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20歳(二人の秘密4)

「ごちそう…さま! 次は…ケフッ…何かな…あ! 海老が…入ってる…! いただき…ます!」


食べ物がハンバーガーになってから、みどりさんはバーガーを一つ完食するたび「ごちそうさま」と「いただきます」を言うようになった。ソファーに少し寄りかかるようにして座っているみどりさんへ、わんこそばの給仕よろしくバーガーを手渡すのが俺の役割である。もっとも、わんこそばは一杯一口で食べられるものだが、俺が手渡しているバーガーはそれ一つだけでも女の子の一食分に相当し得るものだ。


そんな「ごちそうさま」と「いただきます」がもう数えきれぬほど繰り返され、みどりさんのペースはもう速くはない。むしろ遅い。バーガーを食べている時間より、お腹をさすっている時間の方が増えた。ときおり小さなゲップで空気を抜き、その隙間にモノを詰めているようにもなってきている。お腹の大きさについては、言うまでもなかろう。


そんなお腹を抱えているにもかかわらず、みどりさんは新しいバーガーの包装を開けるたび、とても嬉しそうな表情でコメントをしてくれるのだ。それは買ってきた俺への気遣いなのかもしれないが、表情に何か演じているような不自然さはない。心から食事を楽しんでくれているようで、ひたすら給仕冥利に尽きる。


「他に何かやることはあるかい?」


幸せいっぱいの表情でハンバーガーを頬張る、みどりさんの表情がまぶしすぎた俺は、長い時間みどりさんの顔を見つめることができなくて、さっきまで食器洗いや惣菜パックのゴミ出しなどに奔走していたのだ。いよいよやることがなくなって、俺の方が困ってしまったのだった。


「うーん…さっき…炊飯器も…洗ってくれたし…今のところ…特に…ないかな? いろいろ…やってくれて…本当に…ありがとう! 大樹って…働きものだね。ちょっと…休んでよ」


浅い呼吸の合間に、文節を区切りながら、みどりさんは笑顔で労ってくれる。とんでもない! 俺はどう考えても冴えない男子で、家ではグータラと惰性で過ごしているのだ。みどりさんの前で手持ち無沙汰に座っていられないからいろいろ動いていただけで「ちょっと休んで」と言われてもむしろ困る…これが「好きな人の前では頑張れる」という現象の正体か…いや、違うか。


みどりさんの正面に居るのが気まずくなった俺は、みどりさんが寄りかかっているソファーの後ろに回り込む。みどりさんの背骨は、前から見ていたときの予想よりもかなり後方に湾曲していて、ソファーにそれなりの体重を預けていることが分かった。巨大に膨らんだ胃袋へスペースを確保するため、背筋を大きく反らせなくてはならないということなのだろう。膨らみの上に浮き出ているのは肋骨で、背中も心なしか膨らんでいるようだ。


そのままみどりさんの頭と自分の視線が重なるようにして、みどりさんのお腹を後ろから確認してみる。みどりさん視点の疑似体験だ。Tシャツで覆われた二つの胸の膨らみより先に、Tシャツを押しのけて張り詰めた白い肌を見せている大きな一つの膨らみが見える。中心にあったはずの形良いおへそは既に視界から確認できなくなっていた。手を大きく伸ばせばお腹のカーブの先に、伸びきった臍の形を触れるのだろうが、そもそも両足はおろか両膝さえ、お腹に邪魔されて確認が困難なのだ。


もう少しみどりさんの顔に後ろから近づいてみたい…けど、気づかれて気まずくなっても嫌だな…そんな葛藤を繰り返しながら、俺が1mほど離れたところに突っ立って、みどりさんの食事を後ろから眺めていると


「どう…したの?」


みどりさんが、俺の視線に気づいたのか、ソファーに寄りかかったままで首をそらせ、俺と目を合わせてきた。おそらく既に、身体をねじることは難しくなってしまっているのだろう。みどりさんの目には世界が上下反対に見えているはずで、俺の目にはみどりさんの顔が上下反対に見えている。顔が上下逆になっても美人は美人だ。


「いや…なんでもない…てか、お腹だけじゃなくて背中の方も膨らんできてない?」


まさか「みどりさんの視点を体験してみたかった」とは言えず、俺は慌てて言葉を濁す。


「あー…これねー…そう…お腹って…前とか…下だけじゃなくて…後ろにも…上の…方にも…出てくるんだよ。私は…小学生の頃から…知ってた…けど…ひょっとして…今まで…知らなかったの?」


「知ってるはずないでしょ。俺は…ってか、世の中の大半の人は…背中に膨らみを感じるまでご飯なんか食べられないよ」


「まぁ…それも…そうかもね…私…だって…最初から…こんなに…食べられた…わけじゃ…ないし…地道な…自由研究の…成果でゲエエエエエエッぷ! ……ごめん……ちょっと…背中を…反らせすぎた…みたい」


目の前の美人から聞こえたとは思えないほど大きなゲップの音が部屋に響き、みどりさんは頬を赤らめて正面向きに戻った。さっきまでの誇らしげな声とはうってかわって、しおらしい声である。


