第106話 吸血鬼の兄
「よし、お主たちは馬鹿兄の居場所が分からんじゃろう。案内は任せておけ。可能性は低いじゃろうが、我からも説得はさせてもらおう」
そう言ってローゼンさんは自身に付いた血を操作し、赤い翼のようなものを生やした。
その隣でプリエラも漆黒の翼を広げている。
「やっぱり、吸血鬼はみんな翼を生やせるんだね」
僕が思ったことをそのまま言葉にすると、ローゼンさんは「いや……」と僕の言葉を否定する。
「そもそも我の翼は擬似的なものじゃからな。血を上手く使っておるだけじゃ。そこの娘のものとは質が違う。漆黒の翼に深紅の瞳とは……やはり、『吸血姫』なのじゃな。よもやとは思っておったが、まさか実物を見ることになろうとは……」
どのタイミングかは分からないけど、ローゼンさんはプリエラが吸血姫であることに気付いたらしい。
ローゼンさんはそっとプリエラに近づくと耳打ちする。
「後の話をややこしくせんために今聞いておくが、お主はこの里の吸血鬼を纏める気はあるか? もし、そうならば誰も否定はせんだろう。いや、否定できんじゃろうな」
それは吸血鬼の王になるかどうか、ということだろうか?
確かに吸血鬼の世界では力で決まる部分があるとは思っていたけど、まさかよそ者に任せるという考え方まで出てくるとは思っていなかった。
ローゼンさんの言葉を受けたプリエラは僕をチラッと見た後、首を振った。
「ここは、私の居場所じゃ無いから……」
「そうか。お主らを見ていると、そうなる気はしておったがな。よし、時間を取らせた。すぐさま馬鹿兄の所へ向かおう。ここまで騒ぎになっても誰も来んということは、我らを待っているのであろう」
今にも外へと飛び出しそうなローゼンさんに僕は待ったを掛ける。
「少し待ってください。アリシアさんはどうしますか?」
「アリシアは恐らく、あまり動けんのだろう。最近、この監獄の警備は手薄というより皆無じゃからな。兄のところへ向かう方が危険じゃ」
プリエラも頷いたので、これ以上僕から言うことはない。
また、プリエラに抱えられる形になった僕はみんなと一緒に外へ出た。
◇◆◇
「馬鹿兄はここにおるはずじゃ」
そう言って、ローゼンさんは他の吸血鬼の家より一際高い位置にある大きな石造りの家に入っていく。
なるほど。ここなら吸血鬼の里全てを見渡すことが出来る。
ちらりと後ろを振り向くと、ここまでの騒ぎを聞きつけてか、何人もの吸血鬼が僕達の方を見ていた。
こちらを指差して話し合ったりしているので、色々な憶測が飛び交っているのだろう。
僕はそれらから目を切ると家の中へと入って行った。
少し進んで行くと、広い部屋に出た。
恐らくこれが謁見の間とかそういうものだろう。
僕達の先には血が複雑に絡み合った荘厳な椅子があり、その椅子に余裕を持った表情で座っている男が居る。
キツい目つきと恵まれた体格はそれだけで他者を威圧しているようにも感じられる。
その男に向かって、ローゼンさんが一歩前に出た。
「その顔は我が戻ってくることを察しておったようじゃな」
ローゼンさんの物言いに目の前の男、ロムスさんが声を出す。
「いや予想外も予想外よ。まさか臣民に裏切られ、囚われたお前が何食わぬ顔で戻ってくるとはな。その豪胆さに恐れ入っているところよ」
鼻で笑うような物言いにローゼンさんは落ち着いて返す。
「それも仕方なかろう。我は成果を出せなかったのだからな」
「分かっているならなぜそこに居る。入室を許可した覚えは無いぞ」
僕はなんとなくこの受け答えから、この男と今和解するのは難しいのではないかと直感していた。
それは性格的な意味合いだけの問題ではない。
恐らく彼は実力者なのだろう。彼の風格を見ればなんとなく分かる。
そして、そんな実力者が隣にいるプリエラの実力を見誤るとは思えない。
門番でさえプリエラから何かを感じ取っていたのだ。
目の前の男が何も感じていないとは到底思えなかった。
つまり、あの男には今ここでこのような態度を取っても問題ないだけの何かがあるのだ。
そんな彼が僕達の交渉に素直に応じるとは考えにくい。
それは隣に居るローゼンさんも分かっていることだろう。
だが、それでもローゼンさんは最善の結果を掴み取るために声を出す。
