過去
「 なんで……それを。 」
「 中々寝れなかったんで散歩しようと思ったら、たまたま聞こえてきたんですよ。 」
両者共々暫く黙った。
その間、志穏は嫌な汗が脇から滲み出たのを感じた。
脳内がスプーンか何かで掻き混ぜられたように揺れる。冷静になればなるほど、いたたまれない体裁の悪さを感じた。。
「 所でさ、ニナは── 」
「 話逸らすなよ。 」
口調も丁寧な言葉遣いも一変、ドスの効いた声が志穏を縛り付けた。
そして、その勢いでニナは血相変えて、志穏へ迫っていた。その瞳の色は仲間を見る目では無く、敵と対峙した時のそれに近い。噛み付く機会を伺うようにそれは揺れていた。
それと同時に、大切なものを奪われた少年の憎しみのこもった瞳にも見えた。
もしかして、彼は……。
答えを探る時間は無かった。滅多打ちするかのように次の怒りの言葉が飛んだ。
「 約束とは一体なんなんだ? あ!? 」
”約束”。そのことまで知られていたとわかった瞬間、恥ずかしさが頂点に達した。
決して、他人に掘り返されたくない、知られたくない内容を仲間のひとりに今、問いただされている。
きっと、こいつはセシルとの"約束"のこともなんなのか知ってる、それでいて俺を白状させようとしているのか。
志穏は壁際に引き下がっていた。ジリジリと距離を詰めるニナに対して、それしか出来なかったんだ。
自己紹介の時に比べて、全然大人しくねえじゃねえか。一体何が原因でここまで苛立ってるんだ。
「 いい加減── 」
「 何してる、ニナ。 」
迫るニナとの隙間をこじ開けるような強気な声が聞こえた。
「 ガルラ! 」
「 ニナ、何があったか知らねえけど一旦志穏から離れろ。 」
「……」
ガルラは責めることなく、顧慮するような顔でニナを見つめていた。
彼を攻撃する姿勢は無く、本当に仲裁に入ったつもりらしい。
だが、ニナは彼とは真っ向から反対して、今にも飛びかかりそうな攻撃の姿勢を取っていた。
「引き下がらないようなら、セシルさんに報告することになるぞ。」
「……ち、」
ニナは砂利を噛み砕いたような苦い口をした。そして、そのまま「失礼しました。」と言い、志穏達の前から姿を消した。
「大丈夫かよ!? 志穏。」
「大丈夫。ありがと、」
なんなんだよ、一体。噛み合っていた歯車が急にガタが来て、合わなくなったような、そんな気持ちの悪さが胸いっぱいに広がった。
そして、重苦しい気分になる。緑に澄んだ庭園さえも今では少しだけ錆びた鉄のような無機質なものに見える。
あの感情は一体なんだ。
それは以前の世界で何度か体感したことのある嫌な感触がした。
「中央の動きは?」
「現在、リリガトル都区に中央が進軍しています。完全に包囲されました。ここが特定されるのも時間の問題かと。」
セシルは思いの外深刻な状況にうなだれていた。
「我主! 明日にでも海を渡りましょう。」
穏やかだった”自由の狼煙”の面々にも曇った表情が増え、危機が訪れているのをまざまざと理解させる。
そんな状況にも関わらず───ニナは欠席だ。
さっきの一件から昼までの間、1度も顔を見ていない。
村民に聞いても、皆「知らない」と一様に答えるだけだった。
縁側に座り、志穏はぼんやりと庭園を眺める。ずっとそうしていれば、心にあるつっかえが浄化される気がしたのだ。
きっと、彼が見せたあの感情は昔、忘れさろうとした記憶の中で眠っていたそれと違わない──
高校1年の春、入学式から1ヶ月が過ぎた。いつも通る通学路の桜は華々しく散りゆき、葉桜へと葉代わりいく、そんな季節だ。
クラスメイトの新しい環境への緊張も少しずつ和らぎ、空間に流れていたぎこちなさも無くなって行った。
俺はいじめを受けていた。だが、そもそも地味な俺が突然いじめを受け始めた訳ではない。
