聖樹の精霊
「人間ってバカね、結局は己の首を絞める事になるのに。愚かだわ」
世界樹が大きな音を立てて倒れてゆく。
人々が歓声を上げるなか、私は静かに姿を消した。
僕は今日も後ろから彼女を見ていた。
彼女の名前は、二階堂 小夜
2年3組、いや、西高校全員のアイドルだ。清楚可憐で儚げで、人当たりも良く、名家の令嬢なのに威張る事もない。そんな彼女を好きにならない訳がない。勿論、校内のアイドルは他にも居る。
だが、僕は小夜さん一筋だ。
だから彼女が突然教室に入って来たとき、美人とは思ったけど、皆みたいに見とれたりはしなかった。
「ああ、居た居た。あなた名前は?」
「………… 二階堂 小夜です」
「そう、サヨ。フフッ、サヨナラのサヨね」
失礼な人だな、僕はそう思った。そもそも授業中にいきなりやって来て、何なのだろう彼女は。
「フフッ、サヨ。サヨナラ、それと、いただきます」
彼女は突然小夜さんに口づけをした。勿論、小夜さんは抵抗した。でも彼女が腰と頭に腕を回し、離れられないみたいだ。
皆が圧倒され、教室から音が消えた。
彼女の口づけの音だけが聴こえていた。いやらしい、淫靡な水音だった。
だから彼女が一際強く、小夜さんの唾液を吸った時、小夜さんが彼女の口に吸い込まれたのを皆が見ていた。
「ごちそうさま」
彼女が舌舐ずりをした。
僕はそれを見て、何故か喉を鳴らしていた。
「そこの君」
僕が指差されている?
彼女が近づいて来る。
僕はこの時、小夜さんみたいに食べられちゃうとか、お腹の中で小夜さんと一緒とか、お腹の中から小夜さんと一緒に脱出とか、そして二人は恋人にとか、都合の良い妄想を抱いていた。
でもそんな事にはならなかった。
「ついてきて」
彼女は僕の手を引いて歩き出した。
教室を出て、校門も出る。
「二人っきりで話がしたいわ、邪魔が入らない場所に心当たりは?」
僕は自宅へ案内した。学校から徒歩10分だし、両親は共働きで僕は一人っ子だ。
凄く怪しい人だけど、彼女のお腹には小夜さんが居るって思うと無下には出来ない。
咀嚼された訳じゃないしきっと助ける方法がある筈だ。
だから僕は彼女が望むままに、自室まで上げた。
「さぁ、何から話そっか? それとも聞きたい事ある?」
「あなたは誰ですか? 小夜さんは無事何ですか? どうしてあんな事したんですか?」
「じゃあ、最初からね」
「私は聖樹の精霊、名前は無いわ。
私がいた世界では、動物は魔力を、植物は聖力を宿すの。
でも最近、人間に聖樹が切り倒されちゃって。聖樹が無いと聖力と魔力のバランスが崩れて生命が滅びるわ。人間が滅ぶのは自業自得、でも巻き込まれる他の生命体は?
堪らないでしょ。
だから私は、聖樹がつけた最期の実で受肉し、此処へ来たって訳。新しい聖樹を見つけにね」
それと小夜さんを吸い込む事に何の関係があるのだろう?
「サヨ。あの子を食べたのは、サヨが新しい聖樹だからよ。
ただの植物に精霊を宿すには、人格のある生き物を種にする必要があるの。
魔力とは欲望を叶える力。この世界に魔力は無いけど、サヨは特に優秀よ。
飲み込んで分かった。彼女、相当厳しい家で育ったみたいね。自分の意見を持つのを許されず、周囲の指示に従うだけの生活。彼女に欲望らしい欲望なんてまるで無いわ。
空っぽのお人形さん、それが彼女よ。
素晴らしい逸材でしょ?」
それじゃあ僕は? 僕はなぜ連れて来られたの?
「空っぽのお人形さんはもう一人必要なの、彼女を守るために。分かるでしょ?
君はサヨが好き。でも何もしない。告白なんて出来ないし、話しかけるのも無理。妄想でさえおこがましいし、オカズにするなんてもってのほか。
でしょ?
