第56話 ティナ救出作戦2
◆ファナ視点
「どうやら、作戦は成功したようだな」
私の耳に入って来た声はライアスのモノではなく、研究者のモノ。
魔力が枯渇していて頭痛が酷いけど、このことが意味することは分かる。
私の顔が無意識に歪んだ。
せめて今の状況を確認したい。
でも、身体に力が入らず顔を上げることすらできそうにない。
「ティナ、心配しないでね。もう離さないから……」
そんな私に出来るのは今も私の下敷きになっているティナを慰めることだけだ。
一切身体が動かないのによくそんなことを言えるな、と自分でも思うけど、身体が触れ合っている部分から感じる熱をもう離す気はない。
私は自身の目の前にいる妹を見る。
「ティナ……?」
◇◆◇
◆ライアス視点
僕は意識が落ちる寸前、握りしめた短剣を太ももに突き立てた。
実は呼吸が出来なくなり、意識が飛びそうになったことは今回が初めてではない。
物心ついた頃に森で生活していたときに一度だけ経験したことがある。
多分、幻覚をかけてくるような魔物と出会ったのだと思う。
トカゲ型の小さな魔物だった。
危険はないと判断したけど、それが良くなかったようで目があった瞬間、急に息が苦しくなり頭がふらふらしたのを覚えている。
その時はたまたま木の根に躓いて、顔を地面にぶつけたことで戻ってくることができた。
僕はその経験から、大きな痛覚により覚醒が可能であることを学んだ。
今回の幻覚はその時よりも強そうだったので、一番痛覚を刺激する方法を取ったけど、どうやら成功したようだ。
幻覚に惑わされて眠りこける前に僕は太ももの痛覚を頼りに意識を戻す。
足からは軽く血が出ているけど動けない程じゃない。
(油断した……)
僕の中に大きな後悔の念が浮かび上がってくる。
ここは敵地の真ん中だ。
手をこまねいている場合では無かった。
結果、自分だけでなくファナまで──
……
(ふぅ……)
そんなマイナスの感情を僕は意識的に外へ追いやる。
自分の間違いを認め、反省することは大切なことだ。
しかし、ときとしてこういった感情は自分の行動を束縛して、自分の考えを全て否定的に捉えてしまうようになってしまう半面もある。
今は反省をしている暇ではない。
僕は息を整えながら、頭をリセットする。
無駄なことを考えすぎていた。
必要なことだけを残し、他のことは一旦頭から追い出そう。
僕の中に森で生活していたときのような静かな心が戻ってくる。
「どうやら、作戦は成功したようだな」
そんな僕の耳にあの研究者の声が入ってくる。
見れば先ほど居た位置よりも僕から離れていた。
その先にはティナに覆いかぶさる形でファナが倒れこんでいて、その姿は姉としての愛情を感じる気がした。
でも、声を掛けられているのに身体が動く気配がない。
(身体強化を使ったのか)
それなら魔力不足で当分は動けないはずだ。
僕は改めて研究者のエルフを見る。
僕が立ち直ったことに気付いているのかは分からないけど、今は僕に背中を向けている。
今度は同じ過ちは犯さない。
僕は短剣を握りしめ、気配を消してから背後に忍び寄る。
僕は気配を消すのも、気配を察知するのも得意な方だ。
森で生きていたときは自分よりも強い相手しかいなかった。
見つかれば死ぬし、気付けなくても死ぬ。
「助かったぞ。ラストエルフの娘。お前の父が言っていたことを試して良かった。あのままでは使い物にならんかったからな」
まだ何か言っているけど、僕は気にせず、背後に近寄る。
周りの空気を阻害せずに溶け込む意識だ。
下手に呼吸を乱さず、自然体で動く。
僕の間合いまで近づいた。
そして、そのまま背中から心臓を指すために短剣を横に倒して突き刺す。
短剣は服を貫き、肉へと到達し、それすらも抉る。
だけど──
ガィィイン!
心臓に到達するといったところで何か硬いものに短剣が阻まれた。
骨の感触ではない。
「幻覚から抜け出したか。まぁ、良い」
研究者の男は急に後ろから刺されたというのに気にした様子も無い。
ただ幻覚から抜け出したことについては少しだけ驚いているのか反応があった。
(今のは金属の感触? 体内に金属を仕込んでいるのか?)