「お主が言いたいことも分かる。我らはお世辞にも仲が良いとは言えないじゃろう。だが、臣民を思う気持ちは同じのはずじゃ。他種族の血を得る機会を得た。お主も話くらいは聞いても良いのではないか?」
ローゼンさんからの歩み寄り。
仲は悪くとも、実利のため手を取り合おうという提案だ。
だが、それをロムスさんは笑って振り払った。
「くははは。何を今さら悠長なことを言うておる。お前には時間があったはずだ。自由な身体もな。だが、それでもお前は何も成し遂げられなかった。その結果が今の惨状だ。お前が他種族を捕らえるのを禁止したことでどうなったか、忘れた訳ではあるまい」
「ぐ……」
どうやらそれはローゼンさんにとっても痛いところだったようだ。
アリシアさんは魔物の襲撃により、吸血鬼は大きな被害を受けたと言っていた。
だが僕の血を飲んだ二人の超回復を見ると、血を飲んだ吸血鬼がおいそれとやられる未来は見えない。
恐らく血が足りていなかったのだろう。だからこそ被害も大きくなった。
ローゼンさんは唇を噛み、下を向いた。
「そのお前はこの期に及んでまだ言うのか? 他種族の血を得る機会を得た? それはいつ手に入る。明日か? 明後日か?」
ロムスさんは淡々とした、しかし激しい口調を続ける。
「笑わせるな。そんな悠長なことを言っていれば、その間にここの吸血鬼は滅びるぞ」
そう言ってロムスさんはどこからかグラスのようなものを取り出した。
後ろから出てきた女性がそのグラスに赤い液体を注ぐ。
「なっ、それは……」
ローゼンさんの驚きようから、その液体が何かは分かった。
他種族の血なのだろう。
それを一息に飲みほしたロムスさんはグラスを置いて話を締めくくる。
「こういうことよ。俺は既に手にしておるぞ。何か反論があれば、申してみよ」
なるほど……
僕はロムスさんの話を聞いて、その言い方はともかく納得していた。
確かに吸血鬼にとって「他種族の血を飲むこと」が最優先事項なら、それを既に成し遂げているロムスさんに反論するのは難しい。
だが、それでもローゼンさんが「他種族を襲うことを禁じた」のにも正当な理由がある。
だからローゼンさんは、それを確認する。
「お主が既に血を手にしていることは分かった。じゃが、その血、どこから手に入れたものじゃ? 返答次第によっては我も本気で止めねばならん」
もし、それが他種族を襲って手に入れたものなら、いずれどこかで他種族との全面戦争になる。
そうなれば幾ら力をつけた吸血鬼と言えど、どうなるかは分からない。
だからこそローゼンさんは他種族を襲うことを禁じたのだ。
その質問を受けても尚、ロムスさんは平然とした様子で腰掛けている。
「お前が何を恐れているかは知らんが他の種族と戦闘になろうと関係などない。もしそうなれば、その場で殺して血を奪うだけよ」
他種族の恨みを買っても問題ないというロムスさん。
その物言いにローゼンさんが力を使おうとしたところで、ロムスさんが立ち上がった。
「まぁ良い。そろそろ頃合いだろう。俺はこんな辛気臭い場所に留まる気は無かったからな」
そう言ってロムスさんは再度血を注がれたグラスを持って立ち上がった。
そのままゆったりと余裕を持った様子で近づいて来るロムスさんにローゼンさんが身構え、プリエラが僕の前に立った。
「そう、警戒するな。お前達とやりあう気は無い。そこの愚妹はともかく、隣のお前とはやり合える気がせん。俺とて無駄に化け物と戦って消耗するつもりは無いのでな」
そう言って、ロムスさんは僕達を追い越すと家の外に出た。
僕達もそれに続くと、先ほどからの一連の騒動に興味を持ったのか、多くの吸血鬼が家の外に出て僕達を見上げていた。
ロムスさんはその顔を出した吸血鬼達に大声で告げる。
「親愛なる諸君よ。待たせたな。我ら吸血鬼は長きに渡り血を飲めず過ごしてきた。だが、それも今日までのことだ」
そこでロムスさんは血がなみなみと注がれたグラスを誇示するように掲げた。
「俺は今からこの里を捨て新天地へと向かう。この場所にしがみつきたい者はそうすれば良い。だが血を求めるならば俺についてこい。お前達に溢れんばかりの血を約束してやろう」
その言葉は集まった者たちには効果的だった。
短い演説の後、どこからともなく歓声が漏れ出した。
