第50話 親子の決闘
僕は目の前で起きていることをまだ理解できずにいた。
そろそろ僕が限界という時にミーちゃんが僕と大型の巨人の間に割り込んで来た。
まさかミーちゃんが入ってくるなんて考えもしていなかった僕は一瞬固まってしまったけど、今は理由を考えている場合ではない。
今も、巨人との戦いは続いているのだから……
僕はすぐさまミーちゃんの前に出ようとしたところで、ミーちゃんに遮られる。
「お兄ちゃん、邪魔してごめんね。でもミーの我儘聞いてくれる?」
もちろん、我儘くらいいくらでも聞いてあげる。
だけど、今は危険な時だ。
我儘は後にしてもらおうと思ったけど、振り返ったミーちゃんの顔を見て僕は動きを止めてしまった。
ミーちゃんは今までに見たことないくらい良い顔をしていた。
決意と覚悟と、そして強気な姿勢がその瞳からは読み取れる。
……
「大丈夫なの?」
「うん!任せて、お兄ちゃん」
確かにミーちゃんは力が強い。それでも相手とはかなりの質量差がある。
僕としては最悪の結果になることが怖い。
僕がどうするか躊躇していると、大型の巨人から声が掛かった。
どうやらミーちゃんに声を掛けているようだ。
「なんだ、お前は?」
「ぅ……」
大型の巨人の威圧を受けて、ミーちゃんが怯む。
そりゃあ、こんなに大きな相手に睨まれたら怖いだろう。
それにこの巨人は確かミーちゃんのお父さんだ。
かなり複雑な事情がありそうだから、僕としてもどのように扱って良いか分からない。
「何故入って来た? 決闘の場に第三者が入ることは認めていない」
そうだ、大型の巨人が決闘をする上で出した唯一の条件を破ってしまった。
僕自身も破る気だったけど、まさかミーちゃんが破ってくるとは……
ミーちゃんが入ったことで今、場は膠着している。
野次を飛ばしていた巨人達も唐突な乱入者に驚きを隠せないようだ。
ミーちゃんがその静まり返った空間で言葉を発した。
「それは誰が認めてないの?」
「無論、我だ」
「でも、ミーは反対だよ?」
ミーちゃんの発言に僕は驚く。
正直、ミーちゃんが反対しようがしまいが、大型の巨人が提示して僕が受けた段階でこのルールは確立されている。
それをミーちゃんが反対したからといってどうにかなるものでもない。
こんなことを言ったら流石に大型の巨人も怒り心頭で暴れ出すだろう。
そう思っていたのに、返ってきた言葉は意外にも好感触だった。
「ほう。失格者のお前が我に歯向かうと言うのか?」
「うん。ミーはもう隠すことは止めたの」
「……そうか。まぁ、一人やるのも二人やるのも変わらん。纏めて相手してやろう」
明らかな約束違反。
ただでさえ、自尊心が強そうな巨人は絶対に認めないかと思ったけど、予想に反して素直に受け入れた。
というより、もう巨人は僕に意識を置いていないな。
完全にミーちゃんを見ている。
でも、二人で戦うことを許されたのは嬉し──
「ううん。ミーは一人で戦うよ」
「え? ミーちゃん?」
ここに来てミーちゃんが反論する。
僕の方を向いたミーちゃんは真剣な表情で頷く。
(ここは任せてってことか……)
……
「分かった。ここは任せた」
僕はミーちゃんに一言だけ残して距離を取る。
今、大型の巨人が腕を振り上げた。
その先にはミーちゃんが居る。
僕はミーちゃんが心配だ。
それでも、ここでミーちゃんに構い過ぎるのは過保護というものだ。
相手はミーちゃんの父親。
ここ何年か会ってなかったとしてもミーちゃんもある程度、力量は把握しているだろう。
その上で大丈夫と言うのなら僕に止める権利はない。
それにここでミーちゃんを止めるのは流石に身勝手すぎる。
僕自身はプリエラを初めとして、色んな人の心配を押し切って今まで無理を通してきた。
それなのに自分は心配だから言うことを聞けませんというのは申し訳が立たない。
僕は心配する側になったことで、初めてただ送り出す辛さを思い知った。
目の前ではちょうど戦闘が始まった。
大型の巨人がミーちゃんに向けて先制攻撃を仕掛ける。
振り上げた右手から繰り出される巨腕は受け止めることなど考えることも許してくれない。
ミーちゃんはその拳を……
弾き返した。
ミーちゃんは大型の巨人の拳に合わせるように自分の拳を撃ち抜いた。
明らかに体格差があるにも関わらず、その拳に見事打ち勝った。
後ろに流された自分の右腕を見て、巨人は一瞬惚けたあと、笑みを深める。
そこからは言葉による会話はない。
ただ重い打撃音が辺りに打ち響いているだけだ。
でも、その拳からは何か語り合うかのような雰囲気が溢れ出していた。
大型の巨人も、ミーちゃんも良い顔をしている。
普通の人にとっては致死級の攻撃に地面がどんどん抉れていく。
大型の巨人の巨腕に真っ向からぶつかるミーちゃん。
その様は完全に互角のように思えた。
いつしか、僕だけじゃ無く、巨人族のみんなも、元孤児院のみんなもその光景を大人しく見守っていた。
今、決闘場では二人だけの空間が生まれている。
純粋な力と力のぶつかり合いに僕の心も揺さぶられた。
人間界でもたまに決闘の催しがある。
僕は見に行ったことが無かったけど、そこに足繁く通う人の気持ちが少しだけ分かった気がした。
永遠に続くかと思われた戦いがついに決着を迎えた。
ズドン!!
