第35話 カナリナの過去1
いつもお読みくださりありがとうございます。
あたしの名前はカナリナ・アムレート。
いや、今はアムレートの名前は名乗れないんだった。
あたしは魔法の名家に長女として生まれた。
先祖代々魔法に才能があり、その力で国を支えてきた家だ。
だからこそ国からもある程度の信頼と立場は得ていた。
長女と言っても三歳上に兄が居るので、あたしが家督を継ぐことはほぼあり得ないはずだった。
そう、ほぼ有り得ない、あたしはその例外的な事象に当てはまりそうだったのだ。
基本的に人の魔力量は見るだけで推し量ることはできない。
それを調べるには専用の道具が必要になる。
魔力の扱いに長けている人なら触れれば分かる人も居るらしいがそんな人はあたしの家にも居なかった。
そして、あたしはその専用の道具を使った結果、僅か三歳で莫大な魔力を持っていることが判明した。
魔力というものは子供のときに使っていくことで、その絶対量を増やしていく。
どこまで増えるかは個人差があるけど、魔法を使うことの出来ない三歳の頃はそこまで多くないのが普通だ。
そんな中、あたしは当主である父に匹敵するほどの魔力を持っていた。
当然、三歳年上だった兄とは比べるべくもなかった。
代々魔法によってその地位を確立してきたアムレート家においてその事実は大きな意味を持つ。
──アムレート家始まって以来の神童
みんなはあたしをそのように評価した。
あたしは掛けられる期待に少し怯えながらも周りから愛情をもって育てられた。
中にはあたしが家督を継ぐべきだと訴えるものまで現れだし、父も満更ではない様子だった。
兄は良い人だった。
魔力量であたしと比べられることは嫌だったはずなのに、あたしに優しく接してくれて幸せと、そう呼べる時間を過ごした。
幼いあたしは幼心に持っている力を家族や国のために使っていこうと意志を固めていた。
しかし、五歳になったころから何かが狂い始めた。
アムレート家では五歳になれば、魔法を会得するための教育がなされる。
なぜ、五歳まで魔法を教えられないかと言うと、魔法を使うのはある程度脳に負担が掛かるらしい。
もし大切な跡取りが脳に異常を持つのは避けるべきとして、五歳になるまでは教えられないのだ。
五歳までは貴族として礼儀作法やマナーを教えられる。
そんなあたしも五歳になり、専属の教師が付いた。
専属の教師もアムレート家に連なるもので、かなり国でも活躍している偉人だそうだ。
あたしは最初に魔力を具現化させる術を学んだけど出来なかった。
自身の魔力を感じることまではできるのだ。
でもそれを上手く外に出すことが出来ない。
そんなあたしを初めは先生も父も笑って許してくれていた。
「最初は難しいものだ」って……
しかし、そんなことが一年、二年と続いてくると態度は変わってくる。
アムレート家では遅い人でも数か月あれば、魔力の顕現まではできる。
あたしはそれすらも出来ない。
魔力があっても使えないのでは意味がないのだ。
結果、日に日に周りのあたしへの態度はきつくなっていった。
父はよくあたしに怒鳴るようになった。
母はあたしを見るとため息ばかりつくし、兄はあたしを避け始めた。
掛けられていた期待が大きかった分、その落差も激しかったのだろう。
そして、九歳になったある日事件は起きた。
その日、王城から帰ってきた父は酷く落ち込んでいた。
◇◆◇
いつものように部屋で魔法の練習をしていたわたくしの耳に何かが割れる音が聞こえて来る。
それと同時にお父様の声も聞こえてきた。
(お父様に何かあってはいけない)
わたくしは心配になり、自室を出て階段を降りる。
降りる際中、下からお父様と侍女の会話が聞こえてきた。
「ええい!私に近寄るな!」
「し、しかし、お足元が危険です……」
お父様は侍女に怒鳴っているご様子。
お父様がここまで取り乱しているのは見たことがない。
「お、お父様、どうかなされたのですか?」
階段を降り切ったわたくしは恐る恐るお父様に声を掛ける。
床には花瓶の破片が散らばっており、お父様が割ったのだと直ぐに分かった。
肩で息をするお父様はいつにないほど荒れた様子でわたくしを睨む。
「カナリナか……私のことなどどうでも良いだろう!……それより魔法は使えるようになったんだろうな?」
低い声で問いかけるお父様に、わたくしは怯んで目を伏せる。
最近、お父様との会話はそればかりだ。
でもいけないのは魔法が使えない自分……
わたくしは震える声でお父様にいつもと同じ言葉を掛ける。
「も、申し訳ありません……魔法はまだ──」
「──なんでお前は魔法が使えないんだ!」
「申し訳ありません!申し訳ありません!」
わたくしはただ謝ることしか出来ない。
お父様はそんなわたくしに詰め寄ってくる。
「アムレート家は代々、魔法を認められて今の地位があるんだ。魔法が使えない奴に居場所はない」
「はい、分かっております。明日には必ず──」
バシン!!
