第102話 あの男、再び
「どう? カナリナはもう大丈夫?」
「ええ、心配掛けたわね。少し頭が痛いけど、もう平気よ」
僕はあれから翌日になるまで待ってから家に向かって足を進めていた。
人の居ないところまで行ってからはまた、銀狼化したアイリスに馬車を引いてもらっている。
銀狼状態のアイリスの速度は物凄いので、どうしてもその分揺れも大きくなってしまう。
そんな揺れる車内でお行儀よく座っているカナリナはもう元気そうだ。
少し口調が厳しい時もあるカナリナだけど、貴族の令嬢として育てられたのもあってか、こういう何気ない仕草に優雅さのようなものが出る。
モロイドとの一件から目を覚ましたカナリナはある程度吹っ切れたのか、少し前までの憂いを帯びた表情は無くなっていた。
カナリナに話を聞いたところ、「これ以上悩んでも仕方が無いものね。正直、あたしもトラウマはあったけど、あそこでモロイドと対峙出来たから、もう大丈夫だと思うわ」とのことらしい。
まぁ、カナリナはこう言っているけど、やはりまた会った時にどうなるかは分からない。
幸いにもあれ以降街では見かけなかったから良いけど、今後も気を付けていこう。
カナリナの無事を確かめた僕は昨日のダリスさんとの話し合いを思い出す。
昨日ファナに「ダリスさんは信用できない」と言われて、僕も警戒レベルを一つ上げたけど、理由はそれだけでは無かった。
昨日のダリスさんとの話し合いで不可解な点が幾つかあったのだ。
『ライアスさん、開戦のことは聞いていますか?』
『はい。王から直接聞いております』
『それは良かったです。その時なのですが、恐らく私が動き始められるのはギリギリになるか、それ以降になるでしょう』
『と、言うのは……』
『もし、私が動き出してしまえば、敵に囲まれる形になり、直ぐに制圧されてしまいます。私としましてもそれは避けたいですし、ライアスさん達のためにもならないと思いますので……』
『……なるほど。確かにそれはあるでしょうね。ではまずは、僕達とエルフで戦う形にしますので、隙を見てお願いします』
……
昨日、このような会話があった。
ダリスさんが言っていることは間違ってはいない。
ダリスさん達だけが謀反を起こしても、王国軍となるとすぐに制圧されてしまうだろう。
だから、ギリギリまで動かないというのも理解できる。
ただ、それは言い方を変えれば、「ギリギリまで敵側として動きますよ」と言っているようなものだ。
これでは最後まで敵側として動いて、「今までのは全て罠でした」なんて可能性も出てくる。
いつまでも味方だと思っている僕達はそのままやられてしまうという訳だ。
僕はこの時点で、作戦の中にダリスさんを重要なパーツとして入れることをやめた。
恐らくだけど、幾らダリスさんが裏切るつもりでも、僕達が勝ったらこちら側に付くはずだ。
ダリスさんにはそれ以降の貴族との緩衝材になってくれれば言うことは無い。
その辺りも含め、帰ったらアリエッタさんと話し合う必要があるな。
そんな風に考えを纏めた僕は一度、みんなの顔を見渡す。
みんな、僕の視線に気付いて不思議そうな顔をしていた。
彼女達は間違いなく強い。
それは今さら言うことでも無いけど、最悪の事態を想定するなら、現状では戦力が足りていないと言わざるを得ない。
少なくともダリスさんは僕達が大災害の魔物と戦うところを知っているのだ。
ダリスさんが裏切るなり、王も彼女達のことを知っているなりした場合、彼女達の力を軽視するとは思えない。
そして、彼女達にもそれぞれ弱点は存在する。
一人一人が強い力を持っているからこそ、その内の一人でも欠けた時、ダメージは大きくなる。
もう少し、何か別の戦力があれば良いんだけど……
「お兄ちゃん、大丈夫? なんか、怖い顔してたよ~?」
僕が考えて込んでいると、いつのまにか眉間に皺が言っていたのか、ミーちゃんが覗き込むように僕のことを見上げていた。
「ああ、大丈夫だよ」
「お兄ちゃんも、帰ったらちゃんと休まないとダメだからね」
「うん。ありがとう」
どうやらミーちゃんに心配を掛けるくらい、考え込んでしまっていたらしい。
(少し肩の力を抜かないとな)
そんな風に思うも目を閉じれば今後のことで頭が埋まり、僕は寝たふりをしながら今後のことについて考えていた。
◇◆◇
「やっぱりまだ見慣れないね」
あれから家まで帰ってきた僕達は目の前に佇む大きな城を見て苦笑いする。
王都の王城を見た後でも、この城のような家は十分すぎるほどのインパクトを放っていた。
「でも、あの王様に文句言われなくて良かったわよ」
そう言えば、アーノルド王は特に何も言ってこなかったな。
「確かに、せっかくぷーちゃんに作ってもらったものだからね。そこで揉めなくて良かったよ」
そんな風に談笑しながら、まだ慣れない手つきで扉を開けると、聞き覚えのある声が中から聞こえて来た。
「やぁやぁ、お早いお帰りだったねェ」
「え?」
その存在を見て、誰もが口をぽかんと開けている。
玄関を開けた先でどこから持ってきたのか、豪華な椅子に座りながら頬杖をついている男。
魔法王にして、僕の師匠を助けた人物でもあるハリソンがそこには居た。
