第39話 カナリナの気持ち
本日二話目の投稿です。
あたしが住むゲーニッヒ森林には人がほとんど訪れない。
ここ一年近く、人を見たことは無かった。
それなのに彼は現れた。
何故ここに来たのか?
そんな疑問はあったけど、ディオーネが頼りにならない今、あたしが彼女たちを守らないと……
そう思ってもディオーネ無きあたしに戦える力は無い。
ファナ達を含め、あっさりと捕まってしまった。
プリエラを助けなけばいけないのに、新たな問題が発生したことに苛立ちが募る。
ディオーネのことも含め、色々あったあたしは冷静な判断力を失っていた。
普通なら敵に捕まった時は大人しくしているべきだったのに彼に対し、過剰に反応してしまった。
結果、みんなに迷惑を掛けただけだ。
本当に笑えて来る。何が「あたしが守る」だ。
今までのは全てディオーネが助けてくれていただけで、あたしは何も変わってはいなかった。
あたしは自分の弱さを改めて痛感する。
しかもそのことに気付いてすらいなかった。
ディオーネが愛想を尽かすのも当然のことだ。
あたしはそれからプリエラのために何かしようと奔走した。
記憶を頼りに薬草を集めてみたけど、効果は無かったし、下手な草を食べさせるわけにもいかない。
そんな風におろおろしている内に、ここを訪ねてきた男がプリエラを助けてしまった。
あたしの胸にあったのはプリエラが助かった喜びと、悔しさだ。
見た限り、彼にもあまり力は無い。
それなのにプリエラを助けることが出来た。
力が無いことを言い訳にしていた自分が酷く惨めに見える。
銀狼やドラゴンの事件もそうだ。
こういった魔物関連の問題も全て、あたしが、いやディオーネが片付けてくれていた。
その頼りのディオーネもあれ以来、返事が無い。
アイリスの帰りを待つことしか出来ない自分に腹が立つ。
結局その事件も彼が解決してしまった。
アイリスと戻ってきた彼はボロボロで、何度も危険な目に合ったことが分かる。
それこそ安全な建物内で待っていただけのあたしには想像もつかないほどの危険が……
元気になったアイリスはその事件の説明をしてくれた。
彼がドラゴンを屠るほどの力を持っているらしい。
それを知ったあたしは自分が安堵していることに気付き、嫌悪した。
力があるならいろいろ解決できて当然だ。
それなら力の無いあたしが解決できなくても仕方がない。そのように考えてしまったのだ。
力があろうと無かろうと彼が自分の身を犠牲にしてまでアイリスを救ったのは事実だ。
その勇気すら侮辱してしまう自分に嫌気がさした。
あたしはそんな自分の嫌な面を思い知らされる彼を遠ざけた。
彼の周りには一人、また一人とあたしの仲間が向かっていった。
賊が襲ってきた時もそうだ。
あたしは吠えることしか出来ず、無力に捕まった。
まだ、ミーちゃんの方が戦えていたくらいだ。
ミーちゃんはあたしより余程、力と勇気がある。
そして牢の中でもあたしは無力に怯えていることしか出来なかった。
こんなどうしようも無い状況でもみんな彼を信じていた。
ファナは違ったかもしれないけど、プリエラやアイリスの信頼は際限が無かった。
そして、その期待にあの男はまたしても応えた。
自分がボロボロになってまで……
牢を抜けて見た彼の背中はとても痛々しくて、それでも彼は笑っていた。
底抜けのお人好しだ。
ここまでされても尚、あたしは彼に反発心を持ってしまう。
アイリスのお陰で感謝を伝えることは出来た。
それでもやっぱり仲良くなれる気はしない。
みんなは彼と仲良くすればいい。
あたしはあたしで皆に出来ることをするだけだ。
そのように決意した数日後、あたしはアイリスとプリエラに呼び出された。
大きな木のある場所はディオーネと出会った場所でもあるから、彼女に何か変化が訪れるかとも思ったけど、相変わらず返事が無いままだ。
恐らくまだ認めて貰えていないのだろう。
あたしが木の陰で待っているとミーちゃんの声が聞こえて来た。
ミーちゃんを迎えに行くと、なんとあの男も居た。
いや、最初から察するべきだった。
彼女達と彼の仲はもうかなり良い。
こういった場所に彼も呼んでいるのは想定できて然るべきだ。
そしてこの空間にあたしが居ればどうなるか?
