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第99話 カナリナのトラウマ

 



「手を離してもらえますかね?」


 僕はカナリナの手首を掴んでいるモロイドの腕を軽く握って声を掛けた。

 最低限の敬語は守られているけど、声に含まれる棘は隠そうともしていない。


 さっきまで殴りかかってやろうと思っていた僕が腕を掴むだけにとどまったのはモロイドに接触する直前、カナリナがここまで頑張って来てくれたことを思い出したからだ。

 ここで僕が貴族に手をあげてしまったら、せっかくカナリナが作ってくれた貴族との和を壊してしまうことになる。

 ただ、このままこの状況を見過ごすわけにもいかない。


 そんな中で僕が出した折衷案が「腕を掴む」という行為だった。


 周りに他の貴族が居ることに今さら気付いたのだろうか。

 僕に腕を掴まれたモロイドは激昂しながらも、取り繕う。


「な、なんだね。貴様は?」


 その目には隠し切れない敵意が見て取れたけど、すぐさま僕に手をあげるということは無いようだ。

 問われた僕はモロイドの腕を掴む手に力を込めながら自己紹介をする。


「お初にお目に掛かります。ライアスと申す者です。以後お見知りおきを」


 カナリナに習った自己紹介をしながら、にこやかに告げる。

 僕の言葉を聞いたモロイドは「平民如きが……」と小さく呟きながら僕の手を振り払った。

 平民に触れられるのが嫌だったのだろう。

 ただ、それによってモロイドがカナリナの腕を離したので、僕としては問題ない。

 さっと身体をモロイドとカナリナの間に滑り込ますと僕はモロイドと対峙した。


「そうか、お前が例の冒険者とやらか。陛下の客人だ。一度は見逃してやろう」


 軽く腕を組むと、モロイドは「ここから去れ」と言外に言ってきた。

 その姿には、これで引かないはずがないという確信めいたものを感じた。

 彼は侯爵家で偉いらしい。

 恐らく、彼がこう言えば大抵の貴族は引いてきたのだろう。

 しかし、貴族の文化に触れてこなかった僕からすれば、そんなものは関係ない。

 僕は敬語だけは失わないように気を付けながら言葉を返す。


「それを言うのであれば、彼女も陛下の客人ですよ」


 そう言って、僕はちらりと後ろに目をやった。

 そこには僕の影に隠れるようにしているカナリナの姿がある。

 呼ばれたのは僕と、僕の仲間だ。

 当然、その中にはカナリナも含まれている。


 僕の視線を追ったモロイドは呆気に取られているようだった。

 どうやらカナリナが陛下の客人だとは知らなかったらしい。


「は? そこの愚図が、陛下の客人、だと……?」


 僕の指がぴくりと動いた。


(ムキになるな……)


 僕が自分に言い聞かせるように宥めていると、僕とカナリナを交互に見たモロイドは嘲るように笑った。

 彼の頭の中でどのような論理が成り立ったのだろうか。

 どこか納得した様子のモロイドは一つ手を打つと、僕に馴れ馴れしく近づいてきた。



「そうか、分かったぞ。顔か。こいつは魔法も使えん愚図だが、顔は良いからな。その色香に惑わされたか」


 何が面白いのか、僕の肩を叩きながら上機嫌そうに話している。

 僕の後ろでカナリナが小さく反応したのが、背中越しに伝わってきた。


 僕は自分の思考が上手く纏まらなくなっているのを感じていた。

 今までは我慢してきたはずの怒りが抑えきれなくなってきている。


「だが、冒険をする上で、こんな愚図ではモノの役に立たんだろう。私が適切に使ってやる。適当な代わりは用意して──」



「──いい加減にしてくださいよ。それ以上カナリナを馬鹿にしないでもらえますかね」


 僕はモロイドの胸倉を掴むと、彼に顔を近づける。

 これは反射のようなものだった。

 何か考えて行動した訳では無い。

 こいつの言葉をこれ以上聞いていたくなかったのだ。

 僕より少し身長が高いモロイドとはいえ、僕が胸倉を掴んだことで、喉が閉まったのか、嗚咽にも似た声が漏れた。

 モロイドの顔がみるみるうちに赤くなっていく。


「くそっ、平民風情がいい気になりおって!」


 そう言った直後、僕の手に衝撃が走った。


「っ」


 痛みにたまらず手を離した僕にモロイドが右手を向けていた。


「この私に手をあげたことがどういうことか、身を以て覚えるがいい!」


 そこで、僕は当たり前のことを思い出した。

 このモロイド・アムレートはカナリナの父である。

 そしてカナリナにはかなりの魔法の才能があった。

 ということは、少なからずその父である彼も魔法に長けている可能性が高い。


 僕は嫌な予感を感じ、腰の短剣に手を伸ばそうとして空振る。


(マズイ!)