何はともあれ、急所である心臓を貫けないことが判明した。
急所を守るために仕掛けてあるなら恐らく脳や首なども同じ仕掛けがあると思っておいた方がいい。
そう判断した僕は次の行動を取る。
こちらを向いた研究者に距離を詰めて、左肩向けて短剣を突き刺す。
狙うは肩の少し下、脇の近くだ。
ここからの出血は大量出血になりやすく、また左腕を封じることにも繋がる。
研究者のエルフの動きは素人のもので、近接戦は得意ではないことは明らかだった。
そのまま狙い通りの個所を抉る。
狙いは外れなかったようでその部分の白衣がさらに赤く染まる。
それでも男は声を荒げる様子は無い。
「あまり汚さないでもらえるか? 替えを用意するのは面倒なんだ」
「これだけ攻撃されてるのに、よく平気で居られるね。もしかして痛覚とかないの?」
研究者は僕に攻撃を受けた辺りから僕に話しかけてきた。
今なら聞きだせる情報もあるかもしれない。
僕は聞きながらも反対の脇に狙いを定める。
「痛覚? 研究に必要のないモノは全てそぎ落とした」
この研究者の言っていることがどこまで本当かは分からないけど、両肩を深く抉られて正気を保っている時点で狂気の沙汰であることは間違いない。
「でも、そのままだと死ぬよ」
僕が警戒すべきは術だ。
どんな術があるか分からない以上、使われた段階で詰みのようなモノもあるかもしれない。
だから術を使わせないように立ち回る必要がある。
これだけでの判断は早計だけど、まず何か呟いていたら術の前兆で間違いないだろう。
だから相手にそんな隙を作らない。
「心配は必要ない。戦うのは私の仕事では無いからな」
ッ!
「ライアス!」
僕はファナの声が聞こえるのと同時に声が聞こえた方に向いて防御姿勢を取った。
何かが衝突したと感じた時には身体が宙を舞っていた。
急な衝撃で身体のあちこちが嫌な音を立てているけど、ここで止まったらやられる。
咄嗟にそう感じ取った僕は何回か地面を転がったあと、直ぐに横へと身体を動かした。
今まで居たところを何かが貫いていく。
しかし、地面に当たったところで消滅した。
「ティナ……」
一瞬静寂に包まれた空間にファナの悲痛な声が鮮明に聞こえてくる。
前を見れば痩せ細ったティナがその手をこちらに向けていた。
目は悔しそうに歪んでおり、噛んでいる唇からは一筋の血が流れていた。
(操られている……か)
僕は攻撃を受ける前に反応したけど、相手の速度が速すぎた。
相手は僕よりも何倍も強い。
普通に戦えば、勝ちの目は少ない。
「ほう。ようやく魔法が使えるようになったか。これで兵器としての役割を十分に果たせるだろう。あ奴は惜しい存在だった。まぁ、死んでしまっては仕方が無いか」
研究者の男の声の調子が少し上がる。
研究の成果が出た時は嬉しがるのか……
いや、それよりも今のセリフが気になる。
多分、「あ奴」と言っているのはファナの育ての父のことだろう。
あとは「兵器」という言葉。
人間への復讐のためと言っていた彼の言葉を考えても、ここでティナが兵器として利用されようとしていたことは想像に難くない。
この男も人間への復讐が目的だろうか?
まぁ、そこはどうでもいい。
今はこの状況をどうやって乗り切るかだ。
ドゴォォォォンン!!
