第37話 カナリナの過去3
あたしは今、馬車の中で揺られていた。
この行動が褒められたことで無いことは分かっている。
それでもあの場ではこうするしか無かった。
あたしはこれからの行動を考える。
何せこの馬車がどこに行くかも、馬車を操っている御者の性格も分からないのだ。
下手に姿を見せて、直ぐに役所に届けられたらあたしの立場はない。
ただ、この馬車の目的は何となく浮かび上がってきた。
荷台には大小さまざまな木箱が所狭しと敷きつめられている。
恐らく行商の類だろう。
ほとんど勢いで飛び出してしまったけど、あたしはゲーニッヒ森林に行きたい。
そこで何も得られず、死んでしまっても後悔は無い。
ただ、最後まで諦めるつもりは無かった。
しばらく経って、あたしは想像以上の馬車の揺れに居心地の悪さを感じながらも、天幕の隙間から外を眺める。
そこは大通りなのか、見たことも無い程多くの人々が行きかっており、あたしは委縮してしまう。
(彼らはあたしのことなんて知らないわ)
頭では分かっている。
それでも不安は拭えない。
それに貴族としての嗜みばかり教えられてきたあたしには、平民とどう接したら良いのかも分からない。
あたしがそのことで悩んでいると、馬車の動きが止まる。
通行人が居たから止まったのか、目的地に着いたから止まったのかは分からない。
ただもし御者の人と鉢合わせるとしたら、ここが勝負の分かれ目だ。
ここで隠れるか堂々としているか。
あたしは家で魔力の研究のために本を読んでいたけど、息抜きとして他の本も読み漁っていた。
その中に交渉事についてのノウハウが書かれていた本もある。
いきなり実践だけど失敗は許されない。
あたしは髪を留めていた髪飾りを抜き取る。
これは昔、母がくれたものだ。
アムレート家は割と裕福な貴族なのでお金には困っていない。
嫌われ者のあたしでも、昔に貰ったモノまでは取られなかった。
その髪飾りの宝石を取っておく。
あとは胸に付いている貴族としての勲章を確認した。
貴族は常にこの勲章を身に着けている。
それに例外は無い。
ちなみに勲章は生まれた時に一つ与えられ、成果を上げれば追加でもらえるものだ。
だからこそ勲章の数はステータスになる。
あたしは目標を達成するためにどんな手でも使うつもりだ。
その時、天幕を縛っていたロープが外される音が聞こえてきた。
恐らく、御者の人が下りてきたのだろう。
あたしは物陰に隠れることも無く、静かに御者を待つ。
今まで人と話すのは怖かった。
そもそも話すのも最近では父か、侍女がせいぜいといったところだ。
それでも今から話す人はあたしが無能であることを知らない。
それなら有能なふりをしよう。
今回の作戦で大切なのは自信だ。
たとえそれが虚勢だとしても相手を騙せれば問題はない。
今、天幕が開かれた。
目の前に現れた男性が三十代前半であることを見て笑みを浮かべる。
あたしは御者の目を真っすぐに見つめて先手を取った。
「お初にお目に掛かりますわ。断りも無く乗車してしまい誠に申し訳ありません」
あたしは洗練された動作でお辞儀する。
昔に礼儀作法を学んでいたあたしにはこれくらいのことは造作もない。
御者の男はまだ、戸惑っていたけど返事はしてくれた。
「い、いえ。それは構わないのですが……」
本当は「構わない」なんて思っていないことは分かっている。
あたしが貴族の勲章を胸に付けており、その所作も令嬢のモノだから遠慮しているのだろう。
こうなることは想像できていた。
彼は三十代であたしの家の前、つまり貴族街で止まっていた。
そして、今止まった場所は平民が住む場所だ。
ここから推測するに、彼は貴族相手に商売はしているが貴族お控えの商人というわけではない。
なぜなら貴族は体裁を気にするからだ。
お控えの商人となると当然、貴族街の近くに住まわせる。
しかし、彼は平民の多い場所で止まった。
ならば貴族に売り出し始めた新興商人だと分かる。
そんな彼は今が大切な時期だ。
貴族のあたしを蔑ろにすることはあり得ない。
これはあたしの予想であって間違っているということも十分にあるけど、賭ける価値は十分にある。
「このような状況で申し訳ありませんが、お話をお聞きしていただけませんか?」
あたしはそれと同時にさっき取っておいた宝石を差し出す。
これはあたしがしっかりとお金や、それに類するものを持っていることを強調するためのモノだ。
商人の男はそれを見て商売人の顔になる。
お金になることなる話なら何でも聞くという上昇志向が彼を押し上げたに違いないのだから……
彼は身嗜みを整え、顔に笑みを張り付ける。
「先ほどは取り乱して申し訳ありません。お話ということでしたらどうぞ、こちらへ」
そのまま彼の助けを借り、馬車から降りる。
彼はあたしが裸足なことに目を光らせたけど、何も言われなかった。
どうやらここは彼の店のようだ。
彼は店に入るなり、水とタオル、靴下や靴など必要なものを持ってくる。
「少しお貴族様に見せるには華やかさに欠けますがご了承ください」
「いえ、ご厚意に感謝申し上げますわ」
靴を履いたあたしは応接間へと通された。
そこには様々な調度品が置かれており、彼が自分の商人としての腕をアピールするためだというのは理解できた。
彼はあたしを座らせたあと、自己紹介してくる。
「初めまして、私はメルカーと申します。以後お見知りおきを」