間違いなく、あたしは彼に噛みつくだろう。
それで場をしらけさせてしまうくらいなら最初からいない方が良い。
あたしはその場から立ち去った。
せっかくだから、久しぶりに『ハリソンの魔法屋敷』を探しに行こうかと思っていたらなんと、彼があたしを追いかけてきていた。
何でこっちに来るんだ。彼女達と一緒に居たら良いのにと思いながら逃げる。
そのまま逃げて、逃げて彼共々崖から落ちた。
落ちる際中、ディオーネがあたしと入れ替わるのが分かった。
彼女との契約はまだ解消されていないみたいだ。
あたしはまた彼女に頼ってしまったのだ。
◇◆◇
あたしは夢を見ていた。
それはあたしが忘れていた記憶。
捨て去ったはずの記憶。
あたしは父に肩車されて庭を歩いていた。
いつもより高く見える景色がどこか面白くて、肌から伝わる人の温かさに安心していた。
歩くたびに揺れるのも心地良い。
しかし急に父の様子がおかしくなった。
その場に留まって動こうとしない。
「パパ……?」
「カナリナ、お前には失望したよ」
その瞬間、落雷に打たれたような衝撃を受けた。
肩車されているせいで顔が見えないのが怖い。
あたしの中で不安が膨らんでくる。
最近は思い出さなくなってきた辛い時期のことが蘇ってきた。
あたしはそこで目が覚めた。
まだ動悸は激しくて、さっきまでのが夢だったと分かって安心する。
寝ぼけて上手く機能しない頭に人肌のぬくもりと、身体が少し揺れるのを感じる。
それは夢の中で父が肩車されている感覚に似ていた。
「パパ……?」
寝ぼけていて変なことを言ってしまったけど、しばらくして意識がはっきりしてきた。
目の前には例の男がいる。
あの高さから落ちて無事だとは考えられない。
多分ディオーネが助けてくれたのだろう。
まさか、この男と同じ空間に居ることになるなんて……
変な夢を見たせいで、トラウマが蘇ってしまったあたしは彼をまた遠ざけた。
それでもこの状況ではお互いに助け合うしかない。
まぁ、あたしに出来ることなんてほとんど無いんだけど……
屋敷の中に入ったあたしは、まず濃密な魔力に気付いた。
そして、本で見た『消えない炎の杯』。
間違いない。あたしはここが『ハリソンの魔法屋敷』だと確信した。
ついに来たんだ。
しかし興奮するあまり、不用意な行動を取って彼を傷つけてしまった。
助けてくれたのに過剰に嫌がってしまい、あたしの中で罪悪感が大きくなってくる。
そんな状態で屋敷を進んで行くと分岐路に辿り着いた。
目の前からは禍々しい気配がしている。
分岐点に来たなら迷うことは無い。右だ。
ハリソンはよく「右に知恵、左に力」というようなことを言っていた。
この力というものは曖昧で掴みどころがない。
あたしは知恵を選択した。
予想通り書庫に辿り着いたあたしは目の前に広がる本の山に心を躍らせた。
ここなら魔法の使い方も分かるかもしれない。
あたしは早速本を漁りに行く。
書庫には魔法関連の本も豊富にあり、その知識の深さに驚愕してしまった。
流石ハリソンだ。
あたしが知らない事が当然のことのように書いてあり、ここなら新たな魔法の使い方が書いてあるのではないかと胸を躍らせた。
しかし、その本の多くは古代魔法文字で書かれており、全てを理解することはできない。
まさか古代魔法文字で書かれているとは思わなかったから、あまり勉強していなかった。
一応、アムレート家にあった本の中にも古代魔法文字で書かれた書物はあったため、少しなら読めるけど難しい所は分からない。
「そこは、『魔力があるのに魔法が使えない人は回路に異常がある可能性がある』って書いてあるよ」
その時、後ろから声が聞こえた。
直ぐに彼の声だと分かったけど、もっと気になることがある。
「え?アンタ、これ読めるの?」
古代魔法文字は余程勉強しない限り、身につくことはない。
それこそ専門家くらいしか読めないはずだ。
そんな文字をあたしと同じくらいの年齢であっさりと読めている事は明らかに異常だ。
どうやら彼の師匠が教えてくれたらしいが、彼の師匠は専門家か何かだろうか?
