20歳(二人の秘密2)
「ねえ・・・そろそろ、さすがに、終わりにしない?」
「えー、なんで? せっかく身体もあったまってきて、ここから楽しいところなのに、なんで今そんなこと言うの?」
こんなやり取りが、何回繰り返されただろう? 少なくとも5回はくだらないと思う。どのくらいの時間が経ったのか定かではないが、みどりさんが空にした惣菜容器の山と、臨月以上にせり出してきた胴体の膨らみが、相当な時間の経過を証言している。その間みどりさんは「美味しいー」とか「しあわせー」とか言いながら咀嚼と嚥下を続け、買ってきた惣菜の大半は既にみどりさんの胃袋へ収容されていた。
「だって・・・みどりさんの身体が心配だし・・・汗だってかなり出てるしさ・・・」
部屋は涼しい−−どちらかと言うと寒いくらいである−−にも関わらず、みどりさんは全身に大粒の汗をかいていて、Tシャツ全体の色が変わって見える。出会った時にはかなりオーバーサイズだったはずのTシャツは鼠径部付近までピッチリと張り付いて、ギリギリまで引き伸ばされているのが明らかだ。大樹はTシャツに同情した。
「だから、やっとあったまってきたとこだ、って言ってるでしょ? いっぱい食べると、身体があったかくなるんだよ。知らないの?」
「へ?」
「私ね、この自由研究始めるまでは、かなりの冷え性だったんだよ。でも自由研究始めてから、身体があったまるようになってね。特に大食いした日は、すごく全身ポカポカして気持ちいいの。だから冷え性の子とか、みんなもっと大食いすればいいと思うんだよねー」
そういうものなのだろうか。そういえば、昔テレビで、褐色脂肪細胞というものを聞いた記憶がある。余分なカロリーを熱にして消費する細胞で、大食いの人では発達しているのだそうだ。みどりさんは小さい頃から日常的に大食い行為を繰り返したため、褐色脂肪細胞が異様に発達しているのかもしれない。そうでなければ、今夜だけでも何千−−いや、何万キロカロリーも摂取しているみどりさんが、こんなスリムなままでいられるはずがない。
「そんなことよりさ、おかわりお願い! このホイコーロー、しょっぱいからごはんが進むね!」
そう言ってみどりさんが、満面の笑みでご飯茶碗を手渡してくる。そう、みどりさんは惣菜のみならず、惣菜をおかずに白米もかき込んでいるのだった。しかも惣菜とご飯のバランスは、ご飯の方が多いくらいだ。先に惣菜がなくなると味気ないから、ご飯を多めに食べているのだという。何杯目か数えておけばよかったと、俺は今になって後悔する。
「よそってくれてありがとー!」
盛り付けた茶碗を受け取る笑顔は反則級に可愛い。口元にご飯粒が一つ付いていて、それに気づいていなそうなくらい食事に夢中なのも可愛い。そんな可愛さに毒されて、いつの間にかご飯の盛り付けは俺の仕事になった。もうすぐ釜のご飯もなくなるが、炊き直しも俺の仕事になりそうで恐ろしい。
「次も中華系にしようかな−。あ、先に春巻きかじろう! おー、ジューシー!」
出来合いの惣菜でもこれだけはしゃいでくれるなら、買ってきた側としても悪くはない。いつか惣菜じゃなくて、レストランとかへ一緒に行ってみたいな、なんて思ったり・・・
「いいけど、私かなり食べるよ?」
「え? また俺、思ったこと漏れてた?」
「えー? さすがに今のはわざとでしょー」
「いや、俺、ホントに思ったこと、いつのまにか口に出ちゃうんだよ」
「ま、そういうことにしといてあげてもいいけど。でも私、すごい食べるからお会計びっくりしても知らないよー」
そう言ってみどりさんは再び、ピチピチのTシャツを撫でる。Tシャツは、うっすらと肌が透けそうなほどに伸びて、ひとつひとつの網目が見えそうなほどだ。買い物から帰ってきた頃は、お腹の上の方ばかりが目立って膨らんでいたが、今はお腹の上から下まで全体的に体積が大きい。Tシャツの形に沿って膨らんでいるようにも見える。
「会計云々の前に、そんなお腹じゃ店員さんとか他のお客さんがびっくりしちゃうって。普通の人からしたら、化け物みたいだもん」
「やっぱり・・・大樹もそう思う?」
あれ、なんだ? 俺はまた何か、地雷を踏んだ。しかも恐らく、今度は冗談じゃなくて、ほんまもんのやつだ。みどりさんは少し寂しそうな目で、箸を置き、張り出した自分のお腹を両手で抱えるようにそっと支え、こちらを見ないまま俯き加減で語り出した。
「わたしね、大樹だから言うけど、私の中に、大食いが好きな私と、大食いが嫌いな私がいるの。たくさん食べるのは気持ちよかったし、食べ物を征服した感も楽しかったんだけど、そしたらどんどんお腹が大きくなっちゃってさ・・・お父さんは『そんなに食べたらダメだ』って怒るしさ・・・私のおなか見て『化け物みたい』って言うんだよ・・・そりゃ、こっそり大食いしてたの見つかった私も悪いけど、父さんに言われたくはなかった・・・」
そうか『化け物」っていうのがいけないキーワードだったのか。俺は、慌てて弁解を試みる。
