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20歳(大樹の秘密1)

「久しぶり。どーせ暇してんでしょ?」


そんなメッセージが唐突にFacebookへ飛び込んできたのは先週のことだ。こっそり名前を検索して写真を眺めていたのがばれたのではないかと大樹は冷や汗をかいたが、どうやら向こうからこちらを検索してきたらしい。「暇じゃないわけじゃない・・・けど、どうしたの?」と迷いながらも返信を送ると「ちょっと手伝って、来週金曜日の夜」というメッセージとともに、無防備にもアパートの住所が直接送られてきて、大樹はいま、まさしくその部屋の呼び鈴を鳴らしたところだ。


「どうして僕に?」「何をするの?」「何か持って行くものはある?」「他に誰が来るの?」「『夜』って何時?」・・・訊きたいことは山ほどあるのに、どれを聞くのも野暮な気がして、結局何も知らないまま、俺は扉の前に立っている。何かのトラップなんじゃないか、悪徳商法に引っかかるんじゃないか・・・いろんな思いが脳内を交錯し、心臓は早鐘を打っていたが、それらを全て、みどりさんに会える可能性への期待が凌駕した結果、俺は扉の前までやってきたのだった。


ピンポンを鳴らして3秒。


「遅ーい」


と扉の向こうから聞こえたのは紛れもなくみどりさんの声で、俺の心臓の鼓動はさらに速くなった。就職活動以来、久しぶりに来たスーツの襟がよれていないかもう一度確認し、はじめてコンディショナーというものを使った髪に変な寝癖がついていないか確認しようとスマホのガラスに自分の顔を写そうとしたそのとき


「暇してるって言った割に遅くない?」


と、みどりさんが扉の向こうから顔を出したのだった。


「ひ、ひさしぶ・・・は、はちねんぶり! だよね、あ、佐藤大樹、さとう大樹です!」


ナチュラルメイクなのか、すっぴんなのかは知らないが、Facebookの写真で想像していたより、実物は遥かに可愛かった。ショートな黒髪に、はっきりした大きな瞳。均整のとれた狸顔とはこういう人のことを言うのだろう。街を普通に歩くだけで10人中7人が振り返り、3人は目を合わせないふりをするのに必死になる・・・そんな美人の雰囲気が彼女にはあった。


「うん、大丈夫、名前は知ってるよ、こっちが呼んだんだから。あ、てか、スーツかぁ・・・仕事帰り?」


「ま、まあ・・・そんな感じ・・・だけど・・・」


裏返った声でばれているだろうか。実際は就職活動に落ち続けフリーターをしている俺にスーツを着る機会などなく、シフトが終わってから家に帰って、わざわざスーツで出直してきたことは。スーツで仕事をしているように見せたかったという思惑もないわけではないが、それより気の利いた私服を一枚も持ち合わせていないと言った方がより正確である。男はスーツで5割増しになる、と書かれたスマホ記事を今日ほど信じたかったことはない。一方みどりさんの服装は自然体で、オーバーサイズのTシャツをワンピースのように着こなして、まるでマタニティーウエアのような・・・マタニティーウエアのような!?


「あれ? にんし・・・お、おめでた!?」


「してるわけないでしょ? 待ちきれなくて、先にちょっと食べてきちゃっただけよ、入って入って!」


ゆったりしたシルエットのTシャツの上からも、うっすらとなぞることができるお腹の膨らみは、どう見ても一般的な「ちょっと食べてきちゃった」の域を超えている気がするが、大樹は何をどう突っ込んでいいのかが分からなかった。促されるまま靴を揃えて脱いで中へ入ると、こざっぱりと白を基調にまとめられた部屋は美味しいにおいで満ちていて、テーブルの上には空になりかけの土鍋が1つ、まだほのかに湯気を立てていた。隣には大きめのご飯茶碗が一つ。みどりさんは何気なくそれを手に取ると、傍らにあった炊飯器を空ける。空けた炊飯器はずいぶん大きい・・・たぶん5合以上炊けるやつだ。


「あ、俺、そんなに食べられないよ」


大きめの茶碗へ、文字通り山なりにご飯をよそったみどりさんへ俺が声をかけると


「これ、自分の分だから、大丈夫」


と返事が返ってきてさらに驚いた。


「え!? でも、もう夕食終わるところだったんじゃないの?」


「そんなわけないでしょ」


「で、でも、この鍋、もうほとんどなくなってるじゃない?」


どうみてもこの土鍋はファミリーサイズだ。鍋の縁についている水面の跡からして、ファミリーサイズの土鍋が四分の三以上空になったことは明らかだった。鍋だけでも、俺の一日分の食事に十分な量だ。


「うん、鍋はもうなくなっちゃうから、次は何でもいいよー。適当に買い出し行ってきてくれたら嬉しいな」


何気なくみどりさんが答える。大盛りの茶碗を抱えながら、満面の笑みを向けられた俺は一瞬どきっとする。しかし俺の心配事は、全くみどりさんに伝わっていない。俺は食材の心配をしたのではなく、みどりさんのお腹の心配をしているのだ。


「いや・・・食べ物があるかないか、じゃなくて・・・おなか、のほうは大丈夫なの?」


「へ?」


一瞬きょとんとして、そしてみどりさんは笑い出した。


「そんなぁ、余裕に決まってるじゃない!」


そう言ってTシャツ越しに、お腹のあたりをなでる。腹部の上の方へ、一瞬ぴっちりとTシャツが張り付いて、膨らみの形があらわになった。Tシャツの下半分はぶかぶかで、腰回りにはまだ、女性らしいくびれを確認できる。


「覚えてない? 小学生の頃に私が何やってたか?」


「え? あの・・・自由研究のこと?」


覚えていないわけがない。こんな可愛い子と一緒に何かをした経験は、あとにも先にもあれっきりなのだから。


「そ。実は私、まだこっそり続けてるんだー、あの自由研究」


「え!?」


「そんなわけで、まだまだ余裕だから、何か買ってきてよ。料理自信なかったら、出来合いのお総菜でもいいよ、まだお米はあるし」


そう言ってみどりさんが向けた視線の先には、先ほどは気づかなかったが、もう一つ同じ、大きな炊飯器が湯気を上げていた。


「最寄りのスーパーはここ。それじゃ、よろしく!」


特売のチラシを手渡され、満面の笑みに見送られながら、俺はアパートの階段を戸惑った表情のまま駆け下りた。

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