蛇足語一。血の繋がってる兄とは結ばれない
◇◇◇◇◇
私はフワフワと飛んでいた。野を超え山を越えて、花を求めて一つの公園にやってきた。
なんて素晴らしい所だろうか! 花が私を祝福してくれている。そう思った。だから気がつかなかった。美しいものに目を奪われて、恐ろしいものに体が絡め取られる。
蜘蛛の巣だ。私は死ぬと、直感した。しかしそうはならなかった。蜘蛛よりも遥かに恐ろしい「人間」が私を助けたのだ。
「危なかったですね、蝶々さん」
気まぐれで助けてくれたのか。私が羽を広げて飛んでいると、楽しそうに追いかけてきたから、やはり気まぐれなのだろう。悪い気はしない。
私もなんだか嬉しくなって、辺りを自由に飛び回る。少女も私についてくる。
おや、クルマがきたよ。でも私にとってそれはあまり脅威ではない。鬱陶しいだけで気にすることもなかった。多分、その人間もきっと大丈夫なのだ。大丈夫。
だって車なんて目もくれずに、地面の黒蟻を気にするくらいだから。ほら、だからもっと飛び回ろう。
ふと後ろを振り向くと、何故か車が壊れてしまっていた。その時きっと少女も壊れた。そして私も蜘蛛に捕まり……何もかもが、壊された。
壊れた世界が混じり合う。
黒も白もぐちゃぐちゃに。
そんな、灰色の夢なのです。
◇◇◇◇◇
「──っ!」
ベッドの上で飛び跳ねた。しばらく動悸がおさまらずに、荒い息を繰り返す。そばで眠っている我が子を見て、やっと落ち着きを取り戻した。
怖い夢を見た気がする。ほとんど内容は覚えていないが、ふととある単語が頭をよぎった。何だか分からなくてネットに頼ると、それはすぐにでた。
胡蝶の夢……夢で胡蝶となった自分は何の違和感も抱いておらず、いざ目を覚ますと今度は人間である自分を見失う。つまり、夢と現の境が分からなくなってしまう事。
私は一体どちらなんだろう。
不安になって子供達の奥に目をやると、驚いたことに彼は起きていた。じっと、私の事を見つめていた。その瞬間全ての悩みが救われた気がした。
「……大丈夫」
私がそう言うと彼はもう一度夢の中に戻っていった。私も次に目を覚ますと、とっくに朝を迎えていた。そうして夢の事なんて忘れて、いつもの日常に戻っていく。
今日は第三土曜日。
日曜なら、良かったのにな。
〜〜〜〜〜
「みなみ君に告白されちゃった」
そういえば思い出した、とでも言わんばかりに娘は言った。お絵描きを続けながら、本当にそれはなんて事のない話みたいだ。
それでも母親である私としては、嬉しくないはずがない。
「良かった。やっぱり貴女は私の血を受け継いでいる。容姿がとても優れているもの」
「ハッ」
鼻で笑われた。
実の娘に。
「顔じゃなくて、優しいからって告白されたの」
「少し優しくてとびっきりに可愛いから、が正解よ」
「ママさぁ、そういうのパパ嫌いなんだよ? 知ってる?」
「……まあ、告白されたのはいい事よ。良かったわね美福。もちろん断ったんでしょう?」
「何で私が断ったっておもったの?」
「貴女が私の子だから」
「……」
娘からの視線が、胡散臭い人を見るそれだった。さっきの鼻で笑った事といい、その仕草や態度は一体誰に似たのだろう。
……私? まさか、そんな。
いくら何でも、私はもっとお淑やかだったはず。儚げで可憐な少女だったはず。
「どうして告白を断ったかまでかは、お母さんも分からない。教えてくれる?」
「だって、つまんないんだもん」
「つまらない?」
「恋人になってって事は、好きだから付き合いたいって向こうが思ってるんでしょう? それがいや」
「うーん」
よく分からない。だけど、もしも彼がここにいたのなら、きっとこう言うだろう。
間違いなく君の子供だよ、と。
「お母さんに分かるよう教えてくれる?」
「えー、まんまとじいじしか知らないよ」
