決別の時
「 だったらなんだ。 」
「 きっと、お前の頭の中はこんなこと考えてんだろ。俺はどうして幸福になれないだって、な。 」
「 てめえに何が分かんだよ!! 引っ込んでろ。 」
「 分かるさ。言っただろ。似たもの同士だって。 」
すると、ニナは喉元を押さえたかのように言葉を発さなくなった。
「 俺、前に自分の報われなさに憐憫を垂れて、やけ起こして色んな人を傷つけた。お前もきっと同じだ。親御さんを失い、そこから人生の意味を見失いかけて……やっとの事でここまで来たが、振られたショックで死にたくなった。そして……セシルごと、何もかも壊したくなったんだろ。 」
それを聞いてもセシルは全く表情を変えずに志穏を見ていた。自分がニナにどうされても当然の報いだ、そう無理に踏ん切りつけているのかもしれない。
「 その行為は絶対にお前に後悔を残すだけだぞ。お前とは理由は違うけど、俺はそれで人生を壊しちまったんだから。 」
止めるつもりで、強い言葉を投げかけようとしが、あの日の光景が一瞬だけ鮮明に浮かんで、目柱が熱くなる感覚がした。
そのせいか、最後の方は弱々しい語調になってしまった。
なんだか、泣きたい気分だ。
自分の行為がどれだけ愚かだったか、口にしてみるとしみじみ分かる。
「 ……そんなの。」
「 いいのかよ、それで。お前は一体なんの為にここまで来たんだ? 思い出して── 」
「 志穏やめて!! 」
抜け殻みたいに憔悴した表情で一言も発さなかったセシルが唐突に叫び声を上げた。
叫び声が、耳の奥に刺さるように鋭く入って来た。
一瞬、何が起きたのか理解できなかった。
そして、セシルの膝が、がくんと崩れ落ちた。
空間全体の温度が一回り下がった気がした。
「 ……全部私のせいなの。私が曖昧な判断をしたせいで、ニナを傷つけちゃったの。だから志穏、これ以上、ニナの心を煽るようなこと言わないで……! 」
いつも大人びた様子のセシルが、駄々をこねる子供のような退行を見せた。
セシルの表情をみて志穏は愕然とした、彼女は泣いていたのだ。
頭を思いきり鈍器で叩かれるような衝撃だった。あの強いセシルが、こんな大粒の涙を零すなんて。
──カルディアが宴会の時に言っていた言葉が、否応なしに頭に響いた。
「 ──あんなにたくさんのもの抱え込んでもただしく居れるなんて……普通ぐれちゃいますよ。 」
「 ──本当は思春期真っ盛りの女の子なんです。 」
志穏は不意に理解した。
ああそうか。
セシルは沢山のものを抱え込みすぎたんだ。
「 やっぱり……間違ってたの、根本から……。」
しゃくり上げて話す彼女は息をするだけでも苦しそうな顔をしていた。
「 私がするべき事じゃ……なかったんだよ。私は、結局絶望してる誰かを泥濘みからすくい上げて、もう一度違う泥濘みに滑らせたんだ。結局、誰も救えてなんて居なかった!! 」
志穏の頭の中にあるセシルの笑顔がどんどん黒ずんでいき、崩れていく。
それは自分の大切な人が周囲に、罵倒され、唾を吐かれ、ボロボロになっていく様を嘆じるような気分だ。
なのに、志穏は彼女へ掛ける言葉を見つけれなかった。手をこまねいている場合では無いのに、何も言えない。
息が詰まるようなもどかしさに胸の中が掻き回される。
「 現に、すぐ側に居る人を蔑ろにした。人を救えている気がしてた。………でもそんなの違った。私が、1人の部下を苦しめて、狂わせてしまった。 」
岩窟内を嫌な緊張感と張り詰めるような圧迫感が支配していた。
1秒毎に状況が変化していく緊迫感があるのに、躊躇して動けない。
──この感覚いつの日だろうな……感じたことがある。……。……。