その時、どこかから大きな音がした。
(かなり大きかったぞ……)
でも、今はあまり余裕が無い。
僕は意識を切り替えてティナを見つめた。
その後ろに隠れるように立っている研究者の男は音のした方を向き呟く。
「始まったか。あまり壊すなと言っても無駄か。まぁ、良い。やれ」
やれという言葉と共にティナの顔がさらに歪んだ。
僕はそれを見て回避行動を取る。
その時、ティナの手から何かが高速で飛び出した。
その光のような玉はさっきまで僕が居た場所に着弾し、消え去る。
(あれは躱せないな)
あれを見てから躱すのは不可能だ。
予備動作もほとんどない。
でも、ギリギリ躱すことができた。
それはティナのお陰だった。
意識的にやっているのか、無意識かは分からないけど、魔弾を放つ前にティナの顔が歪む。
それを見れば後は手の延長線上から外れてやれば僕には当たらない。
ティナが遠距離攻撃を使える以上、ここでジッとしていても仕方がない。
多少の危険を背負ってでも距離を詰めるべきだろう。
僕は覚悟を決めて蛇行しながらティナの元へと向かう。
やはりティナは攻撃してくるタイミングで顔をしかめるので、攻撃の予兆は分かる。
横の動きを使うことでティナを翻弄することが出来ていた。
でも、距離が近づくにつれ、反応が遅くなって身体に受けることも多くなってしまう。
イメージとしては石が前から飛んできているような感覚だ。
身体に穴が開くほどの威力はないけど、まともに喰らえば間違いなく怯んで動きを止めてしまうだろう。
ここで止まれば間違いなく魔法によって袋叩きにされてしまう。
僕は身体に攻撃を受けながらも突き進む。
あと、少しでティナの居る場所まで辿り着ける。
ただティナを短剣で攻撃するわけにはいかない。
今回の目的はティナを助けることだ。
多少の攻撃は目を瞑ってもらうにしろ、これはダメだ。
僕は短剣をしまい、右手で拳を作ったところで異変に気付く。
(か、身体が重い……)
地面に縫いつけられたかのように動けない。
もし気を抜けば、そのまま倒れてしまいそうだ。
僕の頬を汗が伝う。
前を向けばティナの後ろで詠唱している研究者の男が居た。
(くそっ、でも研究者まで気にしている余裕は無かった)
そして危険はこれだけじゃない。
当然近くまで行って、急に止まった敵が居ればそれはただの的な訳で……
「ぐっ」
動かない僕の身体に魔弾が直撃する。
なんとか重い手を動かして急所を守っているので致命傷はないけど、石を容赦なく投げられているような痛みに苦悶の声が漏れる。
(どうする!? どうすればいい?)
このままでは体力が尽きるのが先だ。
しかし、限界が近づいてきたとき、ふと攻撃が止んだ。
(助かった?)
継続的な痛みに晒された僕の頭に楽観的な思考が芽生えるけど、そんなに甘いことは無い。
腕をどけて、開いた目に映ってきたのはティナが大きな魔法を用意している姿だった。
(あれを喰らうといよいよだぞ……)
僕が今まで会った中で一番印象に残っている魔法使いはハリソンだ。
魔法王という二つ名に恥じない能力の高さだったけど、ティナも相当の手練れだ。
どんどん大きくなっていく魔力の塊を眺めながら、短剣を引き抜こうとするけど、さっきまで攻撃を受けていた腕は上がらず、立っているのがやっとだった。
せめてこの身体の重さが消えてくれれば……
そんな願いは届かず、ティナの手が振り下ろされた。
ドゴォォォォンン!!
その瞬間、先ほど聞こえてきたのと同じような大きな音が聞こえた。
音はかなり大きく、それこそこの部屋の壁を破ったような……
「お兄ちゃん、大丈夫!?」
そんな声と共に僕の身体が持ち上げられる。
聞こえてきた声は僕のよく知ってる人だ。
(ミーちゃん……?)
僕は未だ何かに吊り下げられているので地面しか見えない。
「ガルルルル」
でも、その頭に掛かる鼻息と唸り声は覚えがある。
(アイリスか?)
