ハジマリは空白から生まれる
七月二一日、それは夏休み初日だった。一年前の今頃ならばゲームやら漫画やらにのめり込んでいたことだろう。しかし、高校一年に上がった高ノ瀬志穏は学校からの大量の課題に追われて夏休みはうんと自由な時間が削減されてしまった。さらに、志穏は追い打ちをかけられた。
「めんど、窓ふき。」
ひょいと、雑巾を投げながら志穏はぼやく。
「口動かすより手だよ!」
部屋を一通り回った母がサボっている息子が目に入ったのか、こちらに近づきながら言う。
「季節外れすぎるだろ、夏休み初日に大掃除なんて。」
「まあ確かにね。」
「言い出しっぺは母さんだろ。」
この家意外と広いな。改めて掃除の時にそれを実感した。両親が新しい家族を迎える為にと奮発して買ったこの家はリビングだけでも二十畳あるのだが、少し古びていて大きさの割に安かったらしい。だとしても一人っ子が為の家のサイズではない。
志穏の部屋は二階にあり、自室に関しても十分なスペースはあるので困ることは殆どない。だが、木々が周囲に生い茂るおかげで、日当たりが悪く、冬が寒いのだけが難点だ。
「次は屋根裏整理をお願いね。」
少し不満げな顔で志穏は窓から飛行機雲を眺める。そこから十秒ほど過ぎ、その様子を見続けていた母は呆れた顔で言う。
「それが終わったら、どこにでもいってらっしゃい。」
「信愛たる、ビッグマザーよ。」
大げさに誇張しながら志穏は母に微笑んだ。
母もその顔を見て、軽くため息をつく。
おそらく、もっと仕事を預けようとしていたのだろうが、志穏の態度に根負けしたようだ、母は志穏の屋根裏へ向かう姿を確認し、また別の部屋へ向かっていった。
屋根裏も思いのほか広く、とても埃が舞い蜘蛛の糸などが四方八方に張り巡らされていた。
辛うじて目の前の物体の輪郭を認識できるほどのこの暗闇は誰もいない洞窟の薄暗さを思いおこさせ、志穏自身、我が家とは思えないほどの恐怖心を抱いた。
屋根裏の整理とはここにある品を階下へ移動させることだ。
中では骨董品、段ボールやらが無数に横たわっていた。これは中々時間がかかりそうだ。
ライトを点け、仕事を始めることにした。
志穏はせっせと働きアリのようにガラクタを階下におろしていく、幾度と階段を昇り降りするせいで脚の筋肉がわめき始める。が運動不足な志穏にとってはよい運動だ。
中学の頃はテニス部に所属していたが体力には全く自信がなかった。きっと母も志穏のそれに気づいて少しでも運動させた方がいいという考えからこの仕事に置いたのだろう。母の事だから単に押し付けただけかもしれないが。
そんなことを考えていると、一通りのガラクタ移送をいつの間にか終えていた。志穏は屋根裏の埃だらけの床に手を休める。
だが、左手に感じた感触は古びた木材ではない他とは違うものだった。
ライトで光を灯しながらそれを見やると、そこには古びた本があり、志穏の手に押しつぶされていた。
「なんだこりゃ?」
本にはこう記されていた。
為すべきことを為せ、と。
志穏の目は止まる。止まるというよりは抑えつけられたという方が正しいのか、体全体が動かない。
なんだ!?これは。一瞬にして、体の支配を奪われたのだ。脚の筋肉もそれに触れるまでは痛みを感じていたが、今は恐ろしいほど黙りこけていた。力を入れてもピクリとも動かない。
志穏に抗う術は無かった。自分の体に今何が起きているのかさ分からない。
……なんだ!俺にいったいなにが。
幸いにも、五覚のみは変わらず、仕事を全うしているので、志穏は視線のみを本の上から下に滑らせていく。
そこには著者の名前が記されてあった。高ノ瀬修二と。
高ノ瀬修二。その名前の人物を志穏は知っていた。それは父、高ノ瀬玲一の兄だ。
昔、家に遊びに来たことがあり、一緒にかぶと虫を捕りにいった記憶など薄らながら覚えていて、気さくで明るい叔父さんだった気がする。
だが、叔父さんは一年前に亡くなったのだ。
名前の認知を終えた瞬間、金縛りらしきものが解け始めた。熱が伝導していくように腕の肩から指の末端へと体の言うことが利くようになる。数秒で何事もなかったように自分の体に戻った。
今の体に起きた異変はなんだったのか。それに考えを巡らせる前に解放された腕がその本のページをめくる方が先だった。
叔父が何を遺したのか気になったから、またはこの本に感じた異様な違和感を突き止めたかったからだ。
志穏は一ページ目を開いた。紙は汚れ、カビで黒くなっていたので長らくの間、この屋根裏に放置されていたと推察できる。
そして、誰にも読まれずに埃を被るだけであっただろう、この本が哀れにも思えた。
――そのサブタイに志穏は息を呑んだ。
交錯世界への行き方。
そんな端的にまとめたであろうサブタイが括目して見よ!と言わんばかりに大きく書かれているのだ。
志穏はこのサブタイを反芻した。
そして、爆笑した。…叔父さん中二病の類なのか(笑)死者を馬鹿にするつもりはないが。
ついさっきまでの金縛りは何だったのだと馬鹿らしくなった。だが、まだその後ろには二ページほどあり、見てみたいと思った。
しかし、持ってきたライトも切れかけていた頃なので、場所を自室に移そうと手についた埃を払い屋根裏を後にする。
ただ、この本へと芽生えた底知れぬ違和感は金縛りが終わったあとも尾を引いたままだった。




