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ソナルシオン~帝国滅亡の幻想曲《ファンタジア》〜  作者: 紅月エル
第一夜 「呪われた皇女と護衛」
3/5

3 長い髪はかっこいい 

 かすかに、海のものだろうか、潮の匂いがした。

 港はもう近い。

 耀覇ヨウハは速度を速めた。軽快な足音が耳に響く。

 こちらはもう、夕刻を迎えたようだ。まだ空は青いものの、日の光が差し込んでいる。

「おっ、耀覇じゃない! 久しぶり、帰ってきたの?」

 街へと入っていくと、たくさんの人々が耀覇に声をかけてくれる。知り合いもいれば、学び舎時代の同級生の姿もあった。

 ゆっくり挨拶もしたかったが、自分の今回の目的は――あくまで、皇女の容体を報告することだ。

「悪い、またあとでな!」

 馬は速度を上げ港へと走る。するとここでは珍しい、茶色い家が見えた。そこに、耀覇の育ての親が住んでいる。

「じいちゃん!」

 耀覇は馬を置いて、木の重い扉に手をかける。中へと勢いよく飛び込んでいくと、そこには黒い羽織を着た祖父――厳密に言えば、耀覇の育て親が、目をつむってその場に座っていた。

 彼の名はムンドといい、捨てられていた耀覇を救った、命の恩人でもあった。

「耀覇か、何故戻った。姫さまの容体は」

「それが……!」

 耀覇は皇女に現れたもう一つの人格のことを話すと、どうか助けてくれと懇願した。しかし、ムンドは眉根を寄せたまま、む、と黙り込んでいる。

「……それは男か」

「ああ。あと、そいつは俺に向かって『ソンファを返せ』と言っていた。本当に殺められるかと思ったぞ」

「その男の名は分かるか」

「さあ……でも、女がソンファという名なら、下町の人間だと思うけど……」

 あくまで自分の推測なので、本当にそうかは分からない。しかしムンドは何度か頷き、くるりと耀覇の顔を見た。それから何か思いつめた表情をしたのち、ふうと息をつく。

「耀覇」

「え、何……」

「皇女殿下には気をつけろ」

「は?」

 深刻な話でも始まるのかと思えば、皇女に注意しろ、とムンドは言った。一体彼女の何に気をつけろというのか、耀覇にはまるで分からない。

「知ってるか。皇女殿下が何故〝呪われた皇女〟と呼ばれているのか」

「……知らねぇ」

 それは現に、自分も知りたい話だ。

「皇女殿下はな、昔――」

 ムンドが話し始めようとした、その時である。

「ムンド様! 東の方から官軍が迫っています!」

 扉をバンッと開けて、男が飛び込んできた。小窓を開けて外に身を乗り出すと、カッカッという軽快な鎧の音が響いていた。閑静な泉州の町にはそぐわない音である。

「じいちゃん……」

「取り敢えず用件を聞くか。よし、みんな外へ出ろ」

 慌てて皆が外へ出ると、官軍はぴたりと足を止め、軍の長であろうひげを生やした男が前へ出た。町のものは皆その男の形相に恐れをなし、一歩後ろへ下がる。

「町長はどこか」

「儂だ」

 名乗り出たのは他でもないムンドだった。彼は官軍に用件を聞くと、それが婚約のための、農作物の結納だと言った。

「泉州も、国を代表して結納の品を用意できるほど光栄なことはないが、しかし誰のものだ。誰が婚約すると?」

 男の口から出た名前に、皆は息を呑んだ。

「……皇女殿下だ」

 中でも耀覇は戸惑いを隠しきれず、グッと拳を握っている。ムンドはそんな耀覇を察し、皇女殿下と誰との、と問う。しかし男はそれには答えず、ただ詳細については宮廷へ参れとだけ言い残して、元来た道を戻っていった。

 その姿が見えなくなると、耀覇はその場に足をつき、ギュッと唇を噛み締める。その肩にムンドが手を載せると、一旦家に戻ろうと促した。

 家に戻って布団に座ると、耀覇はふっと力が抜けるのを感じ――知らないうちに、赤子のように泣きじゃくっていた。

「うわああああ! じいちゃんさっきの聞いたッ? 紫苑様にッ、婚約者がぁぁぁ」

「泣くな。男がみっともない」

「だって考えても見ろよっ。好きな人が自分以外と婚約とか、じいちゃんは耐えられるか!?」

「だからって泣くことはないだろう」

「だって……」

 涙は相変わらずとどまることを知らなかったが、しかし耀覇が悲しむのも無理はない。皇女に片思いしてかれこれ8年目……8年も彼女を好きでいれば、自分から離れていくことに恐怖を感じてしまうのは、ある意味仕方のないことかもしれない。

「もう嫌だ。紫苑様が振り向いてくれないなら、俺は死ぬ……!」

「お前は馬鹿か。失恋したくらいで死ぬやつなどおらんぞ」

「でも俺は死ぬんだっ」

 だんだんもどかしくて腹が立ってきたムンドは、引き出しの箱にしまってある小刀を取り出し、それを咄嗟に振り上げ――


 耀覇の髪を切りつけた。


 紐で結んであるところから、勢いよく刀を引き、結わいていた長髪がハラハラと弧を描いて落ちていく。

「なっ……じいちゃん何すんだよ!」

 耀覇は切られた髪の毛を手に、瞳に余計涙をためる。それだけで泣いた唯一の理由は、長い髪結わくのかっこいいね、と皇女に褒められたからである。それに今朝も、髪の毛のことを綺麗だねと言われたばかりだったのに……。

 髪を触り、その短さに泣いてはまた触り、それを繰り返して数回目、ムンドが真剣な眼差しで耀覇を見た。ムンドの手が自分の髪に触れ、耀覇はその手をすり抜けると「きめえ」と暴言を喰らわす。

 瞬間、何故かふっと笑みを浮かべたムンドは、再度耀覇の両肩に手を載せた。

「おい耀覇、よく聞け。男なら、一度奪われた女は命がけで奪い返すまでだ。奪われて泣いて死ぬのか、それで終わりか、悔しくないのか」

 耀覇は髪の毛を握ったまま、黙り込んでいた。ムンドの言葉に心を打たれたのは確かだが、それ以上に違う感情が込み上げてきた。この感情を何というのか、よく分からない。

「紫苑様に婚約者……」

「だから、皇女殿下をお前が奪え。彼女も会ったことのない男より、幼馴染みのお前と結ばれるほうが気が楽だろう」

「気が楽って……」

 その言い方に少し不快な感じもしたが、耀覇はやがて決心を固めたように、うん、と声を漏らすと、ありがとじいちゃんとだけ残して、家を飛び出していった。

 あとに残されたムンドは、杯を一杯飲み干すと、ふっと優しい笑みを浮かべた。


 

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