第58話 プリエラのお願い
本日から第二章が始まります。
お楽しみいただければ幸いです。
微睡の中に居た僕の耳に小鳥のさえずりが入ってくる。
それは森の中において朝を告げる合図であり、僕の意識もゆったりと覚醒に向かっていく。
少し開いた僕の目に容赦なく入ってくる光は割れた窓から差し込んだものだ。
急な光に目を細めた僕の寝起きはあまり良くない。
(腰が痛すぎる……)
劣化して本来の柔らかさを失ったベッドはほぼむき出しの木箱のようなもので、僕は巨人族の里で借りた心地よいベッドが少し恋しくなる。
でも、この痛みも今は嬉しく感じるのだから不思議だ。
そう、僕達は誰一人欠けることなく、ティナを救出して帰ってこれたのだ、この元孤児院に。
その実感がようやく湧いてきた。
(でも、あの時の空気はちょっと重かったな……)
僕はあのエルフの研究者達との戦いの次の日の朝のことを思い出す。
◇◆◇
ティナを救出した次の日の朝、アイリスとファナからみんなに説明が行われた。
アイリスもファナも緊張していたので進行役は僕が務めた。
アイリスは自身が銀狼族であることを明かし、その生い立ちを話してくれた。
どうやらアイリスは銀狼族から追い出されただけで無く、人間からも追い出されていたようだ。
二度も信頼していたヒトに裏切られた傷は大きいに違いない。
そんな彼女が今は良い笑顔をしていることが素直に嬉しい。
僕がその一助になっていると言ってくれたので、嬉しさも倍増だ。
みんなもアイリスの話を受け止め、アイリスを受け入れてくれた。
涙を流しながら笑っていたアイリスの顔は憑き物が取れたようで綺麗だった。
そして、ファナからもみんなに説明があった。
最後の亀の魔物を倒したときの絶大な力をみんなは見ている。
あんな強力な力を出しておいて、いつもと何も変わっていませんというのは通用しない。
それにティナのことも触れておかなければならないだろう。
ファナの妹とはいえ、これから一緒に過ごしていくことになるのだ。
こんな大きな施設に捕らわれていたことも併せて聞きたいことは沢山ある。
ファナも覚悟を決めたようでみんなに全て説明することを決めたようだ。
ティナはその時、まだ眠っていたのでその場には居なかった。
最初、ファナの話を聞いたみんなの反応はほとんどがよく分からないといったものだった。
みんな『ラストエルフ』という存在を知らなかったのだ。
唯一知っていたのはカナリナだけ。
まぁ、みんなは種族も違うし、真面な幼少期を過ごせていない者もいる。
それは仕方の無いことだろう。
ファナの話を聞いた後はミーちゃんが自分のことのように悲しんでファナを慰めていた。
ミーちゃんは素直な良い子だ。
プリエラや、アイリスのときもそうだったけど、ミーちゃんの性格にはかなり助けられている。
ひとまず、話が纏まった僕達はみんなで元孤児院まで戻ってきた。
帰りは巨人族が長距離の移動に使っている動物に乗せてもらった。
狩りの時にも使うらしく、素早く森の中を駆け抜けるので、数日で元孤児院にも帰ってこれた。
普通に馬車を使うより早かったので、僕もああいう動物を乗り物にしてもいいかも知れないな……
ティナに関してはまだ対話は難しいかもしれない。
あれから帰る途中に何回か起きたけど、完全に委縮してしまい、話しかける間もなく最低限の食事を取ると再度眠るということを繰り返していた。
まぁ、酷い目にあったのだからその恐怖だったりは簡単には剥がれないだろう。
ファナ曰く、ずっと森で暮らしていたため、他の人と喋ったことがないというのも原因の一つかもしれないとのことだ。
これは長い目で見て行くしかない。
そんなことを考えている内に完全に目が覚めた。
僕もそろそろ起きよう。
僕が廊下に出ると、ちょうどカナリナと鉢合わせた。
彼女は今回の作戦において色々なところで頑張ってくれた。
最後は眠るように倒れてしまったので心配したけど、元気になったみたいだ。
「おはよう、カナリナ。昨日はよく眠れた?」
「えぇ、おはよう、ライアス。そうね、ここって寝心地は悪いけど、不思議と落ち着くのよね」
カナリナも僕と同じような感想を持っていたようだ。
そのことを伝えるとカナリナと小さく噴き出す。
こんな風にカナリナと笑いあえるようになるなんて少し前は思いもしていなかった。
未来がどうなるかなんて、予想がつかないなと思った僕はそのままの流れで、例のことを尋ねることにした。
「そういえば、カナリナは僕に何かお願いとかない? ほら、今回沢山頑張ってくれたし、巨人族の時に言ったでしょ、何か埋め合わせを考えておくって……」
僕は巨人族の偵察にアイリスを連れて行ったけど、その時に留守番を任せたカナリナやプリエラに埋め合わせをすると言った。
まぁ、そんなことを抜きにしても日頃のお礼をしたいと前々から思っていた。
「え、ああ、そんなこともあったわね。うーん……」
急に言われたカナリナは迷っているようだ。
まぁ、急にお願いはなんだ? と聞かれても思いつかないのも仕方がない。
僕がまた今度でも良いよ、と言おうとしたとき、カナリナが急に距離を詰めてきた。
そして、何故か小声で話し出す。
「ねぇ、ほんとに何でも良いのよね?」
「う、うん、僕に出来る範囲でならね」
「そう……そ、それじゃあ、明日の朝早く、部屋に来て頂戴」
カナリナはそれだけ言い終えるとどこか慌てるように立ち去ってしまった。
うーん、なんだろう。カナリナのお願いは想像がつかない。
また、魔法の訓練とかだろうか?