「赤ちゃんレベルまで落とさなくていいから」
ちなみに我が家では、まんまがご飯で、じいじは魚だ。不思議。
「あのね、私の事が本当に好きならね、自分のしたい事とかやってほしい事とか、そういうの全部無視して私の事を考えてほしいの。
恋人にならなくてもいいから、絶対に幸せにさせる! そのくらい言ってほしい」
「つまり、全てを投げ出してでも貴女を好きでいてくれるような、そんな人がいいのね」
「多分そういう事」
贅沢な子。そして恐ろしい。我が娘ながらなんて業の深い。絵に描いたお花に色を塗りながら平気でいるあたり、なるほど、どことなく昔を思い出す。
「まあ、いいんじゃないかしら」
「いやよくないでしょ」
今まで黙って話を聞いていたその人から、本日の初ツッコミをいただきました。
どうもこんにちは私の義姉です。つまり、木村叶ちゃんです。
「優兄の家族だからって温かい目で見るにも限界だから。ねえ美福、貴女そんな高望みしてたら一生恋人なんて出来ないよ?」
「理想じゃない恋なんてしない方がいいんじゃないの? それは、だきょうっていうんだよ。恋はだきょうなの?」
「うっ」
十歳に純粋な目を向けられて、逃げるようにねえさんはこっちにやってきた。
「流石、貴女の娘ね」
「褒め言葉じゃない事は分かりましたよ」
「褒め言葉じゃないもの」
「もしかして私の事嫌いです?」
「心の底から好きに決まってる! でもそれは優兄の妻だからで、そうじゃなかったら絶対にここまで好きにはなれなかった事は確か」
「そういう事は美福の前で言わないでほしいです……」
偶に私たちの家に遊びにやってくる叶さん。暇なんですきっと。今日は優希が遊びに、彼がお仕事に出かけているのは残念ですが、こうして女三人というのもなかなかどうして悪くない。
ああ、そういえば。さっきからやけに恋話が多いのはそういう事なんだね。私納得。
「叶お姉ちゃんはなんでママみたいにけっこんしないの?」
「ほぉ、私の話は別に面白くないよ。いいの?」
「面白くないならいいや」
「……」
「もしかして結婚って、そんなにいいものじゃないの?」
ねえさんの目が明らかに私に助けを求めていた。こんなに情けない姿は初めてだった。
しかし……私もなんて答えたら良いのだろうか。世の中全てが納得する意見なんてない。多数決なら簡単だ。結婚は人生の墓場だとよく聞く。世間一般的に、そこまでいいものではないという事か。
だけど、あえて言おう。
妥協? とんでもないのです。
「結婚はとても素晴らしいものよ」
「……ふーん」
美福は気の無い返事をしながら、ピンク色の色鉛筆で絵の中にハートを描き加えました。
……さっき美福が言っていた事は、多分違う。私だから分かる。美福は自分を好いてくれる人間ではなく、自分が好きな人間と恋をしたいのだ。
全てを投げ出してでも自分を愛してくれる人であると同時に、美福自身が全てを投げ出してでもその人を愛せる人じゃなければダメなのだと思う。
本当にわがままな子。いつかその理想の恋が叶えばいい。そしていつか貴女は言う。自分の娘に向かって、『結婚はとても素晴らしいものなのよ』と。
「まだ二十代だから……」
義姉さんもきっと、ね。
二十代プラスマイナス五くらいの義姉さん。恐らくそういった願望自体があまりないのだろうけど、周りからの視線はそうじゃないから。鉄也君も結婚してるみたいだし、いよいよ大変そう。
素敵な相手が見つかりますようにと願っていたら、なんとなくピンときて、玄関の方を向く。
少しして扉の開く音と同時に、二人の「ただいま」という声がした。どこかですれ違ったのかな?
私たちはみんなで「お帰り」と言った。
何の変哲も無い、私たちの日常なのです。
◇◇◇◇◇
片割れがいないといまいち調子の乗らない美福ちゃんみたいです彼女はブラコン間違いない(確信)