そんな疑問はあるけれど、今はあまり重要ではない。
あたしはそれから、時間も忘れて彼に質問し続けた。
いつも拒絶していたあたしにも彼は丁寧に応えてくれる。
彼女達が彼のことを好いている理由の一端がわかった気がした。
◇◆◇
彼への質問を終えたあたしは改めて書物を見返してみる。
魔法が使えないのは回路に異常があるかも知れない、か。
回路なんて発想はなかった。
アムレート家は魔法で成り上がってきたが故に、魔法においては他者を頼ることはできない。
自分達が頼られる側で無ければならないからだ。
このことを早く知っていれば、もう少しやりようはあったのかもしれない。
そして、次の項目。
『結局、魔法を使うには魔法の扱いに長けているモノに見てもらうのが一番良い』
この見てもらうというのが、あたしには分からなかった。
見てもらうだけなら子供の頃、教師に幾らでも見てもらっていた。
まぁ、魔力の顕現ができないので、見てもらう以前の問題だったのだけれど……
彼ならどうだろう?
心に闇を持っていた彼女達と打ち解け、古代魔法文字を読めて、普通なら出来ないことをする彼ならばもしかしたら……
彼は他の人とは違う視点を持っているような気がする。
そんな彼ならば、気付くことがあるのでは無いかと思った。
そこまで考えたところで、都合の良い話だと自嘲する。
今まで邪険にしておいて、必要かもと思ったら頼る。
なんて浅はかな女なのだろう。
あたしは迷ったけど、彼に聞きに行くことにした。
これ以上、自分の価値を下げたくはない。
今までのことは全て謝って、その上でお願いしよう。
もし断られたとしても、それは自分のせいだ。
彼を探しに行くと、彼は本を読んでいた。
その目は見開かれており、身体は少し震えている。
何か良くないことが書かれていたのだろうか?
彼はあたしが二度目に話しかけた時に返事をしてくれた。
「ごめん、ごめん。どうしたの?」
彼は話を聞いてくれる体制を整えてくれた。
あたしは謝ろうと口を開いては閉じるのを繰り返していた。
(早く謝りなさいよ!あたし!)
こんな簡単なことも出来ないのか。
あたしは彼に表面上、感謝や謝罪をしたことはある。
それでも、今回の謝罪とは意味合いが違う。
今回の謝罪は自分の弱さを相手に曝け出すことに他ならない。
あたしは自分の醜い面を人に知られるのが怖かった。
(は、早く何か言わないと!)