「無言はやめてくれたまえよぉ。私がこの時だけのために作ったこの椅子と、優雅な私を見て何か言うことは無いのかねェ? それともあれかな? 言葉が出ない程素晴らしいということかなァ?」
相変わらず仰々しい喋り方をするハリソンは細身な身体に来たかっちりとした服も相まって、荘厳な雰囲気が無いでも無い。
いや、今までのハリソンを知っている僕じゃあ、どうしてもふざけているようにしか見えない。
とはいえ、彼には前ほどの悪感情は無い。
この前の一件でハリソンとは友達になったからな。
無言の僕達に少し焦り出したハリソンを見て、僕は少し笑みを零した。
◇◆◇
「でも、思ったよりも早かったね」
僕はずっと作り置きしておいた干し肉をハリソンに差し出しながら、話かける。
彼は時間の流れが遅い場所に住んでいるから、会うのも当分先だと思っていた。
ちなみに、みんなには疲れもあるだろうからと、お風呂に入ってから休むように伝えてある。
「いやぁ、なに。長い時間、あそこで過ごしていたから時間の感覚が無くてねぇ。あんまり遅くても仕方が無いかと思って来たら、早く来過ぎちゃったみたいだねェ。お? やっぱりこれは美味しいねェ」
干し肉を齧りながら喜んでいるハリソン。
「あれ? 今の身体って分身だよね? 味とか分かるの?」
「そんな細かいことは良いじゃないかァ。事実私は今幸福を感じている。それで良いと思うのだがねェ」
確かに野暮だったかもしれない。
それに、僕も美味しいと言われて悪い気はしないしな。
それから僕はハリソンに近況の報告をしていった。
流石にこれだけの事件があったのだ。
どうしても話題はそちらの方に向かって行ってしまう。
「ほう? 戦争になりそうなのかねェ?」
「うん。恐らく……いや、間違いなく争いにはなると思う」
僕は今僕が知っていることを全てハリソンに話した。
自分の予想も含めて、全て。
「なるほど、なるほど。大まかには理解したよォ。ライアス君に最初に言っておくが、私は答えを知っている訳では無いし、戦争には参加しないよォ」
これは分かっていたことだ。
ただ、やはりハリソンには見透かされてしまったのだろう。
僕の不安な心が。
今までも、危険な場面は沢山あったけど、全て向こうからやってきた危機だった。
しかし、今回のは違う。
僕が、僕の目的のために争いを起こすのだ。
もちろん、僕が何もしなくてもエルフと人間の戦争は起きていただろうけど、今は僕が動かそうとしていることには変わりがない。
そして、そこには沢山の命が掛かっている。
ずっと考えないようにしていたけど、そこまでの重荷を僕は背負ったことが無い。
僕はどこかで、誰かに助け……いや答えを求めていたのかもしれない。
僕が彼女達以外で実力を認め、信頼している人は三人だ。
師匠と、団長と、今目の前に居るハリソン。
その中でも、ハリソンはどこか絶対的な存在感を放っていた。
そんなハリソンならば全ての答えを知っているのではないか、そんな考えが頭の片隅にあったことは否めない。
ハリソンは僕の心を見透かした上で話をしてくれる。
「私も気に入っている子くらいは居るが、全体的には中立の立場だからねェ。それは私の在り方でもあるから、諦めてくれたまえよォ」
「うん。ごめんね。困らせることを言ったね」
「まぁ、そうしゅんとしないでくれたまえよォ。私だってお気に入りの子くらいは居ると言っただろォ? 私の信条に反しない限りで、何か一つ教えてあげようじゃないかァ」
ハリソンは何故、そこまでしてくれるのだろうか?
そんな疑問が顔に出ていたのか、心を読んだのかは分からないけど、ハリソンは難なく答える。
「何、それが友達という奴じゃないかァ……かぁ~ライアス君、今の私、かなりカッコよかった気がしないかい?」
そう言って仮面の奥で目を光らせるハリソン。
正直言ってカッコよかった。
「どうだろうね」
「おいおい、今のは完璧に決まったと思ったんだけどねェ」
多分、ハリソン以外なら思ったことを正直に伝えていただろう。
こんな風に冗談を言えるのはハリソンくらいかもしれない。
この絶妙な距離感だからこそ、為せることだと思う。
僕はそれが妙におかしくて、少し笑みを零した。
それを見て、ハリソンも満足そうな顔をする。
「どうやら、緊張はほぐれたようだねェ。あんまり思いつめすぎるものでも無いよォ。カナリナ嬢達も心配してしまうからねェ」
やはり、適わないな。
何故、ここまで気配りも出来るのに友達が居なかったんだろうか。
いや、恐らく僕のような立場で話せる人が居なかったんだろう。
誰もがハリソンに対して壁を作って話していた。
だからこそハリソンも壁を作らざるを得なかったのか。
「ありがとう」
「何、どうってことないさ」
僕はハリソンの心遣いに少し目を潤ませながら、一つ答えてくれるという質問を考えた。
「この戦いに勝利する鍵は?」なんて質問したら、「それは分からないとも」と答えられてしまうし、ハリソンだってそこは僕自身が考えるべきことだと考えるはずだ。
それなら、別の視点から考えよう。
今、戦う上での問題点はなんだ?