今まで血を飲めなかった鬱憤。それを晴らすかのような雄たけびが聞こえて来る。
最後まで言い終えたロムスさんは振り返ってローゼンさんに言葉を浴びせる。
「さて、どうする? 止めるか? 隣の女を使えば俺を殺すことだってできるだろう。もちろん、その時は全力で抵抗するがな」
全力で抵抗する。
彼も恐らく実力者だ。
そうなれば、彼を倒す前に間違いなく辺りに被害が出てしまう。
この場合で言うと血が足りておらず、力が不足している吸血鬼達にその火の粉は降り注ぐことになる。
それは他でもないローゼンさんが一番求めていないことだろう。
何も言えなくなったローゼンさんに興味を無くしたのか、ロムスさんは手に持ったグラスの血を飲み干すとグラスをその場に放り投げる。
「こういうことだ。俺は行かせてもらう。ここに残る者も居るだろうが、後は勝手にすれば良かろう」
そう言って歩き出したロムスさん。
まさか、ここまで準備されていたとは……
流石にこの状態からひっくりかえせるだけのカードをローゼンさんも持っていないだろう。
それは俯いているローゼンさんを見れば分かる。
そして、僕にもそれはない。
ここでプリエラが戦っても無駄な血が流れるだけだ。
それなら、と僕は自分のために声を投げかけた。
「良いんですか?」
僕の言葉を聞いて、ロムスさんはふと足を止める。
僕はみんなから一歩前に出てロムスさんと対峙した。
「なんだ。その女の後ろでこそこそとやっていると思えば、言葉を喋れたのだな」
「はい、生憎と。ロムスさんは既に血を得ているということで、それは良いと思うのですが、利用された先に待っているのは破滅ですよ」
僕は勝手に決めつけたような物言いをする。
ロムスさんは名前を呼ばれたことに少し眉を寄せたが、挑発ともとれる僕の発言に対して獰猛に笑って答えた。
「なに、向こうが利用するつもりなら、それごと食い潰すまでだ。そも……」
そこでロムスさんも気付いたのか、少し驚いたような表情で僕を見た後、僕に敵意を向けた。
「貴様、謀ったな」
「いえいえ、思ったことを言っただけですよ」
ロムスさんが僕に敵意を向けたことで、プリエラが一歩前に出て僕の隣に並んだ。
「ふ、まぁ良い。そのことが分かったところでどうということは無いからな」
そう言って今度こそ、話を切り上げたロムスさんはローゼンさんと同じように血の翼を広げると、そのまま飛び去って行った。
そして、それについて行くように里の吸血鬼達も行動を開始している。
それを見届けながら、僕は先ほどの答えの意味を考える。
(誰かと協力関係にある、か……)
ロムスさんは誰かの血を飲んでいたけど、その血が他種族を襲って得たものなのか、何らかの契約で得たものなのかは分からなかった。
そして、この二つの意味合いは大きく変わってくる。
だからこそ、僕はどちらか判断するために、「利用されるだけ」という言葉を使った。
もし、ただ誰かを襲って得た血ならこんなことを言われても困惑するだけだ。
でも、ロムスさんは「それごと食い潰す」と言った。
つまり、これは何者かと契約のようなものがあったことを認めたようなものだ。
それが誰かは分からないけど、この事実は僕にとってかなり重要なことになる。
僕が頭の中を整理していると、ローゼンさんが静かに声を出す。
「すまぬ……協力すると言った手前、自身の問題すら解決できなんだ……」
前を見れば、吸血鬼のうち半数ほどがロムスさんに付いていったようだ。
今すぐに血を飲めるなら飲みたいと思った者達だろう。
僕はなんて声を掛けようか迷っていたけど、その必要が無さそうだと吸血鬼の里を見渡して理解した。
残った者たちの多くがこちらに向かってきていた。
その顔は怒っている訳でもなく、笑っているのだ。
「ローゼン様」
誰が発したのか、最初に辿り着いた男性がローゼンさんに声を掛けた。
「顔を上げてください。貴方がここまで私たちのために尽くしてくれたことは知っています。確かに血は手に入っていませんが、何度もあと少しというところまで行っていたことは私達も知るところです。」
「そ、そうですよ。私たちだって、無理に他の種族を、襲いたい訳じゃ、無いんです……みんな、ローゼン様の、理想を夢見て……」
