2人の約束
あれから、何時間打ち上げたのだろう。志穏達はすっかり寝てしまっていた。
いろんな話をした。円を作り、皆の恋愛歴だったり、将来の夢の話もした。
とても盛り上がったが、皆疲れも相まって何時終わりと言うよりはいつの間にか皆が勝手に寝息を立て始めて、自然消滅した感じだった。
「……ん、うぅ。」
志穏はおもむろに瞳を開ける。天井の色はやはり無機質なグレー色だ。
やけに目が冷めてしまって、もう一度寝ようとは思えない。
志穏は周りを確認する。
打ち上げのメンバーは気持ち良さ気に床で寝ていた。グレイブもぶっ通しか不明だが、未だに寝息を立てている。
ただ、セシルだけが居ない。
「こんな所に居たのかよ。危ないぞ。」
セシルは草原に佇んでいた。
雲一つ無く、遮られることなく伸びる月光は青白い。そのせいか、草も青く幻想的な色合いを見せた。
彼女はただ、潤沢な瞳を灰色の空へ向けて、何かを見ていた。
「それはこっちのセリフでしょ。志穏。」
光を纏った髪を翻して、セシルは切実な声を出した。
セシルの表情は、何かに酔いしれているようにも悲しんでいるようにも見えた。
後者のことを思うと、ドキンと胸が跳ねるような不安を感じた。
……俺のせいなのだろうか。
志穏は二の句が継げない。何を言ってももどかしいような気がして、口が開かない。
セシルは志穏をじっと見つめる。それに、志穏は耐えかねて目をそらす。
何を言えば良いんだよ。
「その! 何してたの?」
セシルは優しい微笑を返した。
哀愁の漂った顔だ。苦しそうなのに美しい真っ直ぐな目は涙の膜を張っている気がした。
肩を竦めて、彼女は言う。
「眠れないなら、話さない?」
少し風は冷えて、半袖から露わになる腕に鳥肌が浮かんできた。
志穏はごまかすのように無数に点在する星を数え、心を落ち着かせる。
……デートみたいで少し緊張する
志穏はセシルの横に座り、ただ彼女が口を開くのを待っていた。
セシルは真っ直ぐ、どこかを見ているようだった。いや、もしかしたら何も捉えていないのかもしれない。少なくとも志穏にとって、彼女の双眸に映るものはきっと"見えない”。
「怖いの。自分が変わっていっているんじゃないかなって。」
風が吹けば掻き消えてしまいそうな声だ。だが、静かに燃える炎のようで、それははっきり耳の奥に焼き付いた。
どういうことなんだ?
あまりにも予想外すぎる発言で寝耳に水だ
「悪いことじゃなくないか?誰しも人は変わる――」
「――そういう!……ことじゃないの。」
セシルが珍しく声を荒らげた。
流石に志穏も面食らってしまう。地雷を踏んでしまったのではないか……そんな気がして次に言おうとした言葉を呑みこみ、口を噤んだ。
その様子を一瞥したセシルは「あっ……」と漏らした。
「ごめん。いきなり怒鳴っちゃって。」
いつもの、落ち着きのある声に戻る。
「いや、気にしなくて良いんだ! その……続き聞かせてくれるか?」
「う…うん。」
伏し目がちに頷く。薄い瞳は申し訳なさを含んでいるように見えた。
「怖いの。進んでいくうち、自分のやっている事が正しいのか、分からなくなっててさ。」
風に揺られる髪は撫でやかに彼女の頬を掠める。ほんとに綺麗だな、と志穏は思った。
「前は"今自分のしたことが正しい"と思えていたの。けど、今は違う。……段々と、もっと別の最善の選択があったんじゃないかなって、否定的に考えることが増えてきてね。そうやって、心のうちが、徐々に徐々に変化していって……私達がしてきた"全て"を自分で否定しちゃいそうで……怖いの。」
あまりの衝撃に言葉が出なかった。志穏が考えていた返答の全てが適応外だったのだ。
何より、あんなに真っ直ぐなセシルがこんなにへこたれている姿、見たくなかった。
「そんな……自分を信じろよ。」
「信じれるだけの器用さがあれば出来たわよ。けど、私は不器用なの。」
信じろ、なんて一言唱えて信じさせれるものでは無いのは分かっていた。だが、他に言葉が見当たらない。こんな言葉じゃセシルを苛立たせるだけなのに。
「ゼロアを殺した時から、この情動が強くなった。取り返しのつかないことをしたなって。もしかしたら、私はただの"テロリスト"なんじゃないかなって……。」