ずっと上から拳を振り下ろし続けていた大型の巨人が膝を折った。
片膝に置いてある手は赤く腫れあがっており、自分のことでは無いのに顔をしかめてしまいそうになるほどだ。
その傍らに立つミーちゃんは少しだけ息が上がっているだけで、目立った外傷はない。
もしかしたら僕があげた籠手が少しは役に立ったかもしれないと思ったけど、規格外の力に晒された籠手はボロボロになっており、籠手としての役割を果たしたとは言い難い。
互角に思えた戦いも蓋を開けてみればミーちゃんの圧勝のような形になってしまった。
その緊迫した空気に誰も言葉を発せない。
ミーちゃんが大型の巨人に近づいていく。
どうやら何か会話をしているようだ。
その内容は聞き取れないけど、ミーちゃんが涙ぐんでいる。
それは決して悪い涙では無かった。
多分、親子間で何か分かり合えたことがあるのだろう。
僕としては大型の巨人を許すつもりは毛頭ないけど、大事なのはミーちゃん自身がどう思っているかだ。
だから僕は二人を邪魔しないように決闘場を降りる。
……
ミーちゃんはしっかりと自分を表現して、その上で見事勝ち切った。
今度は僕達の番だ。
決闘場の周りに居た巨人達は今の戦いにあてられたのか、歯をむき出しにして、興奮を露わにしている。
腕を回したりしている彼らがこのまま大人しく引き下がってくれるとは思えない。
それに僕達は決闘の約束を破った。
相手に文句を言われても仕方のない立場にある。
まぁ、たとえ約束を守っていても血走った眼をしている彼らが大人しく従ったとは思えない。
僕はみんなの元へ戻ると迎撃の体勢を整えた。
◇◆◇
◇ミレストリア視点
ミーは片膝をついているパパのところに向かう。
久しぶりに近くで見るパパはやっぱり大きくて、頼もしい思う。
ミーは今まで本気を出したことは無かったけど、この戦いで初めて自分の全力を出した。
パパの拳は重くて、真摯だった。
力が全てというパパだったけど、だからこそ力を得るための姿勢は真剣だった。
そんなパパからすれば手を抜いているミーは物凄く醜い存在だったと思う。
「負けたか……」
倒れたパパから漏れてきたセリフ。
その観念したような、少し寂しそうな声にミーは黙り込んでしまう。
「なに、負けは負けだ。潔く認めよう」
このままじゃダメだ。
せっかくこういう機会に恵まれたんだから何か話さないと……
「あ、あの、パパ……」
「我はお前にそう呼ばれる資格はない……」
パパから告げられる拒絶の言葉。
でも、それはパパが自分を責めているような言い方だった。
パパは一呼吸おいて続けた。
「──だが、そうだな……」
「強くなったな。ミレストリア」
それは優しい言葉だった。
いつもぶっきらぼうだったパパがたまに見せる優しい表情。
その一言にミーはよく分からない感情が沸き上がってくる。
目からは涙が溢れ、漏れる嗚咽を止めることが出来ない。
泣きじゃくっているミーにパパは一つの木の板を取り出した。
「ミレストリア、我は説明が得意ではない。ただ、これだけは渡しておこう」
そのミーの身体程ある板は巨人族が文字を書くときに使っているものだ。
基本的に用があるときは口で済むので、文字を使う人はあまりいないけど、お店の看板や、値段を書くとき、何か記録を残しておきたいときのためにみんな、一通り学ぶことになっている。
ミーはそれを受け取って見る。
その差出人を見て、ミーは息を飲んだ。
(レナちゃん……)
ミーはあの試練の後、すぐに追い出されたからあの後レナちゃんがどうなったか分からない。
ミーは早速書かれている文章を読み始めた。
『ミーちゃんの馬鹿!なんで、なんでこんなことしたの? ミーちゃんに助けてもらって、それで生き残っても、ミーちゃんが居なかったら……って、ごめんね。本当に馬鹿なのは私の方なんだから……ミーちゃんは居なくなっちゃったし、もう会うことはできないと思う。でも、僅かでも読んでくれる可能性が残ってると信じて、これを書くね。これも私の自己満足、懺悔のため。あぁ、私って本当に自分勝手だな。これを叶えてくれた長には感謝しないと』