欲望は有ってもそれを叶えようとはしない。
魔力は欲望を叶える力。だから君にも宿らない。
君もまた、逸材よ」
好きな人を空っぽと言われ、自分の事も空っぽと言われ、でも逸材と言われ、誉められてるのか貶されてるのか。
まぁいいか、とにかく僕は小夜さんを守れば良いらしい。
たぶん異世界で、彼女の後を継ぎ、聖樹の精霊になった小夜さんを守護するのが、僕のこれからの人生なんだ。
「さ、それじゃあ早速、交配しましょ?」
「な、ななな何を言ってるんですか!?」
「サヨは今、私の中で幽霊の様な状態。彼女を種にするには、雄しべと雌しべを合わせて受粉しないと」
「い、いきなり知らない人とできるわけないでしょ!?」
「…………」
彼女が黙っている間、僕は「人じゃなくて精霊だ」なんて言われたらどうしよう、なんて現実逃避していた。
「あら? あなたの服、綿なのね。なら」
僕のシャツとズボンが勝手に動き、僕をベッドまで移動、仰向けに拘束されてしまった。
「フフフ。私、植物なら何でも自由自在なの」
彼女の服が脱げ落ち、僕のパンツはまっぷたつに破けた。
「ままま、待って! 僕は、初めては小夜さんに捧げると決めてるんだ!」
たった今決めたんだけど!
「? まさしくそうじゃない。私とあなたで受粉してサヨに捧げる。
うん、良かったわね、あなたの望み通りよ」
「!?」
彼女の姓知識は乏しかったが、10年間僕と過ごした、小さなサボテンの記憶を読んだらしい。
僕の趣味を完全理解した彼女と、僕は何度も受粉した。
そして最後は、僕も彼女に飲み込まれた。
「フフフ、上手くいった。後は帰って植えるだけ」
私はまた、世界を超え、故郷の森に帰ってきた。
此処はもう、愚かな人間の手に渡ったも同然だ。サヨにはもっと良い土地を用意してあげる。四大精霊の加護を受けた土地。
彼等の協力で、私は聖地を手に入れた。
火の力で暖かく、水の力で水源豊かに、地の力で広く大きな、風の力で空を飛ぶ大地。
この島、聖地をサヨに。
私は島の中心に、サヨを埋める為に降り立つ。
「人の身体って不便だわ。あんな痛い思いで受粉して、もっと痛い思いで種を落とすなんて」
私はサヨの種を産み落とす。
それは激痛との戦い。
私の頭ほどもある種は、お腹の力だけでは落とせないらしい。
「この小さな穴をもっと広げなければ」
私は自らの手で身体を引き裂く。
力いっぱい、前後に、左右に引っ張る。
そのかいもあり、穴はへそまで裂けた。痛みで気が狂いそうだ。
だが、これなら、今度こそ。
お腹に力をいれた瞬間、さっきまでとは比べ物にならない激痛が走った。
人間、もしくは、生物の本能なのかも知れない。私は激痛を耐える為に全身に爪を立てていた。
いや、違う。
耐えるのではない。
果物の果汁を絞るように、私は私の身体を締め上げていたのだ。
種を絞り落とす為に。
長い戦いの末、無事、サヨの種は落ちた。
かつて、皆が美しいと褒め称えてくれた私はいないだろう。今の私は、全身から樹液が零れる搾り滓。
だが、もう一仕事残っている。
「サヨ、あなたに守護者をつけてあげる」
私の聖樹がつけた実は2つ。1つは私が食べて受肉、もう1つは彼に。
私は、飲み込んだ彼に聖樹の実を渡す。
その為に、聖樹の実を丸飲みする必要がある。リンゴ大の実は中々難しいだろう。
だがやらねば。
あごを外し、口へ押し込む。
枯れた足などもう要らない。根本から折り、くわえた実を押し込む棒に。
喉へ達し、喉をしごいてさらに下へ下へと。
漸く、胃の腑に達した時には、私の身体にまともな部分は残っていなかった。
「ーーーーー、ーーー」
これで良い、あとは。
そう言ったつもりだった。
喉をあれだけ圧迫したのだ、声を失って当然か。
もう種を埋める力は残っていない。
動かない身体を引摺り、種を抱き寄せる。聖樹は世界に1本だけ。私が死ねばサヨが芽吹く。
私を苗床に大きくお成り。
最期に、彼の宿る実を取り出す。
もはや、痛みなど無い。後は、彼が上手くやるだろう。何せサヨは、彼の初恋の相手だもの。
サヨを、聖樹をよろしくね、守護者くん。