走ってきたのだろう。
息を絶え絶えにしながらも、自分の想いを伝える吸血鬼も居る。
その言葉を受けて、ローゼンさんの足元に幾つかの水滴が零れ落ちた。
それを隠れて拭ったローゼンさんは強い瞳を持って前を向くと、その場に集まった吸血鬼達に告げる。
「皆の想い、伝わった。ここまで醜態をさらした我に、それでもついて来てくれること、感謝してもしきれん。我慢ばかりで申し訳ないが、もう少しだけ我に時間をくれ。この通りじゃ」
また頭を下げるローゼンさんにみんなからの繕いの言葉が飛び交う。
どうやらローゼンさんはみんなから慕われている様だ。
上手くいっていない状況下でも支持されるというのは生半可なことではない。
このローゼンさんの言葉を違えないためにも、僕達も頑張らないとな。
吸血鬼達から囲まれるローゼンさんを今はそっとしておこうと、僕はプリエラと一緒にアリシアさんの所へと向かった。
◇◆◇
「美味しかったです。ありがとうございました」
僕は料理を振舞ってくれたアリシアさんにお礼を言う。
吸血鬼の料理ということもあって、どうなるかと少し心配だったけど、出てきたのは野菜などを中心としたものだった。
昔、プリエラが生肉をそのまま出してきたこともあって生肉が出てくることも覚悟していたがそうはならなかったようで一安心だ。
「そう言ってくれると嬉しいわぁ。プリエラは生肉があんまり好きじゃなかったから、ずっとこういうのを食べてたのよ」
どうやらそのお陰らしい。
もし生肉が出てきた時には流石に食べられなかったからな。
ちなみに、今日の食材は先ほど出て行ってしまった吸血鬼達の家から拝借したものらしい。
『出て行ったってことは食べても良いわよねぇ』と言っていたアリシアさんの顔が笑顔なのに怖かったのはここだけの話だ。
一度落ち着いたところでアリシアさんが食器を片付け始めたので僕もそれを手伝う。
プリエラはアリシアさんに言われて水を汲みに行っているので、こういうところくらいは役に立ちたい。
「あら、ありがとうね」と言ったアリシアさんは世間話のように話し始めた。
「ライアスさん、ほんとにありがとうね。プリエラがこの里を出て行った時は、今のような顔が出来るなんて信じられなかったわ」
「いえ、こちらこそプリエラには本当に助けられていますから、お互い様です……というよりは僕の方が助けてもらうことは多いですけどね」
僕が笑いながら言うと、アリシアさんはそれでも、と言葉を続ける。
「プリエラが楽しそうで本当に良かったわ。プリエラはもちろんだけど、ライアスさんももう私の子供みたいなものよ。もし何かプリエラとかには相談しにくいことがあったら、いつでも言ってね」
「はい。ありがとうございます」
僕はここに来て母親というものが何かを少し感じていた。
僕の母親は幼い頃に亡くなってしまったから分からなかったけど、なんというか温かいな。
みんなとは少し違う温かみを感じる気がする。
僕はそのことがこそばゆくて、手元の食器に意識を集中すると、「あ、あと……」と付け加えるように語った。
「良かったらローゼン様のことも見てあげて。あのお方のお陰で今の吸血鬼の里があるようなものだから……」
「そうなんですか?」
僕は先ほど出て行った吸血鬼達に怒っていたアリシアさんの姿を思い出し続きを待つ。
「前の王がね。血を得るために他の種族を襲ってたのよ。どうやらその中に竜の巫女も混じってたみたいで……」
「竜の巫女?」
「ええ、その名の通り竜と共生している種族? ヒト? と言えば良いかしら。とにかくその竜の巫女を捕らえてしまったせいで、竜に報復にこられたのよ」
僕も名前くらいは聞いたことがあったけど、ほんとに実在したとは……
だが、竜の巫女に関してはおとぎ話でも絶対に近づいたり害してはいけない存在と伝えられている。
もし、そのことが竜に知れ渡れば街が滅びるからだ。
「大勢の竜に攻められた里はすぐに半壊したわ。実はこの里の上空には毒霧があるんだけど、本物の竜にはまったく意味が無かったわ。一番最初に対処しようとした王は直ぐに死に、そのまま里ごと燃やされるという時に、ローゼン様が竜の巫女を連れて竜の前に現れたの。どうやらローゼン様は捕らえられた人達の話をよく聞いていたみたい。だから竜の巫女だということもすぐに分かった。それで、無傷で送り返したのよ。その際に竜の巫女がローゼン様を『友達』として紹介したから、全滅は免れたのよ」
