今胸にあるもの
これしか、やれることがないと思った。
一般的に、恩人の頬をぶっ叩くのは如何なる理由があろうが、最低だろう。だが、俺がセシルに出来る恩返しはこれしか出来ない。
あの草原で誓った約束。それを果たすことしか、今俺がセシルにできることは無いんだ。
思いっきり頬を引っぱたかれたセシルは頬をそのまま動かない。
一瞬、大丈夫かと狼狽するが、志穏は続ける。
「 セシルは絶対正しいよ。だって、お前が助けたお陰で、ニナは生きてるんだぞ。 」
セシルの肩がぴくんと跳ねた。
志穏はありがとうの気持ちを伝えるように、丁寧に言葉を次いだ。
「 きっと、セシルの正しさが無ければ、俺もとっくに死んでた。けど、沢山の人が今も生きてる、セシルのおかげだ。1度の失敗がなんだ。そんなのお前が救ってきたものに比べれば安いもんだろ! 」
抱きつきたいと思った。それは恋愛感情とかでは無い。きっと、彼女が傷ついた女の子だと言うことを知ってしまったからだ。
最強の能力者なんかじゃない、彼女は女の子なんだ。
雨にずぶ濡れになりながら打たれている子供に傘を差し出すような、そんな気持ちだ。
隣に皆が居ると、伝えたい。けど、言葉じゃ上手く伝えれる気がしない。
志穏はセシルに抱きついた。肩から背中までぎゅっと手を回して、しっかりと。
セシルは小さく「ん」と小動物の鳴き声のような声を出す。
一瞬、心が浮くような高揚感があったが、そのまま体をしっかりくっつけると何故か平常心でいれた。
「 セシルの正しさを間違ってるなんて言う奴がいたら、俺がぶん殴ってやるから!! こんな傷ついてんのに、それでも進んできたセシルを、否定する奴が居たなら、俺がぶっ飛ばしてやるから!! 」
「……志穏……。」
セシルの体はとても柔らかく包容感があった。母性をくすぐられるような感覚を覚える。
……なのにこんなにも冷たい。
温和なイメージとは相対的に、緊張に熱を奪われのか、ベタ雪のように触れた体は冷たかった。
……ほんと、凄いよ。セシル。
すすり泣く声が次第に耳元へ風のように流れてきた。
「 ……間違ってない? 」
「 間違ってることなんてひとつもない。 」
「 ほんとにほんと? 」
「 おう! 」
岩窟内が一気に静まり返り、それから誰1人声を発さなかった。呼吸していることすら忘れて、岩窟に漂う空気と同化したような気分だった。
きっともう大丈夫だ。
そう根拠の無い自信に入り浸っていた。
セシルは志穏に強くしがみついたまま、暫く動かなかった。
「 どうして、殺させてくれなかったんですか。」
これはあの日の続きだ。過去を切り離し、未来を選んだ日の続き。
俺は両親の仇を殺さなかった。
アイツらが持つ、財産系のものは全て火をつけて焼き払ってやった。ゼロにしてやったんだ何もかも。
──だが、殺していない。のうのうと今も息を吸ってる。
あいつらはゼロになった。だが、ゼロを1にする未来がある。そのことがどうにも合点行かず、俺は歯痒い気持ちにさせられた。
あいつらに未来があることが、どうしても気に食わないのだ。
一時的に抑えた激情も少し経てば、もう抑制出来ない程パンパンに心で膨れ上がっていた。
──だってそうだろ。なんで俺の両親は死んだのにあいつらはなんで。
我慢できず、その苛立ちをとうとうセシルさんへぶつけてしまったんだ。これはその時の記憶だ。
「 あいつらは人を殺しているのにも関わらず、どうして生かしたのですか? 」
震えた声でセシルさんを責めた。セシルさんは俺の正面に立っていて俺の質問に少しびっくりしている様子だった。
この人が選んだ選択に理解が出来なかった。
アイツらを殺させてくれればきっとこんな鬱屈とした気持ちを今もぶら下げていることは無かったのに。
逸る気持ちを抑え、返答を待った。そして、返ってきた返答は意外なものだった。
「 あなたに、後悔して欲しくないから。 」
