らない。
お兄ちゃんを独り占めできるからだ。
みんなが嫌いとかそんなことじゃ無いけど、お兄ちゃんは基本的に独りじゃない。
だからこそ、ミーがお兄ちゃんを独占できるこの時間は大切なのだ。
そこでミーは自分がこんな思考をしていることに驚いた。
(あれ? ミーってこんなに我儘だったっけ?)
少し前まではこんな考え方では無かった気がする。
出来るだけみんなに迷惑を掛けないように気を付ける。
これがミーの考え方だったはずだ。
いつから変わってしまったのか……思い当たる節はある。
巨人族の里に行った時だ。
ミーの里でパパと戦った日、お兄ちゃんはミーに我儘になっても良いと言ってくれた。
それはずっと自分を押し殺してきたミーにとってはびっくりする出来事で、それから変わっていったんだと思う。
ただこれが悪い変化だとは思わない。
「何を集めてるの~?」
ミーは思い切って、植物を集めているお兄ちゃんに背中から抱き着いた。
お兄ちゃんの大きい背中が心地よくてずっとここに居たいという気分になる。
お兄ちゃんはちょっと逃げようとしたけど、ミーが離れなかったので諦めたのかそのままにしてくれた。
それに甘えてミーはさらに体重を掛ける。
お兄ちゃんと触れ合っているところが熱くて、ミーの鼓動も速くなる。
こんな感覚は最近まで知らなかったけど、とても心地いい。
だから、ミーは最近よくお兄ちゃんに引っ付いている。
ちょっと恥ずかしいけど、何よりお兄ちゃんの側が心地良いのだ。
お兄ちゃんは少し困った顔をするけど、ミーがお願いしたら許してくれる。
ミーがこれだけ我儘になれたのもお兄ちゃんのお陰だ。
……
さっきはよく分からないと言ったけど、この気持ちがなんなのかミーは薄々分かっていた。
ミーだけだったら気付けなかったと思うけど、プリエラちゃんとかアイリスちゃんとか、カナリナちゃんを見てると分かっちゃった。
みんなミーと同じ顔でお兄ちゃんを見てた。
みんながお兄ちゃんを好きなのはずっと知っている。
そしてその好きがミーとかに向けての好きと少しだけ違うことも分かる。
そうだとすれば、やっぱりミーのこの好きはそういうことなのだろう。
お兄ちゃんが近くに居るせいか、ミーは妙にそのことを伝えたくなってしまった。
それでも今まではあまり感じてこなかった恥ずかしさが邪魔して言うことが出来ない。
だから、ミーは食べ物を集めているお兄ちゃんの背中に指で文字を書いた。
『だいすき』
「どうしたの?」
お兄ちゃんが何かに気付いたのか、振り返ってきた。
ミーは急に恥ずかしくなってきて、何事も無かったかのようにお兄ちゃんの隣に座って手伝う。
「な、なんでもないよ~」
少しドキドキはしたけど、この感覚も心地よくてミーは自然に笑みをこぼす。
今が凄く楽しい。
ミーはお兄ちゃんの横顔を見る。
それだけで心があったかくなって顔が綻ぶ。
ミーもみんなに負けないよ~。
◇◆◇
◆ライアス視点
「あら、お帰りなさい。ミーは……寝ちゃったようね」
「ただいま、ファナ。ぐっすりだよ。そっちはどうだった?」
「特に問題は無いわ。あの事件が嘘みたいに平和よ」
「それは良かった。それで、魔力の方は……?」
疲れて眠ってしまったミーちゃんを連れて僕は家に帰ってきた。
出迎えてくれたファナはいつも通りと言った感じだけど、ファナは一つ爆弾を抱えている。
ラストエルフである彼女は莫大な魔力を有しているが、それ故に魔力暴走の危険があるのだ。
彼女は魔力を使おうとすると蓋が外れそうになると表現していたので、今は魔力を使わないで生活してもらっている。
永遠に魔力が増え続けるという訳でも無いようで、ここ数日は問題が無さそうだったけど、本当のところは彼女にしか分からない。