「いや・・・普通の人からしたら・・・っていうだけで、俺は思ってないし・・・」
我ながら苦しい弁解だ。みどりさんの表情は変わらない。俺は沈黙が怖くて、指を組んでぐるぐる回しながら、必死に言葉を繋いだ。
「ほ、ほら、化け物って一種の褒め言葉だし・・・信じられない、っていうか・・・ほら、大谷翔平とかだって、化け物みたいな活躍、っていうじゃん? あれ、要するに信じられないくらいすごい、ってことだよ。そうじゃない? ほら、それとおんなじでさ、たぶん信じられないと思うんだよ。信じられないから、目を離した隙にトイレで吐いてるんじゃないか、とか考えるし、そのTシャツの下にクッションとかプチプチくんとか隠してるんじゃないか、とか考えるわけでさ・・・だからその・・・」
「吐いたりなんかするわけないし。クッションも入ってないし」
「うん、それは分かってるよ、分かってるけど、普通の人からしたら・・・って・・・」
「だからその『普通の人』って何よ!? 大樹だって『普通の人』でしょ? 大樹だって普通の人でしょ? それとも同じくらい食べられる?」
「はい! 普通の人です! 食べられません!」
ダメだ、頭の中が限りなく真っ白になってしまって、何も考えられない。こうなったらヤケだ。
「だったら『普通の人』の中に隠れてないで、大樹の意見を言いなさいよ! 大樹はどう思うの?」
「大好きです! 触ってみたい!」
「は!?」
一瞬の沈黙・・・そして爆笑。
「何それ・・・(笑)大樹ってテンパると本当分かりやすくて面白いね。ずっとそんなこと考えてたの(笑)あんまりそっちが焦ってるもんだから、ちょっと注意してみるつもりだったのに続けられなくなっちゃったじゃない(笑)」
「え!?」
慌てて顔を上げると、笑いを抑えきれない、といった表情のみどりさんが視界に入った。あ、これも冗談だったのか・・・それとも、一部は本気だったのか・・・難しいコミュニケーションや探り合いは苦手だ。
「触ってみたかったら、触ってもいいよ。ちょうどTシャツが限界にきてたくらいだったし。あ、でも『化け物みたい』って言ったこと謝ってからねーー。私、ちょっとは傷ついたかもしれないんだから」
そういってみどりさんは笑う。俺は会話の内容より、追い出されなくてよかった、という安堵ばかりを強く感じた。何と言っても、向こうは圧倒的な美女で、こっちは冴えない男子である。
「ごめんなさい。化け物みたい、なんて表現を使ってしまって申し訳ない」
「ま、いいよー。許してあげる。そのかわり、お腹触ったらまた買い出し行ってきてねー。やっぱり、ご飯だけよりいろんな味あった方が嬉しいから」
「え!? まだ食べるの?」
「もちろん。だってこれはTシャツの限界であって、私の限界じゃないもん。ま、触ってみれば分かるよ。まだおなか柔らかいから。わたし、自分でいうのもなんだけどけっこう細いから、本当に限界のときは、カッチカチの胃袋が触れるのね。そりゃっ」
そりゃっ、と言いながらTシャツをまくりあげようとするみどりさんだが、ピチピチに引き伸ばされた挙句に汗で張り付いたTシャツは簡単に捲り上がらず、1分ほど格闘した末にようやく捲り上げられたようだった。胸の下でお腹の膨らみへ引っかかっているTシャツのすぐ下に、お腹の膨らみとは不釣り合いな肋骨が2本ほど確認できて俺はドキリとする。胴体の膨らみを形成しているのは皮下脂肪ではなく内臓だと、端的に認識させてくれる構図である。浮き出た肋骨のすぐ下から思い切り腹部全体が張り出し、前後方向にも左右方向にも満遍なく広がっている。Tシャツを捲ったことでTシャツの締め付けから解放され、膨らみ全体が下に下がって球形へと近づいたように感じられた。
「ほら、まだ全然、柔らかいでしょ?」
そう言って、みどりさんは俺の手首を掴み、そっと腹部へ誘導した。きめ細かなもち肌はフニュンと弾むように、俺の手の下で柔らかく変化して心地よい。
「皮もまだぜんぜん伸びるし、これはまだ余裕な証拠なの。分かった?」
つままれた皮膚には、みどりさんの言葉通り、まだかなり伸びしろがあり、薄い皮下脂肪とともに胴体へ戻ると、胴体全体が一瞬遅れてポヨヨンと波打つように変化した。その様子が面白くて、俺も真似して皮膚を引っ張ってみる。
「ちょっ・・・くすぐったいから、あんまり激しくやらないで・・・触ったんだから、約束通り、もう一回買い物行って来てくれるよね? もうすぐお惣菜なくなっちゃうもん」
みどりさんが震える声で囁いた。先ほどより頬は紅潮し、もぞもぞと動いているようにも見える。
仕方がない、買いに行くか・・・もう手持ちはほとんどないから、銀行でお金を下ろさなくてはならない・・・コンビニって何時までお金おろせるんだっけ・・・あとどこへ行って、何を買ったらいいだろう・・・さっきのみどりさん、いっそう可愛かったな・・・そんなことをとりとめもなく考えながら、俺は再び深夜の街へと歩き出した。