 そうだ。短剣はここに来るまでに回収されてしまっていたのだ。

 目の前ではモロイドが魔法を放とうとしている。


 この距離では躱すことなど出来るはずがないし、そもそも僕の後ろにはカナリナが居る。

 躱すという選択肢は最初から無いのだ。

 そう考えている間にもモロイドは攻撃準備が整ったようだ。

 満足の行く準備も出来ないまま、僕はモロイドが光のようなものを放つのを見て、咄嗟に目を瞑った。



 ◇◆◇


 ◆カナリナ視点


 ライアスを見送ったあたしは、姿勢を正してパーティ会場の端で静かに佇む。

 ここで気の緩みを見せてはいけない。

 ただでさえ、あたし達は冒険者だと軽んじられている。

 そんな中でのあたしの仕事は彼らを舐められないようにすることだ。

 あたしが器量良く振舞っていればそれだけで、対応を変える者も現れる。


 それにせっかくライアスとこういう場に来たのだ。

 彼に恥をかかせるようなことは出来ない。


 そんな訳で、気を引き締めていたあたしだったけど、先ほど一緒にライアスと立っていたことを思い出し、少しだけ頬が緩んでしまった。

 まだ、腕に彼と組んでいた感触が残っている。


(こうしてアイツと隣に並んで歩くなんてね)


 パーティでは異性を連れて来る場合が多いけど、当然ながらその相手と言うのは婚約者であったり、それに類する者である場合が多い。

 昔はいずれ誰かと一緒に来ないといけないのかと、不安を感じていたけど、これなら悪くない。

 いや、悪くないどころか、むしろ……


(って、別にこれはそういうのじゃないじゃない!)


 あたしは自分の思考を掻き消すように一度咳ばらいをすると、また小さな笑みを浮かべて前を見た。

 何人かの人があたしに注目しているけど、話しかけて来る人は居ない。

 それもそのはずだ。

 あたし達は陛下の客人、それもライアスは陛下の個室に呼ばれる程である。

 幾ら自分達が貴族で相手が冒険者とはいえ、陛下の不興を買ってしまえば、貴族の序列など意味を為さない。

 だからこそ、不用意にあたし達に近づく者は居ないのだ。

 むしろ、ダリス・オーラインのように気軽に話しかけてきたのがおかしいくらいだ。

 そこで、あたしは先ほどライアスに話しかけてきたダリス・オーラインという男を思い出す。

 オーライン侯爵家、間違いなく名家の一つだ。

 あたしが昔いたアムレート家も同じ侯爵家ではあるけど、貴族の格としてはオーライン家の方が数段上だろう。

 アムレート家が魔法を得意とする一族だとすれば、オーライン家は戦いを得意とする一族だ。

 彼らが率いた軍は負けることを知らない。

 このローランド国が今の国土を保てているのもオーライン家の尽力が大きな役割を果たしているのは言うまでもない。

 あたしが貴族だったころは別の人だったはずだから、ダリス・オーラインはここ数年で当主になったばかりということになる。

 それを考えれば、何か緊急の事態が起きただけではなく、彼もかなりの腕前だと見るべきだ。


 あたしはライアスに伝えるべき情報を精査していると、パーティ会場の扉が開く音を聞いた。

 ただあまりキョロキョロと顔を動かしていては余裕が無いように思われてしまう。

 何となく目を向けたい衝動を抑えて、あたしが手元の水を一口飲むと一際大きい声が聞こえて来た。


「少し遅れた。陛下に挨拶がしたい。通してくれ」


「はい、直ちに。しかし今、陛下は別の方とお話の最中ですので、終わり次第お通しさせていただきます」


「それは私より優先すべき相手なのかね?」


「それは私ではなんとも……ただ、他の方を通すなとは命じられています」


 尊大な声と、困ったような執事の声を聞いて、あたしの身体は硬直した。

 心の奥に眠っていた恐怖やトラウマが小さく蠢きだしたのを感じる。


 見てはいけない。もし、見てしまって、アイツがそこに居れば間違いなくあたしは正気を失うだろう。

 その確信があった。

 だからこそ、仮にアイツがそこに居ようとそれを確認してはいけない。

 そう思っていたのに、あたしの身体は僅かばかりの勘違いを信じて、いや望んで、声のする方に顔を向けてしまった。



 あ……


 見つけてしまった。


 あたしがこのパーティに来る上で一番怖かったこと、人。

 その存在があたしの前に姿を現した。


(ダメだ、逃げないと……)


