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小3(大樹の秘密 4)

「ねえ、さすがに、もうそろそろ……やめにしない?」


そっと扉を開けると、薄暗い牛乳倉庫の中に、真昼の光がひとすじ差し込んでいった。


「何で? ……けふっ……見張りに飽きた?」


扉の裏、死角になるような位置から、少し苛立ったような女子のささやき声と、それに続くかすかなゲップが聞こえてくる。


「いや、そういうわけじゃないんだけどさ……さすがにちょっと、飲み過ぎじゃない?」


「どういうこと?」


俺はそっと倉庫の中に身体を滑り込ませ、扉を閉める。


牛乳のにおいが染みついた古い倉庫の薄暗闇に目が慣れると、牛乳瓶に囲まれて床にあぐらをかいている少女の姿が見える。少女はえんじ色のセーターを着込んでいて、そのゆったりした冬着の上からですら、はっきりとした腹部の膨らみは見て取れた。


「だって……ほら、もう、みどりさんのおなかパンパンだし……みんな心配してるんじゃないかな?」


「みんな、って誰よ? 誰も気づいてないと思うな。だって、誰も言ってこないもん」


少女が頬を膨らませてこちらを見る。


「それは……きっとみんな気づいてるけど、言えないだけじゃないかなぁ……」


いつもそうだ。みどりの前で、俺の返答はどんどん小さくなっていってしまう。


「ほら、見た目で分からなくても、音がするんじゃない? それだけ飲んだら……チャプン、とか……」


少女の回りには、空になった牛乳瓶が5本ずつ並んでいる。5本ずつの山が3つと、3本の山が1つ。そして彼女がいま手に持っている飲みかけの1本はもう3分の2ほどが空になっていて――つまり18本と3分の2。彼女自身の給食分と合わせれば、実に4L近い牛乳を彼女は今日の昼だけで飲んだことになる。


小3の女子が1食に4Lもの牛乳を飲み干すなんてあり得るのか? それは俺の方が訊きたいくらいだが、おそらくあり得る、というのがこの1ヶ月半の『ガードマン活動』を通じて得た結論だった。


『ガードマン活動』と言えば聞こえはいいかもしれないが、要するに寒空の下、牛乳倉庫の扉の前に座って本を読むふりをするパシられ役だ。「誰か来たら大きな声で挨拶をし、立ち話をして時間を稼ぐように――その間に中の牛乳瓶を片付け、私は棚の裏にでも隠れるから。いいね?」そう言って彼女は俺に『ガードマン活動』を要請し、俺は毎日昼休み、日陰の倉庫前で、本を片手にウロウロするハメになった。これが非常に寒いのだ。そもそも12月に校庭裏のプレハブ校舎の日陰に座って読書するなんて、そっちの方がよっぽど目を引き不審じゃないだろうか。何度か言ってはみたつもりだが、みどりは俺の言葉を理解しない。そしてみどりの言葉は、ときに俺には理解できない。


「大丈夫。音はもう、とっくの昔にしなくなってるよ」


みどりがまた何か、理解不能なことを言い出した。


「……どういうこと?」


「だから……音がするのは、中途半端に飲んだときだけ、って言ってるのよ。空気がなければ、音は鳴らないの。お腹が押してへっこむうちは音がするけど、カチカチになってからは静かなのよ。ほら」


彼女はそう言って、セーターの下にもぞもぞと手を入れると、ポスッと自分の張り出したお腹を叩いた…らしい。想像以上に鈍い音がした。


「はい、そういうわけで、今日こそ20本に挑戦するんだから、もうちょっと外でガードマンしててよ。お願い」


そう言って彼女は少し肩をすくめ、両手を合わせる仕草をした。作った表情であることは分かっているのに、ここまで可愛いのは反則だと思う。くしゃっと丸まった笑い皺と、ぱっちりとした垂れ目……彼女はきっと今後も、こんな感じで男子をたぶらかして生きていけるんだろうな……そんな訳で俺はまた、寒い外の方へ向かうのだった。


寒空の下では、本の内容など頭に入らない。いつも思い描くのは、時々垣間見るみどりの様子だけだ。さっき、セーターに手を突っ込んだとき、ちらりとお腹の皮膚が見えた気がする。白くつやのある肌で、膨らみすぎた胃袋に押されてパンパンに張り詰めていた。


俺がガードマンを始めたとき、既に14本あまりを受け入れていたみどりの胃は、毎日の実験でさらに少しずつ成長を続け、さらに牛乳瓶5本分ほど容量を増やしていた。皮膚の成長の方が追いつかないらしく、部屋から出てくるときのみどりはこのところ少し苦しげに、お腹を支えて前屈みでよたよたと歩いている。こんな状況に、クラスメートや先生が気づかないはずないのだ……おそらく、みどりがその視線に気づいていないだけで。


あの皮膚を触ったら、どんな感じがするんだろう? 実験が終わると身体があったかくなる、と言っていたから、少し汗ばんでいるのかもしれない……そんなことを考えていた俺は、結局あとにも先にも、彼女に指一本触れることはできなかった。冬休みに新校舎の厨房が完成し、役目を終えた調理棟が取り壊されてしまったからだ。


冬休み前最後の給食日、「記録のため」と自分の給食を食べずに倉庫へ来て、まるまる25本の牛乳を飲み干したのを最後に、彼女は(学校での)「自由研究」を終了したらしい。少なくとも3学期以降は一度も、パンパンのお腹をさすりながら、苦しそうに前屈みで歩く姿など見かけなかった。


俺は彼女と話すきっかけを失ったまま、俺は地元の中学に進み、彼女は都会の女子校へ旅立った。

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