小3(大樹の秘密 1)
秘密には必ず、始まりがある。
大樹が「秘密」と聞いて真っ先に思い出すのは、小学校時代の、みどりとの思い出のことだ。
浅野みどり。たぬき顔で、笑ったときにクシャッと垂れる大きな目が印象的な同期生だった。
秘密の始まりは、何でもない秋の昼下がり。昼休みが始まる時間だったはずだから、午後1時頃の出来事だ。
当時の小学校はちょうど建て替え工事の真っ最中で、プレハブの校舎から給食の調理室まで、グラウンドを横切っていかなくてはいけなかった。
9月とはいえ日差しは強く、グラウンドには乾いた土埃が舞って、汗のにじむTシャツにこびりついてきた。
汗の原因が両手に抱えているプラスチックのコンテナであることは明白で、本来二人で運ぶべきところを、俺が一人で運ぶ羽目になっていたのだった。
クラスで秋風邪が流行し、給食当番が一人休んだせいで人手が足りないのに、みんな軽いものから順々に運んでいってしまい、一番気の弱かった俺に、一番重かった牛乳瓶のコンテナが残されたのだ。
使い古されたコンテナの取っ手が俺の手を無情に締め付け、俺の手にはくっきりと赤く跡がついていた。3階の教室からグラウンドまで運んできて、握力は限界に近づいていた。俺は何歩か歩くたびにかごを置き直し、コンテナに入った牛乳瓶がその都度ガチャガチャとけたたましく鳴った。
「おい、邪魔だよ、まわってまわって」
既にサッカーを始めていた上級生が俺に怒鳴ってきた。グラウンドをまわりこむと、道のりは3倍近くになってしまうが、上級生のサッカーにノロノロとコンテナを持って割り込む勇気があるなら、そもそも一人で牛乳コンテナを運ぶこのような状況にはなっていないわけで、つまり気の弱い俺に、選択肢は1つしかないのだった。
グラウンドの角まで、コンテナを引きずるように持って行った俺は、木陰にコンテナを置いてしゃがみ込んだ。木陰は涼しいが、相変わらず砂埃はきつい。ぼんやりとサッカーを眺めながら、俺はブルーな気分だった。
「どうしたの?」
「あ、あの・・・ちょっと、その・・・牛乳が・・・重くて・・・あ、でも、別に疲れた、とかそういうのじゃなくて・・・一人で持って行けないとかじゃないから・・・でも・・・その・・・手伝ってくれたら・・・軽くなるし・・・嬉しい、かもしれない・・・」
俺が挙動不審になったのは、予想していなかった背後から話しかけられたからかもしれないし、声の主がぱっちりした目で鼻筋の通った可愛い女の子だったからかもしれないけれど、たぶんその両方だったからなのだと思う。
「どれどれ・・・に・・・し・・・ろく・・・七本ね。わかった、たぶん大丈夫」
「一緒に運んでくれたら」と俺が言うより速く、彼女は蓋がされたままの牛乳瓶を手早く数え、目尻をクシャッとさせながら俺に微笑んだ。
一瞬見惚れる俺と、そのまま牛乳瓶の蓋をあけて、牛乳を飲み始めた彼女。
「えっ?」と驚きの声を上げようとする俺と、「ゴミ袋はどこ? ビニールはポケットに入れるからいいけど、蓋は牛乳ついちゃうからポケットに入れたくないんだよね」と言う彼女。
「あ、え? ゴミ袋・・・は、先に海斗が持って行っちゃったから・・・あ、俺、預かるよ」と戸惑う俺に、「オッケー」と牛乳瓶の蓋を放って寄こす彼女。
キャッチし損ね風に吹かれて転がった牛乳瓶の蓋を慌てて追いかけ、ようやく拾い上げて戻ってきた俺に、「はい、二つ目。こんどは落とさないようにちゃんと手渡すからね」と牛乳瓶の蓋を手渡す彼女。
不意に手を握られて一瞬止まってしまった俺の前で、艶やかに喉を鳴らしながら牛乳瓶を空にしていく彼女。
「はい、おしまい。これで多少は軽くなったかな・・・けふっ・・・またねー」
結局何も言えず、フリーズしたままの俺の前で、彼女はあっという間に立ち去っていってしまった。
時間が止まる、とか、小説とかでよく目にはするけど、きっとこういう感覚なんだと思う。
目の前に起きたことが信じられなくて、俺は目をこすった。ジャリジャリとまぶたに、へばりついた砂の感触があった。
ゆったり目のワンピースを着ていたけれど、立ち去り際の彼女のお腹は、少し張り出しているようにも見えた。
手のひらに残された牛乳瓶の蓋を慌てて数えると、確かにそれは7つあって、今の出来事が幻影ではないことを証明していた。
振り返ると、15mほど先にさっきのワンピースがあって、ゆっくりとした歩調で校舎へ戻っていくところだった。
「おーい、そのボール、取ってくんない?」
間が悪く飛んできた上級生のサッカーボールを拾っているうちに、ワンピースは見えなくなってしまった。
俺は再び一人でコンテナを運び始めたが、もうさっきほど惨めな気持ちにはならなかった。