彼は依然あたしの言葉を待ってくれている。
焦ったあたしが口にしたのは、自分の謝罪では無く、お願いに関係する方だった。
「そ、そのさ、アンタ。魔法とかって得意だったりするわけ?」
あたしは謝罪することから逃げてしまった。
それでも一度言い出してしまえば止まらなかった。
彼に一方的にお願いして、勝手に落ち込んで、その上でお願いを聞いてもらった。
彼には交渉なんて考えはない。
相手に何か与える時は自分も何か貰おうと思うことが普通だ。
逆に言えば相手に何か貰う時は自分も何か差し出さなければならない。
それなのに彼はあたしに与えるだけ。
あたしはどこかで借りを返せる機会が来ることを願いながら、彼に魔法を見てもらった。
やっぱり魔法は使えない。
あたしは多分、火に一番の適性があるはずだ。
これは感覚的なものだから上手く伝えられないけど、強いていうならば、他の属性に比べて、火の魔法を見た時に伝わる情報量が多いからだ。
こんなところで火の魔法なんて馬鹿げているけど、どうせ使えないなら何を使ったって同じだ。
それに一番得意なモノの方が分かることもあるかもしれない。
「見てるだけじゃ分からないから触るね」
あたしが魔法を使おうと集中していると、そんな声が聞こえて来る。
あたしは人に触られることが得意ではない。
それでも彼ならば変なことはしないだろう。
頼んでいる以上、全て彼に任せよう。
あたしがジッとしているとあたしの中に何か流れ込んで来るのが分かった。
ディオーネの時にも似たようなことがあったけど、彼のそれは繊細で少しこそばがゆいだけだった。
(これは魔力かしら?)
他人の身体に魔力を流すなんて発想は無かった。
やはり彼は何かしら他人とは違う視点を持ってる。
ッ!
その時、あたしの中を巡っていた彼の魔力が、どこかにぶつかった瞬間、なんとも言えない刺激が襲ってきた。
彼はその何かを執拗に攻撃して来る。
「ん、ん……」
それが気持ち良くて思わず声を出してしまった。
あたしは変な気持ちになっているのを悟られないように、魔法を使うことに集中する。
その時、あたしの中で何かが急速に流れ始めた。
(あれ?これって……)
ゴォオオオオ!!!!
自分の手から流れる魔法をただただ見つめる。
あたしの手のひらからは炎が燃え盛っていた。
夢にまで見た魔法……
そうか、あたし、魔法を使えるようになったんだ。
それからのあたしは魔法が使えたことでテンションがおかしくなっていて、また彼に迷惑を掛けてしまった。
今思えば、本がある中で火の魔法を使うなんて正気の沙汰じゃない。
どんどん、彼に謝らなければならないことが増えて行く。
燃え盛る書庫から脱出したあたし達はそれからエントランスに戻り、ゴーレムと戦った。
そしてあたしは戦闘中の彼を見て直感したことがある。
──彼に強敵と戦って勝てるほどの力はない
今は出し惜しみをしている場面ではないので、間違いなく本気で戦っているだろう。
決して弱くは無い。
それでも、強敵と戦って勝ち切るほどの力は見いだせなかった。
しかし、その勇気と指示能力の高さは一級のものだ。
彼は周りが良く見えていて、その作戦もあたしでは考えもつかないようなモノだった。
「近くの絵画に魔力を注ぎ込んで、武器を生成してくれ」と言われた時は何を言ってるんだと思ったけど、実際成功したのだ。
そして、何よりも嬉しかったのは、こんなあたしを頼ってくれている。
初めて魔法を使ったあたしは想像以上に消耗していたので少し休みたかった。
でもこの恩を返すチャンスを逃したくはない。
こんなことで返しきれないけど、少しでも助けになるなら幾らでも手を貸す。
あたしは持てる力を使って、いや、持てる力以上を出して彼をサポートした。
あたしは凍結の霧の準備をしながら思う。
これを打ってしまえば、あたしは魔力不足で倒れ込むだろう。
さっきから頭痛が酷いので、もしかしたら意識も失うかもしれない。
それでも不思議と恐怖は無かった。
彼ならば大丈夫だ。
「はぁ、待たせたわね!行くわよ!」
彼のお陰だけど初めて自分の力で何かを成し遂げることができた。
あたしは満足気にその場に倒れ込んだ。
◇◆◇
「おやおや、まだ起きてくれないのかなァ?そろそろお預けされ過ぎて、我慢できそうにないんだけどなァ」
あたしは頭痛を感じながら目覚めた。
耳に入って来る甲高い声が頭の中に響いてきて不快だ。
意識がハッキリしてきた時、あたしは真っ先にゴーレムを探した。
(ゴーレムは!?)
