対峙
洞窟の中の空気は外の空気より清涼で、熱くなった頭を優しく冷やしてくれる。
1人の空間で思索や物思いに耽けるのは好きだ。
ニナは頭を垂れて自分の爪先を睨んだ。
だが、今は何も楽しくない。鬱屈とした気分が胸の中で敷き詰まって動けないような、苦しさを感じる。
あの時と同じだ。あの時の憎しみに比べれば幾分マシだが、俺はあいつが憎くて仕方がない。あいつは俺が作り上げた日常を掻き乱したんだ。
今頃、セシルさん達は何をしているだろうか。
考えると、ニナの頭には罪悪感が浮かぶ。
確かに、俺はセシルさんに恋をした。
そして――
「やっぱりこういう場所に行くんだな。お前も」
ニナは瞬間的に頭を上げた。そこには近日、最も憎らしくて仕方の無かった男の顔があった。
頭の中が二、三回ひっくり返るような衝撃と腸が煮えくり返るような苛立ちを感じた。
「なんで……お前が……!」
俺はずっと嫉妬していた。
あの時、俺は何かに銃口を向けるのを辞めたあの時から、俺は彼女の隣に居たくて、幾千の荒野を走り抜けたんだ。
彼女は俺のことを見てくれていた。それが部下として"視る"なのは重々承知だ。でも、彼女は時々俺を撫でてくれたし、俺が自暴自棄になった時も優しく包んでくれた。
アイリとかケインとか隊員が増えて来て、煩わしいなと思う日もあった。けど、俺が彼女の1番である限り、何も問題は無かった。
彼女が隊員の中で、誰よりも1番俺を見てくていたからだ。彼女の視界に俺が1番多く埋まっていれば、それでいいんだ。
それが俺の恋心の行き着いた結論であり、溢れる恋情の処理方法だ。
なのに、俺は奪われた。1番の座を。彼女の視界面積の大半をあいつが占めてしまった……。
異世界からの訪問者だからってセシルさんの隣で守られ続け、ましてやセシルさんと勝手に秘密の約束を結ぶなんて……。
あんな、照れた姿の彼女、見たことなかった。青春みたいな展開に動揺して、乙女のような顔になる彼女、見たことなかった。
ずっと隣で戦い続けた俺が、渇望していたものをあいつは1日で掬いとったんだ。
想像するだけで、震えが止まらなかった。
彼女の視野の最大面積を取られた今、俺の恋は失恋という形で終わったんだ。
殊に、彼女の隣が俺ではなく志穏になったことで、俺の存在意義は丸ごと搾取されたに等しかった。
なら、どうすれば……。存在意義を失った俺はあの時と同じような絶望に陥った。
頭の中を熱々の鉄でグリグリと押さえ付けられたような苦痛を感じて、心が狂瀾した。
そうして何もわからなくなってしまった灰色の頭でここへ逃げてきてしまったんだ。
いや、分かっている。自分が逃げてきた理由は紛れもなくひとつだ。
セシルさんが俺を見つけ出して「ごめんね」なんて言って、俺を抱き占めに来て欲しかったんだ。
だが、そんな懐中の思いを踏みにじるように、嘲笑うように、この男はやって来た。
何で、セシルさんよりこいつが俺の場所へ……。
1番分かってはいけない人間なんだよ、お前は。
だが、志穏と話がしたい。そんな穏やかな波のような感情が胸に広がった。
湧き出る怒りの濁流に一旦蓋をして、ニナは口を開く。
「話をしましょうか。志穏様。」
何故、ここが分かったか。答えは明確だ。
似ているんだ。
志穏は集会場から飛び出て、人が居ない静かな場所を探し回った。
ニナはほぼ、手ぶらで消えたのだ。なら、この暑い夏で飲み物もまともに持たずに消えるには、余程涼しく水に困らない場所に限定される。
それに長期に渡る逃走を計画したなら、どんな場所でも基本的に手ぶらでは無理がある。それらを欠いたこの逃走は比較的長距離には及ばないと予想が着く。
また、ニナの目論みを察した志穏はセシルがギリギリ見つけれる距離で前述した条件の場所を探した。つまり、好きな人を困らせるイタズラの範疇でおさまる距離。
結果、この洞窟に至った。
実際、俺も同じ状況なら同じことをした。かまって欲しいから。
「話をしましょうか。志穏様。」
さっきまでの鬼の形相は消え、静かな表情になっていた。
薄らと笑みすら窺える顔だ。だが、その笑みはとても自嘲的なものに見えた。
俺はこの人とここでぶつからなければならない。そんな確信に近い予感が胸で光った。
「正直にお教えします。私は志穏様が大っ嫌いです。」
「……。」
「殺してしまいたいほど憎い。」
やはりその話になるか。予感は確信にあっさりと移った。
「私はずっとセシルさんの傍らで、彼女の1番になりたくて……見てて欲しくて戦い続けました。ずっと我慢してきたんです。彼女と恋人になりたいとか、そんな傲慢な願いを祈ったことさえありません。なのに……」
石かなにかを噛み砕くような強い歯ぎしりが鳴る。大きく開いた瞳孔が志穏の姿をまっすぐ捉えた。
「あなたは……守られている分際で、彼女と距離を縮めて俺の場所を奪った。あの人の隣は私だったはずなのに……!たった数日で私の存在意義を掻っ攫った!!」
それは勢い良く燃え続ける炎だ。頭に浮かんだ言葉一つ一つを焚べてそれを原動力にし、嫉妬の炎は勢いを強くし続ける。
明らかにそれは、美波の隣にいた俺へのクラスメイトの感情と同じだった。
一つ違うのは、あいつらは誰か敵を作ってそれを半分娯楽のようにして楽しんでいた。
だが、ニナは違う。
命すら燃やして俺に訴えているんだ。
「だからあなたがお前が嫌いだ!! そして、たった数日で奪われてしまうようなポジションが自分の存在意義の全てだったと思うと情けなくて仕方が無い!!」
言葉が弾丸のようなスピードと強さで心を捻って抉る。
志穏は怯んだ。
「お前の……せいで!!」
彼は心の傷口から溢れる痛みの全てを誰かにぶつけて、楽になろうとしているように見えた。
疲弊しているのか、分厚いレンズの奥に潜んでいた光は狂犬の目というより、凍えそうな夜道を1人歩く弱った犬の目に近くなっていた
だけど、俺もニナに言いたいことがあるんだ。
これはきっとそのまんまの意味告白になる。これをニナに言えば、きっと彼は傷つくだろうし、怒り狂うだろう。
だが、そうしない以上事態は前に進まない。
俺だって、もうたくさんの人を巻き込んだ以上、全てを捨てて中央に捕まる訳には行かなかった。……叔父さんのことについて真実を知るまでは。
志穏は手のひらを胸に当て、雑多な思いを反芻して取捨選択する。何が必要な言葉で何が要らない言葉か。
重い唾をゆっくりと飲み込んで言う。
「ニナ、やっぱり俺と似てるよ。」
「……は?」
しくった。
一瞬で場が凍りつく。この瞬間にも飛びついてきそうな程のニナの殺気が洞窟内で充満した。
立ち入り禁止の黄色い帯を怯えながら飛び越えてしまったような、そんな緊張感と恐怖が心臓を掴む。
ここで口を閉じれば殺されてしまう気がした。ナイフを背中に突き立てられたまま、脅迫されているような感覚だ。ニナにこう言われている気がする、「はやくつづきをはなせ」て。
言われなくても言ってやる。
「ニナ、俺はお前達に憧れを持ったんだ。」