僕は壮絶な話を聞いて言葉が出なかった。
そして何より大変なのはこの後だ。
急な王の死と、里の半壊により混乱状態の里を落ち着かせなければならない。
「ローゼン様は、このことを話したがらないわ。『我が助けられたのはあの巫女を含め、僅かじゃ。つまり我も選別したということじゃな。反吐が出る』って仰られて……」
なるほど。
どうやらローゼンさんは優しすぎるのだろう。
そして、優秀でもある。
だからこそ里のためには、『竜の巫女』だけは助けなければならず、それ以外を見捨てる選択をせざるを得なかった。
そのことに悩みながらも行動できてしまうからこそ、彼女は自身の心を痛める。
「それからは本当に休む暇も無かったはずよ。あの状態から里を持ち直して、さらに他種族の協力も取り付けようとしたのだから……」
アリシアさんの瞳にはローゼンさんへの尊敬と出て行った者たちに対する怒りが含まれていた。
「って、こんな話をされても困るわよね。でもローゼン様はライアスさん達のことを気に掛けてる様子だったわ。だから、良かったらお願いね」
ローゼンさんは僕の想像以上に厳しい状況だったらしい。
そして、ロムスさんにあれだけ煽られて尚、これだけの成果を主張することも無かった。
僕としても出来ることはしてあげたい。
それに、ローゼンさんの理想は僕達のものとも合致しているからな。
「はい、分かりました。僕に出来ることがあれば力になろうと思います」
「ふふ。ありがとうね。これはプリエラがあそこまで心酔するのも分かるわぁ。ねぇ、ちょっとだけ血、吸っても良い?」
何故、この流れで血を吸われることになるのか。
僕はプリエラとの約束を思い出し、アリシアさんのお願いを受け流す。
「はは。それはまたの機会ということで……」
「あら、残念。まぁ、今は大変な時期だものね。もう少し落ち着いてからにしましょうか」
何故か、落ち着いたら血を吸われる流れになっていることに驚愕しつつも、僕は「そうですね……」と乾いた返事を返した。
◇◆◇
あれからすぐ寝室に案内された僕はそのまま眠りについてしまった。
プリエラは久しぶりのお母さんとの再会で積もる話もあるだろうと、早めに寝室に来てしまったが、思ったより疲れていたらしい。
そして、まだ明るいうちから眠ってしまった僕はどうなったかと言うと……
「変な時間に起きちゃったな。どうしよ」
妙に目が冴えてしまったので今から眠れる気がしない。
とりあえず、身体を休める意味でも、布団にだけは入っておくかと思っていたら外から足音が聞こえた。
僕が窓から外をのぞくと、そこには僕達の家を訪ねようか、どうしようか迷っているローゼンさんの姿があった。
どうやらこの物音で目が覚めたらしい。
ちょうど眠気も無くなったことだし話をしようと、僕は窓から外に出て帰ろうとしていたローゼンさんを呼び止める。
「ローゼンさん、どうしたんですか?」
「ひゃう!?」
何故か素っ頓狂な声をあげるローゼンさんは僕を半目になって睨みながら「わ、我を脅かすとは……」と恨めしく言っている。
「はは、すみません。でも、ほんとにどうしたんですか?」
僕が尋ねるとコホンと咳払いをしたのち、髪をくるくると弄びながら小さく呟く。
「いや、少し話がしたいと思ってな。寝ておるかとも思ったのだが、明日の朝に帰ると言っておったし……」
なるほど。だから、この夜に来たのか。
僕としてもローゼンさんとは話しておきたかったから良かった。
「それじゃあ、少し話しましょうか」
僕はローゼンさんに座れる場所に案内された。
地面は少し冷たく、岩山の間を吹き抜ける風が気持ち良かった。
夜独特の静かな空気に感じ入っていると、ローゼンさんの方から切り出してきた。
「此度の一件、改めて礼を言わせてくれ。お主たちが居なければ我どころか、ここに残ってくれた者もあ奴に付いて行かざるを得なかったはずじゃ」
「いえいえ、でも慕われてましたね」
「そうじゃな。我には本当に出来た臣民たちばかりじゃ」
そう言って嬉しそうに笑うと、ローゼンさんは真剣な表情になった。