わたくしはその時、何が起こったのか理解できなかった。
ただ、真っ白な頭の中で頬の痛みだけが酷く鮮明に伝わってくる。
わたくしは呆然としてお父様を見つめる。
「お前はいつも同じことを言って、なんの成長も見せない!お前には心底失望した」
そう言い放ってお父様はどこかに行ってしまった。
わたくしは未だ痛む頬を抑え、先ほどの言葉を反芻する。
──お前には失望した
分かっていたことだ。
魔法が使えない者はアムレート家にはいらない。
幾ら魔力があろうが使えなければ意味がないのだ。
分かっていた。分かっていたけど……
それでも直接掛けられたその言葉はわたくしの中に重く圧し掛かった。
◇◆◇
それからわたくしは周りの目が怖くなった。
誰もがわたくしを笑っているように思えてしまう。
いや、実際に陰口を叩かれているのを聞いたこともある。
アムレート家は侍女も分家から雇っているので魔法が使えるものが多い。
そんな彼女らも魔法が使えないわたくしに仕えるのが嫌なのだと思う。
人の視線が怖い。
人のため息が怖い。
わたくしは人に会うたび、動悸が激しくなるようになった。
それでも一番怖いのはお父様だ。
あれからお父様は機嫌が悪くなるとわたくしに手をあげるようになった。
わたくしはその痛みに耐えるしかない。
お母様はお兄様にばかり相手するようになり、わたくしを見てくれなくなった。
お兄様もそんなわたくしに目も合わせてくれなくなり、魔法を教えてくれた先生も居なくなった。
完全に家の中で孤立したわたくしがそれでも追い出されなかったのはわたくしという汚点を周りに知られたくなかったからなのだろう。
そのころから独りになったわたくしは普段、誰も使わない書庫に向かうようになった。
自分一人の力で魔法が使えるようになるとも思わないし、誰も居ない書庫はわたくしの心の安寧にも適していた。
彼女に出会ったのはそんな書庫に通い始めたある日のことだった。
「げっ!ここは誰も来ない絶好のサボりスポットのはず……」
書庫にある本を積み上げ、その上で寝ていた彼女は物音に気付き飛び起きた。
彼女はわたくしを見つめながら、その顔を青く染めている。
「カ、カナリナ様!?こ、これは決してサボって、いや休憩、いや瞑想していた訳では無くてですね……そう!書庫の整理をしていたのです!」
整理をしていたらしい本の上で早口にまくし立てる彼女は初めて見る顔で歳はわたくしより五歳ほど上だった。
その慌てぶりが可笑しくて少し笑ってしまう。
「ふふふ、わたくしの名前を聞いたのは久しぶりですわ」
家族は名前を呼んでくれなくなったし、侍女もわたくしに近寄ろうとしないとはしない。
当主に嫌われているわたくしに仲良くしてくれる侍女はいないからだ。
わたくしに咎める声が無いのが分かった彼女は心底ほっとしたように声を漏らす。
「危なかったぁ。あ、いや、今から戻りますよ!いやぁ、仕事は楽しいなぁ!」
「仕事は楽しい」と繰り返し言いながら横を通り抜けていく彼女をわたくしは無意識のうちに呼び止めていた。
「お、お待ちになって、せめてお名前だけでも……」
わたくしの言葉を聞いた彼女は取り乱したように捲し立てる。
「いや、侍女でしかない私に敬語を使われましても……あ、いや、カナリナ様を否定している訳じゃありませんよ!貴族の館での働き方その三、貴族の言うことは否定しない。しっかり覚えておりますとも!」
彼女はわたくしが聞いたこともないような喋り方をしている。
侍女はみんな落ち着いた喋り方をするのに彼女は声の調子が高い。
それでも嫌な気はしなかった。
「それで、お名前は……」
「はい、名前ですね。それでは名乗らせていただきます!」
そこで深呼吸をした彼女はわたくしの前に膝をつき頭を下げる。
「西の大地よりはるばるやって参りましたフィーリアと名乗る者にございます。家名はありませぬのでなんとでもお呼びください。本日より働かせていただくことになりました。以後お見知りおきを」
どこか役者のような物言いで自己紹介するフィーリア。
わたくしは家名がないことに驚いた。
この家は基本的にアムレート家に連なる者を侍女に雇うことが多い。
それなのに家名も持たない人が侍女に来るなんて……
「そう、フィーリアさんというのですね。よろしくお願い──」
「──いや、敬語要りませんって!こう、なんていうかむず痒くなります!」
フィーリアはわたくしにそう訴えかけて来る。