アイリスは銀狼の姿になることが出来る。
でも、過去のトラウマから人の前で銀狼になることが出来なかったはずだ。
それを彼女が気に病んでいたことも知っている。
でもこの感覚は間違いなくアイリスの銀狼化だ。
確か銀狼状態のアイリスはハクと呼ばないといけないんだったな。
そんなことを考えていると、後ろから誰かに引っ張られる。
無事ハクの上に引き上げられた僕はその背中の上に座り込む。
引き上げられた際、先ほどの打撲痕が痛んだけど、なんとか堪える。
「ちょっと、あの魔法なんなのよ。魔力の濃度が桁違いじゃない」
僕がさっきまで居た場所にはティナの魔法が直撃したはずだ。
床に当たった瞬間に消えるから跡は無いけど、かなりの威力だった。
カナリナが驚くのも分かる。
僕が少し見回すとミーちゃんに抱えられる形でプリエラが眠っていた。
「プ、プリエラは!?」
「大丈夫、眠ってるだけよ。力を使ったからそれで眠ったんだと思うわ」
そうか。そういえばさっき途中で大きな音が鳴った。
もしかしたらあれはプリエラが力を使ったときの衝撃音だったのかもしれない。
そういう話をしている間にハクは回り込んでファナの元へ向かう。
「え? え?」
少し回復したのか身体を起こした状態のファナは大きな銀狼を見て驚くけど、その背中に僕達が乗っているのを見てさらに混乱を深めていた。
良いことだけど、魔力の回復が想像より早いな。
僕はカナリナやみんなに今の状況を説明する
「今、魔法を使ったのはファナの妹のティナだ。どうやらあの研究者のエルフに操られているらしい」
「なるほどね。大体把握したわ」
カナリナが僕に答えながらハクに咥えられたファナを上に引き上げる。
「ファナ、怪我は無い?」
「ファナちゃん、大丈夫?」
「ええ、ありがとう、カナリナ、ミー。私は魔力が不足してるだけよ。それよりライアスは大丈夫なの?」
ファナも幾らか攻撃を受けていたはずだけど、僕の心配をしてくれる。
確かに今回は重傷だ。
攻撃を受ける場所を選べなかったため、正直もう手が上がらない。
このままではただの足手まといになってしまうので僕は少ない魔力を使って回復魔法を使う。
痛みは治まらないけど、これでひとまず動けるくらいには回復したはずだ。
「まぁね。ちょっと痛いけど致命傷は無いよ」
「あたしが回復魔法を使えたら……」
カナリナは優秀な魔法使いだけど、唯一回復魔法は得意ではない。
もちろんそんなことで責める人は居ないけど、自分ではやはり悔しい部分もあるのだろう。
「その気持ちだけでも嬉しいよ。それよりみんなは怪我とかない?」
状況が目まぐるしく変わったので確認が遅くなったけど、みんなは大丈夫だろうか。
見た感じではあまり怪我をしているようには見えないので致命傷は無いと思うけど……
「大丈夫よ。ライアスとファナが居なくなってから色々あったけど、概ね問題なしよ」
それは良かった。頼もしい仲間が居てくれることに僕は嬉しさが込み上げてくる。
みんなの無事を確認した僕は先ほどから攻撃を仕掛けてこないティナを見た。
ティナはこちらを少し驚いた表情で見ているけど、その手はこちらを向いている。
研究者の男も驚いているようで、少しだけ眉が上がっていた。
ファナも確保したことだし、いつまでもジッとしている訳にはいかない。
「急で申し訳ないんだけど、もうひと踏ん張りして貰っても良いかな」
「ごめんね、ライアス君。そろそろ限界みたい……」
渋い声と共にハクの身体が熱くなってくる。
これはアイリスが銀狼になるときとヒトに戻るときに起きる現象だ。
どういう経緯で銀狼になったかは分からないけど、他の人はこのことを知らないかもしれない。
僕は急いでみんなに声を掛ける。
「みんな一旦降りて!」
僕の声に従ってみんなが下りるのと同時にアイリスの変身が解けた。
当然のようにアイリスは服を着ていなかったのでボロボロだけど僕の上着を渡しておく。
「あ、ありがとう。ライアス君」
僕は極力アイリスを見ないようにしながら敵の様子を見る。
何故、ティナは攻撃して来ないのかと思っていたけど、そういうことか。
ティナは操られているけど、操っているのは恐らく隣の男だ。
その男が難しい顔をして何か考え込んでいた。
その声が僅かだが聞こえてくる。
「何故だ? あいつらは何をやっている?」
何か研究者にとって想定外のことが起きているらしい。
大方予想はつくけど、とりあえず今がチャンスだ。
「よし、カナリナはティナが攻撃してきたときに対応をお願いして良いかな?」