まぁ、悪いようにはならないだろうと思った僕はそのまま広間まで向かう。
そこには既に起きていたミーちゃんが居て、僕の存在に気付くと満面の笑みで走ってきた。
僕は飛び込んできたミーちゃんを治った腕でしっかりと受け止める。
「えへへ、おはよ~お兄ちゃん」
「おはよう、ミーちゃん。今日も元気だね」
ミーちゃんの笑顔には周りを癒す力がある。
見ている僕まで笑顔になってしまうのだから間違いない。
そんなミーちゃんが僕から離れると腰から何かを取り出した。
「ねぇねぇ、見て~お兄ちゃん。食べられそうなキノコを採ってきたの……あ、お兄ちゃんがダメって言うから森の奥には行ってないよ~」
ミーちゃんが僕に満面の笑みで見せてきたキノコ。
それは先が青く、端に行くにつれて緑にグラデーションが掛かっている傘を持っているキノコだった。
うん。毒キノコだ。
命に危険は無いけど、食べれば身体が半日くらい痺れるやつ。
ミーちゃんが持ってくるものは命には別状が無いけど、何かしらの毒が含まれているモノが多い。
僕はその理由をミーちゃんの危険察知能力が薄いせいだと思っていた。
でも、それは少し違うのではないかと思い始めた。
ミーちゃんが巨人族であることが原因かもしれない。
巨人族の里でご飯を頂いて分かったことなんだけど、人間とは食の文化が違う。
人間では食べられないようなものまで食べられるのだ。
もし僕が料理の現場を見ていなければミーちゃんは大丈夫でも僕は間違いなく寝込んでいた。
僕は目の前に差し出されたキノコを眺める。
ミーちゃんも良かれと思ってやってくれたことだ。
当然、無碍にはできない。
「ありがとう、ミーちゃん。でも、残念ながら僕はこれを食べられないんだ」
だからと言って、食べられないモノを食べられるという訳にはいかない。
もし他の子が食べて何か不調が出ても困るからそこはしっかりと否定しておく。
僕の言葉を聞いたミーちゃんが一瞬悲しそうな顔をした。
「でもこのキノコ、見た目は凄く綺麗だね。せっかくだからここに飾っておこうか」
僕はミーちゃんからキノコを受け取るとそのまま、壊れた棚の上に乗せる。
扉の近くにあることからも、もともとは花瓶とかを置いていたものでは無いだろうか。
棚の表面が陥没していたため、キノコは上手くはまってくれた。
ちなみに元孤児院はボロボロなので、内装とかいう以前の問題だ。
しかもかなり古いからか、壁なども色が剥げてしまい、全体的にくすんだ色のモノが多い。
そんな中に青と緑のグラデーションのキノコを飾ればどうなるか……
当然、浮いてしまう。
綺麗なモノを所かまわず並べれば良いというものではない。
何事もバランスが大切なのだ。
「わぁ、ほんとだ~きれ~」
でも、ミーちゃんは棚に置かれたキノコを満足そうに眺めている。
(何も問題は無いな)
ミーちゃんがこの程度のことで笑ってくれるなら全く問題はない。
僕は棚に置いたキノコを嬉しそうに眺めているミーちゃんをおいて、少し現実逃避気味に台所に向かう。
そこには既に先客が居た。
この時間に台所に居るのは僕を除いては彼女しか居ない。
「おはよう、プリエラ。帰ってきたばかりなのに任せちゃってごめんね」
「おはようございます、ライアスさん……好きでやっていることなので、お気になさらないで、ください……」
毎日交代で行っているけど、プリエラの料理の腕は確実に上がってきている。
ギルベルトとの取引で調味料が手に入ったので、料理の幅が広がったのもその要因の一つだ。
「プリエラは本当に料理が上手くなったよね」
「ライアスさんが、教えてくれたおかげです……」
プリエラはそのように言うけど、ここまで上手くなったのは偏にプリエラの努力のお陰だ。
僕はそこからプリエラの料理を手伝いながら他愛もない話を続ける。
「プリエラ、なんだか嬉しそうだね」
「はい、ライアスさんと、二人で話すのは、久しぶりなので……」
そのように言ってプリエラははにかむ。
プリエラは本当にストレートに好意を伝えてくれる。
当然、言われた僕は嬉しいし、僕もプリエラとの時間は好きだ。
「僕もプリエラとの時間は楽しいよ……そうだ、プリエラも僕に何かお願いとかない?」
「お願い、ですか……?」
「うん、いつもプリエラには助けられてるし、巨人族のときの埋め合わせも兼ねてさ」
「いえ、こうしているだけで、私は……」
プリエラは最初断ろうとしたけど、何かを思い立ったように目を見開いた。
彼女の黒い瞳が長めの前髪から覗く。
……
「え、そんなことで良いの?」