『うーん。こういう時って何から書いたら良いんだろ。適当な話を作るのは得意なんだけどなぁ。でも、うん。まずは謝罪だよね。ミーちゃん、本当に今までごめんね。そして、ありがとう。実は私ね。ミーちゃんが私のために弱いふりをしてるの知ってたの。みんなは気付いてなかったかもしれないけど、いつも一緒にいる私には分かっちゃった。それに、あの日のこと覚えてる? 私がお母さんに怒られて、家を出た時のこと。ミーちゃん、私たちの話聞こえてたんでしょ? ミーちゃんは誤魔化してたけど、凄い顔が引き攣ってたよ。そこから私は気付いてた。でも、私はそれに甘えちゃってた。本当にごめんね』
『ミーちゃんが明らかに手を抜き出したのに気付いたけど、私はそれを黙ってた。怖かったの。ミーちゃんが強くなればなるほど、私から離れて行っちゃうような気がしてた。ミーちゃん自身はそんなつもりが無くても周りがそれを許さない。ミーちゃんが強くなれば間違いなく、私とミーちゃんは離されちゃう。それがね。どうしようもなく怖かったの。これが私の一つ目の罪』
……
『それでね。私はもう一つ、自分を許せない罪を犯しちゃった。私って身体が弱かったでしょ。試練の何日か前に体調を崩して、口から血が出てきたときに気付いたことがあったの。あぁ、私の命は長くないって……本当に唐突だったんだけど、そう思っちゃったの。それでね。もう長くないことに気付いた私の望みは一つだった』
『ミーちゃんと一緒に居たい。それが私の望みだった。もう自分の命が長くないことは分かった。だから私はこの世で一番大切なミーちゃんと一緒に居たいと、そう思ったの。それからは体調が悪いのを無視して、ミーちゃんと遊んだなぁ。ほんとに楽しかった。ミーちゃんと過ごす時間はどれも私の中で輝いてた。でも、それで沢山迷惑を掛けちゃったね。それもごめんね』
……
『そして、試練の日当日、私はここを最後の思い出の場所にって決めたの。ここで全てミーちゃんに告白して、今までのことを謝ろうって、いっぱい感謝を伝えようって、そう思ってたの。ミーちゃんはずっと私のために自分を押し殺して、周りから蔑まれても私を優先してくれた。それに甘えてた私だけど、最後くらい、良い別れ方をしようって、そう思ってたの』
「うぅ……」
『それなのにさ、私、言い出せなくてさ。早く、早くって。そう思っても言えなかったの。私を心配するミーちゃんの顔を見ると、言葉が詰まっちゃったの。ミーちゃんが私を置いて行った時、私は凄く安心した。良かった、最後まで言い出せなかったけど、最後にミーちゃんの邪魔をせずに済んだって。私はもう長くないから、追い出されるのは私で良いって。そう思ってたのに次に目が覚めた時、ミーちゃんは居なかった』
『ミーちゃんが追い出されたことを知った時、頭が真っ白になるってこういうことなんだって分かった。私が追い出されず、ミーちゃんが追い出された理由は明らかだ。私のせいでミーちゃんが追い出された。もう、この罪をどうやって償えば良いか分からないよ。いや、多分、どうやってももう無理だと思う。そもそも私には罪を償う時間すら残ってないの』
『あぁ、どうしたら良いんだろ。私に出来る精一杯は何か、少しでも、もうなんでもいい。少しでも、ミーちゃんに何か残したい。その一心で書いたのがこれだよ。これがミーちゃんの元に届く確率は低いと思う。でも、届いたときにミーちゃんに少しでも私の気持ちを聞いて欲しかった。ミーちゃんは本当に優しいから、私に付き合って弱いふりをしたことで色々気に病んでたと思う。そんなミーちゃんがこれを読んだ時も気にしてたなら、それを少しでも救いたい』
『ミーちゃん、ありがとう。今までほんとにありがとう。何年も私に付き添ってくれて、何年も自分を殺して生きてくれて、ほんとにありがとう。ミーちゃんのお陰でさ、私、幸せだったよ。多分、巨人族で私ほど幸せなヒトは居ないと思う。だって、巨人族に必要な力を持たずに生まれたのに、こんなに毎日が楽しくって、少しでも長生きしたいって思えた私は本当に恵まれてた。これも全部、ミーちゃんのお陰。だからね、これからは自分のために生きて欲しいの。今までミーちゃんを縛ってた私が言えることじゃないけどさ。ミーちゃんには幸せになって欲しいの……あぁ、悔しいな。ミーちゃんには与えられてばっかりで終わっちゃったなぁ。ほんとはね……ほんとは私がミーちゃんを幸せにしたかった。ミーちゃんの側で、ずっとその笑顔を見続けていたかった。追い出されたって聞いて、直ぐに追いかけようって思った。でも、もう私の足は私の言うことを聞いてくれないの。だからお別れを言わなくちゃね。ミーちゃん。強くて、優しい、笑顔がとっても素敵なミーちゃん。私の大好きなミーちゃん。ありがとう。バイバイ』
