揺らぎゆく
「志穏!? 大丈夫だったの。なんで2週間も……心配したんだよ?」
「もう大丈夫だ。」
麻耶は泣き出しそうな表情で志穏を見つめていた。
周りの男子は志穏へ話しかけない、それ所か志穏が教室に入ってから、息を殺すように誰一人声を発さなかった。
「何があったの?」
「いや……特に何も。」
「嘘つかないで! 何も無いはずない。」
麻耶は周りを睥睨した。彼女も誰が原因か多少は分かっているようだ。だが、クラスメイトは悪びれることも無くその視線を無視して取り合わない。志穏へのいじめは男子だけでなく女子にも波及していた。女子も志穏へ心配の言葉1つも掛けてこないのがそれを裏打ちしていた。
「麻耶ちゃん。早く理科室行こ!」
「待って、まだ話はついてない……」
「いいからいいから!」
麻耶と仲の良い女子のクラスメイトが彼女を足早に移動教室へ連れていく。
麻耶は哀愁漂う瞳で志穏へ振り返り、何かを言いかける。だがその前にドアが閉められて、何も聞こえなかった。
「なんで学校来たんだよ。は? キモいんだよ。麻耶ちゃんに張り付くひっつき虫が」
息を殺していた男子からいきなり罵声を投げかけられる。
どすん。胸を言葉が殴打する。そして、その反動でドス黒い感情が浮き上がる。
「帰れよ。はやく。」
やっぱり、俺は神に嫌われている。
脳みそが内部から破裂したように志穏の内にある意識が吹き飛んだ。
──────。
「志穏!! 私は──」
勢いよく開け放たれたドアから、麻耶が突入して来た。
その声が耳に響いた瞬間、志穏の内にある意識の破裂した断片が結合し修復されたように元に戻った。
何だ……一体何が……。
戻ってきた理性のガラスに通して見た目の前の景色に、志穏は小さな悲鳴を上げた。
ジェンガの残骸のように、男子クラスメイトが呻き声を上げて転がっていたのだ。
志穏は細動する心臓を落ち着かせるため、深呼吸する。吐いた息は震えていて、冷たい手とは対照的に生暖かい。
手のひらは皮が幾つもめくれていて、熟したトマトのような色の血が染み付いていた。
転がっている机の椅子、倒れた机から這い出た教科書、倒れたロッカー。
意識があった瞬間までにはあるはずもなかった光景が、至極当然のように広がっている。
深呼吸のおかげで、その景色はより、明瞭なものになった。
「は……?」
頭の中に直接、光線か何かで刻み込まれたように順々と記憶が蘇る。
「あ……ぁあ!!!」
数珠繋ぎで浮かんでくる記憶に志穏は襲われ、思わず声を上げた。やっと、分かった……俺は。
俺は激情に駆られ、ここにいる奴らをぶん殴り、椅子で叩きまっくたんだ。
冷汗が頬を伝い落ち、心臓が動悸する。
「し……志穏? 何やってるの。」
麻耶は熊と遭遇して絶望したような顔で志穏を見つめていた。
ふと、麻耶が志穏に言った言葉が頭に浮かぶ。
垣間見るように細く光ったその言葉は今、頭の中で完全に現出された。
「志穏!! ───私は信じてるから。」
信じてるから。
それは一体何を信じているのか、志穏には分からない。今、目の前にある惨憺な光景が作り出されるのを案じていたのか、それ以外なのか分からない。
だが、何にせよ志穏はきっと彼女を裏切った。返り血にまみれた右拳は彼女の信じた"何か"を叩き殺したように思える。
ごめん、麻耶。俺はお前の思うような人にはなれなかったよ。
沢山の女子生徒の悲鳴が耳をつんざいた。
「えっまじかよ!?」
「あいつ何してんだよ!」
「嘘っしょ? ……え!まじ?」
沢山の声がミキサーでくしゃくしゃに混ぜたように1つになって志穏へ向けられた。
その声はこれからの自分への処遇など、不安を煽らせる。
だが、体を動かすことはままならない。いや、動こうとする気が無いんだ。
………何もかもがどうでも良い
志穏は駆けつけた教師が志穏を取り押さえるまで、立ち尽くしたままでいた。
あいつらを殴ったことに後悔は無い。ただ、麻耶の信じた俺の"何か"をあの瞬間、壊してしまったこと、あいつをまた、ひとりぼっちにさせてしまったことそれだけが後悔だった───
「志──志穏!」
「麻耶!?」
背後を振り返ればそこにはセシルが立っていた。
どうやら、記憶に揺蕩う麻耶の呼ぶ声とセシルの声がダブってしまったらしい。