「はい、ダメ……ですか?」
「いや、もちろん良いけど、まぁ、プリエラがそれで良いなら……」
◇◆◇
「それで、これはどういうことかな、ライアス君?」
今、僕は目の前に座るアイリスに問い詰められていた。
アイリスは僕達が朝食の準備を終えたところで起きてきた。
彼女は肉体的疲労に加えて、精神的な疲労まであった。
だからゆっくり寝てもらったけど、顔色を見るに体調は良くなったようだ。
ただ、顔色は良くなったけど、その表情は芳しくない。
笑ってはいるけど、目が笑っていないというやつだ……
こうなっている原因、それは……
「ライアスさん、はい、あ~ん……」
僕はプリエラに為されるままに口を開けてスープを飲む。
かなり早く起きていたのか、しっかり煮込まれたスープは一緒に入れた野菜の味も染み込んでおり格別だ。
おいしい……
「どうですか? ライアスさん……」
「う、うん。美味しいよ」
「そうですか、ありがとう、ございます……」
僕はアイリスの視線から逃げるように返事をする。
(これ、最初はなんともないと思ったけど、周りの視線が痛いし、ちょっと恥ずかしいぞ……)
何故か料理を作ったプリエラに感謝を述べられながら、プリエラに先ほど言われたお願いを思い出す。
『そ、それじゃあ……今日一日、ライアスさんのお世話をしても、良いですか……?』
まさか、お願いでお世話をしたいだなんて……
お世話をされたいならまだ分かるけど、プリエラは僕のお世話をしたいというのだ。
なんでもすると言った以上、了承したけど、思ったよりもこれは難しいお願いだった。
アイリスがジト目で見てくる。
それを見かねたのか、アイリスの口元に木製のスプーンが差し出された。
「アイリスちゃんも欲しいの? はい、あ~ん」
ミーちゃんがニコニコしながらアイリスの口元にスープを運んでいた。
アイリスは一瞬きょとんとした目で目の前のスープを眺めていたけど、すぐに口を開けて飲み込んだ。
「どう? おいしい?」
プリエラの真似をしたのか、味を訪ねてくるミーちゃんにアイリスも笑顔で美味しいと答えた。
アイリスはその一連のミーちゃんの行動で毒気を抜かれたらしく、ため息を吐くと自分の朝食を食べだした。
それから僕はプリエラに為されるままになりながら朝食を食べていった。
◇◆◇
プリエラの献身的なお世話はその後も続いた。
僕が薪を拾いに行くと、それについてきて、血を扱いながら器用に薪を運ぶ。
「あれ? プリエラ、血の力を使ってるけど、体調は大丈夫なの?」
「はい……私も、このままじゃいけないと、思いまして……少しずつ、練習をしています……」
プリエラの力は強大だ。
多分、血の力を全力で使えば元孤児院では最強だと思う。
次点で、ファナの身体強化。
ただ、プリエラは力を使うと寝込んでしまう。
そして、その日は力を使うことができなくなってしまうのだ。
まぁ、確かに使いどころが難しいというのは事実だ。
プリエラは少し汗をかきながらも血の操作を続けている。
(プリエラだって色々頑張ってるんだ。僕も負けないようにしないと……)
思わぬところでプリエラの努力を見た僕は決意を新たにした。
◇◆◇
夜になった僕は服を脱いで、タオルを取り出す。
元孤児院には使えるお風呂が無い。
浴場のようなモノは確かに存在するけど、浴槽は完全に割れており、汚れ具合が尋常ではないのだ。
あれを復旧するとなると一筋縄ではいかないし、今までそんな余裕も無かった。
だから身体を洗うのは川に行くか、濡れたタオルで拭くかしかない。
僕は毎日川に行くのも疲れるため、タオルで拭いて済ませることも多い。
まぁ、脱ぐと言っても下着はつけてある。
何かの間違いで他の子が来たらまずいからな……
「失礼、します……」
その時、部屋に誰かが入って来たのが分かった。
僕は後ろを向いていたので姿は見えないけど、この声は間違いない……
「え、ちょ、プリエラ?」
「はい、プリエラです」
いや、そういうことを言ってるんじゃない。
少し冷静になった僕は落ち着いた声で返す。
「ごめん、僕、今身体を拭いているんだ」
「はい」
「だからね……」
「私に、拭かせてください……」
う、嘘だろ……
まさか、お世話をすると言ってもここまでするとは思っていなかった。
僕は頭をフル回転させて言い訳を考える。
しかし、次の一言で陥落することとなった。
「お願い……今日一日、私に任せるって、言いましたよね?」
確かに僕はプリエラのお願いを受け入れた。
それならプリエラの言う通りにした方が良いんじゃないか?