辺りを見渡してもゴーレムはいない。
あの巨体だと、直ぐに見つかるはずだ。
それどころか、先程まで居た場所とは別の場所にいた。
彼がゴーレムを倒してくれて、あたしを移動させてくれたのだろうか?
「ん……」
遠くを見回していたあたしは近くから声が聞こえてびっくりする。
あたしのすぐ横には彼が眠っていた。
あたしが気絶してからどうなったのか分からないけど、その傷を見るに楽な戦いでは無かったことだけは分かる。
あたしは無意識にその頭を撫でていた。
「そろそろ良いかなァ?起きたのなら始めちゃってもォ!」
急に話しかけられたあたしは素早く彼の頭から手を離して、声のした方を見る。
そこには仮面を被った人がいた。
そのにやけた口元と目はその声も相まって不気味だ。
仮面男は右手に本を、左手に杖を持っている。
その姿はハリソンの書物の最後に書かれているシンボルマーク。
「ま、まさかハリソンなの?」
彼は何百年も前の人物だ。
今も生きているはずがない。
それでもこの状況的にそう判断するしか無かった。
「ご明察。よく気付いたねェ!まさか、私のファンだったりしてェ!」
確かにハリソンのことを追っていたことはあるけれど、今の彼にそれを言いたくはない。
それでも目の前の男がハリソンならまずい。
彼は魔法においては別格。
小手先の技が通じる相手ではない。
「ん、んぅ……ハッ!寝てたのか!?」
その時、あたしの側で彼が起き上がった。
辺りを見回して、あたしとハリソンの存在を確認した後、その間に立ち塞がった。
その後ろ姿がとても頼もしく思える。
「どうやら、役者が揃ったようですねェ!そこのあなた、そう男の子の君です。あなたは実に良い!合格です!その知恵深さ、それを実行する強さ、どちらをとっても優秀だァ!」
ハリソンは彼を見据えながら、褒める。
「そりゃお褒めに預かり光栄ですね。その勇気に免じて、見逃してくれたりすると、こちらとしてはありがたいんですけどね」
よく見れば彼の足は震えている。
恐怖なのか、単純に身体に疲れが溜まっているのか分からないけど、万全の状態でないことは明らかだった。
「うんうん。分かるよ、君の言いたいこともねェ!もし、ここで私が本気を出せば君たちは一瞬で消し炭だァ!心配しなくとも、そんな面白くないことはしないとも!」
何が楽しいのかハリソンは笑いながら杖を構えた。
特に魔力が練られている感じはしない。
「それでは見せてもらおう!どんな結末が待っているのか、とても楽しみだねェ!」
ハリソンが杖を振り下ろす。
あたしはどんな魔法が来ても対処できるように魔力を練っておいた。
気絶してからどれだけ時間が経ったのか分からないけど、魔力はある程度回復している。
これなら一回、障壁を張るくらいならできそうだ。
しかし予想に反し、特に何も起こらなかった。
そもそもハリソンは魔力を練っていない。
まさか、ここに来てブラフなのか?
そう思った時、目の前に立っていた彼が後ろを振り向いた。
その目は見開かれており、両手は腰に向かっていた。
「カ、カナ、リナ……」
口が上手く回らないのか、途切れ途切れでの声で名前を読んでくる。
この状況でなんで彼はこちらを向いた?
敵に背中を見せるなんて、彼らしくない。
「な、何よ」
彼は膝を曲げ、体勢を低くする。
「に、にげ、ろ」
その瞬間、彼はあたしに向かって全力で飛び込んで来た。
両手には短剣が握られている。
その切っ先は、あたしだ。
マズイ!