「これはどうもご丁寧にありがとうございますわ」
あたしは名前を名乗らない。
名乗らないだけで相手に意図は十分伝わるはずだ。
あたしはそれから調度品を褒めたりなどして、時間を掛ける。
交渉はもう始まっている。
ある程度話し込んだところで、相手側から切り込んできた。
「それで、本日はどういったご用件でしょうか?」
馬車に乗っていた理由やあたしの正体は聞いてこない。
流石、貴族と交渉しているだけのことはある。
不用意に内情を聞くのは貴族の不興を買うだけではなく、自分の首を絞めることにもなる。
それでも話を聞くという度胸がメルカーを上へと押し上げているのだろう。
「実はわたくしをとある場所に送っていただきたいのです」
「とある場所、ですか……」
「はい、ゲーニッヒ森林のふもとまでお願い致しますわ」
ゲーニッヒ森林と聞いてメルカーの顔が曇る。
ここからかなり距離があるし、そこに行っても得られるものは本当に無いからだ。
儲け話ならともかく、ただ送るだけならやる気も出ないだろう。
そこであたしは報酬の話に移る。
「報酬には勲章をご用意していますわ」
その瞬間、メルカーの目の色が変わる。
貴族だけが与えられる勲章。
ただ貴族は気に入った相手に余っている勲章を与えることも出来る。
当然、与えられた者が貴族になれるという訳ではない。
貴族以外は身に着けることを禁じられている。
それでもこういう交渉の場で目に見える場所に勲章があれば、その効果は絶大なものになる。
勲章はあたしが今出せる唯一の報酬だ。
メルカーは冷静を装っているけど、声が上ずってしまっている。
「そ、そうでございますか。ちなみに現物をお見せいただくことは……」
貴族が自分の身に着けている勲章を他の者にあげるなどあり得ない。
それは自身が貴族であることを放棄するようなもの、そんなことをする人はまずいない。
メルカーはどこか別の場所にあると思っているのだろう。
「信用できませんか?」
「い、いえ、滅相もございません!」
あたしが余裕を持って応えると、メルカーは慌てて謝罪してくる。
勲章が貰える機会を自分から手放せるわけがない。
メルカーが勲章に食いついた時点でこの交渉はあたしの勝ちだ。
結局、それから色々話したけど、メルカーがあたしを送ってくれることで話が付いた。
◇◆◇
アムレート家から逃げ出してきたときとは違い、クッションの敷き詰められた馬車であたしは移動していた。
もうすぐ、ゲーニッヒ森林に着く。
ここで魔法が使えるようになるのか、それとも魔物に殺されてしまうのか、どうなるかは分からないけど、決着はつくはずだ。
あたしは戦える武器を望まなかった。
そもそも有ったとしても使いこなせるわけがない。
それなら余計な荷物を増やして体力を削るのは愚策だからだ。
馬車が止まった。どうやら着いたようだ。
「到着いたしました」
「あなたの働きに感謝申し上げます」
あたしは頭を下げているメルカーに勲章を渡す。
もうあたしには必要のないものだ。
彼は勲章を見てとても嬉しそうにしていたけど、あたしを見て怪訝そうな顔をする。
これ以上の詮索は避けたい。
場合によっては引き戻されることもあり得る。
「それでは、失礼致しますわ」
あたしは食料などが入った鞄を手に持ち、立ち去った。
森の中は足場が悪く、普通に歩くよりも体力を使う。
それに、さっきから枝に服が引っ掛かり、所々ほつれてきた。
まさか、こんなに森が歩きにくいとは思っていなかった。
やっぱり本で読むのと、実際に経験するのでは違ってくる。
それでも何とも言えない幸福感のようなものもあった。
これが自由というやつなのか。
あたしは呼吸を乱しながらも先に進む。
ちなみにまったく見当なく進んでいるわけじゃない。
一応、魔力の波動を感じるところを目指してはいる。
ただあちこちから感じるためこっちで合っているかは分からない。
しばらく歩いていると、大きな木が目の前に現れた。
「え?さっきまでは無かったわよね……」
わざわざ、取り繕う必要の無くなったあたしはお嬢様口調を止める。
それにしてもおかしい。
こんなに大きな木があるなら途中で気付くはずだ。
その時、後ろで草を踏みつぶす音が聞こえた。
グルルル
慌てて振り返るとそこには魔物が居た。
(こ、これが魔物なの?お、思ってたより大きいじゃない……)
想像より大きいし、威圧感もすごい。
こんなの武器を持っていても勝てるわけがない。
あたしは無意識のうちに後ろに下がる。
しかし大樹に後退を阻まれてしまった。
今から走って逃げられるだろうか?
いや、そんなに甘い訳がない。
やっぱり無謀だったのか。
魔物が涎を垂らしながら迫ってくる。
その速度はあたしの動きの何倍も速く、数瞬後にはあたしは喰われているだろう。
ああ、ここで終わるのか……
──本当にそれでいいのか?
どこからか声が聞こえて来る。
中性的な声で性別は分からない。
それで良いのかと聞かれても、魔物はもう目の前まで迫っている。
どうしようもない。
それなら……
──それでいいのか?
それなら──
それでも──
あたしはフィーリアの言葉を思い出す。
諦めたくはない!
──そうか、ここに契約は成立した。
カナリナは自身の機転で無事ゲーニッヒ森林に辿り着くことが出来ました。
交渉を自分に有利なように進める彼女はやはり賢いのでしょう。
次回、カナリナと契約者。
お楽しみに。