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葬る鬼

作者: こげら


 ――今は昔の話にございます。


 奥州岩代の山深くに葬鬼そうきという鬼が屋敷を構えて棲んでおりました。この葬鬼なる鬼、大変心根の優しい鬼にございまして、里に住む人々とはしばしば交流がございました。


 そもそも葬鬼と申しますのは、この鬼の棲む山麓から半里ほどのところにございます、小さな里に住む者たちが、いつしか呼ぶようになった名前にございます。


 葬鬼、などと聞くと何やら人を殺して喰ってしまいそうな恐ろしい怪物のように聞こえてしまいますでしょうが、この鬼が人を殺して喰うなどということは決してございません。葬鬼というのは、とてつもなく気が弱く、虫も殺せないような鬼なのでございます。


 ではその気の弱い鬼が、どうして葬鬼、などという一見物騒な名で呼ばれるようになったのかと申しますと、それは彼の鬼が、里の者どもの死を担う鬼であったからでございます。


 里の者どもは人死にが出ますと、山道を半里歩き歩き、葬鬼の棲まう屋敷へとご遺体を運び、この鬼に火葬から埋葬、墓の司に至るまでの一切を委ねるのでございます。ですから、里の人間は彼の鬼を、葬る鬼と書きまして、葬鬼と呼ぶようになったのでございましょう。葬鬼は、人々にとっての葬儀屋でございますと同時に、今で言うところの墓守でもございました。


 そういう事情があるものですから、里に住む人々は、葬鬼のことを敬いこそすれ、畏れることはございませんでした。


 ご遺体だけでなく、食い物や酒を里中から集めてきてくれる人間どもは、葬鬼にとっても付き合うには都合の良い相手であったのでございましょう。そうして人々の葬儀を取り行い、墓守を務め、彼の鬼にご遺体を委ねることが人々にとって自然なことになるほど、そうしていつしか葬鬼などという名で呼ばれるようになるまで、鬼は長らくその役を担い続けておりました。


 里のもの共は、葬鬼に死後の一切を任せるようになっておりましたから、この頃になると、ご遺体の葬り方というものをすっかり忘れておりました。


 そんなある日の事。葬鬼は新しく墓を建てるため、森の淵の木を次々に切り倒しておりました。気の弱い葬鬼ではございますが、彼もまた一人の鬼。腕っぷしは滅法強うございます。大腕には不釣り合いに見える斧を持ちまして、みるみる森を切り開いてまいります。


 午前中いっぱいを費やして、そろそろ良い頃合いかと、切り株の上に腰を掛けて、汗を拭っている時分にございました。突然、一人のお侍様が木立の合間からそろりと現れまして、何やら如何わしそうな顔をして仰るのでございます。


 「この辺りに、人を襲って喰う鬼が出ると聞いた。その鬼というのはさては御前のことか?」


 腰に立派な刀を二振りも差すお侍様が、今にも切り掛かってきそうな形相でそんなことを仰るものですから、葬鬼は慌てて首を振りました。


 「わたしく、醜い鬼にはございますが、生まれてこの方、虫を潰したこともございません。ましてや人を襲って喰うなど、滅相もない。想像するだけで悍ましいことにございます」


 葬鬼の必死の説得は、功を奏したようにございました。お侍様は、一先ず刀の柄から手をおどけになり、葬鬼の話をお聞きになりました。


 「御前、名を何と申す」


 「はい。私は葬鬼と呼ばれる鬼にございます。里より持ち運ばれたるご遺体をお預かりして、墓などを建てて暮らしております」


 「何と! 人が鬼に仕事を任せておると申すか」


 何せ、鬼と人が交流を持つというお話は、この辺りではあまり聞かない話でございましたから、お侍様は大変お驚きになられました。


 「左様にございます」


 「そうか。では、御前がどのように人々を葬っておるのか聞かせてみせよ」


 この葬鬼という鬼が余程物珍しかったのでございましょう。お侍様は大層興味深そうにお尋ねになられました。


 一方の葬鬼と言えば、人と話すのは得意な方ではありませんから、暫しの躊躇いがございました。それでも相手はお偉いお侍様でございます。いつまでも黙っているわけにも参りませんで、やがてしぶしぶと話し始めました。