そんな気持ちが湧き出てしまった。
「そ、そうだね。お願いしようかな」
僕はプリエラに背を向けて座る。
(なんか、すごい緊張する)
冒険者として活動していたときも上半身を見られる機会はあった。
その時は何も思わなかったけど、今は何故かすごく恥ずかしい。
プリエラがタオルを持って僕の背中に触れる。
そのまま優しく撫でるように僕の背中を拭いていった。
「ライアスさん、どうですか……?」
「う、うん。良い感じだよ」
僕は半ば無意識に答える。
今の僕には何かを考える余裕はない。
プリエラの良い匂いが僕の鼻をくすぐる。
何とも言えない恥ずかしさと心地よさが混在していて、僕の頭をかき乱していた。
プリエラはご機嫌なのか、鼻歌を歌っているようだ。
そんなに楽しいモノなのだろうか……
「はい、終わりました……次は、前を向いてください……」
プリエラはまだ身体を拭く気満々だけど、これ以上は僕がもたない……
「プ、プリエラ、あ、あとは自分でやります……」
プリエラは僕の粘るという予想に反し、大人しく引いてくれた。
「ふふ、そうですか……これ以上、ライアスさんを、困らせる訳には行きませんので……今日は、ありがとうございました……」
プリエラの声に不満そうな気配はない。
それどころか、かなり満足しているように聞こえる。
「いや、僕も色々手伝ってくれて助かったよ……いつもだと、困っちゃうけど……」
「はい、たまにだから、良いんですよね……」
ん? なんか違う気がしたけど、その時の僕にはもう何かを言い返す力は残っていなかった。
「おやすみなさい、ライアスさん……」
「うん、おやすみ。プリエラ」
僕は残った場所を軽く拭くと、布団に入る。
今日、一日プリエラに付きっきりでお世話をされた。
朝ごはんを作ってもらい、食べさせられて、薪拾いを手伝って貰い、身体まで拭いてもらった。
(良かった……)
いや、それどころか、恥ずかしいのを除けば完璧だった。
プリエラのお世話は心地よく、どこか依存性を孕んでいた。
だからこそ、僕はそれを求めようとした自分に危機感を感じる。
もし僕が何もしなくてもプリエラは面倒を見てくれるという、どこか漠然とした予感がある。
でも、それじゃあダメだ。
僕はプリエラに依存しすぎてしまわないよう、気を確かに持つことに決める。
明日の朝はカナリナの部屋に行くんだったか……
カナリナは早い時間に来てくれと言われたから早めに行こう。
明日の料理当番は僕だし、それを見越して起きないと……
頭の中で起きる時間を設定した僕は眠りについた。
◇◆◇
◆プリエラ視点
今日は凄く充実した一日だった。
私はライアスさんがお願いを聞いてくれると言うので、お世話をさせて欲しいとお願いした。
私は初めてライアスさんとあった頃のことを思い出す。
ライアスさんは私を助けてくれて、それから動けなくなったライアスさんを私が看病した。
その時間は私にとって、とても幸福な時間だった。
他のみんなと仲良くなってくれたのは嬉しい。
私はライアスさんのことはもちろんだけど、ここに居るみんなのことも好きだ。
これで、みんなで仲良く暮らせるのだから問題はない。
でも、それとこれとは話が別なものもある。
みんな、ライアスさんを信用している。
これからも、もっとライアスさんの良さに惹かれていくだろう。
そんな中で私には望みがある。
『一番ライアスさんの役に立ちたい』
これは誰にも譲れない。
そして、あわよくば……
うん。でも、今日はその大きな一歩になったと思う。
一気に攻めすぎるのは良くない。
ライアスさんは攻められすぎると引いてしまうだろう。
幸いにも時間はまだある。
手をこまねいている時間は無いけど、焦ってはいけない。
だからゆっくりとオトシテいこう。




