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中3(目撃者の証言)

彼女が俺の店に飛び込んできたのは、クリスマス間近な12月のことだった。


みぞれ吹きすさぶ日で客足は伸びず、21時を待たずに店内は静かになった。


個人経営のしがない定食屋だ。店を閉まる時間に制限はない。


看板を片付けに扉を開けると、放心したように立ちすくんでいる少女と目が合ってしまった。


黒のペニーローファーに紺無地の長ソックス。華奢な膝小僧が赤くなっているのは、チェックのスカートをコートの下からぎりぎり覗く程度に上げているからだ――どこの制服だろう。ベージュのダッフルコートの襟元に白いカーディガンと緑のリボンが見えるし、このあたりの公立校ではないらしい。コートはあえて大きめのものを選んでいるのだろうか、ダボッとした冬服のシルエットが白い首筋の細さを際立たせていて、その首筋が小刻みに震えている。震えは、寒さのせいだけではないだろう。呆然と見開かれた大きな二つの垂れ目は、今にもこぼれそうな量の涙で潤んでいた。あ、いま、ひとすじ流れた……。


「入るかい?」


考えるより先に、声が出ていた。


彼女は一瞬、びっくりしたように後ろを振り返って、その声が自分に向けられたものであることを確認し、


「い、いえ、今はお金ないんで…」


と言った。


「いいよ、事情は分からんけど、まあ、食べて忘れな。今日はもう店を閉めようと思ってたし、お代はなしでいいから」


え、でも…と戸惑う彼女は、しかしお腹は減っているようで、一瞬の逡巡の後に店へ入ってきた。


「ほい、なんでも、好きなもの選びな。お腹いっぱいになったら、元気も出るだろ?」


彼女はちょこんとカウンター席に座り、


「じゃあ、これで・・・」と、一番安い餃子定食を指さす。


「本当にそれでいいんか? 遠慮して安いのを選んでない?」


少し軽めの声で茶化してみると、「ええと…じゃあ、こっちで」と、とんかつ定食を指差す――素直な子だ。


「お、とんかつ定食。正直は身の宝だよ」


明るく呼びかけたつもりだけど、彼女の表情はむしろ硬くなった――何か地雷を踏んでしまったらしい。


「揚げるのに時間かかるから、コートかけときな、寒いだろ」


「いえ…別に寒くないので…大丈夫です」


そう言いつつも、彼女の肩は震えている。


「そしたら、先にこれでも飲んでな」


暖かい味噌汁を少し多めにお椀へ盛り、彼女の前に置く。暖かいものを食べれば、少しは元気も出るだろう。


「…いただきます」


彼女はゆっくり、お椀を両手で持って、味噌汁を少し口に含む。


「あ…にぼし…」


「お、分かるかい? この年でちゃんと分かるなんて珍しいね。そう、うちは庶民的な定食屋だけど、ちゃんと味噌汁の出汁は煮干しからとることにしてるんだ。気づいてくれるなんて、嬉しいよ」


「父さんの味噌汁が、いつもこんな味だったから…」


「そうか、それはいいものを食べさせてもらってるな。親父さんに感謝しろよ」


無言の沈黙。彼女は黙って味噌汁をすする。俺は豚肉を油の中へ放り込む。こんなことなら、この前有線放送の営業員が売り込みに来たときに、店内ミュージックの契約をしておけばよかった。普段の客なら何でもない静寂だが、こんな日は辛い。


「これも、囓るかい?」


「何ですか、これは?」


「いぶりがっこ。たくわんの燻製みたいなものさ。初めてかい?」


「…ええ」


「親父が毎年送ってくれる地元の名産でね。酒とか茶のつまみにちょうどいいのさ」


熱めの日本茶とともに、いぶりがっこを3切れほど出してみる。


「わぁ、美味しい…。地元、はどちらなんですか?」


「秋田……気に入ったらもう数切れ追加しようか?」


「あ、そしたら…もしよろしければ…お願いします」


日本茶もなくなっていたので、継ぎ足してやる。


「多少は暖まったかい?」


リスのように少しずつ、いぶりがっこを囓っている彼女に、キャベツを盛り付けながら問いかける。


「はい…ありがとうございます」


彼女はいぶりがっこを気に入ったらしく、頬張る表情からは硬さがとれていた。


「コート、ストーブのそばにかけとけば、乾くと思うよ」


いぶりがっこを食べ終わったタイミングで、再び声をかけてみる。


「じゃあ、そうします……あと……もし残っていたら、お味噌汁をもう一杯いただいてもよろしいでしょうか?」


「まだまだ残ってるし、別にかまわないけど…」


「ありがとうございます。なんか、懐かしい味で。久しぶりに、美味しいものをいただきました」


「…一人暮らしかい?」


「いえ…まあ…そうとも言うかも…」


核心に近づこうとしたが、ぼんやりと濁されてしまった。これは、つっこんでいいのかどうか、分からない。彼女はストーブのそばでコートをかけている。幸い、中のカーディガンは濡れていないようだ。


