少女殺戮
◇◇◇◇◇
これは、偶の休日、外にでも出かけて新鮮な空気でも味わおうかとその日は思いながら、中学に入る頃にはさっぱり行かなくなったとある近所に出かけた話。
僕は公園で、奇妙な少女と出会った。虫も殺せないような顔をした、美しくか細い少女だった。
虫も殺せないような顔をした少女が、バッタを捕まえては蜘蛛の巣に放る。もがくバッタ。喜ぶ蜘蛛。獲物は足掻き、捕食者はご馳走を丁寧に保存していく。少女の見事な手慣れた手つき。そんな光景だった。
僕にとってはなかなか非日常で、そして、少女にとっては多分……日常的だったのだろう。
「え、いや、何してるんだ」
しばらくベンチに座って眺めていた僕だったが、あまりの驚きに声を出す。最初は見間違いというか、何をしているのか理解できなかったが、目を凝らせば確かに、少女が冷静にバッタを殺している。
少女無表情。
これ以上黙って見続けるほど僕の肝は太くないし、何より少女がどんな経緯でその域まで達したのか、ちょっとした好奇心もあった。
「何をしてるんだい?」
近頃、挨拶をしただけで全校生徒に不審者通告が出るらしい。なるべく気をつけて、妹に接するように優しく話しかけた。
しかし、少女は特に気にせず、僕を一瞥するだけで、驚きも怖がりもしない。僕がさっき怒鳴り声をあげたって、この子はこんな態度を取るのだろう。
その反応から、僕の存在を認識したのか危ういほどだが、少女は律儀に答えてくれた。
「蜘蛛の巣にバッタをあげています」
それは知ってる。
「どうしてそんな、バッタを殺してるのかな?」
「ちがいます。蜘蛛を生かしているのです」
「……言い方の問題だと思うけれど」
「仕方ないのです。何かが生きるには、何かが死なねばなりません。バッタは偶々選ばれているだけで、そこにカマキリでもいれば死ぬのはカマキリです。そしてそのどちらも、蜘蛛は大変喜びます」
少女にとってバッタもカマキリも、等しく殺害対象らしい。なにそれ怖い。
年不相応に聡明なところも、アンバランス。見た目から判断するならば10か11といっところだが、しかしこの少女からはそれ以上に老成した印象を受ける。にゃんぱすとか、そんな感じの。思想はどうも真逆だが。
「別に、君がそこまでしてやる事ないんじゃないかな。バッタだって、カマキリだっていつかは死ぬときもあるし、なにも蜘蛛だけを優遇しなくったって」
「仕方ないのです。私は蜘蛛が怖いです。友達は蜘蛛のおしりとかを触って……知ってます? 糸って、多分元は液体なんですよ。蜘蛛のおしりからどろっとしたものが出てました。あれですかね。手をあらう時にあわあわを出してくれるハンドソープみたいなものなのでしょうか。面白いです」
「……確かに面白い考えだけど、人類はまだ蜘蛛の糸の仕組みを完全に利用する事が出来ていなかったと思うから、ハンドソープとはまた違ったものだね」
「まあそんな事はどうでもよくて、私は蜘蛛が怖いです」
「……」
「でもバッタは怖くないです。カマキリはこくふくしました。だから二匹は餌です。蜘蛛に餌をやります。正直に言うと、そこに私はちょっとした優越感を感じるのです。怖い蜘蛛に施しを与えて、怖くないカマキリとバッタを自由に扱う、この行動に」
な、なんて歪んでいるのだろう。むしろ真っ直ぐ過ぎるのか。少女らしからぬ言葉に、なにを言えばいいか迷ってしまう。
「でも……殺しちゃダメだよな」
「何故、虫を殺してはダメなのです?」
そんなこと言われても、別に何の理由もなく出た言葉であって、改めて聞かれると困るものだ。
空は何で青いの? くらい、単純な質問だったら良かったのに。
「殺しちゃダメな理由が、私にはよくわからないです。お兄さんの昨日のご飯は何でした? 」
「昨日はトマトサラダとコーンスープに、確かチキン南蛮だったけれど」
「なら兄さんは少なくとも、昨日死んだ鳥の死肉を食べたのです」
「生々しい二重表現だなぁ!」
「斬殺したトマトも圧殺したもろこしも殺しています。つまり、兄さんは生きながらにしてサラダキラーにして動物殺しの異名を背負っているも同然です。私達は、同じです」
「で、でもそれは生きる為だろう?」
「バッタだって、蜘蛛が食べてくれます」
そう言われればそうだ。少なくともこの少女は、何の意味もなく虫を殺しているのではなくて。しっかり蜘蛛の為にはなっているのであって。
と、思っていたら。
「えいっ」
「んんっ!? え、何で今アリを殺したの!? その小石で、一匹のアリが潰れて死んじゃってるけど! それ、蜘蛛は食べるの!?」
「いえ。これは土に埋めて木の栄養にします。見てくださいこのくすのき、とても大きいです。きっと栄養が必要なのです」
「だからって殺す事はないんじゃないのかなぁ?」
「多分あと何ヶ月かで死にます。せっせと働く働きアリにはこの辺りで楽になってもらい、残り30%の体たらくの誰かに後を引き継いでもらいましょう」
「働きアリもたまったもんじゃないだろうけど」
「即死だから、きっと問題ありません」
ひどい少女だった。いろんな意味で。僕の目のまですでに、バッタが五匹とアリが一匹、ご臨終です。
「実際、どうなのでしょうね。即死って、痛くないんでしょうか。死んでみないとわからないから、その辺りは私にとって死ぬまで解けない永遠のナゾです。文字通り」
「……脳が痛いと認識するまでに死ぬ事が出来れば、痛みは感じない、と言えるのかもしれないね」
「まあそんな事はどうでもよくて、私が虫を殺しているのは、虫しか殺せないからです」
「……」
「人間は食物連鎖には含まれていないと思いますが、反則級の生き物で、生物ヒエラルキーの頂点に位置してるといっていいでしょう。だけど私はそのうち、赤子の次だから2番目くらいに弱い女の子という立場で、同じ人間を殺すのは、無理だと考えますえいっ」
「痛ッ」
「やっぱり、アリは殺せても、お兄さんは殺せません。だから私は仕方なく、虫を殺しているのです。殺せるものを、殺しているのです」
「殺せるから、殺す……」
「正確には、蜘蛛を助けているのですけどね」
そこは譲らないんだ。
結局、その日は奇妙な少女について、なにも知ること出来なかった。いや、もしかしたら彼女は全てを語ってくれたのかもしれない。僕がただ、理解しようとしていないだけかもしれない。
何故殺しをしてはいけないのか。そんな単純な疑問には、自分が殺されたくないから、という利己的な答えしか浮かばない。大体彼女が殺しているのは虫だ。道徳的な返しなら、僕はあの少女に、幾らでも綺麗事を述べる事が出来ただろうけれど。きっとそれでは意味がないのだ。
彼女は人よりたくさん殺しをしているけれど、それはやはり、『たくさん』という意味合いでしかない。ゼロか1かの話ではないのだ。せいぜい10が11くらいになったようなもの。
……まあ、そんな事はどうでもよくて。
「今日も肉か! ありがたい!」
身長190の弟がはしゃぐ。
「いただきます」
今日のしょうが焼きも、大変美味でした。