「じゃが、だからこそ我も期待には応えたい。ライアスが言うておった話、我も成功させるしかなくなったな」
「僕も全力で叶えたいと思っています」
僕は先ほど聞いた話を切り出すか迷った。
恐らくローゼンさんは自分からは言わないだろう。
……
「どうですか、身体の調子は?」
僕はあの話を切り出すことはやめた。
恐らく何を言ってもローゼンさんは納得することは無いだろう。
それなら、無理に引きずり出す方が迷惑だ。
僕に体調を聞かれたローゼンさんは小さな身体で胸を張って答える。
「うむ。お主の血も飲んだからな。体調は万全じゃ。やはり、あれかの。吸血姫に見初められる者の血は美味いのかの?」
「そうなんですか?」
「いや、我も分からんが、少なくとも今まで飲んだものの中では一番に美味かったのは間違いない」
血の味を褒められるというなんとも言えない感覚に僕は少し笑ってしまったけど、ローゼンさんの体調が良さそうで安心した。
「まぁ、吸血鬼のみんなには言いにくいことでも、僕なら気軽に言えることもあるでしょう。何かあればいつでも言ってくださいね」
僕は先ほどアリシアさんに言われて嬉しかったセリフをそのまま引用して使ってみた。
僕がローゼンさんの方を見ると、ローゼンさんは驚いたように目を丸めていた。
「なるほど。その甘言で多くの者を惑わせてきたわけじゃな」
そう言って、ローゼンさんは少し八重歯を光らせる。
もしかしたら、吸血鬼には吸血衝動的なものがあるのかもしれない。
だが、ローゼンさんは一度頬を叩くと、立ち上がる。
「まぁ、今はそれどころでは無いからな。また落ち着いたらにしよう。ライアス、改めてよろしく頼むぞ」
あれ?
また、僕の知らない間に何か決まってしまった気がするけど、差し出された手を無視する訳にはいかない。
僕も握手すると、ローゼンさんは見た目相応の笑顔で笑った。
◇◆◇
「それじゃあ、僕達は帰りますね」
「プリエラ、元気でね。ライアスさんも次会える時を楽しみにしてるわよ~」
「うむ。ライアスの作戦はある程度理解した。後はその場で臨機応変に対応させてもらおう。積もる話は落ち着いた後じゃな」
僕は里のみんなに見送られる形になっている。
ここに残っている吸血鬼達は、殊更ローゼンさんを信頼している人たちだ。
そんなローゼンさんが僕達のことを大切に扱っているので、そのまま僕達にも愛想良く振舞ってくれているという感じだろう。
僕を抱えたプリエラは「二人の視線が……おかしい……」と言いながらも手を振り返した。
その腕の中で知らぬ存ぜぬを貫いている僕を抱えてプリエラは飛び立つ。
一瞬にして、吸血鬼の里から離れたプリエラの顔は来るときよりも晴れやかだった。
「良かったね」
「はい……」
それだけの会話で全て通じる。
来るときはどうなるかと思ったけど、概ね良い方向に進んで良かった。
予想外のことや新たな悩みの種も増えたけど、それでも一歩前進したと言って良いだろう。
家に帰れば、いよいよ決戦は間近だ。
アリエッタさんやダリスさんと最終確認をして、戦いに行くことになる。
僕も出来るだけの準備をしておかないと……
風を感じながら、僕は何度目か分からない覚悟を決めていた。
◇◆◇
「プリエラ、ありがとう」
「いえ、こちらこそ、ありがとうございました……」
プリエラに運ばれて難なく家に付いた僕はプリエラにお礼を言うと、家の玄関を開ける。
「ただいま~」
僕が大きい声でそう言うと、家の中に入って行く。
僕は玄関に向かうどたどたという足音を予感したけど、それがなかなか聞こえない。
いつもは帰ってくれば、誰かしら迎えに来てくれたはずだ。
手が離せなかったとしても、「おかえり」という返事は聞こえて来るはずだった。
(あれ?)
でも、それが無い……
僕は妙に心拍数が上がるのを感じながら、リビングへと向かう。
しかし、そこにも誰かの姿は無かった。
もう昼に差し掛かる時間だ。
みんな寝ているとは考えられない。
「あ、あれ? みんなは?」
僕は一階を探し周り、どこにもみんなが居ないことに不安が大きくなっていく。
そして、一足先に二階に行っていたプリエラが降りてきた。
「どこにも、いません……」
僕は背筋が凍るということの意味を改めて思い知らされた。