 そんな思いに駆られてか、あたしはパーティ会場の端から真ん中の方へと移動する。

 人が居ない拓けた場所に居たら見つかってしまうと思ったのだ。

 あたしは人ごみに紛れるようにして息を潜めた。


 今までは上手く回っていた思考も回らなくなり、あたしは振る舞いを取り繕うことも忘れてしまった。

 そんなあたしの耳に、またあの大声が聞こえて来る。


「なに!? 例の冒険者だと!? また、アイツなのか!」


 激昂しているかつての父の言葉を聞き、あたしはビクリと身体が反応してしまった。

 驚いたせいか、足元が絡まってしまい、あたしはその場で躓く。

 その際、近くにあったテーブルに手をついてしまい、そこに乗っていたコップの一つが地面に落ちてしまった。

 大きな音を立ててコップは辺りにその破片を散らした。


 人の視線があたしに集まっていることを感じる。

 あたしは恐る恐る顔を上げて、かつての父を見る。

 彼はあたしを見ていた。

 その目は見開かれており、あたしがカナリナだと気付かれたことを直感する。


 かつての父が先ほどの怒りをそのままにあたしに近づいてくる。

 こけてしまったあたしは視線を移すことも出来ずに、ただ近づいてくるかつての父を見つめ続けることしか出来なかった。


(はぁ、はぁ……)


 呼吸が段々と浅くなり、視界の端が白く濁っていく感覚に苛まれる。

 今まで聞こえて来たパーティ会場の音も遠くなってしまった。

 そんな音を忘れた世界で、嫌に大きく聞こえる鼓動を聞きながら、あたしは自分のトラウマと対峙した。


 ぼやけた意識の中、あたしの手が強く引っ張られるのを感じる。

 かつての父に腕を掴まれていた。

 別に力が強いわけではない。

 それなのに、あたしの中からは抵抗する力が出てこなかった。


「おい!なんで、貴様のような奴がこの場に居るのだ!」


 あたしは問いに答えることも出来ず、ただただその状況から逃げ出そうとする。

 しかし、身体からは力が出てこず、その手を振りほどくことは出来ない。

 昔のトラウマが頭を駆け巡り、嫌な現実と嫌な夢を行ったり来たりするような感覚に苛まれる中で、あたしは半ば無意識に心の中で彼に助けを求めた。



(ライアス、助けて……)




「手を離してもらえますかね?」


 声が聞こえた。

 その声を聞いた瞬間、どこか地に足がついたような感覚を覚える。

 先ほどの気持ち悪かった感覚も少しずつ薄れていき、手足に力が戻ってきた。


 ぼやけていた焦点を合わせると、そこには彼が居た。

 見間違えるはずもない。最愛の彼が。


 彼はあたしとかつての父の間に立つと、あたしを庇ってくれた。

 あたしはただ、その背中で怯えることしか出来ない。


 あたしは彼に縋りついた。

 ここが外で無ければ、彼を強く抱きしめていたに違いない。

 それでも、あたしに残った理性が、彼の背中に体重を預けるだけに留めていた。


 彼の背中は温かかった。

 彼の鼓動を聞いていると、忘れていた自分の感覚を思い出すような心地がしてきた。

 あたしは深呼吸をして、息を整える。


(大丈夫、大丈夫)


 今はあたし一人じゃない。

 ライアスが居る。

 今までどれだけ困難なことでも、彼が居ればなんとかなってきた。

 そう思うと、あたしは徐々に正気を取り戻していった。


 少し活力が戻った目でもう一度前を見つめた。


(え……?)


