回想 その2
恋。
そう言えば、とてもしっくりくる気がするが、少し気恥しい。
試しに、他の言葉を必死に探して、自分の心境と合致するものを割だそうとしたが見つからない。
憧れ。
これだ!と光明が差した気がしたが、何だかその言葉も違う気がした。
やはり、どう偽ろうとしてもこの気持ちは、大嫌いな人間を好きになってしまったんだと思う。
だけど、彼女だけなら、セシルさんだけなら、それも許せる気がした。彼女だけは美しく思えたから。どんな名画や風景にも勝るその美しさにどうしようなく想うようになってしまった。
「……ニナ君?」
「……すみません。ぼっとしていました。」
「いや、大丈夫だよ。」
セシルさんとの出会いから2日経って、やっとのことで家族のもとへ帰ってきた。
2日前までは―――ほとんど泣きじゃくっていた。
胸にあった苦しみと悔恨を吐き捨てるために無我夢中に泣いた。セシルさんの膝の上で。
彼女は俺が泣いている間、何も言わなかった。目をつぶっていたせいで、彼女がどんな表情をしていたかは分からない。
ただ、温かい膝の上から感じれたのはほんの僅かな嗚咽だけだ。
正直に言えば、心の中にある蟠りのようなものが全て無くなった訳では無い。
だけど、折り合いは付いた。セシルさんのおかげで、自分を蝕んでいた絶望と向き合う勇気を得れた。
もちろん、あの時仕事に出掛けなければ……とか中央の指示に従っていれば……なんて後悔も無いわけじゃない。
だが、そういうのは今考えないようにしている。今は進むだけ考える。後ろのものは散らかったままでもいつか片付ければいい。
「セシルさん。」
「ん?」
「ありがとうございます。」
「え! どうしたの急に。」
セシルさんは驚きよりも反応に困ったという調子で答えた。
「多分、あなたがいなければ俺はここに来れなかったです。」
これは心からの本音だ。きっと、この人と出会わなければ俺はまだ目を潰したまま、絶望に身を焦がしていた。
「そんなこと無いよ。私が居なくてもきっと誰かがやってた。皆がみんな困ってる人を見捨てるような酷い世界では無いよ。」
少し抑え気味の笑顔で彼女は言った。
何とも儚げな笑顔だろう。そう思う。
「それじゃあ、行こう。」
「……はい」
胸の中で固まっていた決意が少しだけ揺らいだ気がした。だが、きっと大丈夫だ。そんな勇気が湧いた。
家の鍵をポケットから取り出し、ゆっくりと鍵穴に指して回した。
ドアを開けようとすると、何十年も動かなかった滑車が動いたような歪な音がした。
……俺は前へ進むよ、お父さんお母さん。
家の中はあの日から時が止まっていたように全く変わっていなかった。
「大丈夫だ。行ける……」
一歩一歩足を踏み入れると、嫌な緊張感と胸の奥を掬うような感覚、それらが途絶えることなく続いた。
自室、親の寝室、順番に回って行った。
まだ、マシな場所を先に回り、耐性を付けたかったのだ。
「最後が……あの場所なんだね。」
「……はい。」
あの場所、両親が殺された現場のリビングだ。
亡骸は消え、壁に染み付いた血は俺の記憶とは反対に色褪せてシミになっていていた。だが、それは両親の死に顔を思い出すには十分な材料だった。
「う……うぅ。」
床に散ったおかあさんの大量の髪。開いた眼球の間から漏れる涙。マグロの解体ショーのように派手にかっさばかれた腹と父親のクレーターのように凸凹な顔面。
あの時、見てしまったものが全て、蓋をした所から流れ落ちて来たように俺の記憶を叩く。そのまま流れ落ちればどれだけ楽だったか。
だが、俺の記憶の中枢にそのままぶら下がり続けて消えること無かった。
俺の記憶の一部になってしまった……。あの惨たらしい映像が。
涙が喉の上を這い上がってくる、それを塞き止めたせいで喉の奥が苦しかった。ただ、声が出ないように息を殺して黙るしかない。
もう何が苦しくて、悲しくて泣きそうになっているのか分からない。
セシルさんはリビングの中へ駆け寄る。
「どうか安らかな眠りを。」
セシルさんは硬くなったものをほぐすような、そんな柔らかな声と共に合掌をしていた。
とても苦しそうで、悔しそうな顔だった。
赤の他人がそんな顔するもんだから、余計に泣く訳には行かなくて、必死に歯を食いしばって耐えた。
「入って。リン。」
セシルさんが少しだけ潤んだ声でそう言う。
すると、ギイと朽ちた音と共にドアがゆっくり開いた。
「胸くそ悪い事件だ。」