「ほい、とんかつ定食」


カウンターに戻ってきた彼女のもとに、揚げたてのとんかつ定食を置く。ご飯は少し大盛りにしてみた。


「わあ…美味しそう! じゃない、美味しい!」


カツを一口頬張った彼女の声は弾んでおり、ほとんど何も話せないうちに、とんかつ定食はなくなってしまった。速い。それほどがっついているようには思えないが、一口一口が大きいのだ。


「おかわり、するかい?」


物足りなそうにしている彼女に、声をかける。


「いいんですか?」


「ああ。残ったらどうせ捨てなきゃならんし。俺も昔、家出したことがあるから……これ食ったら、帰りの電車賃くらい出してやるから、親父さんを安心させてやれよ……」


一気に核心へ近づいたと思い、振り返ると、彼女はきょとんとした表情をしている。


「家、出!?」


「……あれ? 家出じゃないのかい?」


「え、私、そんな風に思われてたんですか!?」


「え、だって、こんな日に金も持たずに外で濡れてるなんて、家出くらいしか考えられんだろ?」


「ひどい! 彼氏に振られただけですー」


彼女はわざとらしく頬を膨らませるが、大きな目が笑っていて、抜群に可愛い。


「なんだ、心配して損したわ…若いなぁ」


「『若いなあ…』なんて、おじさんの台詞ですよ」


そう言って彼女はいたずらっぽく笑う。こっちが彼女の素なのだろう。


「おじさんだから、構わないだろ。家出じゃないなら、はよ帰れ!」


「えー、じゃあそれ、どうするんですか?」


「これか? これはまあ…処分だな」


「えー、捨てちゃうんですか? あんなに美味しかったのに、もったいない!」


美味しかったと褒められて悪い気はしない。


「褒めてもらえるのは嬉しいし、俺だって捨てたきゃないが、明日は休みなんだよ。さすがに2日前の残りを客に出すわけにはいかんだろう?」


「そしたら、私、全部食べてあげましょうか?」


「いや、あのね……家族で夕飯作りすぎたのとは訳が違うから」


「いや、私、たぶん全部だって食べれますよ」


「小さな定食屋だからって、舐めたらいかんよ。今日はこの天気のせいで、たくさん残っちまってるから」


「私、たくさん食べるの、得意なんです」


「まあ…そんなに言うなら、気の済むまで食べていけばいいよ…」


「本当ですか? ありがとうございます!」


==


最初は世間知らずな娘だと思ったが、途中から自分の認識が間違っていたかもしれないと思い始めた。


肉じゃがをおかずにごはん3杯を食べながら、彼女は味噌汁5杯を飲み干したが、ペースは全く衰えなかった。皿洗いをしながら盛りつけるのが面倒になったので、俺は彼女を厨房の奥へ案内し、彼女に自分で盛ってもらうことにした。


皿を洗い終わり、店を掃除し、金の勘定をしていると、奥から彼女の声がした。


「ごちそうさまー。味噌汁の鍋と炊飯ジャー、空になったよー」


「え? ほんとに食べたの?」


味噌汁は15人前はあったはずだし、ごはんだって1升は下らないはずだ。


「もちろん! 言ったでしょ? 私、たくさん食べるの得意だって。中途半端に食べたら、むしろお腹空いちゃったくらい。でも、これで全部なんだよね?」


奥を覗いた瞬間、妊婦のようなシルエットの彼女が見え、その言葉が嘘ではないと俺は一瞬で確信した。膨らんだお腹がキツいのだろう。白いカーディガンはいつの間にかお腹の上までまくり上げられ、ワイシャツは下の方のボタンが外されていた。下に着ているTシャツも、引き延ばされてお腹の部分の色が薄く見える。スカートのホックも外してあるのだろう。角度がおかしなことになっている。


俺はびっくりしてしまって、その後どんな会話をしたのか、あまり覚えていない。


俺が目のやり場に困り、「あ、ああ……」としか答えられないでいるうちに、


「それじゃ、ごちそうさまー。ありがとねー」と、コートを羽織って出て行ったような気がする。


来たときはぶかぶかだったダッフルコートは、お腹周りだけピチピチになっていて、こんなとき大きめのコートは便利だな、と思ったような記憶がある。妊婦のようなシルエットの彼女は、少しお腹を重そうに抱えながら、雨上がりの夜道へ消えていった。


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