「生理現象だもん、恥ずかしがることはないよ。それに、そんだけ食べたら空気だって入るでしょ?」


「うん…まあ…そうだけど…でも…大樹は…そういうの…気にしない?」


なぜか恥ずかしそうな声が聞こえる。これだけ大きなお腹を無防備に曝け出していながら、ゲップを恥ずかしがるというのもどうかとは思うが、実はさっきまでも、時々小さなゲップをして空気を抜いていたでしょう、とは、決して言ってはいけないことなのだろう。


「大丈夫。むしろみどりさんのお腹が大丈夫かどうかだけを気にしてる。さっきから実は、お腹をさする回数が増えてない?」


「…気づいてた…の?」


「ま、まあね。破裂とかしたらどうしようかなって心配だったし…そろそろ終わりにしない?」


「終わりには…しない! …でも…もし…あの…女の子の…お行儀としては…あんまり…良くないのは分かってるんだけど…ソファーに…横になったまま…食べても…いい…? ちょっと…そろそろ脚が…痺れてくるかもしれなくて…」


声だけで上目遣いな様子を容易に想像できそうな台詞に、Noという男はいないだろう。答えはもちろん、Yes一択である。


「もちろん! それでみどりさんが楽になるなら!」


それにしても、自分のお腹の重みで脚が痺れるなんて話、訊いたことがない。明らかに人類の生物学的な設計を超越した量まで、みどりさんの胃袋が拡張しているということだ。


「そしたら…ちょっと…これ食べたら…横にならせてもらうね……ごちそうさまでした!」


そう言ってみどりさんは、手に持っていた最後の一口を頬張ると、丁寧に手を合わせ、ゆっくりとソファーへ横になった。仰向けにはなれないようで、俺に背中を向けたまま、右側を下にして横たわっている。横から見ると、お腹の形はいっそう明瞭だった。前方に一番張り出しているのは臍よりも上、つまりお腹としてはかなり上方で、そこからほとんどソーセージのように、脚の付け根までパンパンの胴体が詰まりきっている。ウエストは何センチあるのだろうか、おそらくとうの昔に100cmは超えているだろう。そしてなるほど、バーガーを食べ始める前は脚の付け根で辛うじて止まっていた膨らみが、今度は脚の付け根を乗り越え、下の方まで鋭角に張り出してきていた。ひと昔前「安心してください、履いてますよ」などというネタが流行ったように記憶しているが、脂肪ではなく胃袋か腸管のせいで、大切な場所は完全に隠されてしまっている。この膨らみがカチカチになってくれば、確かに脚くらい痺れるかもしれない。


「ふー……そしたら…次の…バーガーを…取って…いただけますか?」


横たわると人は弱気になるのか、なぜか敬語になったみどりさんが手を伸ばす。横になって横隔膜が胃袋の圧迫を受けやすくなったためか、呼吸は先ほどよりさらに苦しそうだ。息を吸って…吐いて…肩の上下に連動して、巨大なお腹もわずかに上下する…圧巻の大きさだった。


「あの…あんまり…意地悪…しないで…私もう…そんなに…動くの…楽じゃない…からっ…」


「あ、ごめんごめん。ちょっと大きさにびっくり…いや…感心しちゃって…見とれてた…」


「そんな…」


「あ、息苦しかったら、クッションか何か使う? ちょっと頭を上にしといた方が楽じゃない?」


「それは…そうかも…そしたら、お願いしても…いい…ですか? たぶん…そのあたりに…クッションか…何か…あると…思うから…」


「これでいいかな?」


頷いたみどりさんに、熊がプリントされた品の良いクッションを二つ手渡す。みどりさんはモゾモゾと身体を動かしてクッションの位置を調整し、しばらくの試行錯誤の末、とりあえず楽な体制を見つけたようだった。先ほどより若干呼吸は楽そうだが、苦しそうな様子は変わらない。


「次は何にする?」


「何でもいいよ…大樹が選んでくれるなら…。でも…あといくつ…残ってる?」


巨大に育ったお腹をさすりながら、みどりさんが問いかける。


「いち…にぃ…さん…しぃ……あと十個」


「じゅっ…こ…」


一瞬みどりさんの表情に、絶望に似た苦悩が浮かび上がったのを見て、俺はまた「しまった」と思った。ここは個数をごまかしてでも、みどりさんのお腹を守ってやるべきだったのだ。みどりさんの性格からして、俺の買ってきた食べ物が全て胃袋に詰め込まれてなくなるか、胃袋が破裂して俺の買ってきた食べ物を納める袋がなくなるか、そのどちらかまで食事を続けようとすることは容易に想像できた。


苦悩にゆがむ顔――みどりさんの痛みの絶叫――お腹の中からドパアッと吹き出してくるほとんど未消化の食べ物――食べ物――食べ物――そんな酸臭にまみれた部屋は嫌だ!


「あの…お願い…お願いだから無理しないでね…俺…」


「大丈夫…分かってるから…自分の…身体のことは…自分が一番…」


そういってみどりさんは、弱々しく俺に笑いかける。


「それに…大きいバーガーから…順に食べてきたもの…。残りは小さいやつだし…あと十個くらい…大丈夫…だと…思う…たぶん…。でも…でももし…食べられなかったら…ごめんね…いただき…ます…」


いつになく弱気なみどりさんは、再び小さく両手を合わせると、ゆっくりとバーガーの咀嚼を再開した。

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