彼女は慎重に息を吸って息を吐いた。そしてそう言った。
一瞬、何を言っているのか理解が出来なかった。
……後悔なら、今させられてるじゃねえか。
「いや、今──」
「あなたが、過去の私に似てたから被って見えちゃったの。あなたには教えるね。実は人を2人殺してるの、私。」
急に血の気が引く。
衝撃の告白だった。怒りとかの感情が、一瞬で波が引いていくように消えていく。
だってさっきの戦闘だって、誰1人殺さないように戦ってたセシルさんが人を殺すなんて……。
ショックでは無い。彼女の告白を悲しいと言っていいほど、彼女にとって大切な役割を為していないから。
ただ目の前の彼女の美しさとその非人道的な行為が釣り合わなくて、困惑している。
彼女は続けて述べた。
「 その2人はいずれも、私のお母さんとお父さんを殺したやつだった。 」
「……それって。」
少し頷いて、彼女は弱々しい笑顔をこちらへ向けた。
「 昔から活発な両親でね、中央の非人道的な政策や富の支配を独占するやり方にいつも反対し戦ってた。私はそんな両親を誇っていたの。 」
「 けど、両親は中央に殺された。鬱陶しさを感じ始めていた中央の仕業だった。私の両親は正しいのに、間違っている奴らに殺されたの。 」
大人びた彼女に合わない、少し泣きそうな顔だった。
「 その時は泣くだけ泣いた。そして、そいつらの所に出向いて串刺しにしてやった。苦痛に歪む顔に最後、ナイフの刀身がすっぽり隠れるほど深くね。」
ぞっとした。彼女の言動に耳を逸らしたくなった。心臓の当たりを掻き回されたような、居心地の悪い気分だった。
「 セシルさん……。 」
「 その結果、私はどうなったと思う? 」
彼女は無表情でこちらを寂しそうに見つめている。
返答すべきか悩んで、ため息のように「 いいえ 」と呟いた。
「 確かに、殺した瞬間は心地よかった。だけども直ぐに、元にはもう戻れないんだ。て思った。どれだけ善人ぶっても、もう私は地獄にしか行けないんだって自覚した。はっきりいって、今もずっと後悔してる。 」
彼女は呆然と立つ俺の頬を撫でて、優しく笑う。
「 あなたはご両親をあれだけ愛せる優しい人だもん。きっと、後悔して、狂ってしまう。私のようには……ならないで。 」
とても美しかった。秀麗というのか、楚々というのか、彼女のその姿に恍惚とした気分になった。
それが例え人を殺した人だとしても、今彼女はどうしようもないほど優しく、美しい人なんだ。
目の奥が熱くなるのを感じた。そして、悟る。
彼女は俺にとって、一番良い選択を過去に照らし合わせて、導いてくれたんだ。
すごく胸が熱くなった。
そして、彼女の隣で戦いたいと思った、この世の不条理のすべてと。
彼女のことを思う度に全身に温もりと苦しさが通う感覚。
確信した。これは恋だ。
「 セシルさん……。 」
「 ん? 」
「 僕も協力していいですか。あなたの人助けの活動に。 」
彼女は気遅れたが、すぐに笑顔で「 いいの!? 」と声を上げた。
「 てことは……弟のグレイブを入れて3人になった。……立派なチームだね! 名前何がいい? 」
随分と興奮していた。さっきの哀愁漂う感じとうってかわって、元気ハツラツって感じだ。
「 名前?……ですか。 」
「 うん! 」
不意に両親の顔が浮かぶ。そして、胸の中でこう言った。
──あなたは自由に生きなさい。
──頑張れよ! ニナ。
不意に、牧場で嗅いだ柔らかな匂いがした気がした。
少しだけ、泣きそうになる。けど、涙を振り払って胸の中でありがとうと呟いた。
ここからが始まりなんだ。
「 自由の狼煙てどうですか。 」
何となく、これがいいと思って言ってみた。
「 凄くいいね! それにしよ。 」
「 即決でいいんですか? 」
「 いいんだよそれで! 」
こうして、「自由の狼煙」は誕生する。
「自由の狼煙」は1人の少年の恋心から生まれたものだった。