僕は現状をもう一度、考えた上で結論付ける。
戦力だ。予想外の事態にも対応できる新たな戦力が欲しい。
巨人族が協力してくれると仮定しても、保険は用意しておきたい。
それを思えば、あの種族しか無いだろう。
「ここら辺に吸血鬼の里ってあったりする?」
「吸血鬼かね? 少し待ちたまえよ……」
そう言ってハリソンが右手に本を構えると、独りでにパラパラとページが捲られていった。
「ほうほう、なるほど。一つ存在するみたいだねェ」
そんな簡単に分かるのか……なんて疑問はハリソンには今さらだ。
もう既にハリソンには何度も常識を覆されている。
「そこを教えてくれたら嬉しい」
「なるほどねェ。プリエラ嬢の故郷に行くつもりかなァ」
どうやらみんなの名前を覚えたらしい。
ハリソンは僕の目論見をすぐに当てて見せた。
「うん。プリエラの故郷にも行きたかったし、吸血鬼も力が重要みたいだからね」
「ああ、それは間違いないともォ」
今のプリエラなら、吸血鬼達の力を借りられるかもしれない。
まぁ、その辺りはプリエラの気持ちの問題もあるから、慎重に行かないといけないな。
後でプリエラに話を聞こうと思った僕にハリソンは本を見せながら、場所を教えてくれる。
なるほど。そこまで遠い訳じゃ無いな。
プリエラが飛んでくれたらいけない距離じゃない。
「ありがとう。助かったよ」
「なに、ライアス君にはアンの件でお世話になったからねェ」
アン?……ああ、師匠のことか。
確か師匠に呪いをかけたのはハリソンの知り合いだったらしいからな。
「ほんとは僕が何かお礼をしようと思ってたのに結局頼っちゃったね。また、今度会いに来れる?」
「気にすることはないよォ。やはり、こうして話してくれる人は少ないからねェ。当然、会いに来るとも。だからこそライアス君の健闘を期待しているよォ」
ハリソンはそう言い残して、満足したのか消えて行った。
本当に嵐のような人だな。
まぁ、あの感じだとまたどこかで現れてくれるだろう。
また、か……
その「また」が来るためには、僕もこの戦いで生き残らないとな。
ハリソンとの話を終えた僕は少し休もうと立ち上がったところで、ふと視線を感じた。
「あれ? みんな、どうしたの?」
「いえ、ライアス様が思いつめていたようなので……」
やっぱり、ハリソンの言うようにみんなにも心配を掛けていたようだ。
これは僕一人の問題じゃ無いからな。
もう少し、みんなにも話してみるか。
ハリソンと会ったおかげで身体と気持ちが軽くなった僕はみんなにも作戦を伝えることにした。
◇◆◇
「それじゃあ、ライアスは吸血鬼の里に行くのね」
「うん。プリエラはそれで良いかな?」
「はい……ずっと、行きたかったので、嬉しいです……」
「ミーも行って良いの~?」
「ごめんね、ミーちゃん。今回はプリエラと二人で行って来るよ」
「そっか~。じゃあ、お留守番頑張るね~」
「うん。よろしくね」
そう、今回はプリエラと僕だけで吸血鬼の里に行く。
何があるか分からない中、みんなで行動するよりはプリエラと二人の方が動きやすい。
プリエラ以外のみんなはファナが上手く纏めてくれるだろうから、僕としても安心して任せられる。
僕がファナにそれを伝えていると、アイリスが心配そうに声を掛けてくる。
「その、ライアス君は大丈夫なの? ずっと動いてるけど……」
「うん。さっきは心配掛けてごめんね。疲れていない訳じゃないけど、今が頑張り時だから。まぁ、数日はゆっくり休むから体調も万全になるはずだよ」
少し煮えたぎらない感じのアイリスだけど、どうやら納得してくれたようだ。
みんなには心配を掛けるけど、出来ることはしておきたい。
ただ、プリエラにも疲労はあるはずだから、数日は休まないといけないだろう。
僕はみんなに作戦を伝え終えると、魔改造された自室に戻って、横になった。
環境が変わりすぎて眠れないかもしれなかったけど、今日ばかりは関係が無さそうだ。
ベッドに横になるなり、僕の意識は深く落ちて行った。