あたしは後ろに下がりながら、彼の近くの地面を少し隆起させて、体勢を崩す。
彼はそのまま受け身も取らずに倒れ込んだ。
しかし、すぐに起き上がってこちらを向いて来る。
「ちょ、ちょっと、ちょっとどうしたっていうのよ!急に攻撃をしかけて来るなんて!?」
あたしは彼の目を見つめる。
彼は何も喋らなかったけど、その目は今の状況を雄弁に物語っていた。
その目は泣きそうな目で、あたしの知っている目だった。
──自分の無力を嘆く時の目だ。
あたしは考えを切り替える。
もたもたしていたら、取り返しのつかないことになる。
彼はあたしに向かって攻撃を仕掛けて来る。
先ほどと同じように地面を隆起させたけど、彼は躱してしまった。
同じ手は通用しないか……
今度は彼の周りを囲うように、土の中に封じ込めた。
今回は彼の動きを止めることが出来たようだ。
あたしは部屋の奥で佇むハリソンに声を荒げる。
「ハリソン!アンタ何をしたの!?」
「なぁに、ちょっと弄っただけだよォ!そもそもこうなった原因は君じゃないかァ?それを棚に上げて良く言えるねェ!」
ハリソンは相変わらず、人を馬鹿にしたような態度を崩さない。
ただハリソンの言ったことは気になる。
(あたしのせい?)
普通に考えて彼があたしを襲うとは考えられない。
となると、原因はさっきハリソンが杖を振ったことだろう。
操られている……か。
魔力で彼を操っているとしか思えない。
普通、人を魔力で操ることなんて出来ないけど、『魔法王』であるハリソンならば可能かもしれない。
しかし、操るにしても魔力を送り込まなければならないはず……
その時、あたしはこの屋敷に入ってすぐの出来事を思い出した。
あたしは『消えない炎の杯』に目を取られて、不用意に触りに行って、庇われた。
その時、彼は腕に傷を負っていたはずだ。
(あの時か……)
「おやおや、いつまでも閉じ込めていて良いのかねェ?まぁ、彼の爪が全て剥がれても良いというのなら、それもまた選択だ」
「くっ!」
あたしはすぐに土の魔法を解除する。
彼は爪で引っ掻いていたのか、指が泥で汚れている。
それでも、割れていることは無くて一安心した。
そして自由を得た彼の身体は一直線にあたしに向かって来る。
はぁ……
あたしはその場で深呼吸をした。
彼の行動の原因も分かった。
どうすれば良いかの仮説も立った。
「さぁ、君の選択を見せてくれたまえ!」
ハリソンは楽しそうに声を上げている。
あたしはこの状況で笑みを浮かべていた。
こんなにあたしに都合の良い状況があるだろうか?
彼、いやライアスはいつも、ギリギリの作戦を無理を通して成功させてきたのだ。
こんなに今までのことを謝るのに適している場面は無い。
「ハリソン、アンタには感謝しておくわ」
あたしは走ってくるライアスに近づいていく。
ボロボロの身体を無理やり動かされて、かなり痛いはずだ。
ここで、彼に攻撃するなどという選択はあり得ない。
あたしの個人的な理由だけでなく、意識を刈り取っても操られている以上、動くはずだ。
それならここで攻撃するのは一番の愚策。
ライアスが目の前に迫ると同時に短剣を振りかぶる。
ライアスの目から涙が零れ落ちた。
「アンタはほんとお人好しよね、ライアス」
あたしは彼が短剣を突き刺してくるところに合わせて、土の魔法で障壁を作る。
結果、短剣は阻まれ走ってきた勢いだけが残った。
あたしは彼を抱きしめるようにして受け止める。
そして、すぐさま両手から蔦を出して、彼の身体とあたしの身体を蔦で絡めて固定した。
その過程で、蔦を使って短剣を払い落しておく。
完全に密着する形となっているあたしとライアス。
あたしは彼に付いている切り傷の一つに触れて、魔力を流しながら声を紡ぐ。
「少しだけ、あたしの話を聞いてくれるかしら」
今まで素直になれなかったカナリナですが、ライアスが操られ、選択を迫られたことで彼女に自分の気持ちを伝える機会が巡ってきました。
次回、反撃
お楽しみに。