戻ってきたのか、息苦しい記憶から。
西陽の光が縁側の高床にちぐはぐな模様を焼き付けるように広がっていた。それは息苦しさとは対照的で、開放感があった。
明るい景色があると、逆に自分の気持ちが暗鬱なものだと、くっきり明瞭なものになってしまう気がした。
それ故か、記憶から解放されたような気持ちよりも戻ってきてしまったことへの罪悪感のようなものが強く感じた。
~への罪悪感などそういったものはさだまらず、ただ、その罪悪感はぽつんと志穏の胸へ沈着する。
あえて言うなら、生まれてきてしまった罪悪感。
そんな、抽象的で、実体のない何かに罪悪感を持った。
「志穏、どうしたの? しかも麻耶って……」
「ごめん! 何でもない。……古い思い出だよ。」
志穏は記憶の中に片足を突っ込んだままような、酩酊しているに近い気分でそう言った。
クラスメイト男子を変えたのは"嫉妬"という感情だ。
志穏を豹変に至らせたのも"嫉妬"に痛めつけられて生まれた狂気だ。
ニナが向けたその"嫉妬"は一体次は何を起こすのか。
そんな考えが志穏の心の中をもたげた。そして、その考えは胸の奥を燻り、志穏を焦燥へと駆り立たせた。
じっとなんてしていられない。あいつを探さないと……!
「ちょっ! 志穏!?」
志穏はまっすぐ疾走した。
「ニナが消えたんですか!?」
「ああ、さっきから何処にも姿がなぃ。」
「お二人共冷静に。志穏さん達がきっと見つけてくれます。」
こんな時に……。
苛立ちを噛み砕くような声でアイリは喘ぐ。それに対して随分とガルラは済まし顔で彼女に応対しているが、ソワソワしているのが立ち振る舞いから見て取れた。
「とにかく、我主 に報告しないと──」
「待て! あいつはセシルさんへの報告を第1に嫌う。もう少しだけ待ってやってくれ。」
「そんなこと言ったって出発は今日の18時ですよ!? 定刻まで3時間切ってます。」
「もし、見つからなくても、ミアネさんが"結界"張ってくれてるんだし、多少の遅れなら問題ないだろ? なあ、ミアネさん。」
「はい。かつての"中央"との篭城戦で用いたこの"結界"があれば、守るも逃がすも落ち度はございません。」
「だそうだ。」
そう言われると、アイリは関心を無くしたような顔をして、「1時間ですよ。」とゴチる。
「でも、我主が気付いたらどうするつもりです? 言い逃れ出来ないですよ。」
「そん時はそん時だろ。」
ケインがアイリに向き合う。
「あっちがなんて思おうと、俺達はあいつの仲間だ。」
いつもの淡々とした話し方ではなくなり、今のケインにはハッキリとした意思表示があった。
それに、いつものガラスコップのように透明な無表情も今に限っては熱気滾ったものになっていた。それはニナへの想いをそのまま着火したように思えた。
ケインの奴、そんな顔できるんですね。……我主には悪いですが、うちも乗っかります。
「……そんじゃ、偽装工作と行きましょうか。」
「おう、アイリには俺と一緒にセシル様を足止めしてほしい。」
「了解、でも事態が終息したら、あいつについて知ってること話してくださいよ? こんなことするのにも、理由があるんですよね?」
「……ああ。話す。」
だけど……我主を騙し通すなんて出来ますかね。
ウチもガウラも嘘下手だし……それ以前にアホだし。
うわ! 減給されちゃったりしたらどうしよ――
ピピー―――………
リリガトル都区 中央街――
「村長さんからの攻撃待機命令はまだ、解けねえのかよ。早くしないと手が滑って山ごとやっちまいそうだぜ。」
「アバドン、気をつけなきゃ。奴らは仮にもゼロア様を屠った相手、油断すれば殺られるよ。」
「はん? あんなの不意打ちみたいなもんだろ、じゃなきゃゼロア様が負ける訳ねえ。」
「アバドン様。グロウスター様。待機命令が今、解かれました。」
「よし。皆殺しだ。」
灼熱の炎天下、それに焦がされたような、烏の翼のような黒いマントが翻る。それを合図に大きな分隊は進軍を再開した。
「今日で第8能力……いや、国賊 "セシル・ローネス" 及び "自由の狼煙" は終わる。」
おどろおどろしい雰囲気が、エルゼナ郷一帯を完全に支配した。
"アリスの片翼" の狩りが始まる。