「ええ、もちろんよ。ここに来て色々分かったけど、とりあえず、あの子に掛かっている呪いは私の方でなんとかしてみせるわ」
「アイリスとファナはそこで休みながらプリエラを看ておいて欲しい」
僕の言葉に二人が頷くのが分かった。
プリエラの目はまだ覚めないから守る人が当然必要だからな。
そこで僕は言葉に詰まってしまう。
残っているのは僕とミーちゃん。
そして、戦うべき相手はエルフの研究者。
今分かっている相手の特徴は詠唱を使って、なんらかの呪いのようなモノを仕掛けて来る事、そして急所をなんらかの方法で守っていることだ。
それは恐らくだけど金属のような何か。
体内に金属を仕込ませるなんて可能なのか僕には分からないけど、あの感触は多分、金属で間違いない。
そんなあいつを倒すには僕の短剣では不十分だ。
じゃあ、どうすれば良いのか。
多分ミーちゃんの怪力なら一撃当てれば、金属ごと粉砕出来るだろう。
でも、それをお願いして良いのか……
「お兄ちゃん? ミー何でもするよ。それともミーじゃ役に立たないかな?」
……
「ミーちゃん、今からあの白衣を来た男を倒しに行くけど、急所を金属のような硬いモノで守っているんだ。僕が道を作るから強い一撃を入れて欲しい」
「うん。任せて~お兄ちゃん」
ミーちゃんは守られるだけの存在ではない。
こんなことを気にすることの方が失礼かもしれないな。
僕達が体勢を整えると、研究者の男がこちらを向いた。
「アレを全部突破してきたのか……」
「アレって言うのがアンタのお仲間さん達の作ったガラクタのことを言っているのなら、全てぶっ壊してきてあげたわよ」
やはり何か向こうでもあったのだろう。
その辺の話はまた今度聞こう。
それから戦いはどちらともなく開始された。
ティナが遠距離から魔法を仕掛けてくるけど、その全てにカナリナは対応している。
恐らく今まででもかなり魔力を使っているはずだ。こちらも速く終わらそう。
ここでの僕の役割は相手の魔法の盾となることだ。
ミーちゃんは力はかなり強いけど、魔法耐性がないことは今までの経験から分かっている。
幻覚などにはことさら弱いはずだ。
だから僕はミーちゃんが安全に敵の前に立てるようにする。
「ミーちゃん、行くよ」
「うん!」
僕の後ろをミーちゃんが付いてきているのを感じながら前に突き進む。
やはり研究者の男は詠唱を始めた。
何か口ずさんでいるのが分かる。
このままでは僕だけじゃなくてミーちゃんにも掛かってしまうかもしれない。
僕は痛む腕を無視して短剣を振り上げ、放った。
もう大分近くまで来ているので、ここからなら当たるだろう。
短剣は相手の顔に向かって進んで行く。
流石に顔に受ける訳にはいかないと思ったのか、研究者は躱す動作を取った。
その瞬間、詠唱が途切れる。
(ん? もしかして止まっていないと詠唱できないのか?)
そういえば、何か術を掛けてくるときはいつも止まっていたと思い出す。
詠唱を止められた研究者の男は少し苦い顔をして、また詠唱をしようとしていた。
短剣を二本とも投げてしまったことで僕の手元には何も武器は無いけど、ここまで来れば問題は無い。
あとはミーちゃんに任せる。
「ミーちゃん、お願い!」
僕が敵の寸前で屈みこむと、その上をミーちゃんが飛び越える。
「えりゃあ!」
気の抜けた声と共に繰り出された一撃は相手の胸に吸い込まれていく。
ゴォォォンン!
胸の金属に当たったのか、凄まじい音と共に研究者の男は吹き飛んでいき、そのまま壁に激突した。
壁は少し凹んでいて、その衝撃の強さが伺える。
ここで油断してはダメだ。
僕はミーちゃんに戻るように命じてから途中で短剣を拾い、すぐさま敵の様態を確認しにいく。
ミーちゃんの拳を受けたのだから恐らく衝撃だけでも致死のはずだ。
しかし、予想に反して研究者の息はまだあった。
胸は穴が開いており、中に仕込まれている金属が見えている。
(やっぱり金属だったか……)
その金属もミーちゃんの攻撃で欠けており、急所が露わになっていた。
研究者はよくその状態で死なないなと感じるくらいには満身創痍だった。
それでも痛がっている様子は無い。
痛覚を捨て去ったというのは本当なのだろう。
そんな敵が独り言を呟いている。
「生命活動の維持は困難、か……。つくづくヒトの身体とは欠陥品だ」
口が動く以上、詠唱されてもおかしくはない。
僕は短剣を構えて近づいた。
「少し早いが後はアレが上手くやってくれるだろう」
(アレ……?)
まだ何かあるのだろうか?
それともこれもブラフか?
