貴方に殺されたいと思っていた
◇◇◇◇◇
昔、恋人とか作らないの? と、ミサチーに聞いたことがある。すると面白い返しをされた。
『一目ぼれとかあるじゃないですか。私それイヤなのです。それでお付き合いを始めて、その翌日くらいに一番好きな人の何もかも少し優秀な人が現れたとして、どうなるんでしょう。多分そっちを好きになりますよね? ならない理由がありません。だったらまたその人より何もかも少し優秀な人が現れたとして、終わらないループの始まりです』
一目ぼれループです。
一目ぼれじゃなかったらいいの? と聞いてもそれはそれで問題があるらしく、顔をしかめてミサチーは言った。
『例えば小学生の頃からお付き合いをしてる人がいて、ある日その人のはるか上の上位的存在が現れたとしたら困ります。今までの思い出は確かにあるでしょうけど、そっちの優秀さんを選べばこれからの人生がバラ色なのです。今までの思い出を超えるような、最高の人生になるのです』
G級思い出です。
『選ばないのも変だけど、選ぶのはイヤです。そう考えると好きって難しいです。私はテセウスの船に答えを見つける事は出来ないのです……私の話聞いてました?』
途中からよく分かっていなかった。そして多分、テセウスは関係ない。
『うん、僕もそう思う』
『……まあいいです。とにかく私は、理想的な恋人というのが、よく分からなくて。付き合うというのも、よく分からないのです。理想を言ってしまえば際限がありません。恋愛は理想の押し付け合いで、結婚というのは妥協の連続で成立しているのだと私は思います』
謝れ。全国の夫婦に謝るのだ。
『その人が自分の最高であると信じて疑わない日が来るまで、私は私の恋を殺し続けるのです。……厄介なのはそいつが、殺しても殺しても生き返る、不死身のスーパー野郎って事ですかね』
そう言って彼女は、僕を見つめた。
遠い昔の話だ。
本当に、懐かしい話だ。
「え、それが馴れ初めなの?」
「いや馴れ初めはもう少し先かな。ある日僕が彼女に振られてみっともなく落ち込んでいる時にね、向こうが『私が恋人になってあげてもいいですけど……』って言ってきたんだ。あの時の彼女の目はまるで、死んだ猫を慈しむような優しい慈愛を宿していたよ」
「え、パパの恋は施しからうまれたの?」
「やめてくれないかな二人共して僕をいじめるのは。もちろん僕は断ったよ。気を使わなくていいんだよ! ってね。後から正式にアプローチしたさ」
子供に馴れ初め話をするのがこんなにも辛い事だとは思わなかった。双子特有の息ぴったしな掛け合いで僕はもう泣きそう。
「でも良かった。私は安心したよ」
「なにが?」
「幼いママが一体どんな騙され方をして何歳も年上の人と結婚したのか不思議だったから。てっきりパパが重度のロリコンだと思っていたんだけど、そうじゃないんだね!」
「こら美福ダメじゃないかどこでそんな言葉覚えたの!」
「ボクは父さんがどんな脅され方をされたのかずっと心配だったよ。良かった、意外とまともだった」
「優希はもう少しママを信じようね?」
ママという言葉に反応したのか、優希が表情を曇らせる。
「いいんだよ。どうせ、聞こえてないんだから」
美福も続く。
「ママいないしね」
「日本のどこにも……いないから」
「優希……美福……」
そうだ、もう、日本のどこにも美幸はいない。
だって──外国にいたから。
「本当いつ帰って来るの!」
「父さん、捨てられた?」
「仕方ないだろう。ママは頑張ってるんだぞ? 今や数多くのレッドリストを救ってきた偉大な生物学者だ。彼女が繋いだ命は数知れないよ」
「そんなの知らなーい!」
「お腹すいた……」
「こらこら」
昔はあんなに虫を殺していたのに、今ではこんなに生かしている。
ミサチーは昔から律儀な人間だった。例えそれがどんな動物でさえ、殺す限り自分も殺される覚悟を持っていた人間だった。
だから殺したがりであると同時に殺されたがりの人間で、今それが逆という事は……人間変わるものだ。
「安心しなよ二人共。きっとお前たちのお母さんは、おばあちゃんになっても健康のままだぜ」
「そんなの知らなーい!」
「根拠がない」
「せっかく僕がカッコつけたんだから優しく受け止めてくれよ!」
容赦のない子供達だった。
お母さんに帰ってきてほしいっていう気持ちは分からなくもないんだけどね?
「ほら見てごらん。庭にモンシロチョウが飛んでるよ。とっても綺麗だろう?」
「すぐ死ぬ」
「いつか死ぬ」
「今は生きてるんだから! 素晴らしい事だろう!?」
「多分蜘蛛に殺される」
「もしくはカマキリ」
一体誰に似たのか、言うまでもない事か。美福と優希を見てるといつ黒アリを潰すかどうか心配だ。
本当、二人ともお母さんにそっくりで、命とはこうして受け継がれるのだと実感する。
さて──玄関から音がした。二人は反射的に『お帰りー!』と言った。サプライズにしていたのに何で分かるのかな。
僕も二人を追いかけるようにしてそちらへ向かった。「ただいま」と言った君は、全く奇妙でもなんでもない一人のお母さんだった。
そして君は今日も微笑む。
何の変哲も無い、僕らの日常だ。