ネガティブで、黒く染った人生の志穏を支えていたは一人の少女だ。
「ねね!志穏。何処で昼食べる。」
「運動場横の原っぱは?」
美波 麻耶。小学校からの幼馴染で、たまたま同じ高校へ進学し、たまたま同じクラスへ編入された。
ボーイッシュな黒髪とそれとはそぐわない、主張の大きい胸が特徴的だ。
「みんなさー、だんだんクラスに馴染んできたよね? クラスのカラーも決まりつつあるっていうか。」
「まあ、クラスカラーとか、俺にはそんな関係ねえけど。」
「そんなんだから友達少ないんだよ! 高校生でしょ? 頑張れば彼女だって出来るかもしれんのだよ?」
志穏を説教するように彼女は窘めた。そして、間髪入れずに志穏の弁当箱にある唐揚げを1つ奪い取る。
「はむ。」
「何すんだ!」
「志穏家の唐揚げ美味しいからさ~ついつまみ食いちゃった。」
えへへー。締まらない笑みを浮かべて志穏をからかう。
こいつ……。
志穏も麻耶の弁当箱からソーセージを奪い取った。そして、口の中へ放り込んだ。
「し、志穏!?」
「仕返しだ、ばーか。……おっ美味しいな。」
「でしょぉ? ……ウチが作ったんだ。」
「まじ!?」
「嘘だよ~ばーか。何照れてんの。」
また1本取られた。やっぱ、こいつには勝てないな。
麻耶は悪戯な笑みで志穏を弄ぶ。それが時に志穏を困らせることもあるが、その態度は志穏にとって、可愛らしかった。
友達として、麻耶のことは好きだ、とても。
こんなやり取りも幼馴染の俺からしたら、別に特殊なことでは無かった。数年もこんな感じで過ごして来たから、別に変な気も起きない。
だが、周りはその関係を良く感じていなかった。
その感情は突然、志穏の目の前に現れた。
"あいつイキリ過ぎだろ死ね"
"友達いねえくせに女には好かれるんだw"
"まじうぜえ学校辞めろよ"
そんな誹謗中傷がタイムラインや一言に拡散されたのは、志穏がクラスに違和感を感じ始めてからほぼ同時だ。
クラスの空気感からして、それが志穏への暴言なのだと、すぐに分かった。
麻耶はルックスが良い。顔立ちが整っていて、更に人当たりも良いから、かなりモテた。
そんな彼女と毎日昼食を共にしていた志穏のことをクラスの男子は目の敵にした。そして、クラスメイトの男子は志穏をハブることで悔しさや苛立ちを発散し始めたのだ。
それは所謂、『嫉妬』というものだった。
『嫉妬』される。 それは人生において初めてで、少しだけ優越感もあった。だが、書き込まれた自分への誹謗中傷による衝撃は優越感の上を行った。
一瞬、強い立ちくらみを感じる。
徐々に喉の奥から生暖かい何かが逆流するのを感じて、慌てて口を塞ぐ。
あっこれはまずい。そう思ったが後の祭りだ。
足元が崩れる程の目眩と強烈な吐き気が志穏の中をほとばしる。
「ゔゔっ!……え!」
トイレに行く暇さえ無かった。志穏はベッドの上で昏倒するような勢いで手をついてそのまま嘔吐した。
汚物と同時に涙が滴り、落ちる。
何故か、悔しくてしょうがなかった、涙が止まらなくてしょうがなかった。
きっと、こんなくだらない事に自分が深くショックを受けたことが悔しいんだ。1人で笑い飛ばす程の強い心が無いから、情けなくて泣いてるんだ。
……なんで、今まで沢山努力して来た俺が、1つ幸せがあるだけで周りから攻撃されなきゃならないんだ。
あー死にたい。ほんとに、誰か殺せよ。
このまま、首を吊ろうかと考える。だが、それが出来るほどの、人生への諦めは持ち合わせていなかった。
誰かに首を閉めてもらわなければ、死ぬことすら出来ないのかよ。自分で首くくれよ。
怖い。
なんでいつもこうなんだよ。悪いことなんて何もしてないのに。何で俺にだけ……。
生きたいと死にたいの狭間でもがくのは苦しくて仕方なかった。
志穏は数週間、学校へ行けなくなった。