 そこではかつての父がライアスに手を掲げていた。

 それが魔法を使おうとしている合図だということはすぐに分かった。

 しかもかなり強力な魔法だ。

 もし、この距離でライアスが受けてしまったらただではすまないだろう。


 そんな状況を一瞬で理解したあたしの胸に沸き上がってきたのは恐怖では無かった。

 その恐怖を上回る程の怒りだった。


 彼に手をあげようとしている、あたしから彼を奪おうとしている、その事実にあたしの身体は無意識に動いていた。


 あたしは彼の前に立って、かつての父、いやモロイド・アムレートから放たれた魔弾を相殺する。


「カ、カナリナ?」


 後ろからライアスの驚くような声を聞きながら、あたしはモロイドと対峙した。

 目の前のモロイドもあたしが魔弾を相殺したことに驚いている様子だった。


「な、なん……」


 だが、徐々にその顔は怒りへと変わっていった。

 彼はアムレート家の現当主である。

 当然、魔法の腕は高い。

 だからこそ、今あたしが相殺したという事実を誰よりも理解してしまうのだ。

 相手の力量を読み、それと同じ力をしかも瞬時に打ったという事実に。


「き、貴様如きが! 私に逆らうな!」


 激昂した彼を見て、あたしは妙に冷静になっていた。

 今まで怯えていた存在が、妙にちんけな存在に感じられたのだ。

 彼が放ってきた魔弾を次々と撃ち落としていく。

 彼はここがパーティ会場ということも忘れたのかお構いなしだ。

 ここで、誰かが傷ついてしまえば、あたし達にも責任が生じて来る可能性がある。

 だから、あたしはその全てを相殺して撃ち落とした。


 目の前で魔力不足により、息を荒げるモロイドにあたしは正面から対峙する。


「貴様、魔法が使えるようになったのか……」


「ええ、彼のお陰でね」


 あたしは久しぶりにモロイドに向かってしっかりと声を出せた。

 もしかしたら、興奮状態だから恐怖が無いのかもしれない。

 ただ、今はそれでも良かった。

 あたしは晴れやかな気持ちでモロイドと対峙する。


「まだ続ける気かしら?」


「ぐっ」


 もう、モロイドの魔力は僅かにしか残っていない。

 この状況からの逆転は厳しいだろう。

 だからこそ、彼はここで引くしかない。


「くそっ、馬鹿にしおって……このことは覚えておけ!」


 モロイドは踵を返すとその場を後にした。

 彼が居なくなったことで、静かだった周りも音を取り戻す。

 あたしは彼が居なくなったのを確認してから一息ついた。


(あれ……?)


 その時、あたしの身体からふと力が抜け落ちた。 


「カナリナ!」


 地面に倒れこみそうになったあたしを彼が受け止めてくれる。


(少し疲れたわね)


 これは魔力不足とかではなく、精神的な疲れだろう。

 何とも言えない疲労感がどっと押し寄せてきた。

 そんなあたしの目に彼の心配そうな顔が映る。


(心配し過ぎよ)


 そんな言葉を発する前にあたしは意識を手放した。



 ◇◆◇


 ◆ライアス視点


 僕は倒れてしまったカナリナを抱えなおすと、立ち上がる。

 カナリナには精神的負担を掛けてしまった。

 本当は僕が対処出来れば良かったんだけど、結局彼女に頼ってしまうことになってしまった。


 でも、カナリナの寝顔を見るに、悪い結果になったという訳ではない。

 彼女の顔は少し憑き物が落ちたような顔だった。

 僕がカナリナを連れて立ち去ろうとすると、その先には一部始終を見守っていたダリスさんが居た。


「ライアスさん、止められなくて申し訳ありません」


「いえ、伝えてくれただけでもありがたいです。ですが、彼女も気絶してしまいましたので、今日のところは帰らせていただきます」


「もしライアスさんさえ良ければ、私の家で治療いたしますが……」


「いえ、お気持ちだけ受け取らせていただきます」


 そう言うと、ダリスさんは少し残念そうな顔を浮かべてから笑った。

 恐らく今は関わって欲しくないという気持ちが伝わったのだろう。

 ダリスさんは良い人に見えるけど、流石に会って直ぐに信頼することは出来ない。

 カナリナも疲れから寝ているだけだから、みんなを心配させないためにもここは帰ろう。


「そうですか。アムレート侯の動向も気になります。何かあればいつでも申し出てくださいね」


「はい。お心遣い感謝いたします」


 確かにダリスさんの言う通り、モロイドがまたちょっかいを掛けて来ることは十分に考えられる。

 それを思えば、彼と同等の地位を持つオーライン侯爵家の力を借りられるのは大きな助けになるだろう。


 僕はダリスさんに礼をすると、パーティ会場を後にした。




「ライアスさん、気を付けてくださいね。今、貴方に死なれる訳には行きませんから」


 そんなライアスの背中を見送りながら、ダリスは静かに呟いた。




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[一言] まだまだ問題は山積みのようで
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