セシルは伏目がちに志穏を見つめているように見えた。志穏はそれに気付いたが、何も返せなかった。
その様子を見て、セシルは引き攣った笑顔を志穏に見せた。
―――一瞬で分かった。セシルは傷ついたのだ。
何かが壊れる音が、心の中で木霊する。その音に抗うように声を出そうとしたが、遅かった。
一気に心の中が黒色に染ったように思えた。
彼女は泣き終えた子供のような枯れた声を出した。
「志穏に何かして欲しいとか、そういうことじゃないの。ただ、誰かに聞いて欲しかった……夜遅くにごめんなさい。」
最後の一言、それが胸の中を掻き回した。その響き、その言葉、どうしても納得できなかった。
ごめんなさい。
セシルは何も悪くないのに、俺にどうして謝るんだ。
志穏は自分の中で踏ん切りをつけれなかった。
今、何も言わなければ、絶対後悔する。このまま、彼女を帰せば、この夜を超えたら、きっと明日から真っ直ぐ彼女の顔を見れない。
セシルはゆっくりと、立ち上がる。そして、サンサンと草をきる靴音を鳴らしながら、家へ向かう。
頭の中が混乱し、言いたいことが雲を掴むように判然としなかった。言うべき言葉、言わなくていい言葉、それらの境界線がタバコから吹かれた紫煙のようにくねくねとする。
けど、言うしかない。
半分やけくそで志穏は叫んだ。
自分の蒙昧な頭で、渾沌とした脳内―――唯一、言わなければならないとわかった言葉だけを紡ぐ。
『俺が見るよセシルのこと!!』
セシルは志穏の方へ振り返る。とても驚いた様子だった。
言っちまった。
自分でも、少し驚いた。こんなこと、大声で叫ぶ度胸があったなんて。
啖呵切ったんだ。最後まで行ってやる……!
喉元が緊張で震える中、志穏は叫ぶ。
「セシルが変わらないように!……お、俺がちゃんと見るから! それでも……もし、セシルが変わっちまったら、自分で自分の"正しい"がわからなくなっちまったら……そん時は俺が引っぱたいて戻してやる!!」
真っ直ぐではない。むしろ、声は何度もひっくり返ったりした。
けど、言いたいことは言えた。拙くても、粗くても。
志穏は咳き込んでも尚、セシルの目をじっと見て離さなかった。
ここで目を逸らしたら、俺はきっと後悔するんだ。直感だが、そう思った。
風が草をきる音だけが飽和した世界が余韻のように心を満たしていく。
こんな時間がずっと続くのも悪くない気がした。
「約束だから。志穏。」
静かな、それでも好戦的な調子がある声が聞こえた。
「私がもし、変わってしまったら、私をリードしてくれる。……二言はない?」
リード。その言葉に色気と艶やかさを感じて、少しドキンとする。
志穏は"娘を下さい"的な責任を負う発言だったことに今更気づいた。
だが、訂正するつもりは無い。これで、今迄の恩返しの足しに出来たなら、お易い御用だった。
「おう。約束する!」
そう言うと、セシルは強ばった顔を少しだけ緩めて、「良かった」と感ずるように言った。
憂いが完全に晴れた訳ではなさそうだが、あの哀愁漂う表情は幾分ましになっていた。
不意に突風が吹く。風の温度は幾ばくか下がり、少し冷え冷えとしていた。
「風、冷たくなってきたね。そろそろ部屋に戻って寝よ。今夜はちょっとだけ冷えるらしいから。」
「そうだな。」
「志穏!」
セシルは歩き出す志穏を呼び止める。
「絶対、この戦いに勝とう。」
彼女は涙に瞳を揺らすことない、麗しくて真っ直ぐな双眸で志穏を見つめて言った。
その力強い言葉は鉛玉のようだ。胸の奥を火照られすような熱を持ち、真っ直ぐにしてあらゆる障壁を貫く。
そうだ。こういう言葉がセシルの本当の言葉なんだ。
やはり、さっきのような陰鬱とした言葉は彼女には似合わない。
「おう! 絶対勝とう。弱いけど、俺も頑張る!」
それを聞くと、満足したようにセシルは頷き、今度こそ何も言わずに戻って行った。
言いたいことをちゃんと言えた、そのことによる、安心と喜びがふつふつと爽快な気分を呼び起こす。
心の蟠りのような黒い塊も消えた気がした。
少しだけ、この時間に陶酔していたい。やっぱり、夜の風にもうちょっとだけ当たろう。
志穏は草むらで横になった。