あの美しい夜だ。夕焼けのような、切なさを思わせる美しさを孕んだあの完璧な夜だ。
……あの時のセシルは確か震えていた。涙は流してはいなかった、だが自分の信念に影が差し、行動基準を失った彼女は信じるものを見失って、酷く怯えていた。
今のセシルもそうだ。自分の過ちで傷付けてしまったニナへの贖罪が見つからず、ただ自分自身の正しさを否定することしか出来ない。
理由は多少違うが、彼女は今も震えている。
ツゥーーーー。
志穏の頭へ無理やりにあの夜の記憶が流れ込んで来る。
「 ──怖いの。進んでいくうち、自分のやっている事が正しいのか、分からなくなっててさ。 」
「 ──それでも……もし、セシルが変わっちまったら、自分で自分の"正しい"がわからなくなっちまったら……そん時は俺が引っぱたいて戻してやる!! 」
「 ──約束だから──」
ああそうだ。俺は約束したんだ。あいつが自分の正しさを見失った時、くぐもった視界を晴らしてやるんだって。
志穏の胸の中に、闘志のような熱い塊がぽんと生成された。陰鬱としていた気分は胸の中の熱に暖められて、ほかほかしてえらく高ぶっていく。
俺はただのセシルのお荷物じゃないだろ。あの時の夜、そうならないことを誓ったんだ。
──行動ってのはよ、6割の高揚感と4割の勇気がありゃ起こせるもんなんだよ。志穏。
誰かの言葉が、じんわりと胸の中に焼き付く。それは志穏を鼓舞しているようだった。
叔父さん、ほんとその通りだと思うよ。
志穏は駆け出してセシルの頬を引っぱたいた。
セシルさんが泣き崩れた瞬間、頭の中が真っ白になった。
あれだけ猜疑心を抱いていた志穏も、自分のことを見てくれないセシルさんへの怒りも、どうでもいいと感じる程焦った。
そしてニナは気づいた。
全部はったりだったんだ。
だって、泣き崩れる彼女を見て嘘でも笑顔を作れないんだから。
……それに、本当は分かってたから。彼女に一切の罪は無いんだって。やるせない自己への怒りを無差別に放出していただけだったんだ。
俺はあの時からずっと子供のまんまだった……。
ニナは呆然と立ち尽くすことしか出来なかった。虚しさと劣等感で頭が重い。
……俺はセシルさんへ八つ当たりしていた。そして、彼女は優しいからそれを全部受け止めて泣き崩れている。
俺はなんてことを……。
その時、ニナは自分がセシルの隣になる資格さえも失ったことに気づく。
他人の為に自分の事が傷つくことを厭わない彼女。自分のことしか考えていなかった俺。
……道理で釣り合わない訳だったんだ。
なら、彼女にふさわしい人は誰だ。
その瞬間、破裂音のようなものが岩窟内を駆け抜けた。
──!!
ニナは目を見張った。
志穏がセシルを思いっきり平手打ちしたのだ。
セシルの頭が弾かれて、数滴の涙の粒が短く宙を舞う
「目え覚めたか? 」
泣いている女を思いっきり殴打して怒鳴りつける。さらに言えば、その対象がセシルだったことに、ニナは志穏に対し殴りつけたい激情に駆られた。飛び出そうとした瞬間──
「 セシルが、自分の正しさを見失ったらぶん殴る。そうあの日約束したのを覚えてるか。 」
体が意志以上の強い力で抑えられて、動けなくなった。そして、全身の力が抜ける。
全てが、かっ攫われてしまうような気がした。同時に胸がすくような感覚がある。新鮮な空気が全身を巡り、爽快な気分になるのに似ていた。
志穏に自分の場所が奪われしまう恐怖の感覚より、蟠りがなくなっていく開放感の方が強い。
それはきっと諦めが付いたということなんだ。
セシルが遠くへ行ってしまうことが目に見える。取られてしまった。
そして、悟った。
ああ、そうか……とっくに俺はこいつに負けてたんだ。
ニナは小さく吹き出して笑った。