常に明るい様子の彼女にいつも落ち込んでいたわたくしの心が少し元気を取り戻しているのが分かった。
「ご、ごめんなさい、フィーリア。これでいいのかしら?」
「もちろんでございますとも!……そ、それでなんですが、今回の件はご内密にお願いしたく……」
「ええ、分かってるわ。誰にも言わない。というより今日からの貴方は分からないかも知れないけど、わたくしはこの家で嫌われてるから誰も話してはくれないの」
わたくしの言葉を聞いたフィーリアは少し考え込んだ顔をする。
わたくしは言ってから「しまった」と思った。
せっかく話してくれる人ができたのに自分から遠ざけてしまった……
「そうですか……それは心苦しいですね……そうです!不肖、この私、カナリナ様のお話し相手を務めさせていただきます!」
フィーリアにどんな考えがあったのかは分からないけど、そう言って笑うフィーリアはわたくしにとって本当に救いだった。
それからわたくしはフィーリアと話し込んだ。
「どうして初日なのにこんな場所を知ってるのかしら?」
「そりゃあ、サボりスポッ……休憩場所の確保は基本ですとも……」
「ほとんど意味が変わってませんわよ」
どうやらフィーリアは旅の商人の娘らしいのだが夜盗に襲われ、路頭に迷っていたときに、この屋敷に辿り着いたらしい。
アムレート家は魔法が判断基準と知っていたらしく、魔法を見せれば雇ってもらえると踏んでいたそうだ。
本当にそれだけなのだろうか?
この家はある程度格式が高い。
そこに突撃してその日に雇われるなんて普通では考えられないのだけど……
幾らかの疑問はあるけれど、フィーリアと出会ってから彼女とのお話が一番の楽しみになった。
わたくしはそれからも書庫に通い詰めた。
普段は彼女も仕事があるので来てくれないけど、たまに休憩と称して会いに来てくれた。
フィーリアは旅の途中で色んな話を聞かせて回ってもいるらしい。
魔法の才があるフィーリアはその力で雰囲気を作りながら語るので話に引き込まれる。
色々な話があるけどその中でも好きな話がある。
「ねぇ、今日もあのお話聞かせて!」
「そうですねぇ。それは良いんですけど、お嬢様には悪影響じゃないっすかね?大丈夫ですか、私変なこと吹き込んだとか言って処罰されません?」
「大丈夫に決まってるでしょ」
「なんか、日に日にフォルテに似てきているんですけど気のせいですよね?」
フォルテとは彼女の物語である『大魔女フォルテ』の主人公で、天賦の魔法の才がある強い女性だ。
どれだけ、周りから疎まれようとも自分を曲げない強い心にわたくしは強く惹かれた。
フィーリアはいろいろ言うけど、最終的にわたくしのお願いを聞いてくれる。
家で居場所のないわたくしだけど、ここだけは本当の自分で居られるのだ。
「それじゃあ、行きますよ。オホン!……いつものように平穏な森にフォルテを訪れるものが現れた。その身なりは自然あふれる森に似つかわしくないほど、小奇麗で装飾が施されている。まだ青年と呼べるほどの若さと精悍さを兼ね備えた優男はフォルテの家の前で扉を叩く。あまりにもしつこいのでフォルテが魔法で扉を開けると優男は言った。『フォルテ殿、貴殿の力は国のために使われるべきだ。こんな森は捨てて私と一緒に来て欲しい』。騎士の礼を取り、その場に跪く優男は誰もが目を引くほどの美貌を持っている。そんな男に迫られたフォルテは優男を一瞥してその眉を寄せる。『ハァ?なんであたしがアンタなんかの言うこと聞かないといけないわけ?寝言は寝てから言いなさいよね。後、地面が汚染されるからそれ以上近づかないでね』──」
魔法で幻影を見せているのか、頭の中に本当に森が広がっているようにすら感じる。
彼女の抑揚のある声は男性と女性でしっかりと使い分けられており、聞く人の耳にすっと入る。
わたくしはこのフォルテという人物が大好きだ。
彼女の口は悪いけれど、その中にある優しさが好きだ。
今も口では騎士を嫌って遠ざけているように見える。
でもこれは濃密な魔力を練っている彼女の家の中は一般人には危険がある。
国に仕えないのも森の奥からの魔物の侵攻を食い止めるためなのだ。
国に仕えてしまったら、国は守れても森の近くにある村は守れないからだ。
自分という芯をしっかり持っており、自分を犠牲にしてでもみんなを守るその様子にわたくしはどうしても惹かれてしまう。
魔法の才があるというのも魔法が使えないわたくしが憧れを抱くのに拍車をかけた。