 「お預かりしたご遺体は、身なりの方はあちらで整えて運ばれて参りますから、私のすることと言えば、屋敷の裏の大窯にご遺体を納めて、あとは火の番をして良い加減に焼き上がるのを待つだけにございます。と言いましても、この火加減が中々難しうございます。生焼けでは目も当てられませんし、骨だけになっては勿体のうございます」


 「勿体ない? それは如何なることか」


 「如何なることかと仰られましても、その通りの意味にございます。骨ばかりになってしまいますと、喰うところがなくなってしまいます。ですからわざと肉の部分を残すのでございます」


 それを聞いたお侍様はすっと青ざめまして、それからたちまち顔を真っ赤にしてお怒りになられました。


 「おのれ悪鬼め。やはり御前が人喰い鬼であったか!」


 「何を仰いますか。私は誓って、人を喰ったことなどございません!」


 「おかしなことを申しておるのは御前の方よ。たった今、焼いた人の肉を喰っておると申したばかりではないか」


 途端、葬鬼は顔色を不思議に歪めました。彼の鬼には、お侍様の仰っておられることが不思議に思えてならなかったのでございます。


 「私が喰っているのは、人のご遺体にございます。人というのは、言葉を話し、鍬や鋤を持って土を耕すものにございます。こちらに運ばれますご遺体はそのようなことは決して致しませんから、あれらは人ではございません。ですから、重ね重ね申すようですが、私は人を喰ってなどいないのでございます」


 葬鬼は真実を申しましたが、お侍様は益々顔を赤く染めて激昂致しました。人と言うのは死者に対してさえ敬いの心を払う生き物でございますから、これは当然のことにございました。


 「屁理屈を並べおって。死人を愚弄する悪鬼め! やはり生かしておけぬ!」


 そう仰いますと、お侍様は見事な刀捌きで葬鬼の首を切り落としてしまいました。その時の葬鬼の断末魔の叫びは、森の木々を飛び超えて里の者どもにまで届いたそうでございます。


 さて、これから後一年ほどのこと、この辺り一帯で病が流行りました。罹った者は悉く命を落とすという、大変恐ろしい流行り病にございます。彼の葬鬼を討ち取ったお侍様も、この病に罹ってお亡くなりになられたそうでございます。


 そのこともあってか、人々はいつしかこの病を、『葬鬼の呪い』と呼び畏れるようになりました。


 初めに葬鬼の呪いに罹ったのは、葬鬼にご遺体を任せていた里に住む、一人の童子であったという話にございます。


 この里のことにございますが、今では不知火村と呼ばれ僅かな住人が肩を寄せ合って暮らしている村になっているそうでございます。勿論、当時を知る人間が残っているわけではございませんが、推し量ることは出来ましょう。


 葬鬼を失った里の者共は死んだ人間の葬り方というものを忘れておりました。当然、遺骸を火にかけなければならないなどとは、思いもよりません。ご遺体の葬り方を忘れた人々が、では一体どのように対処したのか、引き起こされた結果からそれは明らかにございます。


 人々はご遺体を焼きもせず、里のはずれの繁みの中にでも積み重ねたのでございましょう。そこには必ず蠅や烏や鼠がたかり、やがてそれが、後に葬鬼の呪いなどと畏れられる疫病の原因となりました。


 ある人の話によれば『不知火』という地名も、この里の者共が火を以って人を葬ることを知らなかったが故に、後の人間によって皮肉を込めてそう名付けられたそうにございます。


 斯くも云々、知らぬということは大変恐ろしいことにございます。



このお話はフィクションであり、実在の地名等とは一切関係はございません。

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