「う、うわぁぁぁぁん」
(こんな、こんなのずるいよ。レナちゃん。ミーの方がレナちゃんには申し訳ないって思ってて、それにミーも幸せだった。レナちゃんと過ごした時間はミーにとっても宝物。あぁ、また気付けなかった。レナちゃんの体調がどんどん悪くなっているのは分かってたけど、そんなに酷かったなんて知らなかった)
レナちゃんと話したいことが沢山あった。
外に出て気付いたこととか、今までの感謝とかいっぱい、いっぱいある。
でも、もうレナちゃんと話す機会はない。
それがどうしようもなく辛かった。
「ミレストリアが居なくなって、数日後にレナは亡くなった。お前がレナを懇意にしていたのは知っている。我にはヒトの感情の子細は分からん。だが、それを我が受け取った時、あいつは笑っていた。少なくとも、お前が子供の頃に言っていた、レナを守るというのは成し遂げていたということだ」
パパがミーを慰めてくれる。
口下手なパパがここまで話してくれることは珍しい。
それもあって、ミーは溢れて来る涙を止められない。
しばらく泣いて、少し落ち着いたときに、パパが尋ねてきた。
「それで、お前はどうするんだ?」
どうする……ミーはどうしたいんだろ?
ミーは半ば無意識にお兄ちゃんたちの方を目で追った。
お兄ちゃんたちは他の巨人と戦っていた。
囲まれないように戦っているので、押されているわけではないけど、相手が多いから決め手に欠けるようだ。
「ミーは……」
「ふ、もう答えは出ているであろう……最後にお前の弱点を教えてやる。お前の弱点はその素直さだ。我は真正面からぶつかったが、皆が皆、そのような戦い方をするわけではない。我に勝ったからといって、慢心していればすぐに足元を掬われるだろう」
パパがミーに手を伸ばそうとして、ひっこめた。
パパの言っていることは正しい。
多分、パパが本気で戦っていたらミーは負けていた。
本気というのは力のことだけじゃなくて、頭も使うということ。
パパは力も強いけど、戦いにおいて、機転を利かすのも上手いヒトだった。
それはずっと背中を見続けてきたミーには分かる。
ミーにはその戦いでの機転がが無い。
実戦経験も少ない。
ミーはパパの言葉をしっかりと受け止めながらパパの方に進む。
「ど、どうした?」
少し緊張しているパパの足元にもたれ掛かりながら感謝を告げる。
「パパ、ありがと」
「む、だから……」
「ミーの選択を尊重してくれてありがと……パパがミーのために色々してくれたのは知ってるよ? 試練がいつもと違ったのも、ロイドさんをミー達の案内役に付けてくれたのも、パパのお陰でしょ?」
「……」
「それに、レナちゃんの木版を大切に保管してくれててありがとお。凄い大切にしまってくれてたの、見たら分かっちゃった」
「我は別に……」
「ミーはね。これからミーのしたいように生きることにするね。今はあの人達と過ごすのがほんとに楽しいんだ~。だからパパとは一緒に居られない」
「ふ、追い出された身のお前はここに住む資格がない。どこでも行くがいいさ」
「だから、最後にお願いがあるの」
「……なんだ?」
「あのね、頭を、撫でて欲しいの」
「……それより、良いのか? お前の仲間が苦戦し始めたぞ」
パパに言われて見れば確かに少し押されているようにも見える。
どうやらプリエラちゃんは力を使っていないようだ。
必死にカナリナちゃんが魔法を放っている。
でも、誤魔化されたことには納得がいかない。
「む~~。もういいもんね。パパのことなんか知らない」
ミーはふくれっ面でパパから離れてみんなの元へ向かう。
そんなミーに影が落ちてきた。
ミーの頭の上に何かが降ってくる。
この感触は忘れもしない。
パパの手だ。
「ミレストリア、達者でな」
ミーはもう一度、零れそうになる涙を抑え、パパに、そしてレナちゃんに別れを告げる。
『ミーはお兄ちゃんやみんなと一緒に精いっぱい生きていくね』
ミーは強く一歩、前に踏み出した。
その一歩はどこか憑き物が落ちたように軽やかだった。