「アレって何?」
僕は細心の注意を払いながら尋ねる。
こいつは自分から説明してくれるタイプのヒトとは思えないけど、疑問を残したまま終わるというのは後のことを考えるとよろしくない。
少しの沈黙のあと、研究者は逆に尋ねてきた。
「……一つお前に問おう。私の種族を一番にするにはどうすれば良いと思う?」
聞かれた内容は僕の問いに関係のないもののように思える。
私の種族とはエルフのことだろう。
一番というのが何を指している言葉なのかは分からないけど、こんな研究をしているくらいだ。
軍事的な意味に違いない。
エルフは魔法が強い。そこを伸ばすのが良いのでは無いだろうか。
「そのための研究なの?」
「無論だ。さぁ、答えてみろ」
「魔力を集めて、他に対抗できる手段を作ること……?」
「足りんな」
そこで研究者の男は血を吐いて、むせる。
もう長くは無いだろう。
「エルフを一番にする方法は単純だ。他の種族を根絶やしにすればいい」
そこで男が何かを詠唱しようとした。
最後の悪あがきだろうか。
僕もそれを許す程の余裕はない。
詠唱が終わる前に壊れている胸の金属の隙間から心臓を一突きした。
(結局教えて貰えなかった……)
アレってなんのことだ?
僕は当然知っている訳もないけど、なんとも後味の悪い結果になってしまった。
僕は男が絶命しているのを確認してから、みんなの元へ戻る。
そこにはティナの胸に手を当てながら難しい顔をしているカナリナが居た。
その横でファナが不安そうに様子を眺めていた。
ティナも操っていた男が居なくなったことで操られないようになっているのだろう。
「ティナの様子はどんな感じ?」
「そうね。今は眠らせてるわ。多分、魔法で身体の自由を奪われてたわね。操ってた奴が居なくなったからこのままでも大丈夫だろうけど、なんか嫌だから今、解除出来ないか調べてるわ」
「ティ、ティナは助けるのかしら?」
「ええ。命に別状はないわ。これはあくまで呪いを解いてるだけだから……」
僕達の中で魔法に一番詳しいのはカナリナだ。
彼女に任せておけば悪いようにはならないだろう。
「分かった。ありがとう。よろしくね。ファナは大丈夫なの?」
「ええ。さっき、魔力が戻ってきたわ。今の調子は今までで一番良いわね」
「そっか。それは良かった」
ファナの封印を解くことは今回達成したいことの一つだった。
ティナも助かりそうだし、作戦は成功と言って間違いない。
僕は次にミーちゃんの元へ行った。
ミーちゃんは既にアイリス達と合流していた。
「ミーちゃん、お疲れ様」
「うん。お兄ちゃんこそ疲れちゃったんじゃない?」
「そうだね。帰ったらゆっくり休もうか」
ミーちゃんに何か気にしている様子はない。
それなら僕が何か言う必要はないな。
次に僕はその場に居たアイリスに近づく。
僕の上着は男物だから大きいとはいえ、ところどころ破れているのでかなり際どいことになっている。
僕は出来るだけ見ないようにしながらアイリスにこっそり尋ねた。
「銀狼のことは良いの?」
これだけでアイリスには伝わるはずだ。
「うん。最後まで迷っちゃったけど、しっかり決断できたよ。みんなには落ち着いてから改めて話すつもりだよ」
これでさらにトラウマが克服できたなら嬉しい。
アイリスにとっても今回のことは良いきっかけだったかもしれない。
僕はその場で寝ているプリエラを見つめる。
その顔を覗き込むと、プリエラの長い睫毛が動いた。
視線の先に居る僕とプリエラの眼が合う。
「プリエラ、おはよう。調子は──」
「──ライアスさん!」
僕と目があったプリエラはそのままの勢いで僕に飛びついてきた。
何時もなら戸惑ってしまう柔らかい感触も今は打撲の痛みが勝ってしまう。
それを必死に抑えながら僕はプリエラを抱擁する。
「心配しました……私、また、間に合わなくて……」
「心配かけてごめんね。無事で良かったよ」
なんかいつもみんなに心配をかけている気がする。
取り乱しているプリエラをひとしきり宥めた後、僕は顔を上げる。
なかなか疲れたけど、やり終えてみると達成感が凄い。
そういえば、ファナが魔力を取り戻せば、みんな強くなるな……
(あれ? いよいよ言い訳出来ないほど力に差が生まれたのでは?)
でも、こんなことを考えることが出来るのはみんなで無事終われたからだ。
そう思うと自然と笑みが零れる。
ズゥゥゥン!
その時、地響きが鳴り響いた。
大地を揺るがすような大きな音はそれ一つだけで、何か超常の現象が起きているのだと確信させる力があった。
笑みを浮かべていた僕の顔はいつのまにか引き締まっている。
まだ、戦いは終わっていなかった。