「──でしたっと、ご清聴ありがとうございました。またのご来店をお待ちしております」
今日のお話は終わってしまったみたいだ。
わたくしは顔を輝かせながら手を叩く。
「ありがとう、フィーリア。今日も楽しかったわ」
「お気に召したようで恐悦至極にございます。まぁ、このくらいは出来なければ旅の商人としてはやってけませんからね」
「それなんだけど、フィーリア程の才があれば語り手としてやっていけるんじゃないかしら?」
「いやいや、滅相も無い。私程度ではまだまだやっていけませんよ」
そんな風にフィーリアは謙遜するけど、街で今の話をする出だけでもお金を出す人は居ると思う。
わたくしもお金があれば全てフィーリアに差し上げたい気分だ。
「それでは、私は楽しい楽しい業務に戻るとしましょうか」
フィーリアは恭しく礼をしたあと、立ち去ってしまう。
書庫に残されたわたくしは先ほどの話を思い返しながら資料集めをしていった。
◇◆◇
わたくしの人恐怖症は依然治らず、書庫を一歩出るたび身体に重りがついたように感じられ息も詰まる。
人にすれ違うたび、目を伏せ身体を縮める毎日。
それでもフィーリアとのお話があるだけでわたくしは頑張れる。
そんな苦しくも希望のあった日常も十歳のある日、終わりを告げた。
いつものように書庫で彼女を待っているとフィーリアは扉を蹴破る勢いで飛び込んできた。
「ちょっと、どういうことですか!?カナリナ様がみんなから疎まれているのは知ってる。カナリナ様が良いって言うから私も口出しはしてこなかったけど、今日お屋形様に……」
ああ、見られたのか……
父も忙しい身だから常に家にいる訳では無い。
それでも今日はばったり出会ってしまい、魔法が使えないことを再確認されると叩かれた。
今まで必死に隠してきたけど、ついに見つかってしまったのだろう……
「そうなの。でも魔法が使えないわたくしが悪いから……」
わたくしの言葉を聞いたフィーリアは顔を歪める。
その表情には様々な感情が溢れており、一言では説明できそうにない。
「そうですか、カナリナ様。そんなあなたを置いて行ってしまう私の不徳をどうかお許しください。自分を優先してしまう私をどうか恨んでください。このままだとあなたは……」
フィーリアはわたくしに何か言っているけどその意味が理解できない。
置いていくってどういうこと?
一度言葉を止めたフィーリアは深呼吸したあといつもの顔に戻る。
「カナリナ様、半年くらいですかね?本当にお世話になりました。いやぁ、貴族の家で働くのって初めてだったんですけど、結構楽しんじゃって予定より長く居ることになりましたよ。そうだ、知ってました?私って凄く自分勝手なんですよ。自分が良ければそれで良い。商人って大なり小なりそんなもんじゃないですかね。ということで自分勝手な私は自分勝手にカナリナ様に呪いの言葉を掛けちゃいます」
「フィ、フィーリア?何を言っているの?」
「カナリナ様、あなたには魔法の才能があります。それも絶大な才が……世界各地を練り歩いてきた私が言うんだから間違いありません。絶対にフォルテのような、いやフォルテをも超えるような魔法使いになると信じています。だから『諦めないでくださいね』。もし、あなたが魔法使いとして有名になればあなたのこともお話にしてあげましょう。それではお元気で」
「フィーリア!!」
彼女はわたくしの静止の声には耳を傾けず、去って行ってしまった。
わたくしは呆然とその場に立ち尽くす。
突然のことで何を言っているのかは分からなかったけど、涙が零れ落ちた……
結局、フィーリアはそれ以来、わたくしの目の前には現れなくなった。
苦手な家の中を隅々まで探して、怖い侍女に聞きこんでまで調べたけど、みんな「知らない」の一点張り。
わたくしはその日から心の支えを失くしてしまった。
フィーリアとの時間を経験してしまったわたくしの心はどうしようもなく弱ってしまっていた。
もう、戻れない……
だからあたしは心に仮面を付けることにした。
胸にあるのはただ一つの『呪い』。
──諦めないでください
カナリナの過去の一部が明らかになりました。
魔法の名家に生まれた彼女は魔力量こそ多かったですが、魔法を使うことが出来ませんでした。
フィーリアという心の支えを失ったカナリナはどうなってしまうのか?
次回はカナリナの過去の続きとカナリナ視点で今までの物語を振り返る予定です。
お楽しみに