現れたのは1人の美少女だ。腰あたりまで伸びた髪は黒色で、毛先だけが赤い、そんな変わったパフォーマンスの少女だ。だが、表情はしかめっ面に近かった。
ヅカヅカとリビングに入って来るその少女に、最初に抱いた感情は苛立ちと不信感だった。
「おい、止まれやあんた!」
家族の団欒の場であったこの場所に、世界に、ふてぶてしく土足で闖入してきたそいつに俺は一括した。
だが、そいつは止まることなく俺の隣を横切り、2人のいた場所に来た。
「おいって!」
「うっさい。ちょっと待って。」
そいつは俺とはまともに取り合わずに右手を床に置いて能力を発動した。
すると、目に見えなかったシミのようなものが、星座のような輝きを持って現れた。
赤や青、暗がりを灯す街頭のような明るさを持つ様々な色が眼前に広がり、俺は凝然と立ち尽くした。
目の前の少女は無表情で床を睨み殺していた。
その光は一向に消えない。ただ、黙々と何かを訴えかけているようにチカチカと光る。
「……なるほどね。犯人、分かったよ。」
犯人? ああそうか、この人はこの事件の犯人を突き止めてくれたのか。
犯人、それを考えると心の中がドロドロの血のような醜いものに変化した。
犯人には両親の受けた千倍以上の苦痛で悶絶してほしい。
犯人の体を切り刻み、苦悶の表情を笑顔で見届けたい。そして、犯人の顔面に唾をかけて、笑顔で「ざまあみろ」と言って息の根を止めたい。
殺し方は何でも良い。ただただ残虐非道で手の施しようがない程に狂った方法でそいつらを……。
「やっぱり復讐……したいよね。ニナ君。」
「当たり前ですよ!」
俺の正気を失った顔を覗いたのだろう、セシルさんは不安そうな顔をして、こちらを一瞥した。
腸が煮えくり返るような思いだ。今すぐにでも会って、殺したい。
「何処にいるんですか。そのクソ野郎どもは」
「場所も分かったよ。なんせ中央のお偉いさんだしな。」
簡単に場所は割り出せた。
犯人は中央の高官2人組で、財閥や政界を牛耳る要人だ。
聞けば、名のある地方の元豪族らしく、敵対する人間を消して役職を奪い取るような、どうしようもなく腐り果てた人間だ。
普段は中央の直轄市の高層ビルでギャンブルに明け暮れているらしい。
中央の内部がどれだけ腐敗しているのか、言わずもがな読み取れるような事例だ。
俺とセシルさんはそのビルを正面から突破した。
「撃て!」
案の定、やつらがいる部屋の階の警備は厚く、重装の兵士が待ち伏せをしていた。
そして今、奴らと交戦中――セシルさんと俺は壁1枚を盾に銃弾の雨を防いでいる。
「セシルさん! 俺達死ぬんですか?!」
「大――夫、問題――――よ。」
俺の裏返った声を聞き、彼女は抑揚のない声で返した。
背後の発砲音のせいで、なんと言っているのかあまり聞き取れないが、彼女の余裕だけはありありと見えた。
今、死ぬか生きるかの絶望的状況なのに……どうしてこんなに余裕なんだ! この人。
苛立ちすら感じた。気が滅入って、諦めようとした瞬間のこと。
「見ててよ。」
何か凄技を見せる時のような、無邪気で軽やかな口調でそう言った。そして、安全地帯である厚壁から、彼女は躍り出た。
「セシルさん!!?」
思わず叫んだ。
彼女の予測不能な行動に着いていけず、ただ叫ぶ以外は出来なかったのだ。
だが、彼女は俺の動く時間すら要することなく、目の前の敵を一掃した。
彼女は地面の断面を浮き彫りにして、それを操り敵を粉砕した。
獰猛な動物の尻尾のようにそれは動き、敵勢を横から殴打した。いや、なぎ倒した。
「えっ……。第8能力!?」
先に口から出た言葉を心で反芻して、その言葉の意味を考えて驚愕した。
俺は衝撃に打ちのめされる。
もしかして――
「そう。私はそれの継承者よ。」
ローネス。どこかで聞き覚えのある名だと思っていた。だが、まさか第8能力の能力者とは想像も付かなかった。
彼女は自分がやったことを誇らしそうな顔もしていなかった。涼しい顔で倒れた敵を見つめていた。
その姿は干からびた平地に一輪咲く花のようで美しく見えた。
興奮は潮を引くように薄れて、代わりに謎は濁流のように頭の中を回る。
「うそ……あの第8能力の――」
「詳しい話は後でね。やつらが待ってるよ。」
確かにその通りだ、今は目の前のことに集中しよう。
ドミノ倒しが如く敵は倒されている。
セシルさんのお陰で道は開けた。彼女の中では生い茂った雑草をかき分けるように造作もないことだったのかもしれないが、俺達を止めれる人は確かに居なくなった。
目の前には丸裸な頼りないドアだけがあった。