僕も気にはしているけど、本人にも聞いておいた方が良いだろう。
「魔力も今は落ち着いているみたい。ただ安心はできないわね。いつ魔力があふれ出してもおかしくないわ。ねぇ、やっぱり……」
「いや、大丈夫だよ。前も言ったけど、あと少しで魔力関連は解決するかもしれないんだ。もう少し辛抱してくれないかな?」
「ええ、貴方がそう言うなら待ってみるわ。ただ約束は守って頂戴ね」
「もちろん、約束は守るよ」
ファナは言い終えると僕が取ってきた食材を持って家の中に入って行く。
ファナは自分の魔力の制御が出来なくなる前にここを出て行くと言っていた。
みんなを危険な目に合わせたくないファナらしい考え方だ。
ただ、僕はそれを踏みとどまってもらえるようお願いしたのだ。
もし魔力暴走したら僕が止めるという条件付きで。
今はカナリナが魔法具を見てくれているけど、なかなか難しいことになっている様だ。
もう少し時間が掛かるかもしれないとのこと。
ちなみに他のみんなにはファナのことは話していない。
これはファナからの願いだった。
みんなが知ってどうにかなるものじゃないから伝える必要は無いとファナは言った。
確かにみんながこのことを知ったらいつも通りには過ごせないだろう。
この前大変なことがあったからこそ、今は精神的にも休息を取ることが大切だ。
だから僕もその提案を受け入れた。
僕が出来るのはもしもの時に備えながらカナリナの報告を待つことだけだ。
◇◆◇
少し時間が経って日も落ちてきた。
僕は今、家の柱の見回りをしている。
これは師匠に「この家はいつ倒れてもおかしくない」と言われたからだ。
僕が見て直せる訳じゃ無いけど、今後誰かに頼むにしろ状況を正しく伝えるためにも知っておいて損は無い。
ただこうして見ているとやはり劣化が激しく少し揺すれば石の欠片のようなものが降ってくる。
(本当に危険だな……)
頼むとしたら街の大工とかしか居ないか……それかぷーちゃんって言っても、この大きさは難しいだろう。
そんなことを考えていると後ろから声を掛けられた。
「ねぇ、ライアス君。お風呂に行きたいんだけど……お願いしても良い?」
アイリスだ。
椅子に座った状態で申し訳なさそうに足を押さえている。
「え? う、うん。良いよ」
このお願いは今日に限った話ではない。
大災害の魔物と戦ったときに痛めた足がまだ治りきっていないらしい。
そのためアイリスは移動の際、僕を頼ることが増えた。
僕は慣れた調子でアイリスの元まで行って屈みこむ。
僕としても痛いというのなら無理はさせたくないから、移動などを手伝っているわけだけど、これは僕にとってかなり大変なことだ。
別にアイリスが重いとかそういう訳じゃない。
背負うとどうしても身体が密着してしまうのだ。
部屋着で少し薄着なこともあり、その破壊力は計り知れない。
「ごめんね。ライアス君」
「う、うん。大丈夫だから、耳元で話しかけるのは……」
こうなってしまったら何をされても意識してしまう。
僕は出来るだけ何も考えないようにして廊下を歩く。
アイリスは落ちないようにギュッと抱き着いてくるので、歩く分には問題はない。
もうすぐ風呂場に着くという所で前からカナリナが歩いてきていた。
どうやら少し疲れている様だ。
恐らく魔法具を見てくれていたのだろう。
そんな彼女が僕達を見て、目を丸める。
「ちょっと!? 何してるの?」
「え、アイリスを送っているところだけど……足を痛めてるみたいだし……」
「な、なん……ねぇ、アイリス。アンタの足、確か治ってたわよね?」
カナリナが一つトーンを落として尋ねる。
僕の後ろからぎくっというような声が聞こえて来た。
「あ、あはは。そうだったかな……?」
「そもそもハリソンの魔法で怪我は全部治してもらっていたじゃない」
確かにそうだ。
ハリソンはみんなにも治癒魔法を掛けてくれていたような気がする。
それにアイリス自身が銀狼族なのもあってか、傷の治りはとても早いのだ。
とはいえ、アイリスが足を痛めたふりをする理由もないような気がする。
その辺を聞こうと僕も首だけ回して視線を向ける。
その視線から逃れるように僕の背中の上で身をよじるアイリス。
「ちょっ、アイリス、暴れたら危ないって!」
「えっ、きゃっ……」
変に後ろを向いてしまった僕はバランスを崩してしまい、その場でこけてしまう。
痛みを予想して目を瞑った僕だったけど、予想に反して痛みは来ない。
「あれ?」
僕が目を開くと目の前にカナリナの顔があった。
よく見れば僕は少し宙に浮いている。
カナリナの魔法だろう。
ただ、僕の目の前にあるカナリナの端正な眉は寄せられており、不満を隠そうともしていなかった。
「アンタは優しすぎるのよ。少しは相手を疑いなさい」
「は、はい……」
そう言って額にデコピンを受ける僕。
デコピンとはいえ、力は弱かったので特に痛みは無かった。
ひとまずこれで解放されるかと思ったけど、カナリナは僕を宙に浮かせたまま離さない。
いや、動こうとしたら動けるんだけど、なんだか状況的に動けないという感じだ。
カナリナは「おほん」と一息つくと、顔を横に逸らす。
「ねぇ、ライアス。アンタがアイリスを運んでた理由ってアイリスが疲れてたからってことよね?」
カナリナは髪の毛をくるくると回しながら視線をこちらに寄越さない。
ちょっと不格好なまま宙に浮いている僕は一度頷く。
まぁ、正確にはアイリスの足が怪我してるってことだったからだけど、まぁ、同じようなものだろう。
「そう。それならアタシも結構疲れてるんだけど?」
カナリナの髪の毛をくるくるする速度が上がる。
一瞬何を言っているか分からず、固まってしまったせいで、カナリナの顔がどんどん赤くなってきてしまった。
「も、もしかしておんぶして欲しいの?」
「っ! ま、まぁ、してくれるって言うならお願いしようかしら」
いや、するとは言っていないんだけど、というような無粋なことは言わない。
何故、おんぶされたがるのか分からないけど、それで機嫌が直るというのならお安い御用だ。
カナリナは宙に浮いている僕を軽く操作して、僕の背中に乗ろうとする。
「あ~! カナリナちゃん、自分がして欲しいからって私に言ってきたんだ~」
「ち、ちがっ!……仮にそうだったとしても、今度はあたしの番でしょ!」
「それなら、私はライアス君に抱っこしてもらうもんね」
そう言うや否やアイリスが僕に前から抱き着いてきた。
完全に全体重を預けてくるので、怪我をしないように僕もそれを受け止める。
結果的に、背中にカナリナ、前にアイリスという構図が出来上がってしまった。
「ちょっと、それは反則でしょ!」
「ルールとか無いんだよ~」
僕は言い合いをする二人の間に挟まれながら、考える。
──二人とも元気だよね?
◇◆◇
◆『竜の息吹』視点
「よし、みんなそろそろだ」
「流石、バランだな。これで一生金に困らねぇんじゃねぇか?」
「まさか、大災害の魔物が出るなんてな。たまたま騎士団連中の話を聞けて良かったよ」
「確かにこれには私も賛成よ。お金が手に入るなら後はなんでも良いわ」
「そう、大災害を倒した騎士団の後に行って素材を集める。あの大災害の魔物の素材だ。高値で売れることは間違いない」
「だが、騎士団連中が全部持っていっちまうかもしれねぇだろ?」
「それなら適当な石でも拾って帰れば、良いだろ? 大災害の魔物を見た奴なんて少ないんだから」
「それもそうか!」
今、『竜の息吹』のメンバーがライアス達の家に接近していた。